椎名誠さんのひととなりが連載されていた。
14回目の最終回では、老いについてかたっている。
体は昔から健康優良児で頑健、それだけに肉体の衰えはつらい。わびしいですね。階段を上がるときも「よいしょ」とか言っちゃう。
死は怖いか?正直いいますが憧れと怖さが半分ずつですね。面倒くさいことがある日の前夜は目が覚めなくてもいいと思いますしね。
わたしはまだ50代で、椎名さんとは17歳はなれているけど、
「目が覚めなくてもいい」気もちはよくわかる。
胃がいたかったり、ひどいふつかよいだったり、
なんだかんだと体調がすぐれないときなど、
いや、そんなたいそうな症状でなくても、
たべすぎてくるしい、肩のいたみがわずらわしいとき、
もうこのまま死んでもいいか、とおもうことがある。
歯周病や前立腺癌、脳梗塞に高血圧など、
歳をとると病気にかかるリスクがたかくなる。
それらにおびえながら生きるより、
はっきり「余命半年」といわれたら、
がっかりするだけでなく、まえむきにうけとめる気もちが
すこしまざるような気がする。
もちろんいつもそんな気分なわけではないけど、
ときどき、たしかになにもかもがめんどくさい。
きっと、こころがよわいのだろう。
はやく死にたいわけではないけど、
かといって ながいきをそれほどねがってはいない。
死ぬことがきまったら、まだうごけるうちに、
お金をかきあつめて、気ままに旅行するのが
わたしの「死ぬまでにやっておきたい10のこと」の
トップバッターにひかえている。
町内会の仕事や、母親の世話など、
いくつかのしがらみがあるけれど、
余命がはっきりしている病人となれば、
たいていの要求はかなえてもらえるだろう。
死がちかづいてくるときは、
からだぜんたいが しだいにおとろえるとしたら、
いたみやくるしみさえなければ、
おだやかなさいごにならないだろうか。
土地の名物料理をまえに、たべられなくてくやしい、
とかはあんがいなくて、
もうなにもごちそうはいりません、
という枯れた心境にたどりついているのでは。
やりたいことを たとえやりつくしていなくても、
それはそれで、いい人生だったとうけとめられる気がする。
◯◯しておけばよかった、とおもうだけのげんきが
死ぬまえは すでにないので、きっとおだやかにむこうへいける。