2018年03月11日

ネコさえいたら、どうにかなる(「夜廻り猫」をよんでかんじること)

いつものように「夜廻り猫」の連載をのぞく。
例によって、どうということのないはなしだ。
http://www.moae.jp/comic/yomawarineco/383
散歩にでかけた宙さんが、迷子になっている子ネコにであい、
しばらくだいてやっていると、その子のお母さんがきて・・・。
こういう、ささやかなはなしをよむと、
ストーリーとは関係なしに、
ネコさえいたら、どうにかなる、とおもえてきた。

宙さんがいて、かいぬしのおじさんがいて、
宙さんが散歩にでて、ケガをしてかえってくると、
おじさんがやさしくうけいれて薬をぬる。
ケンカの理由などたずねない。
宙さんは、うれしそうに薬をぬってもらい、
おじさんは、そんな宙さんを、あるがままにうけいれる。
南海トラフ地震がこようが、
健康診断で重大な病気をいいわたされようが、
ネコさえいたらなんとかなるとおもえる瞬間だ。

ネコといっしょにいたら、なんとかなるのは、
ネコが日常生活を、きっちりおさえてくれるからだろう。
人間側にいろんな事情がおきようと、そんなことは関係なしに、
ネコが人間にたいしてもっている距離感は いつもかわらない。
ペットがいる生活のよさは、
そうした「かわらなさ」にあるという説明を、
どこかでよんだことがある。
ネコは、ペットのなかでもとくに自分中心の動物であり、
いつもかわらない態度でせっしてくれる。
そして、その日常感こそが、生きているうえでのしあわせだ。

何年かまえに、村上春樹さんが読者からのメールにこたえる
「村上さんのところ」という企画があった。
何万ものメールすべてに村上さんが目をとおし、
そのなかの何割かに、返事をくれる。
村上さんは何回も
「ネコをかえば」と回答していた。
人智をこえた次元で、ほんとうに
ネコさえいたらどうにかなるのを
村上さんは経験じょう、よくしっておられるのだろう。
冗談やごまかしではなくて、確信にみちた提案だ。

わたしの家のピピも、いろいろと手をやかせる存在ではあるけれど、
みかたによっては、ピピがわが家のかなめとなっているともいえる。
ピピさえいたらどうにかなるけど、
それだけに、ピピがいなかったら、どうにもならない。

posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする