2018年01月31日

車イス対応の巨大な鬼がうれしかった

職場の生活介護担当のグループが、
節分にむけて鬼をつくっていた。
鬼のお面をつくるのが、年中行事のようになっており、
まいとし、工夫をこらして
おおきく、こわそうな鬼ができあがっている。
でも、ことしの鬼は、車イスがすっぽりはいる大作だ。
ダンボールでつくられており、
このまま車イスにかぶせられるおおきさとなっている。
ほんそご鬼.jpg
電動車いすをつかっているひとが、
節分の日に主役となれるよう、
職員たちがかんがえたという。
にげる側だった車イスにのっている利用者を、
発想を転換させ、鬼の役をまかせるというのは、
すばらしいアイデアだとおもった。
鬼の箱をかぶってしまうと、
自分がどんな「鬼」なのかはみえないけど、
まわりの反応から、どれだけすごい鬼なのかわかるはずだ。

できればエアガンの機関銃も発射できたら、
とおもったけど、
そうした武器で「おにわそと」の豆に抵抗するのは
反則かもしれない。
ただでさえ、
「なぜ桃太郎はなにもしていない鬼をいじめるのか」など、
根源的な疑問がなげかけられるご時世であり、
桃太郎は侵略者として人気がなくなっているときく。
節分にやってくる鬼だって、なにもわるさをしていないのに、
一方的に豆をなげつけられるソンな役わりだ。
でも、やられたらやりかえす、では
平和的な世界征服につながらない。
ほんとうの悪役にならないためにも、
豆をぶつけられたからといって、
へんにエアガンなどで
へたに反撃しないほうがいいかもしれない。

わたしは年中行事にかかわる創作活動がにが手で、
まいとしおなじようなものをつくってはこわすのに
むなしさをかんじていた。
でも、こんかいのような車イス対応の鬼だったら、
だれもが鬼になっておどかす側にたてるとおもえば、
たのしんで鬼をつくれる。
あそびゴコロを満足させる巨大な鬼の出現に感心した。

posted by カルピス at 21:41 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月30日

『鳩の撃退法』にでていた女子大生が気になる

これまでなんどかかいてきたように、
佐藤正午の『鳩の撃退法』(小学館)はすぐれた小説であり、
いろんなよみ方ができる。
わたしは、津田伸一が居候としてころがりこんでいた、
軽自動車ラパンにのる女子大生(網谷千沙)がとても気になる。
彼女はしっかりした性格で、
先生になろうと教育実習のために、
実家のある町にもどっていた。
津田伸一は、彼女の世話になりながら、
この手紙にあるとおり、
なにもいわずに彼女のまえから姿をけしている。
ただ、そうはいっても、心ならずも、現実に私たちはガストで出会い、そしてまがりなりにも一年間、同居生活を送りました。一年のうち下半期は、内実はほとんど形骸化していたとしても、私たちは単なるルームメイトの域を超越したカップルとして、居候以上内縁未満とあなたはいつか言いましたよね?ともに長い日々を過ごしました。上半期には、いわば喜びも悲しみも分かち合った、そのあなたが、突然、置き手紙も残さずに姿を消してしまうのは心底情けないし、そのせいで一方的に、私だけ罪悪感に悩まされているのは納得いきません。耐え難い仕打ち、とはこういうものでしょうか。遠くへ去ったひとには去ったひとの考えがあるかもしれません。けれど、残された者には残された者なりの、心の決着のつけ方があります。『鳩の撃退法』(下)

彼女が津田伸一あてにかいた手紙をよむと、
まるでわたしの配偶者がかいたような気がしてくる。

「内実はほとんど形骸化していたとしても」
「喜びも悲しみも分かち合った」ときもあった。

わたしだけでなく、だめな夫のおおくは、
妻におなじような さみしいおもいをさせているのではないか。

津田伸一は、女子大生の居候になるまえは、
ものすごく早寝早おきの
銀行員の女性のもとへころがりこんでいた。
こちらの女性については、
小説のなかであまりふれられておらず、
読者としては したしみをもちにくい。
いっぽう、網谷千沙が津田伸一にだした手紙をよむと、
みかけのそっけなさにかくされた、
女性らしいこまやかな配慮やつよい精神がかいまみえ、
さいごのさいごまで、精一杯まともな人間であろうとしながら
でもかなわなかった 彼女のむなしさに胸をうたれる。

わたしが津田伸一の立場だったら、
もっと彼女をいたわり、やさしいことばをかけたにちがいない。
そして そのあげく、けっきょくは、
「内実はほとんど形骸化していたとしても」
「喜びも悲しみも分かち合った」
と、とおい日をおもいおこさせ、
すれちがいばかりとなったふたりの関係で、
彼女をかなしませるだろう。

津田伸一だけにかぎらない、
男のいいかげんさ、ダメさが身につまされる、
『鳩の撃退法』はそんな小説だ。

posted by カルピス at 21:28 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月29日

水上飛行機による事故を、なぜそんなにくわしく報道したのか

宍道湖の上空を、ちいさな水上飛行機がとんでいるのを
ときどきみかける。
水上飛行機と飛行艇は、ビミョーにちがうようで、
「紅の豚」のポルコがのっていたのは飛行艇のほうだ。
飛行艇が、飛行機の胴体を水にうかべた状態でとぶのにひきかえ、
スキーのような浮船のうえにのっているのが水上飛行機らしい。
いずれにしても、水にうかびながら飛行機をとばすなんて
自由の象徴みたいにたのしいあそびだ。
わたしも、そんなふうに宍道湖の上をとんでみたい
(高所恐怖症なので、じっさいにはむりだけど)。

その水上飛行機が、きょねんの4月に宍道湖で事故をおこしており、
先日の朝日新聞島根版にくわしい報告書がのせられていた。
なお、事故によるけが人はでていない。
(報告書は)機長が離水に必要な距離を十分認識せずに滑走を始めたため、浮揚する前に大きな波に衝突した可能性が高いと結論づけている。

このあとも、これでもかと、
事故の詳細がのべられている。
もちろん事故はないほうがいいし、
事故によって迷惑をうけたひとがいるかもしれない。
それにしても 記事は、ものすごくくわしく報告書を引用しており、
直接の非難はしていないものの、
記事全体から、未熟な操作によるひとさわがせな事故、
というニュアンスをつよくかんじる。
普通なら、さらっと紹介すればすむところを、
調査報告書からのながすぎる引用に違和感をもつ。

みだし以外の本文に、
12文字×22行×2段ぐみのスペースをつかい、
異例ともいえる特別なあつかいでくわしくほうじている。
たとえば、自動車事故がおき、
ケガをしたひとがだれもいない場合、
これだけくわしい記事をのせたりしないだろう。
国土交通省による報告書をこれだけくわしくのせるのなら、
じっさいに事故にあった当事者へも取材するべきではないのか。
お役所の発表のみをのせるのは一方的であり、
水上飛行機なんかでチャラチャラあそんでるから、
こんなひとさわがせな事故をおこすんだ、
みたいなひがみにおもえる。

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2018年01月28日

ヨシダプロ氏による「むりやりシリーズ」は、残念ながらももちゃんが主役ではなかった

デイリーポータルZに、ヨシダプロ氏の
「むりやりシリーズ」がひさしぶりに登場した。
前作からずいぶんあいだがあいたので、
はやく「むりやり」の「ももちゃんシリーズ」を
とりあげたくて うずうずしていた。
ちょっとここで このシリーズのよび方を整理しておくと、
これまで「ももちゃんシリーズ」とかいてきたけど、
ただしくは「むりやりシリーズ」のような気がしてきたし、
さらにいえば「むりやりももちゃんシリーズ」のほうが、
記事の性格をよくあらわしているかもしれない。
今回はとくに ももちゃんが主役とはいえないので、
「むりやりシリーズ」とした。

ヨシダプロ氏がこころみたのは「西郷丼」だ。
http://portal.nifty.com/kiji/180126201875_1.htm
いま注目をあつめている「西郷どん」を、
丼で具現化したらどうなるか。
でも、残念ながら、
今回はももちゃんににせた「むりやり」ではない。
それならわたしが 無理して紹介しなくても
よさそうなものだけど、
記事の雰囲気としては、そして分類としては、
あきらかに「ももちゃんシリーズ」でまちがいない。
つぎの作品までのつなぎとして、あえてとりあげた。

わたしが敬愛するしんざきさんは、
・「私が書きたくなったことだけを書く」
あるいは、
・「書かなきゃいけないから書いた」
 という記事は一本たりともない
http://mubou.seesaa.net/category/119140-1.html
ともいっておられる。
それにひきかえ、
ももちゃんが主役ではない「むりやりシリーズ」を、
それこそむりやりとりあげるのは
かなり問題があるのでは。
でもまあいい。
西郷丼の材料につかうきなこを、
ももちゃんがものすごく気にしていてかわいかったので。
ひとにはいろいろな動機がある。

こまかい作業の結果、
どんな西郷丼ができあがったのか。
ヨシダプロ氏は
「かなりの西郷丼が具現化できたのであった!」
とかなりあまい点をつけているけど、
わたしはそこまでの出来とはおもわない。
もうすこしがんばって、
ももちゃんに必然性をもたせた
西郷丼にしてほしかったというのが率直な感想だ。

posted by カルピス at 21:42 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月27日

ランスマにでてきた92歳のランナーにおどろく

きょうのランスマでは、
900万人といわれる市民ランナーが、
それぞれもっている「はしる理由」をとりあげていた。
達成感とか、がんばるお母さんでありたいとか、
それこそひとによって理由はさまざまだ。
そのなかのひとりとして、
92歳の市民ランナー、上野山さんが紹介された。

92歳でフルマラソンに挑戦する上野山さんは、
はしる理由がどうこうよりも、
92歳ではしれるからだであることに、
それだけでおどろかされる。
92歳にはまったくみえない。
動作はキビキビしているし、
はなし方だって老人らしいところがない。
うごきをみれば、げんきな70代としかおもえない。
のんびりとか、だらりとしたすごし方よりも、
つねになにかをめざしているタイプの方だ。
おおげさにいうのではなく、
わたしよりずっと若々しい身のこなしだ。

天気の日には、1日20キロをはしるのが日課なのだという。
1時におきてすぐ体操。
2時からはしりはじめ、
1キロ9分のペースで3時間かけ20キロをはしる。
4時に朝ごはん。
そのあとテレビや新聞に目をとおし、
ひとりで管理しているミカン畑で仕事をする。
夕方4時には夕ごはんをたべ、
8時にはねむりにつくというのが
上野山さんのいちにちのリズムだ。

神戸マラソンでの挑戦は、
残念ながら制限時間内にチェックポイントをくぐれず、
20.3キロでのリタイアとなった。
「きたえなおさんといかんな」と上野山さんはつぶやき、
じっさいに、つぎの日からトレーニングをはじめられている。
このごろは、がんばるより自分をやすめることに
注目されているけれど、
きっと上野山さんは、目標にむかって
ずっとがんばりつづけるひとなのだろう。
うごけなかったらなにもできないので、
自分のからだは自分でまもる、ともいわれている。
上野山さんのようにはしりつづけるためには、
よほどからだをきたえ、メンテナンスに気をくばる必要がある。
ひととくらべることに意味はないけれど、
こんな92歳がいるのは刺激となった。
92歳まで 生きるだけでもたいへんそうなのに、
そのうえフルマラソンがはしれるとは、
まったく、すごいとしかいいようがない。

わたしがこのまま92歳になったとしたら、
目はかすみ、耳はとおく、はしろうとすれば足はもつれ、
頭はずっともやがかかったようにクリアーではなく、
腰はまがり、なにかをはなしてもモゴモゴしか口がまわらず、
しばしば目まいがして、記憶はふたしかで、
ちょっと頭をさげただけでもからだがふらつき、
いつ死んでもおかしくない状態だとおもう。
上野山さんのうごきと まえむきな姿勢におどろかされた。

posted by カルピス at 20:26 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月26日

男子高校生が、なぜわたしに朝のあいさつをしてくれるのか

朝日新聞に連載されている伊藤理佐さんの
「オトナになった女子たちへ」。
こんかいは、東京に雪がふった朝について。
めったにふらない雪でしろくなった朝、
近所のけしきがいつもとはかわってくる。
いつもだと、たとえみかけても、
どこの家の子だろうと謎だった中高生が
家族といっしょにでてくれば すぐにわかる。
雪かきをしてくれてるおじさんが
「昔、自衛隊にいてこんなことしょちゅうやってたんだけど」
と、ひとりごとみたいに おしえてくれたり、
トラックを誘導するおじさんが、
英語で鼻歌をうたっていたり。
「もしかしていい朝だったかも」
と、伊藤さんはかんじはじめる。
たしかに、いつもとちがう、いい朝っぽい。

わたしがすむ町も、こんしゅうは雪がつもり、
いつもとはちがう朝になった。
ただ、東京の雪ほどめずらしくはないので、
通勤・通学をじゃまするめんどくさい雪、
というとらえ方のほうがつよいかもしれない。
雪がつもると、いつもとちがう顔ぶれをみる新鮮さよりも、
いつもであえるひとをみかけないさみしい朝となる。

わたしが朝あるいて職場にむかう時間に、
よく3人組の男子高校生とすれちがうのだけど、
そのなかのふたりがかならず「おはようございます」と
おおきな声であいさつしてくれる。
わたしから「おはようございます」をいうことはなく、
いつも いわれてからの返事となり、
人間として 彼らのほうがしっかりしているといつもおもう。
ふつうの高校生は、みしらぬおじさんに
「おはようございます」をいわないとおもうのに、
なんで彼らはわたしにあいさつしてくれるのだろう。

ひとつには、わたしがあいさつしやすい顔をしているのではないか。
彼らにかぎらず、部活がえりの女子中学生が
「こんにちは」といってくれることが ときどきある。
もっとも、「あいさつしやすい顔」が
どんな顔なのか、本人であるわたしにもよくわからない。
あいさつしてあげないと かわいそうなぐらい
くらい顔つきなのかもしれない。
ふみきりをわたろうとするとき、わかい女性から、
「おはようございます」といわれたこともある。
こんなきれいな女性がしりあいにいたっけ?と
うれしくなっていたら、
通学する生徒たちをみまもっている先生だと
あとで気づいた。
自意識過剰なおじさんは、
わかい世代が声をかけやすいのかもしれない。

posted by カルピス at 20:14 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月25日

「人の作業を背後からのぞくと新しい知識がふえる」はほんとうだ

デイリーポータルZに、
「人の作業を背後からのぞくと新しい知識がふえる」
がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/180125201854_1.htm
パソコンをうっているとき、
うしろから仕事をのぞかれるのはプレッシャーだけど、
逆にのぞくのはすごく勉強になる。
うしろからひとの仕事をみると、
なぜかとても素直にいいところを参考にできる。

エクセルでなにかをつくっているとして、
たいていのひとは自分のやり方やクセがあり、
もっといいやり方があるといわれても、
あるいは直接ことばをかいしておそわったとしても、
自分のスタイルをなかなかかえない。
ほんのちょっとショートカットキーをおぼえれば、
確実にはやく仕事ができると理解しつつ、
それまでのやり方をつづけようとする。
それが、なぜかうしろから(もちろんよこからでも)みると、
スッとはいってくる。

この記事によると、複数のひとが うしろからみた場合でも
知識がふえるのだそうだ。
作業者は指摘されると「うわああ」となるが、ただそのおかげで聞いてた全員がショートカットキーの存在をおぼえた。ちょっとした学校みたいになってきた。

ここでは「学校みたいになってきた」と、
学校での授業を肯定的にとらえているけど、
じっさいは、学校みたいなやり方は、
きわめて効率がわるいのではないだろうか。
ことばで一方的におしえるより、
だれかのやり方をうしろからみたほうが
すんなり身につく、というのが今回の記事のキモだ。

べつに参考にしようとか、
仕事のやり方をぬすもうとおもっていなくても、
うまいひとの仕事は、みてるだけでもマネしたくなる。
ひとは、あんがい自分以外が
どんなやり方をしているのかをしらない。
ネットでなにをみているか、どんなサイトがあるかなど、
自分よりレベルがうえにひとのうごきは なんでも参考になる。

わたしは中学のころから水泳をやっている。
水泳は、ずっとプールの底をみながらの練習なので、
なかなかうまいひとのおよぎをマネできない。
水泳は、ほかのひとのうごきがみえない、
唯一のスポーツではないか。
わたしがひとのよさをとりいれられないのは、
水泳が原因かもしれない。

posted by カルピス at 22:23 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

きらクラ!で『トゥルー・ロマンス』の曲がながれておどろいた

NHK-FMの「きらクラ」をきいていたら、
クラシック番組のはずなのに、
いまふうで チャーミングな曲がかかった。
カール=オルフというひとの作品らしい。
どこかできいたことがある。
そうだ、映画『トゥルー・ロマンス』のテーマソングではないか。
でも、ふかわりょうさんは、カール=オルフを紹介するときに、
ひとことも『トゥルー・ロマンス』についてふれない。
あとでネットをみると、この曲はカール=オルフによる「Gassenhauer」で、
『トゥルー・ロマンス』とは関係なかった。
https://www.youtube.com/watch?v=TQ9_6W6bVoQ

正確には、関係ないというよりも、
『トゥルー・ロマンス』は
『地獄の逃避行』という作品のオマージュであり、
その『地獄の逃避行』が「Gassenhauer」をつかっていた。
『トゥルー・ロマンス』を監督したトニー=スコットが
作品だけでなく音楽も『地獄の逃避行』を意識したらしい。
『トゥルー・ロマンス』のテーマソングであり、
作品の雰囲気にぴったりの、おしゃれな「You're So Cool」は、
もとをたどるとカール=オルフの「Gassenhauer」という
ややこしい関係にある。

わたしは音楽にあかるくないので、
たとえば『がんばれベアーズ』で「カルメン」がつかわれていても、
それがビゼー作曲の有名な曲ということさえしらなかった。
まるでベアーズのためにつくられたかのように、
あの映画にぴったりだったので、
あとから「カルメン」をきいたときに
なんでオペラにベアーズの曲がつかわれているのだと、
なんだかへんな気がしたものだ。

『地獄の黙示録』でヘリコプターがとぶ有名な場面では、
ワーグナーが効果的につかわている。
はじめて黙示録をみたときは、
この作品にむけてつくられたとおもったぐらいだから
無知もここまでくると かなり重症といえる。

わたしがすきな『パルプ・フィクション』でも、
オープニングにぴったりの曲がながれる。
https://www.youtube.com/watch?v=LRVVECmDFYw
タランティーノ監督は、いったいどこから
あんなにいかれた(もちろんいい意味で)を
ひっぱりだしてくるのだろうと感心したものだ。
わたしがしらないだけで、きっと世間では 有名な曲にちがいない。
映画のためにあらたな曲をつくるのもいいけど、
まったくおもいもよらないところから
その映画にぴったりな曲をもってこられるのも
意外性があってたのしい。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月23日

松江市立図書館の「2017年 貸出ランキングBEST300」

市立図書館にいったら、2017年における
「貸出ランキングBEST300」がまとめられていた。
A42枚に、1位から300位までが一覧になっている。
2015年にも「ベスト300」が発表されているので、
まいとしこうやって 貸出ランキングをおしえてくれるようだ。

2015年の「ベスト300」では、ベスト10までの、じつの7作を
東野圭吾の作品がしめていたので おどろいたものだ。
ベスト30までをみると、16作品が東野作品だった。
いくらなんでもかたよりすぎだろう。
2017年はどうだったかというと、
やはり東野圭吾はつよく、ベスト10に6作品、
30までに14作品もはいっている。
松江市における東野圭吾人気は、
なにか特別な理由があるのだろうか。

2017年の「ベスト300」にざっと目をとおすと、
あたりまえながら、新刊本の貸出がおおい。
作家および出版社は、
図書館がもうすこし新刊の貸出を おくらせてくれたらと
おもわずにはおれないだろう。
とくに東野圭吾さんとって問題は深刻なはずだ。
松江市にファンがおおいのをよろこんでいいのか、
でもよまれているのが図書館の本なのを
残念がったほうがいいのか。

なんてことを、2年まえの記事にもほぼおなじ内容でかいていた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/434681020.html
わたしが敬愛するしんざきさんによると、
・自分が書きたいことは基本的に伝わらないと思った方がいい
・なので「これは伝えたい!」と思ったことは100回くらい書くといい

http://mubou.seesaa.net/article/443778584.html
そうなので、2年まえとおなじ状況が
松江市ではいまもつづいている報告として 意味をもたせたい。

ちなみに、わたしがよんだ本は、ベスト300に9冊あった。
どれも自分でかった本だ。
人気のある本は、予約の競争がきびしいので、
はじめから図書館でかりようとはおもわない。
結果的に、わたしが図書館でかりるのは、
もう話題作としての旬がすぎた本となる。
2年まえにかいた記事にも、
新刊本を図書館がおくのは、もうすこしまってほしい、という
樋口毅宏さんの意見を紹介している。
もっともなかんがえ方だとおもう。

posted by カルピス at 22:01 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月22日

人力車による鈴木悠司さんの旅におどろく

NHK-FMの「ちきゅうラジオ」をきいていたら、
人力車で世界をまわっている
鈴木悠司さんがはなしをしていた。
鈴木さんは、仲間3人と、中国からインドまで
人力車をひっぱって旅行している。
http://suzukiyuji.jp/
ことしの3月から、こんどはモロッコにでかけ、
ヨーロッパ各地をまわる予定だという。

旅がすき、かわったことがすきを、どこまでもひろげてゆく。
なぜ人力車なのかはよくわからないけれど、
おもしろそうだから、を理由に、
ガンガン実行していくエネルギーにおどろく。
人力車は飛行機にのせられないので、船ではこんだという。
外国へゆき、土地のひとを人力車にのせてたのしんでもらう。
そのためにわざわざ人力車をもっていくわけで、
外国にもあるリキシャとかサムローなどにくらべ、
はるかに洗練された人力車をみたら、
外国のひとは、日本文化のうつくしさに感心してくれるだろう。
でも、鈴木さんたちの荷物のことが気になった。
人力車は、ひとをのせるので、荷物はつめない。
あんがいひとをのせるまでは、自分たちの荷物をつんでいるのかも。
島根県の出雲市出身の冒険家、永瀬さんは、
リヤカーでの徒歩旅行というスタイルをあみだした。
鈴木さんは、リヤカーよりも、
もっとあそびの要素を人力車にこめている。
写真をみるかぎり、鈴木さんたちは
飛脚みたいに身がるな服装で
たのしそうに人力車をひいている。
サイコーのあそびといえるかもしれない。

「いちばん印象にのこったことは?」
の質問に、
タイのメーホンソンで、首長族のひとたちを
人力車にのせたことだとこたえていた。
ふつうなら、首長族のひとは、ひとからおどろかれる立場なのに、
このときは、人力車にのり、おどろいてくれたのだそうだ。
メーホンソンというと、わたしがこのまえ旅行したパーイから、
さらにミャンマーの国境にむかった山のなかにある。
パーイに車でいくのでさえ、車よいしてくるしむのに、
そこまで人力車をひっぱっていくなんて、ほんとにすごい。
自転車や、あるいての旅行でさえたいへんだとおもっていたら、
ひとをのせ、よろこんでもらうために、
わざわざ人力車をもっていくという発想におどろく。
まったく、けたはずれのひとがいるものだ。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

脳の甘いささやきにまけてがっくりくる

タイ旅行から日本にかえっても、
なかなかリズムがもとにもどらない。
体調をくずしたこともあり、4キロやせてしまった。
ランニングや、家での筋トレをする気にならず、
このままずるずると運動しないひとになるのでは、
と心配になるほど、いつまでもげんきがでない。
もともとやせ型のわたしが さらに4キロやせると、
インパール作戦に失敗して ジャングルをさまよう日本兵みたいだ。

それでもすこしずつトレーニングを再開すると、
ゼロからはじめるリハビリみたいで、
だんだんとちからがもどってくるのを実感できた。
先週は、配偶者の勤務表とお天気がうまくかさなり、
わたしが夕ごはんの準備をしなくてもいい日に
ピッタリ外ではしれたり、
雨がふった日はプールでおよいだり、
体幹トレーニングにきりかえたりと、
6日連続でまじめにからだをうごかした。
きょうも、仕事がはやくおわり、
はしろうとおもえばはしれる状況だった。

でも、なんだかきゅうにさむけをかんじた。
ノドがいたいような気がするし、
つかれもたまっており、ここはむりをしてはしるより、
からだをやすませる場面だと脳がささやく。
どうしようかとまよい、でもやっぱりはしろうと、
きがえようとしたときに雨がふりだした。
冬の雨にあたるのはからだによくないので、
すぐに中止をきめる。

冗談みたいに、雨はほんのすこしだけで すぐにやんだ。
いったん中止をきめてしまうと、
もう気もちはもとにもどらない。
そのまま事務所でパソコンをながめ 時間をむだづかいし、
自分にまけたなさけなさをかかえて家路につく。
あすは雨ふりの予報だし、今週はそのあとずっと
第一級の寒波がいすわる。
はしるのは、きょうしかなかった。
きょうはしっておけば、あしたは体幹トレーニングでつなぎ、
そのあとプールでの水泳がいきるトレーニング予定だった。
そんなことはわかっていながら
くじけてしまった自分がなさけない。
はしろうか、どうしようかなんて、かんがえてはいけなかったのだ。
はしるのがあたりまえなのであり、はしるのに理由はいらない。
トレーニングの予定をだいなしにするのは、
いつだって脳からのあまいささやきだ。
脳がからだの不調をかんじさせてしまうし、
さむけやノドのいたみまで演出する。
それらをふまえ、脳がもっともらしい総合的な判断をくだそうとする。
なにもかんがえずに、淡々と、スケジュールどおりはしるしかない。

posted by カルピス at 22:22 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月20日

帯津良一さんの『不養生訓』

帯津良一さんの『不養生訓』(山と渓谷社)の広告が、
新聞にのっていた。
「お酒・ギャンブル・熟年の恋・・・大いに結構」とある。
さらには「大食、美食、不摂生、メタボ、何でもOK!」とも。
ただし、「ときめきを与えてくれるものなら」
という条件つきだ。

おもしろそうな本なので、
本屋さんでたちよみしてみる。
数行の広告がすべてをあらわしており、
とくにかわなくてもいいようにおもえた。
帯津さんのように、健康な80歳は、
それだけですでに「達成」しており、
どんな極端なことをいってもゆるされる。
だから参考にならないか、というとそうでもなく、
どうせなにかで死ぬわけだから、
できるだけ楽観的な姿勢でくらしたい。
ときめきが大切というのは、
からだにわるいことをしない、というひき算ではなく、
こころがよろこぶことをする、というたし算の養生訓だ。
こりずにくりかえす二日よいを反省するよりも、
たのしい時間をもてたとかんがえる方がいい。
わたしはタバコをすわないけれど、
帯津さんがいわれるように、たのしんですうぶんには、
あんまり目くじらたてなくてもいいのではないか。

からだにいちばんわるいのはストレスだといわれている。
最大のストレスが仕事だったり、
満員電車での通勤だったりするわけなので、
養生するのもなかなかむつかしい。
バランスのとれた食事、なんてのも
もっともらしいけど、じっさいはどんな食事なのか。

荻原魚雷さんのいう「一に換気、二に日当たり」や、
糸井重里さんの
「ちゃんとメシ食って、ちゃんと風呂入って、ちゃんと寝ること。
 そういう人にはかなわないよ」
みたいなあたりまえの養生訓がわたしはすきだ。
帯津さんの不養生訓も、こうしたかんがえ方とすこしにている。
それらにつけくわえて、わたしが気をつけているのは、
「心配してもしょうがないことは心配しない」というのと、
これにつけたして、村上春樹さんの
「きっとうまくいく。うまくいかなかったら、そのときにかんがえる」
にすごくたすけられている。
これぐらい心配をとおざければ、
ストレスから かなりはなれてくらせる。
口でいうほど、じっさいに楽観的でいるのは、かんたんではない。
だからこそ、
「一に換気、二に日当たり」
「ちゃんと、メシ・風呂・寝る」
みたいな、シンプルで具体的な指針がたすけになる。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月19日

かとうちあきさんの「極力働きたくないし、働かないぞ」に賛同する

わたしが人生の師匠とあおぐ
野宿伝道師のかとうちあきさんが、
きょねんのくれに「はたらかない決意」をツイートしている。
https://twitter.com/kanegonn
夜勤の仕事をおさめたー。今月は旅行で半月休んだから、残りの半月で通常プラスαの夜勤に入ることになって、たくさん働いたきぶん(錯覚)。先月まで来年はもうちっと働かにゃ〜な〜なんておもってたけど、やっぱり極力働きたくないし、働かないぞ。

新年をむかえたこの時期、おそらく気もちだけになりそうな
「ことしこそ」をかかげるひとがおおいのではないか。
かとうさんみたいに「やっぱり極力働きたくないし、働かないぞ」
という決意はすばらしい。

わたしは、きょうが休日であるにもかかわらず、
職場が企画した「成人をいわう会」にお昼まで出席した。
「極力働きたくない」わたしにも、つきあいがあり、
こういう会にはでておいたほうがいい、みたいな雰囲気によわい。
とはいえ、会にはでたものの、
わたしの頭のなかは おでんの のこり汁でつくる
おからのことでいっぱいだった。

大量につくったおでんも、5日であらかたなくなり、
でもまだかなりの量の汁がのこっている。
この汁をつかって、おからをつくるのが
わたしのなかで「お約束」になっており、
おでんのさいごはおから、という
へんな図式が わたしのパターンとしてできあがっている。

トランプ氏が「アメリカファースト」と、
自分の国を最優先させる論理をふりかざして
ひんしゅくをかっているけど、
わたしもまたそうとうな「自分ファースト」だとおもう。
せっかくひらかれる「成人をいわう会」なのに、
のこり汁でつくるおからのことが頭からはなれず、
すきま時間をつくり、スーパーでおからとネギ、
それにごぼうをかっておいた。
「成人をいわう会」がおわるとすぐに家にもどり、
おからづくりをすすめながら おそめの昼ごはんをたべる。
これでひと安心だ。わたしのこだわりはぶじにみたされた。

トランプ氏は、多国間による貿易協定をこのまず、
2国間でのとりきめにこだわるのは、
自分のこだわりをとおしやすいからではないか。
いくつもの国があつまってはなしをするときに、
自分のこだわりばかりをふりかざすわけにはいかない。
でも、2国間でのはなしあいなら、それが可能だ。
わたしが、おでんののこり汁はおからにつかわなければ、
という、ささやかなパターンにこだわりをもつように、
おそらくトランプ氏も、経験によりできあがった
どうでもいいようなパターンを大切にするひとなのだろう。
もっともらしい理由をこねくりまわすかもしれないけど、
トランプ氏がほんとうに大切にしているのは、
自分がかさねてきたパターンへのこだわりだ。

「成人をいわう会」がおわるころになって、
そういえば、わたしのむすこも、
ことし成人になったのをおもいだした。
このまえ成人式にかえってきたばかりなのに、
もうむすこのことをすっかりわすれ、
おでんの のこり汁に 頭のなかを支配されている。
トランプ氏とはなしをしたら、
あんがい似たような話題でもりあがるのでは。

posted by カルピス at 14:53 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月18日

料理のレベルとしあわせは 関係ないのかも

コウケンテツさんの旅プラス料理番組
「コウケンテツの世界幸せゴハン紀行」で、
デンマークをとりあげていた。
こうした旅ものがわたしはすきで、
よくみるほうだとおもうけど、
このデンマーク編は、ほかのおおくの番組とちがい、
でてくる料理があまりおいしそうではなかった。
豚肉をかたまりのままオーブンでやいたり
(きりこみをいれ、ロリエをはさみはしていたけど)、
サケのくんせいを、そのままちぎってたべるだけだったり。
ミンチでつくる肉ダンゴを、デンマークならではの家庭料理、
みたいにいっていたけど、
だれでもつくれそうな、素朴きわまりない料理にみえる。
地元の食材をいかそうというかんがえ方や、
野原にはえているイチゴをサラダにいかしたりの実践は、
すばらしいとおもうけれど、
正直にいって、料理のレベルとして、
デンマークはかなりひくいのではないか。

はじめは、きびしい自然環境から、
手にはいる食材がかぎられているので、
デリケートな料理をつくる気にならないのかも、とおもった。
でも、番組をみているうちに、
デンマークには、ヨーロッパ各地から食材があつまってくるし、
国内にも、ゆたかな食材を提供できる農地があるという。
もりつけをふくめ、みた目をあまり気にしないのが
デンマーク人の国民性なのかもしれない。
誕生日のケーキも、すごくおおざっぱにつくるし、
オーブンで火をくわえただけの肉料理にだって、
「きょうのは最高のできだ」とおおまじめにこたえている。

コウケンテツさんは、なにをたべても
じょうずにほめているけど、
ほんとうは、すくなくとも味については、
いいところをさがすのがたいへんだったのではないか。

でも、そんな料理を、家族や友人たちとテーブルをかこみ、
ほんとうにおいしいと確信してたべているようすはすばらしい。
デンマークには、「ヒュッゲ」とよばれる
しあわせの感覚があるそうで、
新聞にも紹介されていたし、コウさんの番組でも
家族でかこむ食事の時間を「ヒュッゲ」とよんでいた。

料理のレベルがたかい国では、
ものすごくおいしい料理をたべないと、
ひとびとは満足しないけれど、
そこそこの料理にも、こころからおいしいとおもい、
しあわせをかんじながらたべるほうが、
たのしいにちがいない。
デンマークでいうしあわせは、
あまりたかくをのぞまないで、
したしいひとたちといっしょにたべるのに
重点をおくのだとおもえば納得できる。
料理は、あまりにもたかいレベルにたっしてしまうと、
しあわせをかんじるのはたいへんだけど、
そこそこの料理を、家族や仲間とたべられたら
それこそがしあわせ、というかんがえ方もある。

デンマークのひとは、けして自分たちの料理が
「そこそこ」とはおもっておらず、
こころのそこからデンマーク料理や
それぞれの家にうけつがれている料理を
サイコーだとしんじている。
そのプラス思考が、「ヒュッゲ」への近道かもしれない。
なんでもじょうずにつくれたり、
おいしい料理にかこまれた生活が、
そのまましあわせにつながらないところがおもしろい。
なんだかデンマーク料理の悪口みたいになったけど、
しあわせへの道を かんがえさせられる番組だった。

posted by カルピス at 21:54 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月17日

山本文緒さんの解説がおもしろい『ジャンプ』(佐藤正午)

チェンマイのホテルに、とちゅうまでよんでいた
『ジャンプ』(佐藤正午・光文社文庫)をわすれてしまった。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/455783131.html?1516194659
この本の解説を、わたしのすきな山本文緒さんがかいており、
チラッとめくってみると、
「読者のみなさんにお願いがあります。
 先に解説を読まないでください」
とある。
そうか。そんなにいうのなら、
解説はあとのおたのしみにとっておこうと、
ちゃんと本文からよんでいたら、
ホテルにわすれてしまった。
いいところまでよんだ本を、自分の不注意でわすれ、
とちゅうでうちきるなんてすごく残念だ。
さいわいキンドル版がでていたので、
そちらをダウンロードした。

このまえブックオフにいくと、
佐藤正午さんの本は『ジャンプ』だけがおいてあった。
まだよんでない本がほしかったけど、
キンドル版には解説がなく、山本文緒の解説を
まだよんでいなかったので、
タイのホテルにわすれた本を、日本にかえってから
またかってしまった。
自分がものすごくおろかな人間におもえてきた。

ブックオフでかった『ジャンプ』は、
なんという奇遇か、わたしがホテルにわすれた本だった、
というのならものすごく不思議なはなしになるけど
(『鳩の撃退法』での『ピーターパン』みたいだ)、
もちろんまったくべつの『ジャンプ』だ。
以下、ネタバレになるかもしれないので、
まだ『ジャンプ』をよんでいないひとはご注意ください。

主人公の男性は、なぜアブジンスキーなどという、
つよいカクテルをのんだのか、
山本さんはなんども疑問をなげかけている。

山本さんの解説には、北上次郎さんの書評が引用されており、
のにち北上さんは、山本さんの解説を引用しながら
「勝手に」(すでに山本さんの解説がありながら)
解説をかいて、『勝手に!文庫解説』としてまとめるという、
ややこしいやりとりが『ジャンプ』をめぐっておこなわれている。
『ジャンプ』は、本のプロといべき小説家と書評家が、
それだけ気にするほど 一筋なわではいかない作品だ。

たまたまだけど、「ほぼ日」でいま、
佐藤正午さんと糸井重里さんの対談が連載されている。
http://www.1101.com/satoshogo/2018-01-17.html
佐藤正午という人物の正体を、
じわじわと糸井さんがときあかしていく。

主人公の「僕」は、なぜアブジンスキーをのんだのか。
それにより、彼と彼女の関係は、
なにかが決定的にかわったのか。
山本文緒さんは、じっさいにアブジンスキーをのんでみたそうだ。
たしかに、山本さんの解説は、
本文をよんでからのほうが 味わいぶかい。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

しんざきさんの「『俺の文章大好き』以上にブログをつづける理由が存在しない、という話」にドキッとする

倉下忠憲さんのかかれた
「自分で楽しむブログと届けようとする姿勢」
https://rashita.net/blog/?p=23732
をよむ。
倉下さんは、しんざきさんの
「『俺の文章大好き』以上にブログをつづける理由が存在しない、という話」
http://mubou.seesaa.net/article/456184451.html
をとりあげている。
だれかに「届けようとする」姿勢があるかないか。
私はこの記事を100万人に読んでもらえることをイメージして書いているわけではありません。かといって、誰にも読まれえないとも思っていません。やはり「届けよう」と思って書いています。

しんざきさんの記事をいくつか 興味ぶかくよんだ。
わたしごのみのブログだ。
こまかな分析をくりひろげる もっともらしいブログよりも、
モチベーションの基底にあるのは圧倒的に「自分の文章大好き」という自己満足です。
つまり、私のブログには、一人圧倒的な良読者が固定でついている、ということになります。私です。

とまでいいきってしまういきおいが気もちいい。

わたしはなんでブログをかいているのか。
倉下さんのように、だれかにとどけようとする気もちよりも、
しんざきさんのいわれる、「俺の文章大好き」にちかい気がする。
ただ、いつも「俺の文章大好き」な記事がかけるわけではなく、
とにかく中断しないことだけを目的に、
つなわたりみたいに細々とつづけているブログ。
そんなブログをかく意味などあるのか。
『鳩の撃退法』のなかで、小説家、津田伸一が
都合のわるいことをきかれたときに、よくいうセリフ、
「その質問はうけつけない」
がわたしはすきだ。
ふかくかんがえるのが苦手なのだろう。

posted by カルピス at 22:35 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月15日

「ディス・イズ・ザ・デイ」のネイティブな出雲弁に拍手をおくる

「お母さんどげだった?」(中略)
「元気そうだったわ。手間天神社に興味持ったりしちょったよ」
「そげならよかったわ。7時間もかかるところを呼びつけるから心配だったがね」
「まあ、とにかく来てくれたけん」

津村記久子さんが朝日新聞に連載している
「ディス・イズ・ザ・デイ」の第9話は、
わたしがすんでいる松江が舞台だ。
小説のなかで、出雲弁が堂々とはなされている。

たしかに、わたしたちはこんなふうに出雲弁をはなしている。
よほどしっかりした助言者に、
出雲弁をチェックしてもらっているのだろう。
この会話を、ほかの地方のひとがよんで、
理解できるのか、ちょっと心配になった。
それほどネイティブな出雲弁だ。
「ディス・イズ・ザ・デイ」は短篇集であり、
J2やJ3に所属する、有名ではないチームがとりあげているので、
試合をみにいくと、どうしてもその土地の方言がからんでくる。
ほかの町が舞台のときでも、なにをはなしているか
ぜんぜんわからない、ということはないので、
出雲弁がでてくる第9話にしても、
きっとほかの地方の読者も、ストーリーについていけてるのだろう。

関西弁や博多弁ほど、出雲弁は確固たる地位をきずいていないので、
ほかの地方のひととはなすとき、
共通語というか、丁寧語によってかくしてしまいがちだ。
出雲人の遠慮がちな県民性とも関係するのかもしれない。

宍道湖岸をジョギングしていると、
そんなにひろい道ではないので、
むこうからくるランナーとすれちがうことになる。
わたしと、むこう。どちらがコースをゆずるのか。
島根では、たいていかなりはやい段階で、
正面からくるひとがコースをかえくれる。
あなたがそれほどつよ気のランナーでなくても、
そのままはしっていれば 島根ではたいてい大丈夫だ。
わたしはとくにいかつい男ではないし、
すごくとばしてはしっているわけではない。
それでもたいていむこうがゆずるのは、
島根のランナーがどれほど内気かをあらわしている。
出雲弁も、これとよくにている。
だれかほかの地方のひととはなすとき、
島根のひとは、共通語にきりかえて 出雲弁をかくそうとする。
自分からさきに出雲弁をひきさげるのが出雲人の特徴だ。

第9話は、「松江04」という架空のクラブがでてきて、
2部リーグに所属している、という設定になっている。
小説のなかでは、Jリーグの試合をするスタジアムがでてくるけど、
じっさいにはそんなに立派なスタジアムは存在しない。
JFLいりをめざしているクラブはあるので、
この小説は、松江にありえたかもしれないクラブと、
それにまつわるサポーターのはなしだ。
出雲人らしく、応援にしかたも、どこか遠慮がちにえがかれている。
ストーリーも、ほかの回にくらべておとなしめだ。
正確で、むきだしの出雲弁が堂々とかたられる小説はめずらしく、
松江らしい ものがたりのしずかな展開に好感がもてた。

posted by カルピス at 23:44 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月14日

なんどよんでもあきない『東南アジア紀行』(梅棹忠夫)

このまえのタイ旅行では、
梅棹忠夫さんたちの学術調査隊が
1957から58年にかけておとずれたコースを
ほんのすこしだけかすめている。
ひさしぶりに『東南アジア紀行』(中公文庫)をひっぱりだしてみた。

タイの最高峰、ドーイ=インタノンをのぼろうと、
調査隊はチェンマイから西へむかう。
とちゅうでおとずれたメー=ホーイの村では、
学校の先生のおうちにひとばんとめてもらう。
「村」といっても、20戸ばかりの農家がちらばる ごくちいさな農村だ。
多少とも近代化され、知識もあるいなかの人には、しばしば鼻もちならぬキザな人物がいるものである。しかし、ここの先生には、みじんもそういうところがなかった。かれは、われわれに対しても、村の人に対しても、礼儀ただしく、ひかえ目で、しかもあいそがよかった。せまってくる近代の波に足をすくわれることなく、タイの農村の伝統の上にしっかりと足をふまえて立って、しかも着実に村の進歩のための一つの中心になっている。

「せまってくる近代の波に足をすくわれることなく」
のことばえらびがうつくしい。

チェンマイの営林局が梅棹さんたちの調査隊に同行させたサイヤン氏について、
メー・ホーイから上の荷物の輸送のために、ウマを集めなければならぬ。この地方の事情としては、それはなかなかむつかしいことだった。その問題が、サイヤンが腕を発揮する最初の機会になった。かれは、小川、葉山とともに先行して、その交渉に当ったのだが、その判断の正しさと、処置の的確さとで、たちまたわたしたちのあいだで信用を得てしまった。
 かれは、有能というだけではない。人間としてのかれの誠実が、なによりもわれわれをひきつけるのである。しかも、かれはユーモアを解する。

「人間としてのかれの誠実が、なによりもわれわれをひきつけるのである」
なんと的をいた人物観察だろう。

30年まえに、はじめてこの本をよんだとき、
手に汗にぎる探検でないためか、わたしにはたいくつな記述がおおく、
おもしろそうな項目をもとめて いいかげんにページをめくった。
しかし、すこしおとなになってから ふたたび手にとってみると、
よめばよむほど、味がでてくる本なのがわかった。
よむたびに、あたらしい場面にひかれる。
なんで、これまでみすごしていたのだろう。
東南アジアの歴史をわかりやすく紹介しつつ、
梅棹さんが旅行で目にした事実から、仮説をたてる。
この調査隊がタイをまわったのは、
60年もむかしのはなしなのに、ちっともふるびていない。
梅棹さんほど ふかい教養と行動力をかねそなえていなければ、
これだけの探検記はなかなかかけないのだろう。

posted by カルピス at 22:00 | Comment(0) | 梅棹忠夫 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月13日

すぐれた青春映画だった『サタデー・ナイト・フィーバー』

『サタデー・ナイト・フィーバー』
(ジョン=バダム:監督・1977年・アメリカ)

いまさらながら『サタデー・ナイト・フィーバー』。
わたしは、自分がおどれないヒガミから、
この作品をずっと敬遠してきたけれど、よくできた青春映画だ。
チャラい作品だろうときめつけずに、
もっとはやく、高校生のときにみておけばよかった。

トニー(トラボルタ)はペンキ屋につとめる19歳のわかもの。
週末にディスコでおどるのをたのしみに、
両親・祖母と同居している。
家族や職場にすごく反発しているかというと、
そういうわけでもなく、
たくみなダンス以外はごくふつうの青年だ。
仲間とつるんでさわぐにしても、
ほかのメンバーをどちらかといえばいさめる役で、
ふかい教養はないにしても、独自のかんがえをもっている。
わたしがきめつけていたような、頭からっぽのチンピラではなくて、
自分の生きかたをさがしはじめている、
しっかりしたわかものとして好感がもてた。

『サタデー・ナイト・フィーバー』といえば
ディスコでのダンスが有名だけど、
いまみると、そんなにハデなうごきはなく、
行儀のいいフォークダンスみたいだ。
ラストのダンスコンテストでも、
おとなしいふりつけに終始している。
トニーは、あきらかに自分たちのコンビよりも
うまくおどったカップルに賞金をゆずったり、
町をでてひとりぐらしをはじめたいと、
すきな女の子にうちあけたりと、すごくまともなわかものだ。
トニーにおもいをよせる女の子、アネットがかわいい。
トニーがふりむいてくれるよう、背のびしがちな彼女を、
トニーはやんわりと自分の道をすすむようにさとす。

トラボルタというと、どうしても
『パルプ・フィクション』のダンスをおもいだす。
むりやりにステージにひっぱりだされ、
じゃ、ま、ちょっとやってみるかと、
しぶしぶはじめたツイストが余裕たっぷりだった。
おどれない役者が練習をかさねてたどりついたダンスではなく、
1000ぐらいひきだしをもっている名人が、
そのなかのひとつから さりげなくひっぱりだして
かるく披露してみました、というかんじ。
『サタデー・ナイト・フィーバー』とくらべ、
トラボルタにはたっぷり肉がついてしまったけど、
その分、成熟したダンスとなり、
さきをいそぎたがるユマ=サーマンを、余裕でリードしていた。

『サタデー・ナイト・フィーバー』があっての
『パルプ・フィクション』であり、
タランティーノ監督が、
じょうずにトラボルタをいかした作品なのがよくわかった。

posted by カルピス at 21:41 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

チェンマイでみかけた介護保険サービス

チェンマイのホテルにとまったとき、
フロントに日本語のフリーペーパーがあったので
手にとってみた。
「介護サービスステーション」と、
まるで日本の介護保険みたいなサービスが
紹介されているのでおどろいた。
「介護サービスステーション」では、タイにお住まい・ロングステイの日本人の方を対象に、ご自宅への訪問介護を行います。日本とタイでそれぞれのスタッフが介護・支援するプログラムです。
お1人お1人(ママ)の現状に合った介護・支援プランを作成、介護スタッフがご自宅に訪問し、プランに基づいた介護・支援が受けられます。料金は、日本国内で介護をうけた場合に支払うべき介護保険法に基づく事故負担額(受けた介護費用の10〜20%)の範囲内でタイで訪問介護が受けられるという低価格プランとなっております。

チェンマイで老後をすごす日本人のために、
こんなしくみがすでにととのっているとは。
マラソンをいっしょにはしったレース仲間に、
こうした介護サービスがあると話題をふったら、
旅行ではタイにきたいけれど、
老後をすごすのはかんがえられない、といっていた。
わたしも、まだ50代のせいか、
切実に外国での老後をおもいえがいたことはない。
日本にもどってきて、1月のさむさにこごえながらも、
旅行さきとしてはともかく、老後のすごしかたとして
そうかんたんには覚悟をきめられない。
とはいえ ひとにより、
いろんなソロバンのはじきかたがあるわけで、
チェンマイですごす老後に、
介護保険がこころづよいサービスのひとがいても不思議はない。

NHKスペシャルで中国の「一帯一路」政策をとりあげていた。
西へむかって経済圏をひろげる中国のすがたが
生々しくつたわってくる。
かせごうとする若者にとって、「一帯一路」は
おおきなビジネスチャンスのようだ。
ものを大量にかいしめ、中国の市場へながしこむエネルギーは、
たしかにものすごいけれど、
なんだかとおい世界のできごとにうつった。
「かせぐ」ことへのおもいが、わたしにはピンとつたわってこない。
わたしだけでなく、日本人のおおくは、
こうしたうごきに関心をもたないのではないか。
いまは、どうしたらこころがみたされるかに、
ひとびとの意識がむかっているようにみえる。
中国の「一帯一路」よりも、
チェンマイの介護保険サービスのほうが、
いまのわたしには身ぢかな話題を提供してくれる。

posted by カルピス at 22:12 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする