2018年06月26日

「なんとかならなくても別に構わない」という諦観にひかれる

倉下忠憲さんのブログに、以下のかんがえ方がかかれている。
「未来に対する気質」について少し考えていたんですが、私はたいてい「なんとかなるなる」と気楽な心持ちでいるのですが、むしろその背景に「なんとかならなくても別に構わない」みたいな、一種の諦観に近いものが潜んでいるのではないか、ということに思い至りました。
https://rashita.net/blog/?p=24901

「なんとかならなくても別に構わない」
がいいかんじだ。

わたしは基本的に、「きっとうまくいく」とかんがえ、
「うまくいかなかったら、そのときにまたかんがえる」派だ。
これは、村上春樹さんの
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』で、
「僕」が、ふとった女の子にこうはなしているのをよみ 影響された。
このことばにであってから、
心配してもしょうがないことに 気をとられるのをやめた。
こまったら、そのときにまたかんがえればいいのだ。

倉下さんは、うまくいかなかったとき、
村上さん流の処世術の、さらにそのうえをゆく。
「そのときにかんがえる」のではなく、
「なんとかならなくても別に構わない」は最高の対応方だ。
きっと自分にふりかかってきたよくない状況にたいし、
まあ、こうなってしまったものはしょうがないと、
ジタバタせずにあきらめる 気もちのもち方を
身につけておられるのだろう。

健康診断などで、よくない数値だったり、
へんな影がうつっていたときに 再検査をすすめられ、
その結果をまつときのいやな心境は、
すくなからぬひとが、体験されているのではないか。
たいていは、なんともありませんでした、でおわるけど、
ときには「家族のかたにもきてもらい、いっしょにきいてほしい」
なんて、たのしくないなりゆきになるときもある。
倉下さんは、そんなときにも、
「なんとかならなくても別に構わない」とおもえるのだから、
最強のサトリをひらけたといえる。

科学が発達し、世のなかが便利になっても、
すべての欲求をかなえられるわけではない。
お金をいくらためこんでも、しあわせとはあまり関係ないし、
健康がいちばんといっても、おそかれはやかれ ひとは死んでしまう。
動物は、死をまえにしても、おそれをもたず、淡々と生きつづける。
人間もまた、生物の一員として、
「なんとかならなくても別に構わない」と
ちからをぬいて生きたほうが
いちどきりしかない人生を、自分のものにできるのではないか。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする