一時的につよい興奮がおとずれたとしても、
5秒以上はつづかないことがわかってきた。
たとえわーっとおおさわぎをはじめても、
なんとか5秒しのげば、おちつきをとりもどせる。
もちろん、5秒なのか、あるいはもうすこし時間がかかるのかは、
ひとによってちがってくるわけで、
なかなか興奮がおさまらないひともいれば、
ほんの5秒、瞬間的に逆上するだけのひともいる。
とはいえ、ほんとうにつよい衝動は、
そんなにながくはつづかない。
なんとか5秒をやりすごせば、
瞬間的にたかくなったにすぎない感情の起伏が、
またすぐにもとの状態にもどる。
大切なのは、どうやって安全に、その5秒をやりすごすかだ。
ちからずくでおさえこもうと つかみあいになるのはよくない。
本人や、まわりに危険がおよばないよう、5秒をきりぬける。
興奮が一時的なものであるように、
こころの記憶もまた、そんなにながくはつづかない。
デイリーポータルZの林雄司さんが、
ブログにカメラがなくなったときの体験をかいている。
取材でつかったカメラをわすれてしまい、すごくがっかりしていたら、
タクシー会社から、みつかったとの連絡がはいった。
こころの底から、ほんとうによかったと林さんはおもい、
「人に優しく素直に生きよう」とFBにかいたのだそうだ。
でも、その決心はながくつつかず、3日もたつと、
あの気持ちはすっかり薄れてなんでそう思ったのか分からなくなっている。
まるで別人だ。
発達障害のひとでなくても、
感情についてのひとの記憶は、かなりふたしかだ。
わたしだって、つよくこころをうごかされ、
毎日の勉強を決心しても、ながくつづいたためしがない。
感激したり、反省したりという感情のゆれは、
なにもしなければ すぐにうすれていき、
「なんでそう思ったのか分からなくな」る。
よかったこと、わるかったことも、
たいていは時間とともにうすれていく。
なぜ感情の記憶は、こんなにながつづきしないのだろう。
おそらく、すぐにわすれたほうが、
人類の進化に都合がよかったのではないか。
いつまでもゆたかな感情にみたされていては、
危険をさけたり、生きのびるのにさしさわりがあった。
わすれるということは、きっと人類にとって、大切な機能だ。