2018年04月08日

ネコのピピが亡くなる

きょうの朝、ネコのピピが亡くなる。
16年と半年いっしょにすごしてきた。
しばらくまえから食欲がおち、
この3日間はまったくたべられなくなっていた。
きのうから、朝おきたときにトイレの砂がみだれていない。
水とごはんのはいったお皿もきれいなままだ。
おわかれは、あっけなかった。

すこしまえに糸井さんちのブイヨンが亡くなり、
糸井さんのふかいかなしみに わたしも胸をいためていた。
糸井さんが「今日のダーリン」かくブイヨンのはなしは、
ペットロスにくるしむひとをなぐさめる
よいテキストなのでは、とおもった。
ひとごとでそんなことをかいたら、
まさかすぐあとに、自分がなぐさめてもらう側になるなんて。

口内炎をわずらってから ピピはいっきにふけこみ、
もうさきはながくないだろうと覚悟していたのに、
4年半もがんばってくれた。
もうじゅうぶん介護と「みとり」をしたので、
いよいよあぶなくなったとしても、
病院へはいかず、家でみおくろうとおもっていた。
だから、後悔はないはずなんだけど、
いざピピがほんとうに死んでしまうと
こころはあやうくみだれる。

いつもたべているモンプチの「牛テリーヌ」をもとめなくなり、
かわりに「七面鳥のテリーヌ」となり、
それもまたながくつづかず、と
いまおもえば、「牛テリーヌ」をたべなくなったときが
変調のあらわれだった。
これまでも、食欲がおちるときはなんどもあり、
そのつど復活していたので、わたしは油断していた。
もうすこし食欲をさそう工夫をすればよかった。

ピピはわたしとの相性がバッチリだった。
子ネコだったころは、いつまでもわたしのハナをなめてくれたし、
いつもわたしのちかくにいたがり、わたしからの愛をもとめた。
まだむすこが小学校の低学年だったころ、
いっしょにふとんをしいていたら、
ピピも部屋にきて、さみしそうな顔でわたしをみあげている。
わたしはおもわずピピをふとんにおしたおし、
ほっぺたにスリスリし、ハナをくっつけ、
「ピピはかわいいね!」と、いつものようにさんざんほめちぎる。
ピピはまんざらでもない顔でわたしの愛撫をうけいれている。
むすこは「ピピにだけずるい」と、
自分にも濃厚なスキンシップをもとめた。
むすこがシットするほど、ピピとわたしはなかよしだった。
DSCN0917.jpg
わたしの目をみて たくさんはなしをしてくれたピピ。
今夜はしずかにおわかれをしよう。

posted by カルピス at 21:59 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする