サンチャゴ=デ=コンポステーラ巡礼にでかける、とかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/456796096.html?1519217268
あれからときどき、なぜわたしは
彼女といっしょにいこうとしないのかをかんがえる。
わたしはほんとうにサンチャゴ巡礼をする気があるのか。
このはなしがでたあつまりに、わたしの職場の理事長もいて、
わたしがむすこへのしおくりを理由に
「いまはまだいけない」というと
「お金なら法人からかしますよ」と
わたしをたきつけた。
従業員があそびで巡礼へいくお金をかしてくれるなんて、
ありえないほど すばらしい職場であり理事長だ。
わたしが巡礼であるいている2ヶ月のあいだ、
職場はひとのやりくりにこまるだろうに、
ためらいなくそんな提案をしてくれる。
理事長は冗談でいっているのではなく、
わたしが「じゃあお金をかしてください」といえば、
すんなりとおるのはわかっていた。
100マイルマラソンに出場するとか
北極点をめざそうという場合は、
長期計画が必要だろうけど、
巡礼の旅ぐらいなら、いきおいでやったほうがいいのでは。
友人がいくといったら、「じゃ、おれも」、
というのりのほうが ただしいこころがまえであり、
かんがえないぶん 実行にうつしやすい。
何年も準備をして、お金をためて、装備をそろえて、
なんてやっていると、どうでもいい欲がいろいろくっついてきて
じっさいのうごきがにぶくなる。
すこしまえの今日のダーリンに、糸井さんが
(まえは)なんかの関係だとか仕事だとか用事だとかの境目が、
もっといい加減だったなぁとつくづく思います。
とかいている。
ここは由布院です。
(中略)なにかのときに「じゃ、ぼくも行きます」と言って、
それが本当になってしまったのです。
昔はよくこういうことがあったなぁと思い出します。
中国に行ったのも、北極圏に行ったのも、こんな感じ。
なんだかんだと いきにくい理由をかんがえていると、
からだはどんどん歳をとっていくし、
親の介護が必要となり、2ヶ月も家をあけられなくなるかもしれない。
いちばんうごきやすいのは「いま」なのだ。
機が熟すのをまつ、というかんがえ方もあるわけだけど、
「仕事だとか用事だとかの境目が、もっといい加減」
でもいいわけで、
この意味を、職場の理事長は ただしく理解している。
とはいえ、やっぱりおれ、いきます、とは
いまさらいいにくいなー。