屋台をまわっても、回教徒が目につくし、
ハラルをうたうレストランや、
ベジタリアンむけの料理をいたるところでみかける。
きょうは、パーイですごすさいごの日。
もうやりたいことはぜんぶすませたので、
きょうはパーイの郊外へ、散歩にでかける。
あるくのがすきだと、旅行のときにたすかる。
田舎道をあるけば、それでたのしいのだから
お金はかからないし、お腹はすくし、ヒマはつぶせるし。
大晦日をむかえ、パーイの市内はすごい交通量になってるけど、
すこし郊外にでれば のんびりあるける。
きょうえらんだコースは、往復で3時間くらい。
鳥がさえずり、牛が草をはみ、のどかでとてもいい道だった。
すこしぐらい坂があっても、あるいてなら ぜんぜん問題ない。

あるきながら、ちかい将来に予定している
サンティアゴ=デ=コンポステーラの巡礼におもいをはせる。
こんなかんじで田舎道をあるくのはいい気分だけど、
それをなんにちもわたしはつづけられるだろうか。
いちにちにあるく距離は、自分の体調と相談するとしても、
いちにちに20〜30キロはあるくちからがないと、
ながい巡礼コース(フランス・800キロ、スペイン・800キロ)を
あるけとおせられない。
きょうなんかは、1キロくらいしか荷物をもってないけど、
本番の巡礼では、食糧もいれると10キロのリュックになるだろう。
すこしまえまでは、体力だめしのイベントくらいの ノリだったけど、
いま56歳という年齢をかんがえると、ほんとうに
自分の存在をかけた一大チャレンジとして巡礼にとりくまないと
かんたんにはねつけられてしまいそうだ。
キリスト教徒ではないけれど、わたしにとって、
一生をふりかえるマジな巡礼になるのではないか。

あるいていると、いろんなことが頭をかすめる。
旅行のたのしさとはべつに、
平凡な日常のありがたさがわかってくる。
この10日間、さんざん自由にうごきまわれたので、
わたしの旅行熱はすっかりみたされた。
旅行がすき、といっても、わたしの欲求はその程度なのだ。
あしたはチェンマイにむけて移動し、
帰国にむけたうごきへうつる。
これからさいごのナイトバザールをうろついて、
家族へのおみやげをさがしてみる。
おみやげをかう気もちになったのは、
気もちが日本へむかっているのだろう。