2018年06月23日

ビデオ・アシスタント・レフェリー制度がとりいれられても、サッカーの社交の精神はかわらない

こんかいのWカップから、ビデオによるVAR
(ビデオ・アシスタント・レフェリー)制度が
審判の判定をたすけている。
そして、すでになんねんかまえから、
ゴールラインテクノロジーがとりいれられ、
ボールがゴールラインをこえたかどうかについて、
カメラの撮影で確認している。
2010年のWカップ南アフリカ大会において、
微妙な判定がきっかけとなり、導入されたそうだ。
Wカップアジア予選では、
あきらかにあやまった笛がふかれるプレーがあり、
こうしてテクノロジーのちからをかり、
正確な判定がおこなわれるようになれば、
審判の判定に不満をもつ場面がすくなくなりそうだ。

ウィキペディアによると、
•VAR制度の目的は全ての判定に100%の精確性を実現する事では無い。それは試合の流れとフットボールの感情を破壊することであり、最小限の介入で最大限の効果がVAR制度の哲学である。
•最終判定は常に主審が行う(VARが判定を行うことは無く、主審に助言を行うのが役割)。

「フットボールの感情を破壊すること」
とは、ようするにサッカーが大切にしてきた
社交の精神なのではないか。

サッカーが、サッカー場でおこなわれるようになるまえは、
町をあげての盛大なおまつりとして、
たとえば町と町のあいだにひろがるひろい空間全体を
会場としておこなわれていたという。
せっかくのおまつりが、すぐにおわってしまっては
おもしろみにかけるので、
ゴールのちかくでボールをまちぶせする作戦をきんじたのが
オフサイドの起源といわれている。
もともとがおまつりであり、
そこには、なにがなんでも勝敗をきめるのではなく、
0−0でもいいという社交の精神があった。

いまでも おおくの大会は、「ひきわけ」のルールがあり、
延長戦やPKによって決着をつけようとするのは、
決勝戦などにかぎられている。
90分たたかいぬいたあげく、
勝敗がきまらなくてもいいという価値観が サッカーにはある。
Wカップもグループリーグはひきわけがあり、
決勝トーナメントから前半・後半15分ずつの延長戦、
それできまらなければPKがおこなわれる。

VARや、ゴールラインテクノロジーは、
正確な判定のためにとりいれられた制度であり、
かちまけだけでなく、試合をすること事態に意義があるという、
サッカーが大切にしてきた社交の精神はかわらない。
勝利をめざしながらも、勝敗だけにこだわるのではなく、
大会に参加することに意義があるという、サッカーの精神を
VAR制度の導入にあわせて 確認しておきたい。

posted by カルピス at 19:15 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする