2018年06月30日

デイリーポータルZにまなぶふりかえりの大切さ

デイリーポータルZに今週のった記事を、
編集部の林さんと藤原さんが対談形式でふりかえっている。
http://portal.nifty.com/kiji/180630203282_1.htm
どんな記事がのり、どんな反響があったかをまとめておくのは
わすれがちだけど、大切なこころみだ。
わたしがななめよみしたのでは、まずみえてこない記事の核心を、
ふたりがわかりやすく説明してくれている。

デイリーポータルZには「あと出し天気予報」という連載があり、
一週間の天気を予測して、
あとから 予報があたったかどうかをふりかえっている。
担当の増田さんが、関東は6月に梅雨あけするかも、と予測し、
これがみごとにあたった。
藤原:梅雨明けましたね
林:6月中の梅雨明けは史上初らしいですよ。 それを当ててる。
藤原:史上初でちゃんとあてるのすごいですね。
林:これはもっと誇ってもいいと思う。 あと出し天気、すごいぞ。
藤原:梅雨明けを発表するのは気象庁なので、気象庁がどう判断するかにかかってくるということでした。気象庁の人も史上初の発表は興奮したでしょうね。
林:増田さん、天気じゃなくて気象庁の動きを予想しているんですよね。
藤原:もはや心の動きを読んでますよね。

「天気じゃなくて気象庁の動きを予想している」がおもしろい。

もうひとつは、上司に休暇ねがいをださずに
インドへ旅行した藤原さんの記事について。
http://portal.nifty.com/kiji/180626203236_1.htm
林:いいこと教えます。無断欠勤は1〜2日だと怒られるけど、1週間続くと会社の人は優しくなります。 上司が家に来たりします。
藤原:それはそれで怖い話ですね
林:前の前の会社で部長が内房の部下の家まで行ってました。「どうして来ないのかな?みんな待ってるよ」って。 たいへんだよね。管理職。

藤原:でも旅行は楽しかったです。流行りますよ、旅行。
林:流行るよ。19世紀の人は旅行なんてしてなかっただろうから、いま空前の旅行ブームかもね。100年単位で見ると。
藤原:見たことないものとかおいしいものとかばっかりですよ。
林:デイリーポータルZのテーマは「旅行しているように暮らす」です。ずーっとはしゃいでる

「旅行が楽しかった」とまっすぐにいわれるのも
なんだか新鮮だ。
「見たことないものとかおいしいものとかばっかりですよ」にも、
あらためていわれると こころにせまる。
そうかもしれない。旅行って、
もっとはやっても不思議ないほどたのしいものなのでは。
われわれは、もっと旅行にいくべきだ。
そして、「旅行しているように暮ら」そう。

無理やりのまとめみたいだけど、
こうしてみると、すべての行為は記事になる。
旅行でいうと、もはや観光名所よりも、だれも価値をおかない
地味な坂道だったり崖だったりが、リアルな観光資源になりえる。
それもこれも、こうしてあとからきちんとふりかえるから、
なんだか意味があるようにおもえるのだ。
たいしたことないようなことをして、
それをいちいちふりかえるのが、
もっともらしい記事にするコツかもしれない。

posted by カルピス at 21:06 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月29日

リスクをおかしてせめず、うらの試合に結果をゆだねた西野監督

WカップグループH
日本対ポーランド 0−1

日本は6人の選手をいれかえ、システムも4−4−2へ。
これまでピッチにたっていなかった選手をつかうのは、
ひかえ組のモチベーションのためには納得できる。
もうひとつ、会場のヴォルゴグラードは、
気温35℃というピッチコンディションで、
90分はしりきるのは無理と計算しての、
6人いれかえだったたのではないか。
ただ、4−4−2は機能しなかった。
これまでの2試合のようには、コンパクトな陣形がたもてず、
ラインがさがりぎみで、
ボールをうばっても、そこからせめこむには距離がありすぎた。

日本にいい時間帯もあったけど、
ポーランド優位で試合がすすんでいき、
日本はカウンターをなんどもくらう。
後半の13分にフリーキックから先制をゆるす。
同点にもちこまなければ、
日本はグループリーグでの敗退がきまってしまう。
しかし、この日の日本は攻撃に迫力がなく、
得点の可能性がかんじられない。
柴崎がたてにボールをいれることもなく、
いかにもせめあぐねているようすだ。
おなじ時間に、コロンビアとセネガルの試合もおこなわれており、
ずっと0−0だったのが、後半にはいって試合がうごき、
コロンビアが1点をいれる。
こうなると、状況がかわってきて、
日本は0−1でまけていても、このままいけば
「フェアプレーポイント」でセネガルをうわまわり、
グループ2位になると、実況のアナウンサーが説明する。

西野監督にも、この情報はつたわったようで、
1点差まけのままでじゅうぶんという判断から、
日本はむりにせめこまず、ボールをまわすだけになった。
ポーランドとしては、1点を先制しているわけだから、
むりに2点めをねらう必要がなく、こちらもまえにでようとはしない。
試合は結局、日本がうしろでボールを10分間まわしつづけ、
そのまま終了となる。

もし、セネガルが1点をかえせば、
日本はどうしても同点においつく必要があった。
西野監督は、リスクをおかしてせめるかわりに、
コロンビアがこのままセネガルをおさえるほうのリスクにかけた。
セネガルががんばって、あるいは、コロンビアが気をゆるめ、
セネガルに得点がうまれたら、
0−1でおわった日本は グループリーグ敗退となり、
日本はくやみきれない試合になっていた。

大会規定からいえば、西野監督の判断はまちがいではない。
とはいえ、いかにもすっきりしない、あと味のわるい試合だった。
日本があのまませめたとしても、
ゴールを期待できない内容だったけれど、
得点をきそうサッカーにおいて、
自分たちによる得点をあきらめ、
同時刻におこなわれていたべつの試合に
重大な結果をゆだねたのは、
リスクのおかし方としてうつくしくない。
セネガル戦とはべつのチームになってしまい、
フラストレーションのたまる試合だった。
結果として、日本は決勝トーナメントへすすむ。
予想外の結末にちからがぬけてしまった。

posted by カルピス at 17:47 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月28日

にわかファンとしてポーランド戦にのぞむ

糸井重里さんが「ほぼ日」に毎日かいているブログ、
「今日のダーリン」に、サッカーWカップをとりあげていた。
糸井さんは、あまりサッカーにくわしくないそうで、
でも、にわかファンとして すくなからぬ試合をみてたのしんでいる。

わたしだって、永遠のにわかファンのくせに、
わかったようなことを ついエラソーにかいてしまう。
ほんとうは、戦術の理解などきわめてあさい。
みた目でいきおいをかんじるチームがあれば、
ただしい攻撃サッカーのような気がして応援するぐらいか。
糸井さんのように、にわかファンであることを自覚して、
頭をからっぽにして サッカーの魅力にひたるのが、
わたしのレベルでは ただしい態度だ。

わたしも、2002年の日韓Wカップのときは、
ほとんどなんの情報もなく、ただ日本の試合だけをみて、
かった、まけたとさわいでいた。
2006年のドイツ大会になると、
すこしは知識もついてきて、日本の活躍に期待していたのに、
あえなくグループリーグで敗退してしまう。
そしてオシムさんが代表監督につくと、
サッカー本をよみあさり、代表戦だけでなく、
Jリーグのテレビ放送もみるようになった。
ただ、あいかわらずサッカーについての知識はとぼしく、
バルセロナのポゼッションサッカーがもてはやされると、
いかにもミーハーなファンとして、
日本にもそんなサッカーを志してほしくなる。

おおくの野球ファンも、ひいきにしているチームについて、
かなりエラソーに監督の采配や、
選手のプレーにひとこといいたがる。
サッカーは、野球よりはるかに運動量がおおく、
せめとまもりがはっきりしているせいか、
熱狂の度あいが ただならぬ領域にはいりやすい。
まえの記事にもかいたけど、宇宙人がサッカーの試合をみたら、
なんであんなに必死になって、ボールをゴールにいれたがり、
相手側は、ものすごい形相でそれをふせごうとするのか、
理解にくるしむだろう。
論理では説明できない。
ただ血がさわぐのだ。

今夜のポーランド戦をまえに、そわそわと11時をまつひとは
いったいどれだけの数におよぶだろう。
ひとつの世界的なおまつりとして、
わたしもまたややこしいことをいわずにたのしみたい。
前監督のハリルホジッチ氏を解任したうごきに納得できず、
すっきりと日本代表を応援できないのが残念だけど、
問題は日本サッカー協会のやり方であり、
選手たちの活躍をねがう気もちにいつわりはない。
ポーランドは、自分たちのプライドにかけ、
必死になって試合にのぞんでくるだろう。
日本の選手たちは、ひきわけではなく、勝利をめざして、
これまでの2試合でみせてくれたパスサッカーをやりとおしてほしい。

posted by カルピス at 20:36 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月27日

津村記久子さんの「顔は腸ぐらい他人」がよくわかる

朝日新聞のコラム「となりの乗客」に、
津村記久子さんが「顔は腸ぐらい他人」をよせていた。
きゅうにお腹がいたくなり、
なんとかトイレにかけこんだ 津村さんの体験がかたられている。
自分のからだといえども、おなかの調子は
自分のおもいどおりにならない。
そして津村さんは、しりあいとはなしているうちに、
自分のからだでさえ、意のままにあやつれないパーツが
大部分なのに気づく。
おなかのことは我ながらよくわからない、という話になった。(中略)「うちのおなかがすみません」という感じだ。なんだかまるで同僚の失敗を詫びているようで他人みたいだ。(中略)自分である、と大手を振って言える体のパーツはどこかと話し合って、結局、手足ぐらいしかない、という情けない結論に辿り着いた。

こうしたはなしは、わかいひとにはピンとこないかもしれない。
わたしは50代にはいったころから、
いかに自分のからだがあてにならないかを
おもいしるようになった。
朝いってきますと家をでて、
夕方ぶじに家にかえってこれるのは、
じつにありがたいことだという謙虚な気もちがないと、
歳をとってからのからだとつきあえない。
とちゅうできゅうにめまいがおきるかもしれないし、
津村さんのようにおなかがキュルキュルいいだすのは
けしてめずらしい状況ではない。
自分の体調に、盤石の信頼をもてたのは、いまやむかしだ。
こうしてみると、「自分」とおもっているわたしのからだは、
はたしてどれだけ自分なのか、たしかにわからなくなってくる。

津村さんは老化のはなしをしたいわけではないだろうけど、
わたしが「顔は腸ぐらい他人」から連想したのは、
老化による脳とパーツとの分離だ。
たとえば、おしっこへいく回数は、
わかいころよりずいぶんふえている。
そのうち尿もりをおそれて尿パッドをあてがったり、
さらにはオシメをはいて
おでかけするように なるのだろうか。
トイレにかけこむぐらい、まだまだ序の口だったりして。

老化がこんなにめんどくさいなんてしらなかった。
情報はいくらでもあったのだろうけど、
自分にとって切実でなければ 目をむけずにすごしてしまう。
ふつうにおでかけするのさえ、まさか心配しながらになるとは。
自分の意のままにはうごいてくれないからだに、
イライラするのではなく、
まるで他人のような自分のパーツを、おもしろがってすごすしかない。
尿パッドにするおしっこは、あんがい快感かも。

posted by カルピス at 22:58 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月26日

「なんとかならなくても別に構わない」という諦観にひかれる

倉下忠憲さんのブログに、以下のかんがえ方がかかれている。
「未来に対する気質」について少し考えていたんですが、私はたいてい「なんとかなるなる」と気楽な心持ちでいるのですが、むしろその背景に「なんとかならなくても別に構わない」みたいな、一種の諦観に近いものが潜んでいるのではないか、ということに思い至りました。
https://rashita.net/blog/?p=24901

「なんとかならなくても別に構わない」
がいいかんじだ。

わたしは基本的に、「きっとうまくいく」とかんがえ、
「うまくいかなかったら、そのときにまたかんがえる」派だ。
これは、村上春樹さんの
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で、
「僕」が、ふとった女の子にこうはなしているのをよみ 影響された。
このことばにであってから、
心配してもしょうがないことに 気をとられるのをやめた。
こまったら、そのときにまたかんがえればいいのだ。

倉下さんは、うまくいかなかったとき、
村上さん流の処世術の、さらにそのうえをゆく。
「そのときにかんがえる」のではなく、
「なんとかならなくても別に構わない」は最高の対応方だ。
きっと自分にふりかかってきたよくない状況にたいし、
まあ、こうなってしまったものはしょうがないと、
ジタバタせずにあきらめる 気もちのもち方を
身につけておられるのだろう。

健康診断などで、よくない数値だったり、
へんな影がうつっていたときに 再検査をすすめられ、
その結果をまつときのいやな心境は、
すくなからぬひとが、体験されているのではないか。
たいていは、なんともありませんでした、でおわるけど、
ときには「家族のかたにもきてもらい、いっしょにきいてほしい」
なんて、たのしくないなりゆきになるときもある。
倉下さんは、そんなときにも、
「なんとかならなくても別に構わない」とおもえるのだから、
最強のサトリをひらけたといえる。

科学が発達し、世のなかが便利になっても、
すべての欲求をかなえられるわけではない。
お金をいくらためこんでも、しあわせとはあまり関係ないし、
健康がいちばんといっても、おそかれはやかれ ひとは死んでしまう。
動物は、死をまえにしても、おそれをもたず、淡々と生きつづける。
人間もまた、生物の一員として、
「なんとかならなくても別に構わない」と
ちからをぬいて生きたほうが
いちどきりしかない人生を、自分のものにできるのではないか。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月25日

日本が自信にみちたプレーでセネガルに2−2

WカップグループH
日本対セネガル 2−2

あのセネガルをあいてに、
一歩もひかずたたかった日本の選手たちはすばらしかった。
すくないチャンスを なんとかものにしたのはセネガルのほうで、
日本のほうが決定的なチャンスをつくれていた
(個人の印象です)。
あとからふりかえり、かてた試合だったということに
おどろいている。

日本はコロンビア戦とおなじメンバーでのぞむ。
セネガルをあいてに、ビビらずにボールをまわす。
前半11分に、川島のまずい守備から先制されても、
気おちしたようすをすこしもみせず、
あわてずにボールをつないでいく。
なんど目かのチャンスに、乾がきめたシュートはうつくしかった。
まさにセクシーな線をえがいて ゴールにすいこまれていく。
この1点で、日本は自信をとりもどし、
自分たちのスタイルで攻撃をつづけていく。

後半26分に、セネガルがゴリゴリおしこんで2点目をきめる。
しかし、セネガルにかちこされても、このまま まける気がしない。
日本の選手たちは、おちついて自分のやくわりを
しゅくしゅくとやりつづけている。
足がはやいセネガルの選手たちは、
ピッチ全面をひろくつかってゴールにせまってくる。
そんなセネガルをあいてに、日本はあわてないで対応しつづけた。
長谷部と柴崎が相手のパスコースをよみ、
あぶない場面を事前につみとっていく。
柴崎のたてパスは、セネガルからするとよみにくいようで、
柴崎のちいさなからだから、
ズバッとキラーパスがなんどもけりだされる。
そして後半33分に、乾からのパスを本田がきめて同点。
試合はそのまま2−2でひきわけたけど、
冒頭にかいたとおり、
ひきわけてほっとしているのはセネガルのほうだろう。
日本はかち点3をのがした残念な試合といえる。

この試合の3時間後におこなわれた
おなじグループHのコロンビア対ポーランドは、
3−0でコロンビアがかっている。
この結果、日本はつぎのポーランド戦で、
かつかひきわけるかで、決勝トーナメントへの進出がきまる。
Wカップ本番がはじまるまえは、
だれがこんな日本の活躍を予想しただろう。
ただ、結果よければすべてがチャラになるわけではなく、
ハリルホジッチ前監督をでたらめな理由から解任した
日本サッカー協会にたいする不信感はそのままのこっている。
選手たちの自信にあふれたプレーをたのもしくおもいながらも、
そのことと、解任にいたる協会のやり方は、わけてかんがえたい。
西野監督が、1勝1わけと、結果をだしたために、
協会の責任は、かえってうやむやにされそうなのが残念だ。

posted by カルピス at 21:32 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

セネガルとポーランドの試合をみて、セネガルのつよさにおどろく

日本とおなじグループHにぞくする
セネガルとポーランドの試合をみた。
骨身をおしまないセネガルの献身的な守備におどろく。
そして攻撃は組織だっており、迫力がある。
こんなに統率のとれたアフリカのチームをはじめてみる。
アフリカ勢というと、身体能力はたかくても、
気分にムラがあり、いいときは手がつけられないほどせめながら、
いったん気もちがとぎれると、ガタガタっといくイメージがある。
でもセネガルは、チームとして機能しようとしているのがみてとれる。
絶対的なエースにたよる、ワンマンのチームではない。
Wカップがはじまるまえは、
グループHでいちばんの国はコロンビアだとおもっていたけど、
セネガルのつよさはさらにきわだっている。

対するポーランドも、セネガルに手をやきながら、
自分たちのスタイルをしんじて、
やるべきことを愚直にやりつづけている。
プレッシャーをかけ、ボールをつなぎ、
たとえそれがセネガルにうばいかえされても、
おなじことをなんどでもくりかえす。
根気よくつづけた結果が実をむすび、
フリーキックをヘディングでおしこみ1点をかえす。

FIFAランキングでは、セネガルが27位で、ポーランドが8位。
でも、ポーランドは ほぼいいところがなく、
セネガルにおしこまれていた。
ポーランドにしても、日本よりもまとまりがあり、
総合的なちからはうえだとおもうけど、
セネガルよりもやりやすいのではないか。

アフリカの選手はよく足がのびるといわれる。
この試合でも、わかっていながらポーランドのパスが
なんどもセネガルの網にひっかかっていた。
これは、日本もそうとう苦労するだろう。
セネガルは、攻撃だけでなく、きっちりまもる。
日本がボールをうばわれたら、いっきにカウンターをくいそうだ。
日本がにが手とするタイプのチームではないか。
身体能力がきわだっているうえに、背もたかく、
組織的なせめとまもりができている。
そのうえコンディションがいいとなると、
つけいるスキはどこにもないようにみえる。

こんなセネガルを相手に、日本のサッカーがどこまで通用するだろう。
これまでの相性でいうと、日本はアフリカ勢に分があるけど、
ポーランド戦をみるかぎり、セネガルを相手にするときは、
過去のデーターにすがらないほうがよさそうだ。
コロンビアにかったからといって、
おなじようにうまくいく相手ではない。
日本サッカー協会にお灸をすえてほしいわたしだけど、
そんな事情をぬきにしても、
セネガルとはむつかしい試合になるだろう。

posted by カルピス at 18:44 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月23日

ビデオ・アシスタント・レフェリー制度がとりいれられても、サッカーの社交の精神はかわらない

こんかいのWカップから、ビデオによるVAR
(ビデオ・アシスタント・レフェリー)制度が
審判の判定をたすけている。
そして、すでになんねんかまえから、
ゴールラインテクノロジーがとりいれられ、
ボールがゴールラインをこえたかどうかについて、
カメラの撮影で確認している。
2010年のWカップ南アフリカ大会において、
微妙な判定がきっかけとなり、導入されたそうだ。
Wカップアジア予選では、
あきらかにあやまった笛がふかれるプレーがあり、
こうしてテクノロジーのちからをかり、
正確な判定がおこなわれるようになれば、
審判の判定に不満をもつ場面がすくなくなりそうだ。

ウィキペディアによると、
•VAR制度の目的は全ての判定に100%の精確性を実現する事では無い。それは試合の流れとフットボールの感情を破壊することであり、最小限の介入で最大限の効果がVAR制度の哲学である。
•最終判定は常に主審が行う(VARが判定を行うことは無く、主審に助言を行うのが役割)。

「フットボールの感情を破壊すること」
とは、ようするにサッカーが大切にしてきた
社交の精神なのではないか。

サッカーが、サッカー場でおこなわれるようになるまえは、
町をあげての盛大なおまつりとして、
たとえば町と町のあいだにひろがるひろい空間全体を
会場としておこなわれていたという。
せっかくのおまつりが、すぐにおわってしまっては
おもしろみにかけるので、
ゴールのちかくでボールをまちぶせする作戦をきんじたのが
オフサイドの起源といわれている。
もともとがおまつりであり、
そこには、なにがなんでも勝敗をきめるのではなく、
0−0でもいいという社交の精神があった。

いまでも おおくの大会は、「ひきわけ」のルールがあり、
延長戦やPKによって決着をつけようとするのは、
決勝戦などにかぎられている。
90分たたかいぬいたあげく、
勝敗がきまらなくてもいいという価値観が サッカーにはある。
Wカップもグループリーグはひきわけがあり、
決勝トーナメントから前半・後半15分ずつの延長戦、
それできまらなければPKがおこなわれる。

VARや、ゴールラインテクノロジーは、
正確な判定のためにとりいれられた制度であり、
かちまけだけでなく、試合をすること事態に意義があるという、
サッカーが大切にしてきた社交の精神はかわらない。
勝利をめざしながらも、勝敗だけにこだわるのではなく、
大会に参加することに意義があるという、サッカーの精神を
VAR制度の導入にあわせて 確認しておきたい。

posted by カルピス at 19:15 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月22日

音楽遊覧船の「ふるさとのうた 心の旅」は、木曜日がおすすめです

NHK-FMの「音楽遊覧船」をよくきいている。
番組は、週ごとに、4つの「旅」へいざなってくれる。

・ふるさとのうた 心の旅(ふるい愛唱歌など)
・ミュージックエクスプレス(列車や旅にかかわる世界の音楽)
・エキゾチッククルーズ(世界の伝統音楽から最新ポップス)
・映画音楽ワールドツアー(映画にまつわる音楽)

「ふるさとのうた 心の旅」では、
日本や世界の愛唱歌がよくとりあげられ、
わたしはにが手とする週なのだけど、
先日の木曜日には、リクエスト特集ということで、
じつにさまざまな曲がながれた。

・「おしえて」(「アルプスの少女ハイジ」の主題歌)
・「桜の雨、いつか」(松たか子)
・「パパと踊ろうよ」(アンドレ=クラヴォー)
・「でっかい青春」(布施明)
・「異邦人」(久保田早紀)
・「ハーイ!グラスホッパー」(高見のっぽ)

これらの曲名をきいただけでは、
いったいなんの番組なのか、
あてられるひとはそうおおくないだろう。
アニソンからシャンソン、ふるい歌謡曲に
いかにも「みんなのうた」らしい曲。
ごちゃまぜすぎて統一感がない、と
文句をいっているのではない。
こらだけカバーする範囲がひろく、
なんでもありのほうが、いつもの番組よりもおもしろかった。
番組担当の榊原広子さんは、
これだけふり幅のおおきなリクエストにたいし、
あくまでもまじめなコメントをはさみながら
にこやかにこたえるのだから ただものではない。

なにかお気にいりの曲をリクエストしたいときは、
「ふるさとのうた 心の旅」がおすすめだ。
番組のコンセプトにあいません、とことわられたりしない。
どんなジャンルでもうけいれてくれ、
雑多な曲にまぎれこみ、
みごとにフツーのリクエストにおもえるだろう。

わたしがリクエストするなら
AKB48の「涙サプライズ!」だ。
ハイジのつぎにこの曲がかかったら、
あまりにもとおくはなれた両者の距離に
わたしはなきだしてしまうかもしれない。
世界はこんなにも多様なのだと。
ハイジとAKB48が共存できる唯一の番組が、
「ふるさとのうた 心の旅」の木曜日である。

「ふるさとのうた 心の旅」は、
番組本来の路線による月・火・水よりも、
リクエストをとりあげる木曜日のほうがずっとおもしろい。
番組スタッフにすれば、由々しき事態かもしれないけど、
それはそれで、そうわるくない時間にしあがっている。
ラジオならではのゆるさを、視聴者がじょうずにいかして、
なんでもありの時間にと、番組をのっとったのが、
「ふるさとのうた 心の旅」の木曜日だ。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月21日

家でくらすネコの自由とは

げんきにあそびまわるココ(子ネコ)は、
網戸にも興味をしめし、よじのぼってあそぶようになった。
このままでは、網戸がやぶれてしまうので、
ステンレスやアルミ製の網をホームセンターでかってくる。
家には網戸が10枚ほどあり、
夏をむかえるまえに、ぜんぶはりかえようとおもう。
ココが外にでるようになると、ほかのネコとのつきあいから、
どうしてもケガや病気をもらってしまう。
家のなかだけを生活圏として、そだてる方針だ。
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ネコを家のなかでかうのは かわいそうだろうか。
これまでいっしょにくらしたネコたちは、
ぜんぶ外へ自由にでいりしていた。
ネコたちは当然のように外へあそびにでかけ、
おなかがすくと家にかえってくる。
ご近所さんの庭でいたずらしないか心配だし、
さきほどもかいたように、どうしてもケガと病気が
もれなくセットになってついてくる。
まえにいたピピは、ほんとうに、
あきれるくらい病院にかよった。
よわいくせにケンカのすきなネコだったようで、
ふかいキズをおい、シッポがちぎれそうな危機があったし、
腰をいためうごけなくなったりした。
そのたびに、獣医さんから「外にださないで」としかられたものだ。
外にでるほうが、ネコにとってはストレスです、といわれる。

おなじ職場につとめるわかい職員の家で、
さいきん子ネコが1匹うまれ、そだてているという。
さぞかしかわいいだろうとはなしをきくと、
ぬけ毛がひどく、部屋がよごれるので、
お母さん(人間)が子ネコを外にだしてしまったそうだ。
いろんな事情があるにせよ、
部屋がよごれるからといって、外においだすのはいただけない。
自分のことを棚あげしていわせてもらうと、
ネコがすきだといいながらも、
ちゃんと世話ができるひとはそうおおくない。
でも、ネコっかわいがりしながらココとあそんでいると、
こうしたつきあい方が、はたしてココにとってしあわせなのか
かんがえてしまう。
わたしの都合で、ココを子どもあつかいしているだけなのでは。

すこしまえの朝日新聞に、「ペットの自由」が特集になり、
動物福祉の基本となる「5つの自由」が紹介されていた。

・飢えと渇きからの自由
・不快からの自由
・痛み・負傷・病気からの自由
・本来の正常な行動がとれる自由
・恐怖や抑制からの自由

のらネコだったココを わたしの家につれてかえったのは、
わるくない判断だったとおもう。
では、これからココを どういう環境のもとでお世話するか。
あるていどの自由をうばうのはしかたがないとして、
家のなかでかうのが ココにとってどうなのかは
わたしとしてもはじめてのこころみなので、よくわからない。
ずっと家のなかですごせば、その環境になれ、
ストレスをかんじないで生きていけるかもしれない。
どうしても外にでたいと、おおさわぎするかもしれない。
まずは、網戸をはりかえて、よじのぼってもだいじょうぶにする。
家のなかだけですごすのを、
あたりまえの生活だと、ココがうけいれてくれたらいいけど。

posted by カルピス at 22:18 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月20日

サッカー選手はおおげさにたおれすぎだ

きのうのWカップコロンビア戦では、
相手選手とルーズボールをめぐってのプレーで
長谷部がファールをとられた。
リプレイをみると、ファールをおかしたのは
むしろコロンビアの選手のほうだ。
コロンビアへレッドカードをだしたあとなので、
主審としては バランスをとるために、
日本にファールがでやすい状況だったとはいえ、
長谷部には酷な判定だった。

Wカップをみていておもうのは、
どうやったら審判がファールをとるよう じょうずにたおれるかを、
選手たちは、まるで役者のように きそっているみたいだ。
足がかかっていなくても、ぜんぜんいたくなくても、
ものすごくおおげさにたおれ、
理不尽なプレーをうけたとうったえる。
屈強なからだつきをしたおおきな男たちなのに、
自分が有利になるよう、はでな芸をみせて主審にアピールする。
あなたたちは、はずかしくないのかと わたしはおもう。

日本が日本のサッカーを世界にうちだすときに、
プレースタイルはともかくとして、
フェアプレーと、むやみにいたがらないという線で、
世界にアピールできるのではないか。
武士道の精神からいえば(たぶん)、
いたくないのに、いたいふりをするのは、
自分にたいしてはずかしい身のふりだ。
おもいおこせば、2011年の女子Wカップでのなでしこたちは、
フェアプレーとともに、やたらとたおれないプレーが
男子サッカーをみなれた目に新鮮だった。
男子はなんであんなにおおげさな「芸」をみせたがるのか。

ついでにいえば、ポルトガルのロナウドは、
たしかにすぐれた選手なのだろうけど、
あまりにも自分がかちたいという意識がつよすぎて、
まけずぎらいのおぼっちゃまにみえる。
たかだかサッカーなのだから、
そんなにおもいつめた顔つきをしないで、
のびのびとプレーして(あそんで)ほしい。

Wカップ特集の一環で、1974年西ドイツ大会の決勝、
西ドイツ対オランダの試合をNHKが放映していた。
クライフと、ベッケンバウアーのプレーを はじめて映像でみる。
戦術は、いまのほうがすぐれているのかもしれないけど、
選手のテクニックは、当時すでにすごい。
あたりもはげしけど、審判は、めったなことでは笛をふかず、
試合をとめずにながしている。
ファールをアピールしても、どうせききいれられないので、
選手たちは、役者になることなく、プレーに専念している。

長谷部のファールがあいてにあたえたフリーキックにより、
コロンビアは同点においついた。
ジャンプした壁の下をとおるひくいシュートが、
ゴールキーパーの川島をあざわらうように、
コロコロとゴールラインをこえた。
さほど強烈なシュートではなかったのに、
おさえきれなかった川島は、ずいぶんかっこわるかった。
日本は1点をうしなってしまったけど、
このさきにある試合をかんがえると、
川島のパフォーマンスがじゅうぶんでないのを
まわりが認識できた貴重なフリーキックだった。

posted by カルピス at 22:03 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月19日

W杯グループH 日本がコロンビアに2−1と結果をだす

W杯グループH
日本対コロンビア

仕事で車にのっていたら、メーターが7777キロをさした。
日本がきびしい結果になるのをのぞんでいるわたしにとって、
この幸運は、どうでるのだろう。
7777のメーター.jpg
試合開始3分に、香川のシュートを、コロンビアの選手が
手をつかってふせぎ、日本はPKをえる。
香川がきめて、ねがってもない形での先取点となった。
そして、ハンドをおかしたサンチェス選手はレッドカードで退場に。
日本は、先取点をえたうえに、相手が10人と、人数でも優位にたつ。

とはいえ、はやい時間帯に相手が10人になると、
意外とむつかしい試合になりがちだ。
しばらくは、日本がせめこむけど、
じきにあいてがじょうずにまもるようになる。
せめなければならないコロンビアが、まえにでてこない。
日本はうしろでゆっくりボールをまわすだけで、
迫力のある攻撃がしだいに影をひそめていく。
香川もうもれてボールをさわれない。
もたもたしてると、フリーキックをコロンビアにきめられて
1−1の同点においつかれる。
人数は、あいかわらずひとりおおいのだから、
あわてる必要はないけど、ながれとしてはいやなかんじだ。

後半は、日本が気もちをきりかえたように攻撃のスイッチをいれる。
コロンビアのエース、ハメス=ロドリゲスがでてきたけど、
コンディションがじゅうぶんでないようすで、
決定的な仕事ができない。
コロンビアは、ほかにもケガをしている選手がいるそうで、
4年前とはべつのチームであり、迫力のある攻撃がつづかない。
10人ではしりまわるうちに、
コロンビアの選手たちはさすがにつかれてきて、
ボールをうばいにいけなくなった。
いっぽうの日本は、せめこみながらも、
いつものようになかなかきめきれない。
このままでは、10人のコロンビアをおいつめられない。
そんな状況の後半28分に、
大迫がようやくコーナーキックをヘディングできめて
2−1とかちこす。
ボールをよくおさめるものの、
シュートをきめきれないのが特徴ともいえる大迫が、
ようやくだいじな場面で仕事をした。
そのまま日本はなんとかにげきって、
初戦でまさかのかち点3を手にいれる。

日本はなにがよかったのだろう。
試合開始そうそうの得点と、
相手が10人になった幸運をさしひいても、
日本の選手たちは気迫のこもったプレーをみせた。
なんだかんだいっても、
さいごのところはけっきょく気迫がものをいう。
この大会は、よわいといわれている国が意外と善戦しており、
そのながれを日本がうまくいかした形だ。
格上のコロンビアは、日本をあいてに、
なかなかうまくいかないのでいらついていた。
きょうのコロンビアは、グループHでいちばんよわいチームだ。
いちばんつよいとおもわれていたコロンビアから
かち点3を手にした日本は、これでいきおいがでるだろう。
わたしとしては残念だけど、
グループリーグ突破の可能性がたかくなった。

posted by カルピス at 23:17 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月18日

Wカップ、コロンビア戦の予想

録画しておいたWカップのグループリーグを
すこしずつみている。
これまでのところ、大会まえの予想をくつがえし、
よわいといわれていた国の善戦が印象にのこる。
エジプトがウルグアイに0−1、
オーストラリアがフランスに1−2、
そしてアイスランドがアルゼンチンに1−1でひきわけた。
メキシコは、前回の優勝国ドイツを、1−0でやぶっている。
グループリーグでの初戦が、
つよいといわれる国にとってさえ、
いかにむつかしいのかをものがたっている。
このながれでいくと、日本もコロンビアをあいてに、
あすは あんがいいい試合をするのではないか。
日本の選手が、コンディションをととのえ、
全力でぶつかる気迫をみせてくれたら、という条件つきだけど。
わたしとしては、ハリルホジッチ前監督の解任について、
日本サッカー協会に不信感をもってしまったので、
日本がボコボコにやられるのを期待している。
その一方で、どんな試合になるのか、
たのしみにする気もちもあり、
コロンビアにのぞむ11人をわたしなりに予想してみた。

      大迫
乾     香川   武藤
   長谷部  柴崎
長友  吉田  植田  酒井(ひ)
      川島

ゴールキーパーは経験をかわれて川島ではないか。
川島は、前回の大会でもコロンビア戦に出場している。
中村と東口は、パラグアイ戦でピリッとせず、
じゅうぶんなアピールにならなかった。
本田はベンチスタートで、ながれによってとちゅうからでてくる。
原口と宇佐美も、本田とおなじあつかいで、
まずはパラグアイ戦でよかった乾と香川のコンビに得点を期待する。
岡崎は、ケガをかかえているので、コロンビア戦の出場はない。

とはいえ、コロンビアはグループリーグでいちばんつよく、
へたにかとうとするよりも、ひきわけでじゅうぶん、
というかんがえ方が現実的だ。
その場合、西野監督は、かつよりも、まけない試合をめざし、
守備のできる選手(原口・山口)を先発におくりだすだろう。
コロンビア戦にもしひきわけたら、
グループリーグ突破の可能性が すこしみえてくる。

わたしなんかがない知恵をしぼらなくても、
専門の監督・コーチがチームのベストをかんがえて、
適切な11人をえらぶのはわかっている。
わかっていながら、なんだかんだいいたくなるのが
生半可な知識しかない なんちゃってファンならではの心理だ。

posted by カルピス at 22:21 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月17日

藤井聡太七段に、クリームソーダの のみ方を「指導」しましたという師匠の杉本七段がいいかんじ

朝日新聞に藤井聡太七段のおさなかったころのようすが
連載で紹介されている。
きょうの記事は、藤井七段が、
師匠の杉本七段に弟子いりをもうしこむ場面だ。
藤井さん(当時小学4年生)は、
母親といっしょにコメダ珈琲店のテーブルにすわっている。
クリームソーダを注文した藤井さんは、
うまくのめないで、ソーダ水をテーブルにこぼしてしまった。
藤井にあまり指導した記憶は無いんですが、この時は、「こうやって飲むもんだよ」と先にソーダを飲むことを指導しました。

と杉本さんが当時をふりかえっている。
本職の将棋では、すでにおしえることがなくなっているけど、
ソーダ水の のみ方は「指導」しましたという、
これは杉本七段のジョークだろう。
記事にのっているクリームソーダの写真をみると、
たしかにクリームの部分がすごくおおきくて、
適切な「指導」がなければ、うまくあつかえないかもしれない。
この記事の論旨は、ソーダ水ののみ方ぐらいしか、
藤井七段にはおしえることがなかった点にある。
そして、弟子と師匠との関係であっても、
あまりていねいにおしえすぎないのが、将棋の世界では一般的だ。
おしえるのは、ソーダ水の のみ方ぐらい。
未熟な指導者は、ついあれこれおしえたがるけど、
自分でかんがえるちからをやしなうためには、
あまり「指導」しないほうがいいというのが最近の風潮だ。

すこしまえの新聞記事に、
観客席のないサッカー場をつくろうとしている
埼玉県サッカー協会のとりくみがのっていた。
大事にしなければならない存在だとはわかっているが、口を出しすぎる親が多すぎて、すぐ近くで見ていてくださいとは言えない状況が現実にある。

わたしはまえに、少年野球の練習風景をみて、
子どもたちにむかい罵声をあびせる指導者がいておどろいた。
きびしい指導と、口ぎたなくののしることを、ごちゃまぜにしている。
指導者がそんなふうだと、おしえられる子どもたちが不幸だ。
そして、練習や試合をみまもる親たちもまた、
熱心であればあるほど、やっかいな存在らしい。
みればいろんなことをいいたくなるだろうし、
結果をともなわなければ、指導者を批判する親がでてくるのだろう。
「保護者の観覧はご遠慮ください」といってもきかないのであれば、
観客席をなくすのが いちばんてっとりばやいのだろう。

将棋は、たとえ弟子と師匠の関係でも、対局すれば全力でたたかう。
順位に年齢は関係なくて、いい成績をのこせば上のクラスへあがるし、
まければ下にさがり、年下の棋士と対戦しなければならない。
ただ、師匠は師匠であり、将棋だけでなく
あらゆる面で自分をそだててくれる存在として、
藤井七段と杉本七段の関係はかわらない。
棋力ではすでにさきをいかれたけど、
ソーダ水の のみ方は「指導」しましたと、
やわらかいジョークで藤井七段とのであいをかたれる
杉本七段のふところのおおきさがいいかんじだ。

posted by カルピス at 21:29 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月16日

田んぼのみまわり。稲らしい植物をみかける。

田んぼが草だらけになっていたので、
稲の成長をたすけるため水をはる。
肝心の、稲はそだっているのか?
粘土団子をばらまいただけなので、
どこに種がおちたのか まったくわからない。
種の量だけは、ちゃんと10アール分の2.5キロをまいているので、
うまく芽がでれば、かなりの数の苗がそだっているはずだ。
ところどころ稲らしい植物をみかけるけど、
あまりにもまばらで、まともな収穫をのぞめそうにない。
ことしもまただめなのか、と田んぼの奥のほうに目をむけると、
稲らしい草がたくさんはえている。
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もしこれが稲だとすると、わたしがねがっているそのままの
自然農法による米つくりの姿だ。
どうか、これがヒエではなく、稲でありますように。
ことしの稲かりは、有給をつかわないと対応できないかも。

かえりに畑にもよる。
いいかげんだったきょねんにくらべ、
ことしはこころをいれかえて、毎週のぞいている。
草をとったり、間びきをしたり。
きょうはモロヘイヤをはじめて収穫した。
チンゲンサイも順調にそだっているし、
インゲン豆もげんきに芽をだしている。
先週うえたサツマイモの苗も、
どうやらかれずに根づいたようだ。
梅雨にはいり、ちょっと目をはなすと、
すぐに草だらけになってしまうので、
毎週なんだかんだと世話をやいている。
自然農法なので、できるだけ手をだしたくないけど、
草にまけると どうしようもないので、
そこだけはひとの手だすけがいる。
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田んぼと畑を毎週みまわるといっても、
ほんの1時間か、1時間半ほどだ。
それでも、いかないのと、
いって、どれだけそだっているかを
じっさいに目でみるのではだいぶちがう。
田畑の状態がわかっていると、
つぎの週にやるべき仕事もみえてくる。
自然農法といっても、まったくまるなげでは
うまくいかないのが、さすがにわかってきた。
このままなまけずに手をかければ、
ことしの秋はあるていどの収穫がたのしめそうだ。

posted by カルピス at 21:04 | Comment(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月15日

子ネコのココがきてから2週間

子ネコのココとくらすようになって2週間がすぎた。
子ネコらしくよくたべ、よくあそび、
なにをしても ものすごくかわいい。
体重が、850グラムから、1200グラムにふえ、
まえはネズミがおおきくなったような体型だったのが、
いまでは、いくらかネコらしいスタイルだ。
あんまりはやくおおきくならないで、とおもうようになった。
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ココのあたまのなかは、とにかくあそぶことでいっぱいのようで、
じっとしているときはほとんどなく、
いろんなものをおもちゃに はげしくうごきまわる。
兄弟がいれば、いっしょにあそぶのだろうけど、
ココはひとりなので、わたしたちがあそぶあいてをする。
ココのお気にいりは、わたしの手のひらとのたたかいで、
耳をふせ、獲物にとびかかるように、
本気でわたしの手のひらにたたかいをいどんでくる。
ツメをたて、ひっかき、ガジガジとかじりつくので、
わたしの手はキズだらけだ。

ずっとあいてをしてやらなくても、
ひとりでじょうずにあそんでいる。
ただ、そばにいるのがだいじみたいで、
わたしのからだにふれながら、はでにあそび、
わたしのからだを基地にして、でかけては またかえってくる。
わたしをたよる、そんなうごきをみると、
ココはわたしをお母さんとおもっているのかもしれない。

お母さんネコがいたら、シッポであそんでもらうところだろう。
子ネコを相手にしてさえ、キズだらけになるのに、
ライオンのエルザをそだてたジョイ=アダムソンさんは、
どうやっておさないころのエルザとあそんだのだろう。
エルザが本気でじゃれてきたら、ライオンなので、
ものすごいちからだろう。
ちからをおさえて人間とあそぶのをエルザにおぼえさせるため、
アダムソンさんは、エルザがまだちくて、
自分のほうがちからでかつときでも、
ちからずくでエルザのうごきをおさえないよう、
注意してあそんだ、と『野生のエルザ』にかいてある。
本をよんだときは、なるほどなー、と感心したけど、
ココのはげしいうごきをみると、ちからをおさえてあそぶって、
どうやるのか、ほんとにできるのか、不思議におもう。

ココはテレビ、とくにサッカーの試合がすきで、
選手のうごきに反応して画面を手でおさえようとする。
Wカップがおわるころには、
傷だらけのディスプレイになっているかもしれない。
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posted by カルピス at 20:51 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月14日

日本は食事がやすくておいしい国、というのはほんとうか

しりあいとの雑談で、
世界のなかで日本は、やすくておいしい食事ができる国らしい、
というはなしになった。
朝日新聞に、そんな内容の記事がのっていたのだそうだ。
きいていると、わたしもその記事をよんだような気がする。
ただ、はなしの大筋はあっているものの、
ところどころ会話がかみあわない。
しりあいがわたしにはなす内容は、
わたしがよんだ記事よりも、具体的な説明がおおい。
わたしのよみかたがあさかったのかと、すこしひっかかった。

家にもどって最近の新聞をひっぱりだし、たしかめてみる。
わたしたちがはなしていたのは、
べつのひとがかいた ふたつのコラムだった。
わたしがよんでいたのは、後藤正文さんによる連載のコラムで、
しりあいがはなしていた記事は、小熊英二さんの論壇時評だ。
どちらの記事にも、日本は
やすくておいしい外食ができるとかいてある。
後藤さんは、欧米の国とくらべ、
小熊さんは欧米の大都市、さらに香港やバンコクでさえ、
ランチが千円するのがあたりまえになっている、と紹介している。
ふたりの著述家が、ほぼおなじ時期に話題としてとりあげるほど、
日本の食事はやすくておいしいというのが、
いまや世界の常識になっているらしい。
香港やバンコクでもランチ千円が当然になりつつある。だが東京では、その3分の1で牛丼が食べられる。それでも味はおいしく、店はきれいでサービスはよい。(小熊英二・「安くておいしい国」の限界)

小熊氏の論旨は、
私は、もう「安くておいしい日本」はやめるべきだと思う。

にあるけれど、ここでは食事の値段だけにはなしをしぼる。

日本の食事がやすいといわれて、わたしは意外な気がした。
全国展開のチェーン店はともかくとして、
外食がやすくすむのは大都市にかぎったはなしではないか。
わたしがすんでいる町では、
ランチに千円ちかくかかるのがふつうだ。
需要がすくないので、価格競争がおきないのだろう。
そして、わたしがバンコクで食事をすると、
安食堂にしかはいらないので、500円もかからない。

でも、おそらくわたしの感覚がずれているのだろう。
こじゃれた「ランチ」を香港やバンコクでたべれば、
1000円ぐらいするのは よくわかる。
そういうお店が、旅行者だけでなく、
一般市民にも人気があるのだろう。
アジアの国々から日本にきた旅行者が、
値段を気にしながら食事やかいものをするのではなく、
あたりまえのようにお店にはいり、
ためらいなくお金をつかうのをみると、
世界はずいぶん均一になったものだとおもう。
アジアを旅行している日本人が、円のちからをたよりに、
やすいやすいといい気になっていた時代より、よほど健全な姿だ。

わたしがフィリピンではいった、
10代のわかものがよくいく喫茶店では、
コーヒー一杯をのんでも、日本よりすこしやすい程度の値段、
つまりかなりたかい価格設定だった。
ケンタッキーフライドチキンだって、それなりの値段がする。
そうしたお店に ふつうの感覚ではいれる市民層が
いまやぶあつく存在するようだ。
もちろんそんなお店にはいれない
まずしいひとたちもいるのだろうけど、
わたしがおもっている以上に
世界の同質化がすすんでいるのではないか。
日本が値段をあげないで我慢しているうちに、
アジアの国々がおいついてきたのかもしれない。
旅行していいると、日本よりすこしやすいくらいの物価の国が
気らくにすごせてちょうどいい。

posted by カルピス at 22:41 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月13日

日本代表が、パラグアイに4−2でかってしまった

Wカップまでにくまれたさいごの試合で
日本がパラグアイに4−2でかってしまった。
ハリルホジッチ前代表監督の解任をめぐる
日本サッカー協会のやり方にがっかりしたわたしは、
かったとはいえ、すなおによろこべない。
ひねくれた心境でWカップをむかえるのが とても残念だ。

2006年のドイツ大会のまえにも、
日本代表はドイツをあいてにいい試合をした。
でも本番では、2敗1わけと、グループリーグ敗退でおわっている。
Wカップまえに、どれだけいい試合をしても、
本番での対戦とは まったく関係がない。
これまでがひどすぎたので、ようやくまとまりがみえたチームに
ひと安心するのはわからないでもないけど、
だからといってコロンビアにかてる道筋がみえてきたわけではない。
日本代表として 4年半ぶりの逆転勝利をおさめてしまい、
しかも相手は格上のパラグアイだ。
たのみのつなである運を つかいきったのでは、と心配する。

えらばれた選手たちのちからを、どうやって最大限にひきだすのか、
わたしはハリルホジッチ氏の分析と作戦に期待していた。
Wカップ本番のために、スッキリしない試合をくりかえしながら、
選手たちのくみあわせをためしてきた3年間が、
2ヶ月まえに突然の解任でチャラとなる。
Wカップ観戦のたのしみをうばわれたわたしは、
まっすぐな気もちで、日本代表を応援できなくなった。

西野監督は、スイス戦から10人をいれかえて
パラグアイ戦にのぞんでいる。
ひかえ選手中心のメンバーがいい結果をだしたために、
本番では どの11人をおくりだすのかがたのしみになった。
たのしみとはいえ、いい結果をのこしたら残念という、
ややこしい気もちでの観戦となる。
こうした状況をまねきながら、日本サッカー協会は、
どんな結果におわっても まともに反省なんかしないだろう。
もやもやした気もちのまま、
Wカップ本番が一週間後にせまってきた。

posted by カルピス at 22:26 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月12日

三森すずこさんがひきだす畑亜貴さんのはなしがおもしろかった

火曜日のゆうがたパラダイスは、三森すずこさんが担当している。
きょうは、ゲストに畑亜貴(はた あき)さんが登場した。
わたしは畑亜貴さんをまったくしらなかったけど、
おちついたはなし方・ことばのえらび方をきいて、
ただものではないとすぐみやぶった。
おだやかで、ふかみのある声は、いつまでもきいていたくなる。
そのうえ、はなしている内容がすばらしかった。
アニソンの作詞家として有名な方らしい。

畑亜貴さんのいちにちのすごし方が円グラフで紹介された。

・12時から8時まで睡眠
・9時におきるけど、10時までベッドでボーっとする
・10時からメールをかく
・そのあと朝ごはんをたべながら、夕ごはんをつくる
・12時から1時までダラダラすごす(ゲームなど)
・午後1時から5時まで、集中して仕事にとりくむ
・5時から7時までビールタイム
・9時までダラダラ。気がむけば、作曲することも。
・9時から12時まで、ベッドにねっころがり、iPadで本をよむ。
 iPadが顔になんどかおちてくるほどねむくなったら、
 それがねる時間になったということ。ねる。

なんてクリエイティブな時間のつかい方だろう。
のんびりしているようでいて、
みもりんがいうように、メリハリがきいている。
畑さんは、ネコといっしょにくらしているそうで、
そのネコの世話にも なんやかやと時間がかかるという。
わたしもよくわかるので、さらに畑さんがすきになる。
いちにち8時間しっかりねて、
さらに1時間ぐずぐずするぐらいでないと、
創造的な仕事はできないのだ。

番組のおわりでは、畑亜貴さんが作詞した
「だってだって噫無情」がながれた。
『ああ無情』をやりたかったけど、
アイドルに『ああ無情』はすこしおもい。
だったら「だって、だって」といいわけしたら、
とおもいついたのだそうだ。
スルスルと企画がとおり、「だってだって噫無情」ができあがる。
古典の『ああ無情』に、「だって」と
いいわけをつけるセンスがひかる。
いい曲だった。

三森さんは、畑さんのような達人をまねいても、
どうどうと もてなせるだけのちからがある。
ただ はなしをあわせるのではなく、
相手とふかいところで共感しあえているのが
ラジオをきいていてもつたわってくる。
ほかの担当者が、「またきてください」といっても、
社交辞令にしかきこえないのに、
三森さんは、ほんとうにまたはなしをしたいから
「またきてください」といっているのがわかる。
きょうの畑亜貴さんにかぎらず、どのゲストとはなしても、
そのひとの本音をひきだせるうまさが三森さんにはある。
26歳と、まだわかいのに、すでに自分のスタイルを確立している。
よほど頭のいいひとなのだろう。
畑亜貴さんは、わたしがしらないだけで、
アニソン界では超有名な作詞家らしい。
こうしたすぐれた人材を、サラッとわたしにおしえてくれるので、
三森すずこさんの番組を 毎週たのしみにしている。

posted by カルピス at 21:36 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

梅ぼしをつける

1キロ580円の梅を4キロかってきて、梅ぼし用につけた。
きょねんは梅をかうのがおそくなり、
1キロ1280円もする南高梅しか スーパーの棚になくてこまった。
そんなりっぱな梅である必要はないのに、
梅がなければつけられないので、しぶしぶ3キロかった。
その教訓から、ことしははやめに梅を確保する。
15年くらいまえから梅ぼしをつけるようになった。
梅ぼしをしこんでいる自分、というのがわたしはすきで、
いかにも勤勉に、ていねいに、
手をぬかないで生きているような気がしてくる。

梅をひとばん水につけ、朝になったらザルにあけておく。
梅酒づくりじゃないので、ヘタをとったり、
つまようじで穴をあけたりはしない。
おおきめの容器に梅をいれながら、塩をくわえる。
塩は、梅のおもさの20%にすると、カビがはえにくい。
さいごにおもしをのせ、ほこりがこないように
ビニール袋をかぶせて部屋のすみにおいておく。
おもしは梅の倍のおもさにすると、
はやく水がでてきてカビがきにくくなる。

一週間たったら梅をザルにあけ、いちにち日にあてる。
梅からでた水でシソの葉をあらい、
梅をしまうときにいっしょに容器にいれる。
そのまま一ヶ月おき、さいごに3日間 梅をほしたらできあがり。
魚柄仁之助さんの『元気食実践マニュアル』(文春文庫PLUS)
にのっているやり方だ。
以下の3点さえおさえておけば、まず失敗しない。

・容器をあらってからよく消毒する
・塩は梅のおもさの20%
・おもしは梅の2倍くらいあったほうが
 はやく水があがってカビがきにくい。

わたしは料理をつくるとき、レシピをまもれずに、
いいかげんなできあがりにしてしまう。
めんどくさい下準備は省略したり、
材料もあるものだけですませるので、
味とみかけがずいぶんちがう(たぶん)ものしかできない。
ただ、梅ぼしだけは、塩分とおもしくらいしか、
おさえるところがないので、わたしでもまちがえずにつくれる。

もうひとつ、めんどくさそうにみえるけど、
やってみたらかんたんなのが、ミソづくりだ。
大豆と塩とコウジをまぜればできあがり。
そのわりあいによって、あまくちだったり、
しょっぱかったりするけど、ひどい失敗作にはならず、
どうつくっても、それなりにおいしいミソができあがる。

今夜しこんだ梅は、5週間たてばたべられる。
梅ぼしは、もちろんスーパーでかえるけど、
へんにあまかったり、いろんなかくし味がはいっていたりで、
塩につけただけのふつうの梅ぼしは意外とみつからない。
自分でつけた梅ぼしがわたしはいちばんすきなので、
めんどくさがりながらも、なんとかつづけている。

posted by カルピス at 22:20 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする