2018年02月08日

瀬古さんの「選手を政治に巻き込むな」への違和感

けさの朝日新聞に、「ロシアのいない五輪」の題で、
ロシアが参加しない大会となる
平昌オリンピックをとりあげていた。
そのなかで、瀬古利彦さんが
「選手を政治に巻き込むな」として、
みずからの体験をかたっている。
瀬古さんは、ご自身が選手としてピークにあったモスクワ五輪を、
日本オリンピック委員会がボイコットしたために、参加できなかった。
もちろんマラソンの代表だった瀬古さんだけでなく、
すべての種目において日本はボイコットをきめたのであり、
柔道の山下選手が、なきながら
スポーツに政治をもちこまないでほしい、
とうったえていた姿をおぼえている。

その後、何年かのちに、
スポーツ社会学の本をよむようになったわたしは、
スポーツが政治ときりはなせるわけがない、
という視点をもつようになった。
普及や強化の方針は、そのときの政治と
けして別々に存在したりしない。
ヒトラーのひらいたベルリン・オリンピックが、
ナチス・ドイツの宣伝として 最大限の効果を発揮したように。

けさの記事で瀬古さんは、
今後、日本で政治絡みの騒動がないことを願うばかりです。もし起きたら、そうした動きには体をはって反対します。

とうったえている。
「願う」だけでは あまりにも弱々しくないか。
瀬古さんは、ボイコットがおきた場合、
スポーツ選手が被害者であると とらえられているけど、
かわいそうな被害者というのなら、
1980年の山下選手のころから なにもかわっていない。
国のうごきに影響をあたえるような
主体的な活動に期待したい。

posted by カルピス at 22:04 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする