佐藤正午の『鳩の撃退法』(小学館)はすぐれた小説であり、
いろんなよみ方ができる。
わたしは、津田伸一が居候としてころがりこんでいた、
軽自動車ラパンにのる女子大生(網谷千沙)がとても気になる。
彼女はしっかりした性格で、
先生になろうと教育実習のために、
実家のある町にもどっていた。
津田伸一は、彼女の世話になりながら、
この手紙にあるとおり、
なにもいわずに彼女のまえから姿をけしている。
ただ、そうはいっても、心ならずも、現実に私たちはガストで出会い、そしてまがりなりにも一年間、同居生活を送りました。一年のうち下半期は、内実はほとんど形骸化していたとしても、私たちは単なるルームメイトの域を超越したカップルとして、居候以上内縁未満とあなたはいつか言いましたよね?ともに長い日々を過ごしました。上半期には、いわば喜びも悲しみも分かち合った、そのあなたが、突然、置き手紙も残さずに姿を消してしまうのは心底情けないし、そのせいで一方的に、私だけ罪悪感に悩まされているのは納得いきません。耐え難い仕打ち、とはこういうものでしょうか。遠くへ去ったひとには去ったひとの考えがあるかもしれません。けれど、残された者には残された者なりの、心の決着のつけ方があります。『鳩の撃退法』(下)
彼女が津田伸一あてにかいた手紙をよむと、
まるでわたしの配偶者がかいたような気がしてくる。
「内実はほとんど形骸化していたとしても」
「喜びも悲しみも分かち合った」ときもあった。
わたしだけでなく、だめな夫のおおくは、
妻におなじような さみしいおもいをさせているのではないか。
津田伸一は、女子大生の居候になるまえは、
ものすごく早寝早おきの
銀行員の女性のもとへころがりこんでいた。
こちらの女性については、
小説のなかであまりふれられておらず、
読者としては したしみをもちにくい。
いっぽう、網谷千沙が津田伸一にだした手紙をよむと、
みかけのそっけなさにかくされた、
女性らしいこまやかな配慮やつよい精神がかいまみえ、
さいごのさいごまで、精一杯まともな人間であろうとしながら
でもかなわなかった 彼女のむなしさに胸をうたれる。
わたしが津田伸一の立場だったら、
もっと彼女をいたわり、やさしいことばをかけたにちがいない。
そして そのあげく、けっきょくは、
「内実はほとんど形骸化していたとしても」
「喜びも悲しみも分かち合った」
と、とおい日をおもいおこさせ、
すれちがいばかりとなったふたりの関係で、
彼女をかなしませるだろう。
津田伸一だけにかぎらない、
男のいいかげんさ、ダメさが身につまされる、
『鳩の撃退法』はそんな小説だ。