記事によると、佐藤さんは、
佐世保からでないことでしられる小説家らしい。
本人が日本の首都を最後に訪れたのは、四半世紀以前だと公言している。
とはいえ、『鳩の撃退法』には、リアルな中野が登場する。
なんだかんだいって、東京にくわしいんじゃないか、
とおもっていたら、あのいかにもありそうな中野ふれあいロードは、
編集者が情報をあつめ、
パソコンのイメージ編集ソフトからつくったという。
津田伸一がはたらくスナック「オリビア」は、
編集者がいきつけとする実在の店なのだそうだ。
佐藤さんが中野にくわしいのではなく、
編集者のアシストがあっての『ハトの撃退法』だった。
編集者は、そんなことまでしなくてはならないのかとおどろく。
佐世保といえば村上龍さんの『69』の舞台だ。
高校生がはしりまわる佐世保と、
中年の津田伸一がグダグダ生きている佐世保は
まるでちがう町にみえる。
わたしは津田伸一みたいなダメ男が気になる。
津田伸一は、まったくはたらかないわけではないけど、
どこかふかいところがまともではないようで、
まわりのひとをだんだんとうんざりさせてしまう。
佐世保(とおもわれる町)にすめなくなっても、
東京の中野にあるスナックでちゃんと仕事をするのだから
そんなにわるくいわれる筋ではないのに、
ぜんたいとしてはやる気のないダメ男の烙印をおされている。
ドーナツやハンバーガーのチェーン店にいりびたり、
生産的なことはかんがえず、店員をからかったりして
ダラダラとヒマをつぶしている津田伸一がわたしはすきだ。
朝日新聞の記事によると、『鳩の撃退法』は
1月に文庫化されてからよくうれているそうだ。
わたしは、この小説で佐藤正午をはじめてしった。
これまでポツポツと本をよんできたものの、
そんなに熱心な本よみではない。
そんなわたしにも『ハトの撃退法』のおもしろさは格別だった。
この小説のよさがわかってよかったとおもった。
おもしろいとしか、いいようがない。
文学的にどうこうという評論よりも、
今回の記事のように、作品の舞台裏みたいなはなしに興味がわく。
それにしても、「四半世紀以上」
東京へいかない小説家というのもすごい。
直木賞の贈呈式にも、なんだかんだと理由をつけて欠席している。
それでいて、編集者にたすけてもらいながら、
小説では東京を舞台にするのだからよくわからない。
「佐世保を出ない小説家」は、
佐藤さん流のあそびみたいなものだろうか。