ピピが亡くなったことを、すぐにドコノコへあげた。
すぐにたくさんのラブマークと、
ピピをフォローしてくれていた方からのコメントがとどく。
みなさん、根っからのネコずきなので、
わたしのさみしさときつさをよくわかったうえで、
やさしいことばをかけてくれる。
ドコノコがあって、ほんとうによかった。
これまで ドコノコにアップしてきたピピの写真をみながら
ドコノコができてからの2年ちかくをふりかえる。
ピピがいなくなっても、わたしはあんがいふつうにすごしている。
ごはんをたべられるし、夜もねむれる。
いっぽう、ピピのいない世界で生きるさみしさに、
もう どうだっていいや、という あやうい気もちにもなる。
いまのわたしは、かなりふてぶてしい。
どうだっていいのだから、こわいものもない。
仕事をしていると、ボーっとしてばかりはいられない。
リハビリには、家からでて、うごきまわったほうがいい。
よくいわれることだけど、家にいると、
ピピのおもいでばかりが目にはいる。
ピピがとおれるように、さむくてもあつくても、
フスマはいつもすき間をあけていた。
ピピにおしっこをされないよう、
枕はいつもたてかけている。
ネコ砂のトイレは、まだ部屋においたままだ。
いっぽう、ごはんや水のいれものは、いたんでしまうから、
すでにかたづけられた。
ピピがたべやすいように、お皿を固定するおもしとして、
セロテープの台がおいてあったのに。
テーブルのしたにセロテープがないと へんなかんじだ。
ピピの習慣をおもいだし、
もうわたしの部屋にきてくれないのがさみしい。
夜になると、声をあげてベッドにあがってきた。
わたしの胸によじのぼって、目をあわせながらおはなししてくれる。
ピピとであえたのは、ものすごい幸運だったのだ。
そういえば、ピピがノドをおおきくならすのを、
いつからきかなくなっていただろう。
変調は、しばらくまえからおきていたのに わたしは気づかなかった。
おとついの夜は、ピピとしずかにおわかれしようとおもいながら、
お酒をのみすぎて、すぐにねてしまった。
ゆうべは それでもしっかりピピとむきあってすごす。
配偶者が、ピピにちいさな花束をかってきてくれた。
ピピをベッドによこたえ、そのよこに花束をおく。
いつもとおなじピピをみているようだ。
2018年04月10日
2018年04月09日
ハリルホジッチ監督の解任におどろく
ハリルホジッチ監督が解任された。
最近の試合で結果がともなっていないからといって、
いまこの時期の監督交代は理解にくるしむ。
ふつうにかんがえてありえない解任であり、
であるからには、うらに
よほどの事情があったのだろうと推測する。
とはいえ、あまりにもリスクのたかい解任だ。
この時期に いまさら代表監督をかえて、
いい結果をうみだす可能性のほうがたかいと
判断した日本サッカー協会の真意をはかりかねる。
ハリルホジッチ監督は、Wカップ本番のグループリーグをみすえ、
どうしたらかちあがれるかの可能性をさぐっていた。
コロンビア・ウクライナ・セネガルとおなじ組の日本は、
けしてグループリーグ突破がたやすいとはいえない。
そのなかで、どうやって日本のちからを最大限にひきだすか、
さらには、あいてのいいところをださせない戦術と、
それにてきした選手のみきわめの最中だった。
おおくの選手をためしていたところなのに、
結果がともなわないという理由で解任されたら
ハリルホジッチ監督としてはたまらないだろう。
すべてをハリルホジッチ氏にまかせると、
協会はここまで監督をささえてきたのではなかったか。
選手のくみあわせを いくつかオプションとしてもち、
最大のちからをひきだそうとするのがハリルホジッチ監督のやり方だ。
それを理解して代表監督にひっぱってきたはずなのに、
ためしている最中のこの時期に解任するとは いったいどういうわけだ。
代表いりをめざす選手たちは、ハリルホジッチ監督の解任を
どう整理するのだろう。
これまでハリルホジッチ監督の戦術にしたがって
デュアルだ たてにはやい攻撃だと、プレーしてきたのに、
とつぜんチャラにされ、
選手選考がまたふりだしにもどるのは、
やりきれないのではないか。
解任するにはおそすぎた判断であり、
こんな決定をくだした日本サッカー協会が理解できない。
もうここまできたら、さいごまでまかせるしかなかった。
最近の試合で結果がともなっていないからといって、
いまこの時期の監督交代は理解にくるしむ。
ふつうにかんがえてありえない解任であり、
であるからには、うらに
よほどの事情があったのだろうと推測する。
とはいえ、あまりにもリスクのたかい解任だ。
この時期に いまさら代表監督をかえて、
いい結果をうみだす可能性のほうがたかいと
判断した日本サッカー協会の真意をはかりかねる。
ハリルホジッチ監督は、Wカップ本番のグループリーグをみすえ、
どうしたらかちあがれるかの可能性をさぐっていた。
コロンビア・ウクライナ・セネガルとおなじ組の日本は、
けしてグループリーグ突破がたやすいとはいえない。
そのなかで、どうやって日本のちからを最大限にひきだすか、
さらには、あいてのいいところをださせない戦術と、
それにてきした選手のみきわめの最中だった。
おおくの選手をためしていたところなのに、
結果がともなわないという理由で解任されたら
ハリルホジッチ監督としてはたまらないだろう。
すべてをハリルホジッチ氏にまかせると、
協会はここまで監督をささえてきたのではなかったか。
選手のくみあわせを いくつかオプションとしてもち、
最大のちからをひきだそうとするのがハリルホジッチ監督のやり方だ。
それを理解して代表監督にひっぱってきたはずなのに、
ためしている最中のこの時期に解任するとは いったいどういうわけだ。
代表いりをめざす選手たちは、ハリルホジッチ監督の解任を
どう整理するのだろう。
これまでハリルホジッチ監督の戦術にしたがって
デュアルだ たてにはやい攻撃だと、プレーしてきたのに、
とつぜんチャラにされ、
選手選考がまたふりだしにもどるのは、
やりきれないのではないか。
解任するにはおそすぎた判断であり、
こんな決定をくだした日本サッカー協会が理解できない。
もうここまできたら、さいごまでまかせるしかなかった。
2018年04月08日
ネコのピピが亡くなる
きょうの朝、ネコのピピが亡くなる。
16年と半年いっしょにすごしてきた。
しばらくまえから食欲がおち、
この3日間はまったくたべられなくなっていた。
きのうから、朝おきたときにトイレの砂がみだれていない。
水とごはんのはいったお皿もきれいなままだ。
おわかれは、あっけなかった。
すこしまえに糸井さんちのブイヨンが亡くなり、
糸井さんのふかいかなしみに わたしも胸をいためていた。
糸井さんが「今日のダーリン」かくブイヨンのはなしは、
ペットロスにくるしむひとをなぐさめる
よいテキストなのでは、とおもった。
ひとごとでそんなことをかいたら、
まさかすぐあとに、自分がなぐさめてもらう側になるなんて。
口内炎をわずらってから ピピはいっきにふけこみ、
もうさきはながくないだろうと覚悟していたのに、
4年半もがんばってくれた。
もうじゅうぶん介護と「みとり」をしたので、
いよいよあぶなくなったとしても、
病院へはいかず、家でみおくろうとおもっていた。
だから、後悔はないはずなんだけど、
いざピピがほんとうに死んでしまうと
こころはあやうくみだれる。
いつもたべているモンプチの「牛テリーヌ」をもとめなくなり、
かわりに「七面鳥のテリーヌ」となり、
それもまたながくつづかず、と
いまおもえば、「牛テリーヌ」をたべなくなったときが
変調のあらわれだった。
これまでも、食欲がおちるときはなんどもあり、
そのつど復活していたので、わたしは油断していた。
もうすこし食欲をさそう工夫をすればよかった。
ピピはわたしとの相性がバッチリだった。
子ネコだったころは、いつまでもわたしのハナをなめてくれたし、
いつもわたしのちかくにいたがり、わたしからの愛をもとめた。
まだむすこが小学校の低学年だったころ、
いっしょにふとんをしいていたら、
ピピも部屋にきて、さみしそうな顔でわたしをみあげている。
わたしはおもわずピピをふとんにおしたおし、
ほっぺたにスリスリし、ハナをくっつけ、
「ピピはかわいいね!」と、いつものようにさんざんほめちぎる。
ピピはまんざらでもない顔でわたしの愛撫をうけいれている。
むすこは「ピピにだけずるい」と、
自分にも濃厚なスキンシップをもとめた。
むすこがシットするほど、ピピとわたしはなかよしだった。

わたしの目をみて たくさんはなしをしてくれたピピ。
今夜はしずかにおわかれをしよう。
16年と半年いっしょにすごしてきた。
しばらくまえから食欲がおち、
この3日間はまったくたべられなくなっていた。
きのうから、朝おきたときにトイレの砂がみだれていない。
水とごはんのはいったお皿もきれいなままだ。
おわかれは、あっけなかった。
すこしまえに糸井さんちのブイヨンが亡くなり、
糸井さんのふかいかなしみに わたしも胸をいためていた。
糸井さんが「今日のダーリン」かくブイヨンのはなしは、
ペットロスにくるしむひとをなぐさめる
よいテキストなのでは、とおもった。
ひとごとでそんなことをかいたら、
まさかすぐあとに、自分がなぐさめてもらう側になるなんて。
口内炎をわずらってから ピピはいっきにふけこみ、
もうさきはながくないだろうと覚悟していたのに、
4年半もがんばってくれた。
もうじゅうぶん介護と「みとり」をしたので、
いよいよあぶなくなったとしても、
病院へはいかず、家でみおくろうとおもっていた。
だから、後悔はないはずなんだけど、
いざピピがほんとうに死んでしまうと
こころはあやうくみだれる。
いつもたべているモンプチの「牛テリーヌ」をもとめなくなり、
かわりに「七面鳥のテリーヌ」となり、
それもまたながくつづかず、と
いまおもえば、「牛テリーヌ」をたべなくなったときが
変調のあらわれだった。
これまでも、食欲がおちるときはなんどもあり、
そのつど復活していたので、わたしは油断していた。
もうすこし食欲をさそう工夫をすればよかった。
ピピはわたしとの相性がバッチリだった。
子ネコだったころは、いつまでもわたしのハナをなめてくれたし、
いつもわたしのちかくにいたがり、わたしからの愛をもとめた。
まだむすこが小学校の低学年だったころ、
いっしょにふとんをしいていたら、
ピピも部屋にきて、さみしそうな顔でわたしをみあげている。
わたしはおもわずピピをふとんにおしたおし、
ほっぺたにスリスリし、ハナをくっつけ、
「ピピはかわいいね!」と、いつものようにさんざんほめちぎる。
ピピはまんざらでもない顔でわたしの愛撫をうけいれている。
むすこは「ピピにだけずるい」と、
自分にも濃厚なスキンシップをもとめた。
むすこがシットするほど、ピピとわたしはなかよしだった。

わたしの目をみて たくさんはなしをしてくれたピピ。
今夜はしずかにおわかれをしよう。
2018年04月07日
演出家の高畑勲さんが亡くなった
演出家の高畑勲さんが亡くなった。
高畑さんといえば、「アルプスの少女ハイジ」の
とろけるチーズが有名だ。
40年まえの日本では、ナチュラルチーズがまだ一般的でなく、
お店でかったプロセスチーズをいくらあぶっても、
おじいさんがつくってくれた おいしそうなパンとチーズにならない。
どこまでもアジアである日本と、おしゃれなヨーロッパとの、
根本的なちがいを意識させられる事件だった。
わたしがいちばんすきなのは、
ハイジがフランクフルトからかえってきて、
おじいさんと感動の再会をはたす場面だ。
家のまえにたつおじいさんにむかい、
ハイジは坂のしたからかけあがり、
何メートルもの大ジャンプをきめて胸にとびこむ。
高畑さんといえば、すぐれた演出とともに、
製作日数をいくらでものばしてしまうことでしられている。
もちろん、作品の質をたかめるのは大切なこととはいえ、
公開日をまもるのもまた、製作者にもとめられる基本的な条件だ。
それなのに高畑さんは、はじめて演出を担当した
「太陽の王子ホルスの大冒険」からすでに、
製作が3年以上と、予定をおおはばにこえている。
「かぐや姫の物語」にいたっては、最終的に、
8年もの歳月と、50億円の制作費がついやされた。
ジブリが「かぐや姫の物語」以降、
長編作品をつくらなくなったのは、もしかしたら、
「かぐや姫の物語」でお金をつかいはたしたせいではないか。
作品のためなら会社をつぶしてしまう
恐怖の人間が高畑勲さんなのだ。
「ホルス」の製作にあたる高畑さんに、
映画公開の期限をまもるようもとめた東映動画の経営陣は、
なにかと悪者あつかいされるけど、
会社として当然の要求だったにすぎない。
平気で予算と期日を無視してしまう、高畑さんのほうが
よっぽどとんでもないひとだった。
それでも、作品がすぐれていたら、かかりすぎた制作費と製作日数を、
必要なリスクとして第三者はとらえたがる。
わたしだったら、高畑さんに演出はたのまない。
予定どおりの公開は、ぜったい間にあわないのがわかっているから。
有名な「ハイジ」「火垂るの墓」のほかにも、
「となりの山田くん」「平成狸合戦ぽんぽこ」では、
高畑さんでなければ表現できなかった世界をみせてくれた。
恐怖の製作者であることをかんがえないようにすれば、
高畑さんはまちがいなく第一級の演出者である。
高畑さんといえば、「アルプスの少女ハイジ」の
とろけるチーズが有名だ。
40年まえの日本では、ナチュラルチーズがまだ一般的でなく、
お店でかったプロセスチーズをいくらあぶっても、
おじいさんがつくってくれた おいしそうなパンとチーズにならない。
どこまでもアジアである日本と、おしゃれなヨーロッパとの、
根本的なちがいを意識させられる事件だった。
わたしがいちばんすきなのは、
ハイジがフランクフルトからかえってきて、
おじいさんと感動の再会をはたす場面だ。
家のまえにたつおじいさんにむかい、
ハイジは坂のしたからかけあがり、
何メートルもの大ジャンプをきめて胸にとびこむ。
高畑さんといえば、すぐれた演出とともに、
製作日数をいくらでものばしてしまうことでしられている。
もちろん、作品の質をたかめるのは大切なこととはいえ、
公開日をまもるのもまた、製作者にもとめられる基本的な条件だ。
それなのに高畑さんは、はじめて演出を担当した
「太陽の王子ホルスの大冒険」からすでに、
製作が3年以上と、予定をおおはばにこえている。
「かぐや姫の物語」にいたっては、最終的に、
8年もの歳月と、50億円の制作費がついやされた。
ジブリが「かぐや姫の物語」以降、
長編作品をつくらなくなったのは、もしかしたら、
「かぐや姫の物語」でお金をつかいはたしたせいではないか。
作品のためなら会社をつぶしてしまう
恐怖の人間が高畑勲さんなのだ。
「ホルス」の製作にあたる高畑さんに、
映画公開の期限をまもるようもとめた東映動画の経営陣は、
なにかと悪者あつかいされるけど、
会社として当然の要求だったにすぎない。
平気で予算と期日を無視してしまう、高畑さんのほうが
よっぽどとんでもないひとだった。
それでも、作品がすぐれていたら、かかりすぎた制作費と製作日数を、
必要なリスクとして第三者はとらえたがる。
わたしだったら、高畑さんに演出はたのまない。
予定どおりの公開は、ぜったい間にあわないのがわかっているから。
有名な「ハイジ」「火垂るの墓」のほかにも、
「となりの山田くん」「平成狸合戦ぽんぽこ」では、
高畑さんでなければ表現できなかった世界をみせてくれた。
恐怖の製作者であることをかんがえないようにすれば、
高畑さんはまちがいなく第一級の演出者である。
2018年04月06日
足立美術館で日本庭園のうつくしさにふれる
安来市にある足立美術館へ。
美術館としてだけでなく、
日本庭園のみごとさがよくしられており、
アメリカの日本庭園専門雑誌に、2003年から15年連続で
日本一の庭園にえらばれている。
そうした評判をききながら、そしてちかくにすみながら、
入場料のたかさ(おとな2300円)に足ぶみして、
これまでいったことがなかった。
しりあいから招待券をもらったので、
ありがたくつかわせてもらう。
足立美術館には、陶芸作品や絵画もたくさん展示されており、
おそらくすぐれた作品なのだろうけど、
わたしにはたのしむだけの教養がない。
ただ、庭園のうつくしさは圧倒的だ。
どこがどうすごいのかはよくわからないものの、
無知なわたしでさえ つよい印象をうけるほど 完成度がたかい。
美術館は、そんなにひろい敷地ではないはずなのに、
まわりの景色をじょうずにいかして
手いれのいきとどいた日本庭園のうつくしさをたのしめる。
庭をみわたせる場所に喫茶店があり、
コーヒーなどののみものが、一律1000円となっていた。
たかいけど、あの庭をながめながらくつろげるのだから、
1000円の価値はありそうだ。

わたしが足立美術館に入館したときは、
あまりお客さんがいなかったけど、
そのうち団体旅行のバスがついたようで、
じきにたくさんのひとでにぎやかになった。
平日の金曜日でさえこうなのだから、
土日はかなりの入場者になりそうだ。
これ以上ひとがおおければおちつけないので、
足立美術館へは、できれば平日にたずねるようおすすめしたい。
外国からのお客さんもおおい。
この庭をみたら、日本庭園のうつくしさに
だれでもおどろかされるだろう。
これだけの庭を維持・管理しつづけているのだから、
たしかに連続15年で日本一にえらばれるだけの価値がある。
美術館としてだけでなく、
日本庭園のみごとさがよくしられており、
アメリカの日本庭園専門雑誌に、2003年から15年連続で
日本一の庭園にえらばれている。
そうした評判をききながら、そしてちかくにすみながら、
入場料のたかさ(おとな2300円)に足ぶみして、
これまでいったことがなかった。
しりあいから招待券をもらったので、
ありがたくつかわせてもらう。
足立美術館には、陶芸作品や絵画もたくさん展示されており、
おそらくすぐれた作品なのだろうけど、
わたしにはたのしむだけの教養がない。
ただ、庭園のうつくしさは圧倒的だ。
どこがどうすごいのかはよくわからないものの、
無知なわたしでさえ つよい印象をうけるほど 完成度がたかい。
美術館は、そんなにひろい敷地ではないはずなのに、
まわりの景色をじょうずにいかして
手いれのいきとどいた日本庭園のうつくしさをたのしめる。
庭をみわたせる場所に喫茶店があり、
コーヒーなどののみものが、一律1000円となっていた。
たかいけど、あの庭をながめながらくつろげるのだから、
1000円の価値はありそうだ。

わたしが足立美術館に入館したときは、
あまりお客さんがいなかったけど、
そのうち団体旅行のバスがついたようで、
じきにたくさんのひとでにぎやかになった。
平日の金曜日でさえこうなのだから、
土日はかなりの入場者になりそうだ。
これ以上ひとがおおければおちつけないので、
足立美術館へは、できれば平日にたずねるようおすすめしたい。
外国からのお客さんもおおい。
この庭をみたら、日本庭園のうつくしさに
だれでもおどろかされるだろう。
これだけの庭を維持・管理しつづけているのだから、
たしかに連続15年で日本一にえらばれるだけの価値がある。
2018年04月05日
かとうちあきさんの「お店のようなもの」をめざして
すこしまえの記事に、
かとうちあきさんがやっている
「お店のようなもの」みたいなお店がやりたいとかいた。
新年度がはじまり、職場の状況がなんだかととのってきて、
ほんとうに「お店のようなもの」みたいなお店を、
はじめられそうな気配となった。
ざっと状況を説明すると、
いまわたしはクッキー班に所属し、
まいにちしこしことクッキーをつくっている。
そのとなりの部屋を休憩室としてつかっており、
ここはクッキー班のメンバーが、
お昼ごはんをたべたり、休憩する場所という位置づけだ。
今年度から、クッキーや駄菓子をうるお店として、
この休憩室をつかったら、というはなしになった。
さいわい、クッキー工房と休憩室のうえは、
だれもつかわないままほったらかしにされており、
よかったらクッキー班でつかってください、と
大家さんのほうからはなしをいただいていた。
2部屋あるので、ひとつは
「お店のようなもの」みたいな店の倉庫として、
もうひとつは、メンバーが休憩する部屋としてピッタリだ。
先日は、部屋を整理していたら、
ふるい食器がでてきたのでいりませんか、と
しりあいから連絡があった。
江戸時代や明治のころの食器もあり
鑑定団にみてもらいたいようなしなものが
ハイエースではこびきれないほどでてきた。

どの家にも、おおかれすくなかれ、
いらなくなった家具がありそうなので、
うりものにこまったりはしないだろう。
わたしたちがつくったクッキーや、
駄菓子をしいれてならべたら、
子どもたちがよろこぶお店になりそうだ。
お店のコンセプトは、かとうちあきさんの
「お店のようなもの」をそのままいただき、
お店のようだけどお店ではない、
できるかぎり いいかげんな場所としたい。
いつひらいているかよくわからないし、
かくれがみたいに、どこにあるかもわからない、
しるひとぞしる名店だ。
2日まえには、休憩室まえの駐車場にテーブルをだし、
体験をかねてクッキーをうってみた。
30分で3人しかひとがとおらない。
「クッキーはいかがですか?」と声をかけると、
どのひともいきなりのさそいにおどろいていた。
わるくないスタートだとおもった。
かとうちあきさんがやっている
「お店のようなもの」みたいなお店がやりたいとかいた。
新年度がはじまり、職場の状況がなんだかととのってきて、
ほんとうに「お店のようなもの」みたいなお店を、
はじめられそうな気配となった。
ざっと状況を説明すると、
いまわたしはクッキー班に所属し、
まいにちしこしことクッキーをつくっている。
そのとなりの部屋を休憩室としてつかっており、
ここはクッキー班のメンバーが、
お昼ごはんをたべたり、休憩する場所という位置づけだ。
今年度から、クッキーや駄菓子をうるお店として、
この休憩室をつかったら、というはなしになった。
さいわい、クッキー工房と休憩室のうえは、
だれもつかわないままほったらかしにされており、
よかったらクッキー班でつかってください、と
大家さんのほうからはなしをいただいていた。
2部屋あるので、ひとつは
「お店のようなもの」みたいな店の倉庫として、
もうひとつは、メンバーが休憩する部屋としてピッタリだ。
先日は、部屋を整理していたら、
ふるい食器がでてきたのでいりませんか、と
しりあいから連絡があった。
江戸時代や明治のころの食器もあり
鑑定団にみてもらいたいようなしなものが
ハイエースではこびきれないほどでてきた。

どの家にも、おおかれすくなかれ、
いらなくなった家具がありそうなので、
うりものにこまったりはしないだろう。
わたしたちがつくったクッキーや、
駄菓子をしいれてならべたら、
子どもたちがよろこぶお店になりそうだ。
お店のコンセプトは、かとうちあきさんの
「お店のようなもの」をそのままいただき、
お店のようだけどお店ではない、
できるかぎり いいかげんな場所としたい。
いつひらいているかよくわからないし、
かくれがみたいに、どこにあるかもわからない、
しるひとぞしる名店だ。
2日まえには、休憩室まえの駐車場にテーブルをだし、
体験をかねてクッキーをうってみた。
30分で3人しかひとがとおらない。
「クッキーはいかがですか?」と声をかけると、
どのひともいきなりのさそいにおどろいていた。
わるくないスタートだとおもった。
2018年04月04日
2国間協定にこぎつけるむつかしさ
これまでおなじ法人としてやってきたひとつの部門が
今年度から独立して別の法人となった。
とはいっても、事業所の名前はそのままひきついでいるし、
利用するひともいっしょなら、やっている内容もお弁当製造と、
これまでとほとんどかわらない。
その事業所はお弁当のほかにおにぎりの販売もちからをいれており、
クッキーをつくるわたしたちと、これまでは協力しあう関係にあった。
おなじテーブルに、クッキーとおにぎりをならべてうるわけだ。
どちらかの職員がつけないときは、
もう一方の事業所が無料で販売を手だすけする。
それが、別の法人になってしまったので、
わたしたちがクッキーをうりながら おにぎりもあつかうときは、
手数料をとるべきだろうか、という問題がでてきた。
手間賃として、1割か2割をひいて納品するのが筋なのか、
そんな水くさいことをいわず、これまでどおりに
手数料なしでやればいいじゃないか、という方針でのぞむか。
8掛けで納品し、手数料をさしひかれるのは
めんどくさいだけでなく、うりあげもすくなくなる。
もともと100円しかしないクッキーとおにぎりなので、
ひとつうって100円はいるのか、
8割の80円しかのこらないかでは、ずいぶんちがってくる。
たかだか100円のクッキー販売においても、
すんなりはなしはきまらず、ああだこうだと
いろんな意見がとびかった。
けっきょく、これまでどおり、手数料なしでのあつかいとなる。
おたがいさまなので、お金はとらず、販売を協力しあうわけだ。
ちいさな事業所の、たかだか100円の商品販売においてさえ、
まっすぐことはすすまないのにおどろいた。
これが、国と国のとりきめとなれば、
さらにものすごくややこしくなるにちがいない。
最近、アメリカのトランプ大統領が、
中国への貿易制裁を発表し、
中国はその報復措置として、アメリカの製品に
たかい関税をかけた。
トランプ大統領や習近平書記長みたいなかけひきは、
おたがいさま、まあいいじゃないか、
とかんがえるわたしと対極にある。
なにも100円のクッキーとおにぎり販売をどうするかの議論から
あらためてまなぶほどのことではないけど、
どちらがただしいかよりも、
ぜったいに自分はまちがっていないと ゴリおしする姿勢を
きゅうにこのましくおもうようになった。
気のよわいわたしには、とてもできない。
今年度から独立して別の法人となった。
とはいっても、事業所の名前はそのままひきついでいるし、
利用するひともいっしょなら、やっている内容もお弁当製造と、
これまでとほとんどかわらない。
その事業所はお弁当のほかにおにぎりの販売もちからをいれており、
クッキーをつくるわたしたちと、これまでは協力しあう関係にあった。
おなじテーブルに、クッキーとおにぎりをならべてうるわけだ。
どちらかの職員がつけないときは、
もう一方の事業所が無料で販売を手だすけする。
それが、別の法人になってしまったので、
わたしたちがクッキーをうりながら おにぎりもあつかうときは、
手数料をとるべきだろうか、という問題がでてきた。
手間賃として、1割か2割をひいて納品するのが筋なのか、
そんな水くさいことをいわず、これまでどおりに
手数料なしでやればいいじゃないか、という方針でのぞむか。
8掛けで納品し、手数料をさしひかれるのは
めんどくさいだけでなく、うりあげもすくなくなる。
もともと100円しかしないクッキーとおにぎりなので、
ひとつうって100円はいるのか、
8割の80円しかのこらないかでは、ずいぶんちがってくる。
たかだか100円のクッキー販売においても、
すんなりはなしはきまらず、ああだこうだと
いろんな意見がとびかった。
けっきょく、これまでどおり、手数料なしでのあつかいとなる。
おたがいさまなので、お金はとらず、販売を協力しあうわけだ。
ちいさな事業所の、たかだか100円の商品販売においてさえ、
まっすぐことはすすまないのにおどろいた。
これが、国と国のとりきめとなれば、
さらにものすごくややこしくなるにちがいない。
最近、アメリカのトランプ大統領が、
中国への貿易制裁を発表し、
中国はその報復措置として、アメリカの製品に
たかい関税をかけた。
トランプ大統領や習近平書記長みたいなかけひきは、
おたがいさま、まあいいじゃないか、
とかんがえるわたしと対極にある。
なにも100円のクッキーとおにぎり販売をどうするかの議論から
あらためてまなぶほどのことではないけど、
どちらがただしいかよりも、
ぜったいに自分はまちがっていないと ゴリおしする姿勢を
きゅうにこのましくおもうようになった。
気のよわいわたしには、とてもできない。
2018年04月03日
浦和レッズの堀監督が解任された
浦和レッズの堀監督が解任された。
リーグ戦がはじまって5試合を消化したのに、
いまもなおかちがない責任をとらされての解任だ。
堀監督といえば、昨シーズンのとちゅうで、
ペトロヴィッチ前監督のあとをひきつぎ
チームをみごとにたてなおした。
アジアチャンピオンズリーグで
10年ぶりの優勝をはたしたのも記憶にあたらしい。
しかし、過去がどんなにかがやいていても、
いまかてない現実のまえには
堀監督ほどの実績があっても、かんたんにクビをきられてしまう。
これは、クラブの成績がおちると、
下位リーグへの降格がちらついてくるからで、
1部と2部では、すべてにおいて、天と地ほどの差がある。
どこのクラブだって、降格はしたくないから、
かてなくなると、てっとりばやく監督を交代させるわけだ。
まえによんだ西部謙司さんの『監督の流儀』に、
ハワード=ウィルキンソン監督の名言が引用されている。
監督がすぐにクビをきられるきびしさは、
世界じゅうのリーグに共通している。
サッカーをしってからは、日本のプロ野球が
ずいぶんなまぬるくおもえてしまった。
首位のチームとたとえ20ゲームはなされようが、
来年もまたおなじリーグで試合ができる。
サッカーのJ1リーグは、下位の3クラブがJ2に降格するし、
J2だって、J3へ2つのクラブが降格する。
監督の立場もきびしいけど、選手たちだって
いいプレーができなくなると すぐに試合でつかわれなくなる。
監督との相性もおおきく、自分を試合にださない監督なら、
ほかのクラブへの移籍をかんがえた方がいい場合もある。
きょねんまでいたクラブと、
ことしは別のクラブの選手として試合をするのは、
サッカーにおいて日常茶飯事だ。
そして、市場は日本だけでなく、
世界じゅうのサッカークラブへ移籍できるのだから、
クラブをかわることへのためらいがすくなく、
選手たちは すごくドライにクラブをわたりあるく。
わたしは、まえにいた職場をやめ、べつの事業所ではたらいたけど、
5年後に、またもとの職場にもどっている。
われながらはずかしげもなく、よくかえってきたとおもうけど、
サッカー界の常識では、これぐらいの移動はあたりまえなので、
わたしはあまり気にしないで もとの職場にもどれた。
わたしの意識としては、サッカー界が基準にあり、
おたがいの利害が一致すれば、どこではたらいてもいいとおもえた。
堀監督は、浦和レッズを解任されたけど、
だからといってダメ監督の烙印をおされたわけではなく、
きっとまたどこかのクラブからオファーをうけ、
自分がしんじるサッカーをつづけられるだろう。
能力があれば、だれかが自分を必要とし、
条件があえばクラブをまかせてくれる。
サッカー界のきびしさは、公平な実力主義の場でもある。
リーグ戦がはじまって5試合を消化したのに、
いまもなおかちがない責任をとらされての解任だ。
堀監督といえば、昨シーズンのとちゅうで、
ペトロヴィッチ前監督のあとをひきつぎ
チームをみごとにたてなおした。
アジアチャンピオンズリーグで
10年ぶりの優勝をはたしたのも記憶にあたらしい。
しかし、過去がどんなにかがやいていても、
いまかてない現実のまえには
堀監督ほどの実績があっても、かんたんにクビをきられてしまう。
これは、クラブの成績がおちると、
下位リーグへの降格がちらついてくるからで、
1部と2部では、すべてにおいて、天と地ほどの差がある。
どこのクラブだって、降格はしたくないから、
かてなくなると、てっとりばやく監督を交代させるわけだ。
まえによんだ西部謙司さんの『監督の流儀』に、
ハワード=ウィルキンソン監督の名言が引用されている。
監督には二通りしかない。クビになった監督と、これからクビになる監督だ
監督がすぐにクビをきられるきびしさは、
世界じゅうのリーグに共通している。
サッカーをしってからは、日本のプロ野球が
ずいぶんなまぬるくおもえてしまった。
首位のチームとたとえ20ゲームはなされようが、
来年もまたおなじリーグで試合ができる。
サッカーのJ1リーグは、下位の3クラブがJ2に降格するし、
J2だって、J3へ2つのクラブが降格する。
監督の立場もきびしいけど、選手たちだって
いいプレーができなくなると すぐに試合でつかわれなくなる。
監督との相性もおおきく、自分を試合にださない監督なら、
ほかのクラブへの移籍をかんがえた方がいい場合もある。
きょねんまでいたクラブと、
ことしは別のクラブの選手として試合をするのは、
サッカーにおいて日常茶飯事だ。
そして、市場は日本だけでなく、
世界じゅうのサッカークラブへ移籍できるのだから、
クラブをかわることへのためらいがすくなく、
選手たちは すごくドライにクラブをわたりあるく。
わたしは、まえにいた職場をやめ、べつの事業所ではたらいたけど、
5年後に、またもとの職場にもどっている。
われながらはずかしげもなく、よくかえってきたとおもうけど、
サッカー界の常識では、これぐらいの移動はあたりまえなので、
わたしはあまり気にしないで もとの職場にもどれた。
わたしの意識としては、サッカー界が基準にあり、
おたがいの利害が一致すれば、どこではたらいてもいいとおもえた。
堀監督は、浦和レッズを解任されたけど、
だからといってダメ監督の烙印をおされたわけではなく、
きっとまたどこかのクラブからオファーをうけ、
自分がしんじるサッカーをつづけられるだろう。
能力があれば、だれかが自分を必要とし、
条件があえばクラブをまかせてくれる。
サッカー界のきびしさは、公平な実力主義の場でもある。
2018年04月02日
『オンブレ』(エルモア=レナード・村上春樹:訳・新潮文庫)
『オンブレ』
(エルモア=レナード・村上春樹:訳・新潮文庫)
エルモア=レナードの本は、まだ1冊しかよんだことがなく、
レナードのおもしろさについて わたしはほとんどしらない。
村上春樹さんが訳したのなら、よんでみるかと、
かなり消極的な気もちで手にとった。
1884年が舞台の西部劇だという。
なんで村上さんが西部劇を訳す気になったのだろう。
でも、いったんものがたりにはいりこめれば、
あとはスルスルよめる。
この「スルスル感」が、レナードのもち味のようだ。
主役はジョン=ラッセルという男性で、
タフで銃のあつかいにすぐれ、すごくかっこいい。
わかいけれど あれ地での生き方をよくしっている。
身元ははっきりせず、アパッチのようでもあり、
メキシコ人の血がまじっているようでもある。
場面は、おおきく3つにわかれる。
まずは駅馬車で、目的地をめざし ひたすらすすむ。
それぞれのおもわくから のりあわせることになった6人が、
会話をまじえながら 乗客どうしで腹をさぐっていく。
タランティーノ監督による『ヘイトフル・エイト』をおもいだした。
あの作品でも、はじめの場面で駅馬車が重要な役をはたす。
駅馬車というとざされた空間は、
ひととなりがおもてにあらわれやすい。
天国から地獄へと、かんたんに状況がかわるのも
駅馬車での移動につきものだ。
つぎは、逃走劇へと舞台をうつす。
駅馬車がおそわれてしまい、
のこされたのは わずかな水と食糧になった。
ラッセルのうごきだけをたよりに、
乗客たちは安全な場所までひたすらあるいていく。
敵がどこまでせまっているのかわからない。
ラッセルの冷静で非情な判断が、一行の身をたすける。
かといって、ラッセルには、
乗客たちをたすけようという意思はまったくない。
ついてくるのなら かってにどうぞ、というかんじだ。
さいごは西部劇らしく、銃のうちあいとなる。
たてものにこもり、持久戦の様相をみせたあげく、
ラッセルがとつぜんそれまでとはちがう決断をくだした。
まったく同情をよせなかった人物へ、
敵のまえに身をさらしてまでたすけだそうとうごきだす。
あまりにも意外な展開で、ものがたりがとじられる。
ラッセルの魅力にひかれる作品だ。
映画化されているそうで(『太陽の中の対決』)、
ポール=ニューマンがラッセルをえんじている。
わたしはチャールズ=ブロンソンをおもいうかべてよんだ。
映画のほうもはやくみてみたい。
『オンブレ』には、もうひとつ
『三時十分発ユマ行き』という小説もおさめられている。
みじかいけど、こちらもよませる作品だ。
村上春樹さんが訳した本には、
たいていさいごに「訳者あとがき」がのっている。
これがまたわかりやすく おもしろいのでおすすめだ。
表題の『オンブレ』にくわえてもう一作『三時十分発ユマ行き』、
そして村上さんの解説(のようなもの)がたのしめる。
お得感のつよい本といえるだろう。
ただ、
という訳が気になった。
目をあけなければみれないだろうに、
「目を開けたまま・・・見ていた」って、
なんでわざわざそんな表現にしたのだろう。
(エルモア=レナード・村上春樹:訳・新潮文庫)
エルモア=レナードの本は、まだ1冊しかよんだことがなく、
レナードのおもしろさについて わたしはほとんどしらない。
村上春樹さんが訳したのなら、よんでみるかと、
かなり消極的な気もちで手にとった。
1884年が舞台の西部劇だという。
なんで村上さんが西部劇を訳す気になったのだろう。
でも、いったんものがたりにはいりこめれば、
あとはスルスルよめる。
この「スルスル感」が、レナードのもち味のようだ。
主役はジョン=ラッセルという男性で、
タフで銃のあつかいにすぐれ、すごくかっこいい。
わかいけれど あれ地での生き方をよくしっている。
身元ははっきりせず、アパッチのようでもあり、
メキシコ人の血がまじっているようでもある。
場面は、おおきく3つにわかれる。
まずは駅馬車で、目的地をめざし ひたすらすすむ。
それぞれのおもわくから のりあわせることになった6人が、
会話をまじえながら 乗客どうしで腹をさぐっていく。
タランティーノ監督による『ヘイトフル・エイト』をおもいだした。
あの作品でも、はじめの場面で駅馬車が重要な役をはたす。
駅馬車というとざされた空間は、
ひととなりがおもてにあらわれやすい。
天国から地獄へと、かんたんに状況がかわるのも
駅馬車での移動につきものだ。
つぎは、逃走劇へと舞台をうつす。
駅馬車がおそわれてしまい、
のこされたのは わずかな水と食糧になった。
ラッセルのうごきだけをたよりに、
乗客たちは安全な場所までひたすらあるいていく。
敵がどこまでせまっているのかわからない。
ラッセルの冷静で非情な判断が、一行の身をたすける。
かといって、ラッセルには、
乗客たちをたすけようという意思はまったくない。
ついてくるのなら かってにどうぞ、というかんじだ。
さいごは西部劇らしく、銃のうちあいとなる。
たてものにこもり、持久戦の様相をみせたあげく、
ラッセルがとつぜんそれまでとはちがう決断をくだした。
まったく同情をよせなかった人物へ、
敵のまえに身をさらしてまでたすけだそうとうごきだす。
あまりにも意外な展開で、ものがたりがとじられる。
ラッセルの魅力にひかれる作品だ。
映画化されているそうで(『太陽の中の対決』)、
ポール=ニューマンがラッセルをえんじている。
わたしはチャールズ=ブロンソンをおもいうかべてよんだ。
映画のほうもはやくみてみたい。
『オンブレ』には、もうひとつ
『三時十分発ユマ行き』という小説もおさめられている。
みじかいけど、こちらもよませる作品だ。
村上春樹さんが訳した本には、
たいていさいごに「訳者あとがき」がのっている。
これがまたわかりやすく おもしろいのでおすすめだ。
表題の『オンブレ』にくわえてもう一作『三時十分発ユマ行き』、
そして村上さんの解説(のようなもの)がたのしめる。
お得感のつよい本といえるだろう。
ただ、
彼はそこに横になり、目を開けたままスキャレンを見ていた。(273p)
という訳が気になった。
目をあけなければみれないだろうに、
「目を開けたまま・・・見ていた」って、
なんでわざわざそんな表現にしたのだろう。
2018年04月01日
3月末は、いくつかの番組が最終回をむかえる
3月末は、最終回をむかえる番組が
気をゆるめたころにしらされて、さみしいおもいをする。
高田秋さんが担当している木曜日の「ゆうがたパラダイス」を
わたしはたのしみにしていたのに、3月29日が最終回だった。
モデルとはおもえない彼女のおしゃべりがすきだった。
きょねんは、音楽遊覧飛行の吉村喜彦さんがやめてしまい、
しばらくさみしいおもいをした。
かわりに担当された向谷実さんが、いい味をだしてくれており、
いまは吉村さんのいない音楽遊覧飛行になれたけど、
きょねんはかなりがっかりしたものだ。
かわりにほかの担当者がかわればよかった、などと
愛唱歌など どうでもいわたしはおもったものだ。
土曜日の夕方4時から6時まで、
NHK-FMの「ラジオマンジャック」をたのしんでおり、
これは基本的にあそびちらかす番組なので、
いったいこの回をもっておわるのか、
それとも4月からもつづけるのか、
はっきりいわないまま番組のおしまいまできた。
すこし心配しながらきいていると、
「来週のテーマは・・・」と、
どうやら4月以降もつづくらしいとわかり安心した。
きょうの「デイリーポータルZ」は、
ブックマークをおすと、
http://portal.nifty.com/
とややこしくふざけている。
Youtubeチャンネルにうつると、
https://www.youtube.com/watch?v=QxOWCrAN1I0
なんだかほんとにユーチューブのページにきたみたいだ。
4月1日は、年度がかわった最初の日であり、
なおかつエイプリールフールであることから、
デイリーポータルZらしくじょうずにあそんでいる。
というか、エイプリールフールにデイリーポータルZが
なにも反応しないわけにはいかないわけで、
ユーチューブにかわったと、はでな冗談をうちあげながら、
じっさいに内容もユーチューブらしいページをたちあげている。
わたしは、4月1日だからといって、
どうしても気のきいたジョークを口にしたい、
というややこしい意識はない。
職場のひとが、エイプリールフールにちなんだ
あまりおもしろくない冗談をいえば、
露骨にしらけてしまうイヤなタイプだ。
きょうのデイリーポータルZは、
プロ集団として、じょうずにふざけており好感がもてる。
テキトーにつくったユーチューブ版の記事もおもしろかった。
エイプリールフールは、ここまでやって、ようやく成功といえる。
気をゆるめたころにしらされて、さみしいおもいをする。
高田秋さんが担当している木曜日の「ゆうがたパラダイス」を
わたしはたのしみにしていたのに、3月29日が最終回だった。
モデルとはおもえない彼女のおしゃべりがすきだった。
きょねんは、音楽遊覧飛行の吉村喜彦さんがやめてしまい、
しばらくさみしいおもいをした。
かわりに担当された向谷実さんが、いい味をだしてくれており、
いまは吉村さんのいない音楽遊覧飛行になれたけど、
きょねんはかなりがっかりしたものだ。
かわりにほかの担当者がかわればよかった、などと
愛唱歌など どうでもいわたしはおもったものだ。
土曜日の夕方4時から6時まで、
NHK-FMの「ラジオマンジャック」をたのしんでおり、
これは基本的にあそびちらかす番組なので、
いったいこの回をもっておわるのか、
それとも4月からもつづけるのか、
はっきりいわないまま番組のおしまいまできた。
すこし心配しながらきいていると、
「来週のテーマは・・・」と、
どうやら4月以降もつづくらしいとわかり安心した。
きょうの「デイリーポータルZ」は、
ブックマークをおすと、
http://portal.nifty.com/
デイリーポータルZはYoutuberになりました。Youtubeチャンネルに移動してよろしいですか?(キャンセルを押すとかつてのデイリーポータルZに移動します)
とややこしくふざけている。
Youtubeチャンネルにうつると、
https://www.youtube.com/watch?v=QxOWCrAN1I0
なんだかほんとにユーチューブのページにきたみたいだ。
4月1日は、年度がかわった最初の日であり、
なおかつエイプリールフールであることから、
デイリーポータルZらしくじょうずにあそんでいる。
というか、エイプリールフールにデイリーポータルZが
なにも反応しないわけにはいかないわけで、
ユーチューブにかわったと、はでな冗談をうちあげながら、
じっさいに内容もユーチューブらしいページをたちあげている。
わたしは、4月1日だからといって、
どうしても気のきいたジョークを口にしたい、
というややこしい意識はない。
職場のひとが、エイプリールフールにちなんだ
あまりおもしろくない冗談をいえば、
露骨にしらけてしまうイヤなタイプだ。
きょうのデイリーポータルZは、
プロ集団として、じょうずにふざけており好感がもてる。
テキトーにつくったユーチューブ版の記事もおもしろかった。
エイプリールフールは、ここまでやって、ようやく成功といえる。