2018年01月30日

『鳩の撃退法』にでていた女子大生が気になる

これまでなんどかかいてきたように、
佐藤正午の『鳩の撃退法』(小学館)はすぐれた小説であり、
いろんなよみ方ができる。
わたしは、津田伸一が居候としてころがりこんでいた、
軽自動車ラパンにのる女子大生(網谷千沙)がとても気になる。
彼女はしっかりした性格で、
先生になろうと教育実習のために、
実家のある町にもどっていた。
津田伸一は、彼女の世話になりながら、
この手紙にあるとおり、
なにもいわずに彼女のまえから姿をけしている。
ただ、そうはいっても、心ならずも、現実に私たちはガストで出会い、そしてまがりなりにも一年間、同居生活を送りました。一年のうち下半期は、内実はほとんど形骸化していたとしても、私たちは単なるルームメイトの域を超越したカップルとして、居候以上内縁未満とあなたはいつか言いましたよね?ともに長い日々を過ごしました。上半期には、いわば喜びも悲しみも分かち合った、そのあなたが、突然、置き手紙も残さずに姿を消してしまうのは心底情けないし、そのせいで一方的に、私だけ罪悪感に悩まされているのは納得いきません。耐え難い仕打ち、とはこういうものでしょうか。遠くへ去ったひとには去ったひとの考えがあるかもしれません。けれど、残された者には残された者なりの、心の決着のつけ方があります。『鳩の撃退法』(下)

彼女が津田伸一あてにかいた手紙をよむと、
まるでわたしの配偶者がかいたような気がしてくる。

「内実はほとんど形骸化していたとしても」
「喜びも悲しみも分かち合った」ときもあった。

わたしだけでなく、だめな夫のおおくは、
妻におなじような さみしいおもいをさせているのではないか。

津田伸一は、女子大生の居候になるまえは、
ものすごく早寝早おきの
銀行員の女性のもとへころがりこんでいた。
こちらの女性については、
小説のなかであまりふれられておらず、
読者としては したしみをもちにくい。
いっぽう、網谷千沙が津田伸一にだした手紙をよむと、
みかけのそっけなさにかくされた、
女性らしいこまやかな配慮やつよい精神がかいまみえ、
さいごのさいごまで、精一杯まともな人間であろうとしながら
でもかなわなかった 彼女のむなしさに胸をうたれる。

わたしが津田伸一の立場だったら、
もっと彼女をいたわり、やさしいことばをかけたにちがいない。
そして そのあげく、けっきょくは、
「内実はほとんど形骸化していたとしても」
「喜びも悲しみも分かち合った」
と、とおい日をおもいおこさせ、
すれちがいばかりとなったふたりの関係で、
彼女をかなしませるだろう。

津田伸一だけにかぎらない、
男のいいかげんさ、ダメさが身につまされる、
『鳩の撃退法』はそんな小説だ。

posted by カルピス at 21:28 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする