連載で紹介されている。
きょうの記事は、藤井七段が、
師匠の杉本七段に弟子いりをもうしこむ場面だ。
藤井さん(当時小学4年生)は、
母親といっしょにコメダ珈琲店のテーブルにすわっている。
クリームソーダを注文した藤井さんは、
うまくのめないで、ソーダ水をテーブルにこぼしてしまった。
藤井にあまり指導した記憶は無いんですが、この時は、「こうやって飲むもんだよ」と先にソーダを飲むことを指導しました。
と杉本さんが当時をふりかえっている。
本職の将棋では、すでにおしえることがなくなっているけど、
ソーダ水の のみ方は「指導」しましたという、
これは杉本七段のジョークだろう。
記事にのっているクリームソーダの写真をみると、
たしかにクリームの部分がすごくおおきくて、
適切な「指導」がなければ、うまくあつかえないかもしれない。
この記事の論旨は、ソーダ水ののみ方ぐらいしか、
藤井七段にはおしえることがなかった点にある。
そして、弟子と師匠との関係であっても、
あまりていねいにおしえすぎないのが、将棋の世界では一般的だ。
おしえるのは、ソーダ水の のみ方ぐらい。
未熟な指導者は、ついあれこれおしえたがるけど、
自分でかんがえるちからをやしなうためには、
あまり「指導」しないほうがいいというのが最近の風潮だ。
すこしまえの新聞記事に、
観客席のないサッカー場をつくろうとしている
埼玉県サッカー協会のとりくみがのっていた。
大事にしなければならない存在だとはわかっているが、口を出しすぎる親が多すぎて、すぐ近くで見ていてくださいとは言えない状況が現実にある。
わたしはまえに、少年野球の練習風景をみて、
子どもたちにむかい罵声をあびせる指導者がいておどろいた。
きびしい指導と、口ぎたなくののしることを、ごちゃまぜにしている。
指導者がそんなふうだと、おしえられる子どもたちが不幸だ。
そして、練習や試合をみまもる親たちもまた、
熱心であればあるほど、やっかいな存在らしい。
みればいろんなことをいいたくなるだろうし、
結果をともなわなければ、指導者を批判する親がでてくるのだろう。
「保護者の観覧はご遠慮ください」といってもきかないのであれば、
観客席をなくすのが いちばんてっとりばやいのだろう。
将棋は、たとえ弟子と師匠の関係でも、対局すれば全力でたたかう。
順位に年齢は関係なくて、いい成績をのこせば上のクラスへあがるし、
まければ下にさがり、年下の棋士と対戦しなければならない。
ただ、師匠は師匠であり、将棋だけでなく
あらゆる面で自分をそだててくれる存在として、
藤井七段と杉本七段の関係はかわらない。
棋力ではすでにさきをいかれたけど、
ソーダ水の のみ方は「指導」しましたと、
やわらかいジョークで藤井七段とのであいをかたれる
杉本七段のふところのおおきさがいいかんじだ。