ファッションに知識と関心がなく、あつさ さむさをしのげ、
きゅうくつでなければ だいたい満足して身につけるほうだ。
ただ、夏は はくズボンがなくてこまっている。
これまでは、5年以上まえにユニクロでかった
うすい生地のジーンズで なんとかきりぬけていた。
3本かったので、洗濯すれば、そのジーンズだけでも夏をこせた。
ただ、ズボンは消耗品であり、はきつづけているうちに、
生地がうすくなってやぶれてきた。
いまは、1本だけが なんとかひとまえでもはける状態だ。
こまってしまい、ユニクロへいくけど、
まえはあつかっていたうすい生地のジーンズがない。
すずしく夏をのりきる、とうたっているズボンがあるけど、
わたしごのみのデザインではないし、
うすいわりに値段はそんなにやすくない(4900円とか)。
いいものはやすい、というのが、
かいものにおけるわたしの方針だ。
路線をかえ、作業用のズボンなら いいのがあるかもと、
ワークマンをのぞいてみた。
これがあたりで、地味だけど、
わたしがもとめていたようなうすい生地のカーゴパンツをみつけた。
しかも980円。
なんかいかはいてみると、とてもすずしくて
わるいところがみあたらない。
もう1本かおうとワークマンをたずねたら、
おなじものはもうなかった。
かわりに にたような生地のズボンを1500円でかう。
これも、はじめにかったものよりはおちるけど、そうわるくない。
こまかいサイズわけはなく、Mサイズをえらんだら、
すそなおしをしなくてもぴったりだった。
ズボンを試着して、そのままレジへもっていけるのは
かなりおとくな気分だ。
細身のプロポーションを維持していると、
こういうときにたすかる。
わかいころは、半ズボンで夏をすごしていた。
わかいといっても30代だ。
よく職場がゆるしてくれていたものだと、
上司のふところのふかさに感心する。
当時は介護事業所につとめており、そとで廃油せっけんや
牛乳パックを再利用して紙すきをするのがわたしの仕事だった。
あついので、半ズボンをあたりまえのようにはいていた。
職場だけでなく、その格好で配達や営業(のようなこと)をしており、
いかに世間しらずのバカだったかが、いまはわかる。
とにかく、30代までは半ズボンで夏をすごしており、
夏のズボン問題は、40代になってから切実となった。
これをかいていておもいだしたけど、
わかいころは、しょっちゅう東南アジアの国々へでかけており、
ズボンも旅行さきでかっていた。
あつい国なら、その国ではかれているズボンをかえば、
やすくすむし、日本でかうものよりすずしい。
でも、このごろは歳のせいか、かいものがめんどくさくなってきた。
日本の夏をすごす準備に、旅行先でズボンをさがすなんて
どーでもいいことにおもえてくる。
こまったときに、日本でかえばいいやと、
このまえのタイ旅行では、町あるき用に
民族衣装みたいなデザインのズボンを1本かったきりだ。
夏のズボンは、ワークマンにかぎる。
もしかしたら、秋も、そのあとにくる冬も、
ワークマンにたよる日々がはじまったのかもしれない。
2018年07月31日
2018年07月30日
ラオスでのダム災害で、アタップーをおもいだす
ラオスのダムがこわれ、おおくの死者・ゆくえ不明者がでている。
ラオスのどこかとネットをみたら、南部のアタップー県とあった。
わたしは ほんのすこしアタップーにおもいでがある。
おそらくアタップーだったのでは、という、かすかなであいだけど。
災害がおきてから一週間たつのに、いまなお救助がいきとどかない。
災害にあわれた方がたに、おみまいもうしあげるとともに、
すこしでもはやい復旧をねがっている。
ベトナムのホイアンからラオスへいこうと、
ホテルのフロントでたずねたら、パクセーゆきのバスがあるという。
バスを予約すると、タクシーが朝5時にむかえにきて、
まずとなり町のダナンへむかった。
ダナンにあるバスステーションでずいぶんまたされてから、
わたしをふくめ、5名の客しかのせないでバスが出発する。
国境をこえラオスにはいると客はさらにへり、
昼ごはんの休憩をしたときには、
バスのスタッフが3人と、客はわたしだけになった。
バスはしばらくいくと、どこかの町でとまり、
わたしをミニバスにあずけた。
このミニバスがパクセーにつれていってくれると
それまでいっしょにいたバスのスタッフがいう。
あとからかんがえたら、客がたったひとりになったので、
めんどくさくてミニバスへまるなげしたのではないか。
そして、この町こそおそらくアタップーなのだ(たぶん)。
そのあとミニバスは、くらいなか延々とはしりつづけ、
さいごには故障してうごかなくなり、
そこがちょうど目的地であるパクセーのはずれだった。
「ここがバクセーだ。ホテルはそこにある」といわれ、
みるとたしかにふるびたホテルがすこしさきにあった。
くらくなり、ラオスのお金もなく、こころぼそかったけど、
とにかくパクセーについたし、ホテルにもはいれた。
いまとなると、どこかわからずバスにのっていたこの移動日は、
ラオス旅行のなかでも印象にのこるいちにちとなった。
有名なお寺「ワット=プー」がパクセーの近郊にあり、
名前がにているのでかんちがいされやすいけど、
「ワット=プー」とアタップーはべつの土地だ。
「ワット=プー」のつもりでアタップーへむかう旅行者が
あんがいおおいと、ガイドブックにのっていた。
「ワット=プー」へはパクセーでバイクをかりていった。
まちがってアタップーへいっていたら、
そっちのほうが記憶にのこる旅行になっていたただろう。
ラオスのどこかとネットをみたら、南部のアタップー県とあった。
わたしは ほんのすこしアタップーにおもいでがある。
おそらくアタップーだったのでは、という、かすかなであいだけど。
災害がおきてから一週間たつのに、いまなお救助がいきとどかない。
災害にあわれた方がたに、おみまいもうしあげるとともに、
すこしでもはやい復旧をねがっている。
ベトナムのホイアンからラオスへいこうと、
ホテルのフロントでたずねたら、パクセーゆきのバスがあるという。
バスを予約すると、タクシーが朝5時にむかえにきて、
まずとなり町のダナンへむかった。
ダナンにあるバスステーションでずいぶんまたされてから、
わたしをふくめ、5名の客しかのせないでバスが出発する。
国境をこえラオスにはいると客はさらにへり、
昼ごはんの休憩をしたときには、
バスのスタッフが3人と、客はわたしだけになった。
バスはしばらくいくと、どこかの町でとまり、
わたしをミニバスにあずけた。
このミニバスがパクセーにつれていってくれると
それまでいっしょにいたバスのスタッフがいう。
あとからかんがえたら、客がたったひとりになったので、
めんどくさくてミニバスへまるなげしたのではないか。
そして、この町こそおそらくアタップーなのだ(たぶん)。
そのあとミニバスは、くらいなか延々とはしりつづけ、
さいごには故障してうごかなくなり、
そこがちょうど目的地であるパクセーのはずれだった。
「ここがバクセーだ。ホテルはそこにある」といわれ、
みるとたしかにふるびたホテルがすこしさきにあった。
くらくなり、ラオスのお金もなく、こころぼそかったけど、
とにかくパクセーについたし、ホテルにもはいれた。
いまとなると、どこかわからずバスにのっていたこの移動日は、
ラオス旅行のなかでも印象にのこるいちにちとなった。
有名なお寺「ワット=プー」がパクセーの近郊にあり、
名前がにているのでかんちがいされやすいけど、
「ワット=プー」とアタップーはべつの土地だ。
「ワット=プー」のつもりでアタップーへむかう旅行者が
あんがいおおいと、ガイドブックにのっていた。
「ワット=プー」へはパクセーでバイクをかりていった。
まちがってアタップーへいっていたら、
そっちのほうが記憶にのこる旅行になっていたただろう。
2018年07月29日
ココとくらして2ヶ月がたつ
子ネコのココがわたしの家にきてから2ヶ月たつ。
体重をはかろうとしたら、おおきくなりすぎて、
もう料理用のはかり(2キロまで)にはのれなくなっていた。
家にある人間用の体重計では、
おおざっぱすぎて針の位置がよみとれない。
推定2.2キロ、きたときの2.4倍に おおきく、おもくなった。
いちにちのすごしかたは、まえとあまりかわらず、
好奇心のおもむくままにちょっかいをかけてくる。
わたしの手のひらを、ほかのネコにみたて
野生をむきだしに、たたかいをいどむのがとくにすきだ。
ただ、おなじ攻撃にしても、
まえは正面から単純にとびかかってきていたのが、
このごろは、ひねりをくわえてかぶりつくようになった。
ジャンプして手がとどかないときは、
さらにつづけて 2段がまえ、3段がまえの
ジャンプやパンチをくりだしてくる。
多彩でちからづよい攻撃に、
たたかいのスキルをどんどんのばしつつある
ココの成長がうかがえる。

生後3ヶ月の予防注射をしてもらおうと、
せんじつ動物病院へつれていった。
通勤のとちゅうになき声がきこえ、
1週間たっても もらいてがあらわれないので、
これも縁だとおもって家につれてかえりました、と
ココがうちにきた経過をはなす。
獣医さんにさわられても いやがらないようすから、
これだけひとになれているのは、
ねっからの のらネコではなく、
どこかでかわれていたのでしょう、
しばらく家でかってから、すてられたのではないか、といわれる。
よくあるケースらしい。
いろんな事情があるにせよ、
生後1ヶ月の子ネコをすてるなんて、しんじられない。
ココがひとをおそれたり、いじけた性格のネコにそだたなくて、
ほんとうによかった。

いっしょに2ヶ月くらすうち、おたがいに(だといいけど)
ココという名前になじんできた。
まえは、とってつけたように「ココ」とよんでいたけど、
いまではもう ココとしかいえない顔つきだ。
赤ちゃんだっこをさせてくれるし、
ほほをスリスリするのも気もちよさそうにうけいれてくれる。
せんじつわたしの姉夫婦が東京からきたとき、
とくにダンナのほうがココのかわいさにまいっていた。
なんとかココとなかよくなろうと、
ネコじゃらしや ながいヒモをうごかして、あそびにさそう。
それだけかわいいのだから、あたりまえなんだけど。
体重をはかろうとしたら、おおきくなりすぎて、
もう料理用のはかり(2キロまで)にはのれなくなっていた。
家にある人間用の体重計では、
おおざっぱすぎて針の位置がよみとれない。
推定2.2キロ、きたときの2.4倍に おおきく、おもくなった。
いちにちのすごしかたは、まえとあまりかわらず、
好奇心のおもむくままにちょっかいをかけてくる。
わたしの手のひらを、ほかのネコにみたて
野生をむきだしに、たたかいをいどむのがとくにすきだ。
ただ、おなじ攻撃にしても、
まえは正面から単純にとびかかってきていたのが、
このごろは、ひねりをくわえてかぶりつくようになった。
ジャンプして手がとどかないときは、
さらにつづけて 2段がまえ、3段がまえの
ジャンプやパンチをくりだしてくる。
多彩でちからづよい攻撃に、
たたかいのスキルをどんどんのばしつつある
ココの成長がうかがえる。

生後3ヶ月の予防注射をしてもらおうと、
せんじつ動物病院へつれていった。
通勤のとちゅうになき声がきこえ、
1週間たっても もらいてがあらわれないので、
これも縁だとおもって家につれてかえりました、と
ココがうちにきた経過をはなす。
獣医さんにさわられても いやがらないようすから、
これだけひとになれているのは、
ねっからの のらネコではなく、
どこかでかわれていたのでしょう、
しばらく家でかってから、すてられたのではないか、といわれる。
よくあるケースらしい。
いろんな事情があるにせよ、
生後1ヶ月の子ネコをすてるなんて、しんじられない。
ココがひとをおそれたり、いじけた性格のネコにそだたなくて、
ほんとうによかった。

いっしょに2ヶ月くらすうち、おたがいに(だといいけど)
ココという名前になじんできた。
まえは、とってつけたように「ココ」とよんでいたけど、
いまではもう ココとしかいえない顔つきだ。
赤ちゃんだっこをさせてくれるし、
ほほをスリスリするのも気もちよさそうにうけいれてくれる。
せんじつわたしの姉夫婦が東京からきたとき、
とくにダンナのほうがココのかわいさにまいっていた。
なんとかココとなかよくなろうと、
ネコじゃらしや ながいヒモをうごかして、あそびにさそう。
それだけかわいいのだから、あたりまえなんだけど。
2018年07月28日
どーでもよさそうなわたしの休日
夕方の4時に「ラジオマンジャック」をきこうと
ラジオのスイッチをいれる。
でも、なんだかようすがおかしい。アニソンのはなしをしている。
4時ではなく、まだ3時で、番組は「アニソン・アカデミー」だった。
おもいがけなく手にした1時間のプレゼントを、なににつかおうか。
すでになんかいかよんでいる『バーナード嬢曰く』をひっぱりだす。
そのうちに、ほんとうの4時になったので、
またラジオのスイッチをいれ「ラジオマンジャック」をながす。
どうでもよさそうなコーナーは、『バーナード嬢曰く』をひらき、
おもしろそうな企画や、いい曲がかかったときは
ラジオに耳をかたむける。
『バーナード嬢曰く』は、なんどもよんでるのに、
はじめてみたいに ほとんどわすれていた。
1時間かんちがいして、ひらいた本はほとんどおぼえてなくて、
目的としていたラジオ番組は、
いつもながら わざわざきくまでもない内容だ(それがいいのだけど)。
ひとからみたら、かってにやってなさいとしかいいようのない、
いかにも人畜無害の休日に、われながらトホホとなる。
1時間のプレゼントさえ、うまくつかえないわたしが、
もしあなたに1ヶ月の夏やすみをさしあげます、
といわれたら、なにをしてすごそうか。
子どものころは、夏やすみがあたりまえにあった。
おとなになると、反対に、夏やすみがないのがあたりまえとなる。
それが、おもいがけなく夏やすみをもらえたら
ものすごくよろこんでしまいそうだ。
小学生なら、夏やすみをどうすごそうと、
なんらかの得がたい経験になるだろうが、
おとなはすでに夏やすみをなんども体験ずみで、
へたをすると、なにもしないまま
1ヶ月がすぎてしまうのをよくしっている。
なにもしばりをつけないと、ダラダラすごしてしまいそうだから、
ネットにつなぐ時間を限定するとか、本をまとめてよむとかの、
なんらかの制約をもうけたい。
わたしがねがう、絵にかいたような夏やすみは、
・いつもどおり(6時半)におきだす。
・午前ちゅうに、なにかからだをうごかして、汗をかき、目をさます
・そのあとお昼まで読書
・ひるねのあと、映画を1本みる
・夕ごはんまでに、本か映画についてブログをかく
・夜はただグダグダすごす
おとなにこそ、夏やすみが必要だ。
子どものころ、無為にすごした夏にこりて、
きっと有意義な夏をマネージメントできるだろう。
退職後をどうすごすかの、いいシュミレーションともなる。
ラジオのスイッチをいれる。
でも、なんだかようすがおかしい。アニソンのはなしをしている。
4時ではなく、まだ3時で、番組は「アニソン・アカデミー」だった。
おもいがけなく手にした1時間のプレゼントを、なににつかおうか。
すでになんかいかよんでいる『バーナード嬢曰く』をひっぱりだす。
そのうちに、ほんとうの4時になったので、
またラジオのスイッチをいれ「ラジオマンジャック」をながす。
どうでもよさそうなコーナーは、『バーナード嬢曰く』をひらき、
おもしろそうな企画や、いい曲がかかったときは
ラジオに耳をかたむける。
『バーナード嬢曰く』は、なんどもよんでるのに、
はじめてみたいに ほとんどわすれていた。
1時間かんちがいして、ひらいた本はほとんどおぼえてなくて、
目的としていたラジオ番組は、
いつもながら わざわざきくまでもない内容だ(それがいいのだけど)。
ひとからみたら、かってにやってなさいとしかいいようのない、
いかにも人畜無害の休日に、われながらトホホとなる。
1時間のプレゼントさえ、うまくつかえないわたしが、
もしあなたに1ヶ月の夏やすみをさしあげます、
といわれたら、なにをしてすごそうか。
子どものころは、夏やすみがあたりまえにあった。
おとなになると、反対に、夏やすみがないのがあたりまえとなる。
それが、おもいがけなく夏やすみをもらえたら
ものすごくよろこんでしまいそうだ。
小学生なら、夏やすみをどうすごそうと、
なんらかの得がたい経験になるだろうが、
おとなはすでに夏やすみをなんども体験ずみで、
へたをすると、なにもしないまま
1ヶ月がすぎてしまうのをよくしっている。
なにもしばりをつけないと、ダラダラすごしてしまいそうだから、
ネットにつなぐ時間を限定するとか、本をまとめてよむとかの、
なんらかの制約をもうけたい。
わたしがねがう、絵にかいたような夏やすみは、
・いつもどおり(6時半)におきだす。
・午前ちゅうに、なにかからだをうごかして、汗をかき、目をさます
・そのあとお昼まで読書
・ひるねのあと、映画を1本みる
・夕ごはんまでに、本か映画についてブログをかく
・夜はただグダグダすごす
おとなにこそ、夏やすみが必要だ。
子どものころ、無為にすごした夏にこりて、
きっと有意義な夏をマネージメントできるだろう。
退職後をどうすごすかの、いいシュミレーションともなる。
2018年07月27日
からだをあまやかす日々
生きてるだけでまるもうけ、ということばがあるけど、
これだけあつい日がつづくと、
生きてるだけでせいいっぱい、であり、
なにかをなしとげなくても、ただいちにちをやりすごせば、
それだけでひと仕事をやりとげたといえる。
いまはせいいっぱいからだをあまやかす時期とさだめ、
からだのもとめに耳をかたむける。
いまさらそんなことをいわなくても、
ひごろからわたしは自分にあまい人間で、
脳がもとめるままに、からだをあまやかし、ストレスをさけている。
いまは、さらに輪をかけて、からだをやすめるのが優先課題だ。
すべてをあつさのせいにでき、
社会的にゆるされる雰囲気があるので、
たいしたことをしなくても、ただ生きていればいい。
猛暑はあんがいわたしにむいているのかもしれない。
その場のあつさをやりすごすために、
どうしてもつめたいものをたくさんのんだり、
冷房にたよりがちとなる。
からだは、それなりのダメージをうけているはずで、
いまからからだをいたわっておかないと、
秋にはひどい夏バテがやってきそうだ。
そうはいっても、目のまえのあつさをなんとかしないと、
いちにちがおわらないわけで、
夜のお酒は、氷でガンガンにひやした白ワインのソーダわりと、
おなじく大量の氷をいれた焼酎のロックにたよっている。
いつもの夏は、ジン・トニックをたのしんでいたけど、
おいしすぎて、どうしてものみすぎるのでことしはやめた。
水分の補給には、きりふだとしてスイカにたよる。
からだの熱をとるよう、こまめに水風呂につかる。
ひるねは、猛暑でなくてもやすみの日の大切なイベントだ。
夜はエアコンをきってねるため、
睡眠の質はどうしてもひくくなり、
朝おきたときからすでにボーっとしている。
水風呂とひるねが、生存戦略のかなめかもしれない。
天気予報をみると、台風がちかづいてくるため、
日曜日は雨となり、気温は29℃を予想している。
30℃をしたまわるのは、なんにちぶりだろう。
いまいちばんのごちそうは、30℃以下のお天気なのではないか。
これだけあつい日がつづくと、
生きてるだけでせいいっぱい、であり、
なにかをなしとげなくても、ただいちにちをやりすごせば、
それだけでひと仕事をやりとげたといえる。
いまはせいいっぱいからだをあまやかす時期とさだめ、
からだのもとめに耳をかたむける。
いまさらそんなことをいわなくても、
ひごろからわたしは自分にあまい人間で、
脳がもとめるままに、からだをあまやかし、ストレスをさけている。
いまは、さらに輪をかけて、からだをやすめるのが優先課題だ。
すべてをあつさのせいにでき、
社会的にゆるされる雰囲気があるので、
たいしたことをしなくても、ただ生きていればいい。
猛暑はあんがいわたしにむいているのかもしれない。
その場のあつさをやりすごすために、
どうしてもつめたいものをたくさんのんだり、
冷房にたよりがちとなる。
からだは、それなりのダメージをうけているはずで、
いまからからだをいたわっておかないと、
秋にはひどい夏バテがやってきそうだ。
そうはいっても、目のまえのあつさをなんとかしないと、
いちにちがおわらないわけで、
夜のお酒は、氷でガンガンにひやした白ワインのソーダわりと、
おなじく大量の氷をいれた焼酎のロックにたよっている。
いつもの夏は、ジン・トニックをたのしんでいたけど、
おいしすぎて、どうしてものみすぎるのでことしはやめた。
水分の補給には、きりふだとしてスイカにたよる。
からだの熱をとるよう、こまめに水風呂につかる。
ひるねは、猛暑でなくてもやすみの日の大切なイベントだ。
夜はエアコンをきってねるため、
睡眠の質はどうしてもひくくなり、
朝おきたときからすでにボーっとしている。
水風呂とひるねが、生存戦略のかなめかもしれない。
天気予報をみると、台風がちかづいてくるため、
日曜日は雨となり、気温は29℃を予想している。
30℃をしたまわるのは、なんにちぶりだろう。
いまいちばんのごちそうは、30℃以下のお天気なのではないか。
2018年07月26日
ポスターがはずれるほどのひどいあつさ
ひどいあつさは日本だけではないそうで、
きのうの新聞に、世界各地の異常高温がとりあげられていた。
フィンランドの北極圏にある観測地で33.4℃とか、
いつもはすずしいスウェーデンで
30℃をこえる日がめずらしくないとか、
ずいぶんひどい状況だ。
国と電力会社のくちぐるまにのせられたみたいで
しゃくにさわるけど、
「ためらわずにエアコンをつけてください」は
いいよびかけだとおもう。
あついとはいえ、子ネコのココのために
エアコンをつけっぱなしで家をでるのは気がひけるけど、
この異常気象ではためらわずにエアコンをつけるべきなんだ、と
ココだけがすごす部屋に、このところ毎日エアコンをつけている。
それぐらいとんでもないあつさなのだと記憶にとどめよう。
「あつい」といってみたところで どーしようもないのだけど、
それでも「あつい」としかいいようがなくて、
つい「あついですねー」とあいさつしてしまう。
せっかくだから、なにか気のきいた冗談をかましたい。
異常気象におどろく世界各地で、
きっといろんなジョークがかたられているはずで、
酷暑にちなんだわらいをデイリーポータルZなんかで
特集してくれないだろうか。
あまりのあつさに、頭がボーッとして ろくにはたらかず、
でてくるジョークも、酷暑ならではの、
おさむい内容だったら、すこしはすずめる。
このまえ仕事でクッキーの配達にでかけたら、
お客さんとお店の方がはなしこんでいた。
あつくて仕事なんかしてられるか、
という雰囲気がお店のなかをみたしている。
壁にはってある紙の押しピンがとれ、
ポスターの一部がダランとたれていた。
お店の方がようやく気づいたときの会話がさえていた。
「あらー、はずれちょうがね!」(ポスターがはずれてる!)
「あついけんね」(あついからね-)
「そげだねー」(そーだねー)
すべてがあつさのせい、というのがおもしろい。
なにがおきても、わるいのはあつさだ。
きのうの新聞に、世界各地の異常高温がとりあげられていた。
フィンランドの北極圏にある観測地で33.4℃とか、
いつもはすずしいスウェーデンで
30℃をこえる日がめずらしくないとか、
ずいぶんひどい状況だ。
国と電力会社のくちぐるまにのせられたみたいで
しゃくにさわるけど、
「ためらわずにエアコンをつけてください」は
いいよびかけだとおもう。
あついとはいえ、子ネコのココのために
エアコンをつけっぱなしで家をでるのは気がひけるけど、
この異常気象ではためらわずにエアコンをつけるべきなんだ、と
ココだけがすごす部屋に、このところ毎日エアコンをつけている。
それぐらいとんでもないあつさなのだと記憶にとどめよう。
「あつい」といってみたところで どーしようもないのだけど、
それでも「あつい」としかいいようがなくて、
つい「あついですねー」とあいさつしてしまう。
せっかくだから、なにか気のきいた冗談をかましたい。
異常気象におどろく世界各地で、
きっといろんなジョークがかたられているはずで、
酷暑にちなんだわらいをデイリーポータルZなんかで
特集してくれないだろうか。
あまりのあつさに、頭がボーッとして ろくにはたらかず、
でてくるジョークも、酷暑ならではの、
おさむい内容だったら、すこしはすずめる。
このまえ仕事でクッキーの配達にでかけたら、
お客さんとお店の方がはなしこんでいた。
あつくて仕事なんかしてられるか、
という雰囲気がお店のなかをみたしている。
壁にはってある紙の押しピンがとれ、
ポスターの一部がダランとたれていた。
お店の方がようやく気づいたときの会話がさえていた。
「あらー、はずれちょうがね!」(ポスターがはずれてる!)
「あついけんね」(あついからね-)
「そげだねー」(そーだねー)
すべてがあつさのせい、というのがおもしろい。
なにがおきても、わるいのはあつさだ。
2018年07月25日
かとうちあきさんの野宿こそ、究極にクール
「クールジャパン」で日本のアウトドアをとりあげていた。
ここでいうアウトドアとは、レジャーとしてのキャンプをさしている。
ほかのジャンルがそうであるように、
日本のアウトドア用品もまた、わらえるほど いたりつくせりだ。
キャンプにもっていく、おりたたみ式のイスとテーブル、
野点セット、虫がよりつかない服、
かんたんにくみたてられるテント、などなど。
キャンプずきの女子による、ガールズキャンプでは、
女子限定のキャンプサイトや、
手ぶらでいってもキャンプをたのしめるレンタル用品が、
こまかなところまで いきとどいていると紹介する。
キャンプずきの女子は、アウトドアむけの服をきるのではなく、
ワンピースやスカートでキャンプにでかけている。
おもい荷物は、宅配便でおくってしまい、
荷物にわずらわされることなくキャンプをたのしんでいる。
テントでねたり、食事をするほかに、
キャンプサイトをどうかざりつけるかが、
彼女たちの関心ごとだ。
外国人ゲストの大半は、それで本人たちがたのしいのなら、
なにも問題はない、とおとなの感想をのべていた。
ただ、自分がそんなキャンプをやりたいかというと
はなしはまたべつで、
なにもない自然のなかですごしてこそのキャンプだと、
ほとんどの外国人ゲストはかんじていた。
オーストラリア人のクレイグさんは、
毎週のようにキャンプをたのしむ 筋金いりのアウトドア派で、
番組では、そんなクレイグさんが
奥多摩ですごした自由な時間を紹介していた。
クレイグさんは、目的地をきめず、
おもいついたままにうごきまわり、
気にいった場所にハンモックをつるして寝場所とし、
食事はたき火台をつかってチキンカツをあげていた。
番組のいちばんさいごに、司会の鴻上さんが、
その日いちばんの「クール」をえらぶコーナーがあり、
鴻上さんはクレイグさんのキャンプをえらんでいた。
超ゴーカなキャンプ場や、
家での生活をそのままアウトドアにもちこむのではなく、
ひとりしずかに自然のなかですごすクレイグさんは、
アウトドアの達人にみえた。
番組ではクレイグさんにたいし、雨がふったらとか、
虫や動物はどうするのかと質問していた。
クレイグさんは、雨がふりそうなときはカバーを用意するらしい。
虫や動物は、そんな環境をたのしむためにキャンプをするのだから
まったく問題ないという。
クレイグさんのアウトドアはたしかにかっこよかったけど、
かとうちあきさんの野宿もまた、
究極のクールなアウトドアだとおもった。
目的は「野宿」そのもので、
荷物だって寝袋とマットだけと、ほとんど手ぶらだ。
自分がたべる分の食糧をもっていくだけで、
炭火をおこしたり、たき火もしない。
テントのなかを、どうかざりつけるかも、もちろんなし。
なにかおきたらどうしよう、と万全の準備でのぞむのではなく、
もってきた最小限の荷物で、なんとかやりすごすのが
かとうちあきさんのスタイルだ。
ただ、「クールジャパン」でかとうさんの野宿をとりあげても
なかなか理解されないようにおもう。
たしかに「クール」だけど、それだけでおわりそうだ。
マットと寝袋だけで完結するかとうさんの野宿は、
あまりにもシンプル、そして自由すぎて、つかみどころがない。
ラジカルなキャンプの一種、という位置づけが
番組としてはせいいっぱいなのではないか。
やってることはすごく地味なのに、
その精神はあくまでもひろく ふかい。
ほんとうは、かとうさんの野宿こそが、
きわめて日本らしいアウトドアなのだと、
番組をみていて よくわかった。
そして、世界へとつうじる可能性もまたひめている。
いたりつくせりのキャンプ用品や、ガールズキャンプよりも、
本質的にクールなのが かとうさんの野宿だ。
ここでいうアウトドアとは、レジャーとしてのキャンプをさしている。
ほかのジャンルがそうであるように、
日本のアウトドア用品もまた、わらえるほど いたりつくせりだ。
キャンプにもっていく、おりたたみ式のイスとテーブル、
野点セット、虫がよりつかない服、
かんたんにくみたてられるテント、などなど。
キャンプずきの女子による、ガールズキャンプでは、
女子限定のキャンプサイトや、
手ぶらでいってもキャンプをたのしめるレンタル用品が、
こまかなところまで いきとどいていると紹介する。
キャンプずきの女子は、アウトドアむけの服をきるのではなく、
ワンピースやスカートでキャンプにでかけている。
おもい荷物は、宅配便でおくってしまい、
荷物にわずらわされることなくキャンプをたのしんでいる。
テントでねたり、食事をするほかに、
キャンプサイトをどうかざりつけるかが、
彼女たちの関心ごとだ。
外国人ゲストの大半は、それで本人たちがたのしいのなら、
なにも問題はない、とおとなの感想をのべていた。
ただ、自分がそんなキャンプをやりたいかというと
はなしはまたべつで、
なにもない自然のなかですごしてこそのキャンプだと、
ほとんどの外国人ゲストはかんじていた。
オーストラリア人のクレイグさんは、
毎週のようにキャンプをたのしむ 筋金いりのアウトドア派で、
番組では、そんなクレイグさんが
奥多摩ですごした自由な時間を紹介していた。
クレイグさんは、目的地をきめず、
おもいついたままにうごきまわり、
気にいった場所にハンモックをつるして寝場所とし、
食事はたき火台をつかってチキンカツをあげていた。
番組のいちばんさいごに、司会の鴻上さんが、
その日いちばんの「クール」をえらぶコーナーがあり、
鴻上さんはクレイグさんのキャンプをえらんでいた。
超ゴーカなキャンプ場や、
家での生活をそのままアウトドアにもちこむのではなく、
ひとりしずかに自然のなかですごすクレイグさんは、
アウトドアの達人にみえた。
番組ではクレイグさんにたいし、雨がふったらとか、
虫や動物はどうするのかと質問していた。
クレイグさんは、雨がふりそうなときはカバーを用意するらしい。
虫や動物は、そんな環境をたのしむためにキャンプをするのだから
まったく問題ないという。
クレイグさんのアウトドアはたしかにかっこよかったけど、
かとうちあきさんの野宿もまた、
究極のクールなアウトドアだとおもった。
目的は「野宿」そのもので、
荷物だって寝袋とマットだけと、ほとんど手ぶらだ。
自分がたべる分の食糧をもっていくだけで、
炭火をおこしたり、たき火もしない。
テントのなかを、どうかざりつけるかも、もちろんなし。
なにかおきたらどうしよう、と万全の準備でのぞむのではなく、
もってきた最小限の荷物で、なんとかやりすごすのが
かとうちあきさんのスタイルだ。
ただ、「クールジャパン」でかとうさんの野宿をとりあげても
なかなか理解されないようにおもう。
たしかに「クール」だけど、それだけでおわりそうだ。
マットと寝袋だけで完結するかとうさんの野宿は、
あまりにもシンプル、そして自由すぎて、つかみどころがない。
ラジカルなキャンプの一種、という位置づけが
番組としてはせいいっぱいなのではないか。
やってることはすごく地味なのに、
その精神はあくまでもひろく ふかい。
ほんとうは、かとうさんの野宿こそが、
きわめて日本らしいアウトドアなのだと、
番組をみていて よくわかった。
そして、世界へとつうじる可能性もまたひめている。
いたりつくせりのキャンプ用品や、ガールズキャンプよりも、
本質的にクールなのが かとうさんの野宿だ。
2018年07月24日
みどころがおおい、Wカップ後のJ1リーグ
Wカップにより、2ヶ月をおやすみしていたJ1リーグが、
7月18日から再開された。
22日(土)には、なか3日で第17節がくまれ、
再開後、はやくも2試合がおこなわれている。
Wカップのスピードになれた目からは、
J1のサッカーは、あんまりじょうずなプレーにみえない。
じっさいにテクニックがひどくおとるわけではなく、
にわかファンは、もっともらしいことをいいたい人種なのだ。
ひさしぶりにみるJリーグは、なんだかひどくなつかしかった。
Jリーグの各チームは、どんな2ヶ月をすごしていたのだろう。
リーグ再開にむけ、トレーニングをつみながら、
Wカップをテレビ観戦していた選手がおおいとおもう。
リーグがはじまったばかりのいまは、Wカップからの刺激で、
はりきったプレーを期待できるのではないか。
再開後の2試合をふりかえると、
Wカップによる中断まえのながれが
そのままもちこされているようにみえる。
上位のチームはさらにかち点をのばし、
下位のチームはあいかわらずしずんでいく。
中断あけの仙台との試合で、横浜マリノスが8得点をあげた。
ハイプレスの戦術が、ようやくなじんだのかとおもったけど、
つぎの試合では、FC東京に2−5でやぶれてしまう。
マリノスは、つよいのか よわいのか、
まだまだ安定しきれないチームのようだ。
J1リーグが再開して、話題をあつめているのが 大物選手の加入だ。
神戸にイニエスタ、鳥栖にフェルナンド=トーレス、
磐田に大久保がはいった。
きょうは、鹿島の金崎が 鳥栖へ移籍すると発表されている。
Wカップで代表にえらばれていた遠藤航と植田は、
外国のリーグへ移籍をきめた。
あたらしいチームでの、それぞれの活躍に期待したい。
監督では、ガンバ大阪のクルピ監督が解任され、
後任は、ガンバはえぬきの宮本氏がつとめるという。
J1リーグ最下位の名古屋は、中断あけの2試合が、1敗1分と、
あいかわらず波にのれない。
風間監督は、首の皮いちまいで、ようやくつながっているかんじか。
あれだけ評価のたかかったクルピ氏、そして風間氏が、
まけがつづくと どうにもながれをかえれないのだから、
安定して上位にいるのは、ほんとうにむつかしいのだろう。
サンフレッチェ広島の独走で、
優勝あらそいはあまりおもしろみがないとはいえ、
新選手の加入や監督の交代など、各チームにみどころがたくさんある。
Wカップはおわったけど、再開後のJリーグをたのしみにしている。
7月18日から再開された。
22日(土)には、なか3日で第17節がくまれ、
再開後、はやくも2試合がおこなわれている。
Wカップのスピードになれた目からは、
J1のサッカーは、あんまりじょうずなプレーにみえない。
じっさいにテクニックがひどくおとるわけではなく、
にわかファンは、もっともらしいことをいいたい人種なのだ。
ひさしぶりにみるJリーグは、なんだかひどくなつかしかった。
Jリーグの各チームは、どんな2ヶ月をすごしていたのだろう。
リーグ再開にむけ、トレーニングをつみながら、
Wカップをテレビ観戦していた選手がおおいとおもう。
リーグがはじまったばかりのいまは、Wカップからの刺激で、
はりきったプレーを期待できるのではないか。
再開後の2試合をふりかえると、
Wカップによる中断まえのながれが
そのままもちこされているようにみえる。
上位のチームはさらにかち点をのばし、
下位のチームはあいかわらずしずんでいく。
中断あけの仙台との試合で、横浜マリノスが8得点をあげた。
ハイプレスの戦術が、ようやくなじんだのかとおもったけど、
つぎの試合では、FC東京に2−5でやぶれてしまう。
マリノスは、つよいのか よわいのか、
まだまだ安定しきれないチームのようだ。
J1リーグが再開して、話題をあつめているのが 大物選手の加入だ。
神戸にイニエスタ、鳥栖にフェルナンド=トーレス、
磐田に大久保がはいった。
きょうは、鹿島の金崎が 鳥栖へ移籍すると発表されている。
Wカップで代表にえらばれていた遠藤航と植田は、
外国のリーグへ移籍をきめた。
あたらしいチームでの、それぞれの活躍に期待したい。
監督では、ガンバ大阪のクルピ監督が解任され、
後任は、ガンバはえぬきの宮本氏がつとめるという。
J1リーグ最下位の名古屋は、中断あけの2試合が、1敗1分と、
あいかわらず波にのれない。
風間監督は、首の皮いちまいで、ようやくつながっているかんじか。
あれだけ評価のたかかったクルピ氏、そして風間氏が、
まけがつづくと どうにもながれをかえれないのだから、
安定して上位にいるのは、ほんとうにむつかしいのだろう。
サンフレッチェ広島の独走で、
優勝あらそいはあまりおもしろみがないとはいえ、
新選手の加入や監督の交代など、各チームにみどころがたくさんある。
Wカップはおわったけど、再開後のJリーグをたのしみにしている。
2018年07月23日
デイリーポータルZ「『うまかっちゃん』5種食べ比べ」(木村岳人)の食欲におどろく
デイリーポータルZに、木村岳人さんの
「九州の味『うまかっちゃん』5種食べ比べ」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/180723203475_1.htm
タイトルにあるとおり、袋ラーメンの「うまかっちゃん」を
たべくらべる企画だ。
木村さんは、ことしの5月、
キャンプしながら九州北部をまわったとき、
この「うまかっちゃん」にお世話になったという。
こんかい、たべくらべるにあたり、
九州旅行とおなじ環境となるよう、
わざわざキャンプ場にスーパーカブとテントをもちこみ、
ガスバーナーとコッヘルで「うまかっちゃん」をつくっている。
たべくらべの結果は、ぜひ記事をごらんいただきたい。
わたしが感心したのは、3種類をまずたべ、
おなかいっぱいになったから、といって
キンドルをよみながら時間をすこしあけたのち、
また2種類の「うまかっちゃん」をたべている木村さんの胃袋だ。
何時間あけたかはかかれていないけど、
たとえひるごはんと夕ごはんで たべたとしても、
いちにちに袋ラーメン5つはすごい。
わたしもわかいころはずいぶん袋ラーメンのお世話になったけど、
いちにちに5つをたべるほどの食欲はなかった。
たべくらべの結果は、というと、
わりとありきたりで、とくにつよい主張はなく、
どれもそれぞれにうまかった、という感想におちついている。
けっきょく、たべくらべというよりも、
なつかしの「うまかっちゃん」を、ひさしぶりに
堪能するために企画したようにみえる。
「うまかっちゃん」がどうのというよりも、
木村さんの健康な胃袋が印象にのこる記事だ。
旅行をするならその土地のたべものをたべたいもので、
木村さんもひるはちゃんぽんやトリ弁当、
さらにはかき氷の「白くま」をひいきにしていた。
「うまかっちゃん」をたべたのは、
だから夕ごはんが中心となる。
旅行ちゅうの夕ごはんが、袋ラーメンを中心にというと、
まずしい食生活をイメージしてしまうけど、
それを3週間つづければ、木村さんの記事のように、
りっぱな食ルポとなる。
わたしが旅行するときも、いきさきがどこであれ、
屋台や安食堂が中心で、基本的におなじものばかりをたべている。
これは、その国のことばができないため、
いちどおぼえた料理名をくりかえしたり、
テーブルにならんだおいしそうなおかずを
指さしでお皿にいれてもらったりする結果、
いつもおなじものばかりの食事になるからだ。
木村さんの記事をよむと、それでも食ルポをかけるのがわかる。
いろんなものを、はばひろくたのしむのもいいけど、
おなじものをたべつづける一点集中型は、
それはそれでひとつのスタイルとなる。
けっきょくは どうとりあげるかが問題であり、
自分がこころをうごかされた たべものがあれば、
木村さんみたいな ちからづくの記事が成立する。
地味だけど、一点集中のため、
ほかの記事にはない迫力が魅力だ。
「九州の味『うまかっちゃん』5種食べ比べ」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/180723203475_1.htm
タイトルにあるとおり、袋ラーメンの「うまかっちゃん」を
たべくらべる企画だ。
木村さんは、ことしの5月、
キャンプしながら九州北部をまわったとき、
この「うまかっちゃん」にお世話になったという。
こんかい、たべくらべるにあたり、
九州旅行とおなじ環境となるよう、
わざわざキャンプ場にスーパーカブとテントをもちこみ、
ガスバーナーとコッヘルで「うまかっちゃん」をつくっている。
たべくらべの結果は、ぜひ記事をごらんいただきたい。
わたしが感心したのは、3種類をまずたべ、
おなかいっぱいになったから、といって
キンドルをよみながら時間をすこしあけたのち、
また2種類の「うまかっちゃん」をたべている木村さんの胃袋だ。
何時間あけたかはかかれていないけど、
たとえひるごはんと夕ごはんで たべたとしても、
いちにちに袋ラーメン5つはすごい。
わたしもわかいころはずいぶん袋ラーメンのお世話になったけど、
いちにちに5つをたべるほどの食欲はなかった。
たべくらべの結果は、というと、
それぞれに特徴があって甲乙が付け難いが、強いて言えば私が一番好きなのはからし高菜だろうか。いや、にんにくがガツンと効いた火の国流も良かったし、とんこつ特有の香りを一番堪能できるオリジナルも……うーん、ナヤマシイ!
わりとありきたりで、とくにつよい主張はなく、
どれもそれぞれにうまかった、という感想におちついている。
けっきょく、たべくらべというよりも、
なつかしの「うまかっちゃん」を、ひさしぶりに
堪能するために企画したようにみえる。
「うまかっちゃん」がどうのというよりも、
木村さんの健康な胃袋が印象にのこる記事だ。
旅行をするならその土地のたべものをたべたいもので、
木村さんもひるはちゃんぽんやトリ弁当、
さらにはかき氷の「白くま」をひいきにしていた。
「うまかっちゃん」をたべたのは、
だから夕ごはんが中心となる。
旅行ちゅうの夕ごはんが、袋ラーメンを中心にというと、
まずしい食生活をイメージしてしまうけど、
それを3週間つづければ、木村さんの記事のように、
りっぱな食ルポとなる。
わたしが旅行するときも、いきさきがどこであれ、
屋台や安食堂が中心で、基本的におなじものばかりをたべている。
これは、その国のことばができないため、
いちどおぼえた料理名をくりかえしたり、
テーブルにならんだおいしそうなおかずを
指さしでお皿にいれてもらったりする結果、
いつもおなじものばかりの食事になるからだ。
木村さんの記事をよむと、それでも食ルポをかけるのがわかる。
いろんなものを、はばひろくたのしむのもいいけど、
おなじものをたべつづける一点集中型は、
それはそれでひとつのスタイルとなる。
けっきょくは どうとりあげるかが問題であり、
自分がこころをうごかされた たべものがあれば、
木村さんみたいな ちからづくの記事が成立する。
地味だけど、一点集中のため、
ほかの記事にはない迫力が魅力だ。
2018年07月22日
『日本代表戦術アナライズ』(西部謙司)
『日本代表戦術アナライズ』
(西部謙司・株式会社カンゼン)
これまで日本代表の監督をつとめた10名について、
Wカップでどんな試合をおこなってきたかをまとめた本だ
(Wカップにでていない監督は、就任ちゅう、最後の試合)。
監督ごとにことなる代表チームの特徴を整理し、
日本代表があゆんできた戦術的なながれが解説されている。
そのまとめをもってして、Wカップロシア大会では、
どんなサッカーをみせてくれるかという期待と、
さらには、日本はどんなサッカーをしたいのかを、
ロシア大会をひとつのくぎりとして、
根本的にとらえなおしてみては、と本書はよびかけている。
日本代表をとりあげた本として、
とくに目あたらしい内容ではないけれど、
西部さんらしくすっきりまとめてあるので、
ついついよみすすめてしまう。
ジーコ監督時代のドイツ大会、
ザッケローニ監督時代のブラジル大会など、
期待されながらグループリーグでやぶれた大会は、
いったいどんな問題があったのか。
試合がおわってから何年もたったいま、
あらためて試合のながれを分析するのは
「あとだしジャンケン」でしかない。
あえて「あとだしジャンケン」するのは、
過去を断罪するのが目的ではなく、
未来の日本代表へとつながるヒントになれば、
というのが西部さんのねがいだ。
西部さんの本は、いつもながら文章がうまいので、
単純に、よみものとしておもしろい。
ブラジル大会のコロンビア戦は、
得点こそ1−4と惨敗にみえるけど、
その内容は、けしてわるくなかったと西部さんはとらえている。
はやくできあがりすぎてしまったチームに、
大久保がわけのわからない活気をもたらした、というみかただ。
西部さんは、あたらしいちからとなりえるカオスを、
「めちゃくちゃの中の秩序」と名づけ、
そこに日本サッカーの可能性をみいだしている。
世界の強豪国が、すでにとりあげている
きちんとしたシステムではなく、
めちゃくちゃにうごきまわるのを、
日本の選手たちが得意としているかも、
という指摘が興味ぶかい。
型にはめこまれれば、そのとおりにうごくけど、
自由をあたえられると、とまどってしまうというのが、
日本選手の特徴かとおもっていた。
「めちゃくちゃの中の秩序」が、
A代表の戦術になる日がくるのだろうか。
(西部謙司・株式会社カンゼン)
これまで日本代表の監督をつとめた10名について、
Wカップでどんな試合をおこなってきたかをまとめた本だ
(Wカップにでていない監督は、就任ちゅう、最後の試合)。
監督ごとにことなる代表チームの特徴を整理し、
日本代表があゆんできた戦術的なながれが解説されている。
そのまとめをもってして、Wカップロシア大会では、
どんなサッカーをみせてくれるかという期待と、
さらには、日本はどんなサッカーをしたいのかを、
ロシア大会をひとつのくぎりとして、
根本的にとらえなおしてみては、と本書はよびかけている。
日本代表をとりあげた本として、
とくに目あたらしい内容ではないけれど、
西部さんらしくすっきりまとめてあるので、
ついついよみすすめてしまう。
ジーコ監督時代のドイツ大会、
ザッケローニ監督時代のブラジル大会など、
期待されながらグループリーグでやぶれた大会は、
いったいどんな問題があったのか。
試合がおわってから何年もたったいま、
あらためて試合のながれを分析するのは
「あとだしジャンケン」でしかない。
あえて「あとだしジャンケン」するのは、
過去を断罪するのが目的ではなく、
未来の日本代表へとつながるヒントになれば、
というのが西部さんのねがいだ。
西部さんの本は、いつもながら文章がうまいので、
単純に、よみものとしておもしろい。
日本はサイドハーフの中田と名波が中央へ移動し、いわゆるバイタルエリアでパスを受ける。そこまではいいが、そこから先がない。
(トルシエ監督について)確固とした考え方があってそうなっているのだが、そのサッカー観がけっこう独特だった。パーソナリティほどは変わっていないけれども、いわば勝利至上主義ではなく自分至上主義。
(オーストラリアについて)受けて立とうという心意気は悪くないが、受けて立ってはいけない相手だった。
日本とパラグアイは120分間戦って0−0。どちらもここまで勝ち上がる資格があったということかもしれない。しかし、どちらも1点をとりきる力がなかった。つまり、ここから上へ行ける力はなかったともいえる。
「自分たちのサッカー」でなかった時間帯はリードしていて、「自分たちのサッカー」になりはじめたときにひっくり返されているわけだ。(中略)「自分たちのサッカー」ができなかったからというより、「自分たちのサッカー」をしようとした結果の失点だったといえるかもしれない。
ブラジル大会のコロンビア戦は、
得点こそ1−4と惨敗にみえるけど、
その内容は、けしてわるくなかったと西部さんはとらえている。
はやくできあがりすぎてしまったチームに、
大久保がわけのわからない活気をもたらした、というみかただ。
大久保を中心とした日本の攻撃は場当たり的で無秩序なのだが、カオスゆえの意外性と迫力に満ちていた。遠藤、香川、本田を中心とした洗練された攻め込みとはまた別種の、新しい攻撃が生まれていた。
西部さんは、あたらしいちからとなりえるカオスを、
「めちゃくちゃの中の秩序」と名づけ、
そこに日本サッカーの可能性をみいだしている。
世界の強豪国が、すでにとりあげている
きちんとしたシステムではなく、
めちゃくちゃにうごきまわるのを、
日本の選手たちが得意としているかも、
という指摘が興味ぶかい。
型にはめこまれれば、そのとおりにうごくけど、
自由をあたえられると、とまどってしまうというのが、
日本選手の特徴かとおもっていた。
「めちゃくちゃの中の秩序」が、
A代表の戦術になる日がくるのだろうか。
2018年07月21日
あつさのなかをはしり、あえなく撃沈する
2週間さきにせまったスイムラン
(2.4キロのスイムと21キロのラン)にそなえ、
20キロ走にでかける。
これまでも、月にいちど、20キロをはしっていたけど、
あつさが本格的になってからは はじめてだ。
きのうは37.1℃、きょうもそれぐらい気温があがるという。
必要な準備とはいえ、そんなあつさのなかはしったら、
熱中症にならないだろうか。
とはいえ、本番では、いくらあつくても
21キロをさけてとおれないのだから、
レースまえにいい体験ができると、まえむきにかんがえたい。
37℃のあつさにそなえ、家をでるまえに500cc、
はしっている最中に2リットルのスポーツ飲料をのむ。
前半は、レース仲間といっしょに、
後半は、ひとりではしる。
ひとりになると、気がゆるんでしまい、
はしるよりも、あるくほうがおおくなってしまった。
全体では3時間かかったけど、
そのうちはしった時間は半分の1時間30分でしかない。
たしかにあつさでくるしかったけど、
水分はじゅうぶんにとっており、
鉄の意思があればはしりとおせたはずだ。
わたしのよわいこころが、足をとめてしまった。
レース本番でも、きょうとおなじようなあつさが予想される。
あるいてもいいかも、なんて いったんあまえをゆるしたら、
ズルズルとあるいてばかりとなり、
ヘタをすれば棄権なんてことになりかねない。
マラソンで棄権するほとんどは、長男、というのを
スポーツ関係の記事でよんだことがある。
わたしはまさしく長男で、そのなかでも
筋金いりのヘタレを自称している。
いったんあるきはじめたら、
棄権があたまをかすめないともかぎらない。
きょうのシュミレーションにより、
ことしのあつさのまえでは、いいタイムをめざすよりも、
とにかくあるかないで はしりとおそうと、
現実的な目標にきりかえた。
家にもどると水風呂につかり、
しそジュースをのみ、スイカをたべる。
大量の水分をとったせいか、胃がつかれたようで、
からだの調子がおかしくなる。
ひるねをしていたら、両足のモモのうらがケイレンした。
なんちゃって20キロ(はしったのは13キロほど)
でしかないきょうのトレーニングなのに、
からだには、そうとうなダメージをあたえたようだ。
レース本番を、謙虚にむかえよう。
(2.4キロのスイムと21キロのラン)にそなえ、
20キロ走にでかける。
これまでも、月にいちど、20キロをはしっていたけど、
あつさが本格的になってからは はじめてだ。
きのうは37.1℃、きょうもそれぐらい気温があがるという。
必要な準備とはいえ、そんなあつさのなかはしったら、
熱中症にならないだろうか。
とはいえ、本番では、いくらあつくても
21キロをさけてとおれないのだから、
レースまえにいい体験ができると、まえむきにかんがえたい。
37℃のあつさにそなえ、家をでるまえに500cc、
はしっている最中に2リットルのスポーツ飲料をのむ。
前半は、レース仲間といっしょに、
後半は、ひとりではしる。
ひとりになると、気がゆるんでしまい、
はしるよりも、あるくほうがおおくなってしまった。
全体では3時間かかったけど、
そのうちはしった時間は半分の1時間30分でしかない。
たしかにあつさでくるしかったけど、
水分はじゅうぶんにとっており、
鉄の意思があればはしりとおせたはずだ。
わたしのよわいこころが、足をとめてしまった。
レース本番でも、きょうとおなじようなあつさが予想される。
あるいてもいいかも、なんて いったんあまえをゆるしたら、
ズルズルとあるいてばかりとなり、
ヘタをすれば棄権なんてことになりかねない。
マラソンで棄権するほとんどは、長男、というのを
スポーツ関係の記事でよんだことがある。
わたしはまさしく長男で、そのなかでも
筋金いりのヘタレを自称している。
いったんあるきはじめたら、
棄権があたまをかすめないともかぎらない。
きょうのシュミレーションにより、
ことしのあつさのまえでは、いいタイムをめざすよりも、
とにかくあるかないで はしりとおそうと、
現実的な目標にきりかえた。
家にもどると水風呂につかり、
しそジュースをのみ、スイカをたべる。
大量の水分をとったせいか、胃がつかれたようで、
からだの調子がおかしくなる。
ひるねをしていたら、両足のモモのうらがケイレンした。
なんちゃって20キロ(はしったのは13キロほど)
でしかないきょうのトレーニングなのに、
からだには、そうとうなダメージをあたえたようだ。
レース本番を、謙虚にむかえよう。
2018年07月20日
木下藤吉郎的な発想による野菜販売
すこしまえのブログに、職場(介護事業所)の仕事として、
農家の野菜をあつめているとかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/460472163.html?1533648608
7軒の農家をまわり、袋につめられた野菜を、
1袋85円でぜんぶかいとっている。
まだ野菜販売は はじまったばかりで、
農家の方も、どんな野菜を、どれだけの量いれたら、
お客さんに100円でかってもらえるかが まだよくわからない。
松やサカキをだす方もおられたけど、さっぱりうれなかった。
また、いまはじゃがいもとキュウリが
どこの家でもよくとれており、
膨大な数の袋がうれのこっている。
ぜんぶかいとります、をうりにしているので、
いまのところ、農家の方が用意してくれた野菜は
ぜんぶ85円でかいとっている。
うれるかどうかわからなくても、
とにかくぜんぶかいとるのは、
木下藤吉郎的な発想だとおもった。
秀吉が、まだ木下藤吉郎だったころ
(「仮面の忍者 赤影」のナレーションみたいだ)、
どこかの城をせめおとすとき、
作業にあたる足軽や農民たちに、まず酒や料理をふるまって
くつろぐことから とりくみをはじめている(うろおぼえ)。
がんばれ、がんばれと、やみくもに仕事をいそがせるのではなく、
まずリラックスしてもらい、ちからを温存し、
気もちもかるくなったところで
本来の仕事にとりかかってもらうのが、藤吉郎流だ。
こまかい条件をつきつけるのではなく、
野菜をぜんぶかいとります、といわれたら、
野菜をうりにだす農家の方たちは、やる気がでるだろう。
気もちよく野菜づくりにとりくんでもらったうえで、
すこしずつ事業所側の要望をつたえたら、
スムーズに野菜販売がすすむのではないか。
1袋に85円しはらうのは、しかも現金で毎回お金をわたすのは、
予想していたとはいえ、あんがいめんどくさい。
85円を1単位とすると、とうぜんながらこまかなおつりが必要となる。
85円の倍数で、比較的おだやかなのは、
85×1=85円
85×2=170円
85×3=255円
85×4=340円
85×5=425円
85×6=510円
85×7=595円
85×8=680円
85×9=765円
85×10=850円
6袋の510円ぐらいで、
あとはどんな数の袋を出荷されても、
しはらうには たくさんの小銭がいる。
農家の方が、家におられるときは おつりをおねがいできるけど、
野菜だけがおかれていて、だれもいないときに
595円なんてしはらいがあると
小銭をジャラジャラ用意しなければならない。
おつりを用意しようと銀行で両替しようとしたら、
コインからコインの両替はできず、
また、1000円札をいれても、50円玉への両替はうけつけなかった。
毎朝おつりの心配から わたしのいちにちははじまっており、
このキャッシュレスの時代に、
いったいなにをやっているのかと ちからがぬける。
それもこれも、木下藤吉郎的な世界戦略のためだ。
気もちよく野菜づくりにとりくんで、
農家の方に、やりがいのある毎日をすごしてもらいたい。
つづけていくうちに、木下藤吉郎が、
豊臣秀吉になっていくだろう。
農家の野菜をあつめているとかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/460472163.html?1533648608
7軒の農家をまわり、袋につめられた野菜を、
1袋85円でぜんぶかいとっている。
まだ野菜販売は はじまったばかりで、
農家の方も、どんな野菜を、どれだけの量いれたら、
お客さんに100円でかってもらえるかが まだよくわからない。
松やサカキをだす方もおられたけど、さっぱりうれなかった。
また、いまはじゃがいもとキュウリが
どこの家でもよくとれており、
膨大な数の袋がうれのこっている。
ぜんぶかいとります、をうりにしているので、
いまのところ、農家の方が用意してくれた野菜は
ぜんぶ85円でかいとっている。
うれるかどうかわからなくても、
とにかくぜんぶかいとるのは、
木下藤吉郎的な発想だとおもった。
秀吉が、まだ木下藤吉郎だったころ
(「仮面の忍者 赤影」のナレーションみたいだ)、
どこかの城をせめおとすとき、
作業にあたる足軽や農民たちに、まず酒や料理をふるまって
くつろぐことから とりくみをはじめている(うろおぼえ)。
がんばれ、がんばれと、やみくもに仕事をいそがせるのではなく、
まずリラックスしてもらい、ちからを温存し、
気もちもかるくなったところで
本来の仕事にとりかかってもらうのが、藤吉郎流だ。
こまかい条件をつきつけるのではなく、
野菜をぜんぶかいとります、といわれたら、
野菜をうりにだす農家の方たちは、やる気がでるだろう。
気もちよく野菜づくりにとりくんでもらったうえで、
すこしずつ事業所側の要望をつたえたら、
スムーズに野菜販売がすすむのではないか。
1袋に85円しはらうのは、しかも現金で毎回お金をわたすのは、
予想していたとはいえ、あんがいめんどくさい。
85円を1単位とすると、とうぜんながらこまかなおつりが必要となる。
85円の倍数で、比較的おだやかなのは、
85×1=85円
85×2=170円
85×3=255円
85×4=340円
85×5=425円
85×6=510円
85×7=595円
85×8=680円
85×9=765円
85×10=850円
6袋の510円ぐらいで、
あとはどんな数の袋を出荷されても、
しはらうには たくさんの小銭がいる。
農家の方が、家におられるときは おつりをおねがいできるけど、
野菜だけがおかれていて、だれもいないときに
595円なんてしはらいがあると
小銭をジャラジャラ用意しなければならない。
おつりを用意しようと銀行で両替しようとしたら、
コインからコインの両替はできず、
また、1000円札をいれても、50円玉への両替はうけつけなかった。
毎朝おつりの心配から わたしのいちにちははじまっており、
このキャッシュレスの時代に、
いったいなにをやっているのかと ちからがぬける。
それもこれも、木下藤吉郎的な世界戦略のためだ。
気もちよく野菜づくりにとりくんで、
農家の方に、やりがいのある毎日をすごしてもらいたい。
つづけていくうちに、木下藤吉郎が、
豊臣秀吉になっていくだろう。
2018年07月19日
『砕かれたハリルホジッチ・プラン』(五百蔵容)
『砕かれたハリルホジッチ・プラン』
(五百蔵容・星海社新書)
W杯の2ヶ月まえのだいじな時期に、
代表監督がきゅうに解任されるという「事件」のうらには、
いったいどんなうごきがあったのだろう。
世間で話題になった事件のあとでは、
こうした「しらざれる真実」みたいな本がよくつくられる。
ただ、そうした本は、きめつけた視点による
質のひくいゴシップ本になりがちな印象がある。
事実をあきらかにするというよりも、
「事件」につけこんだだけのまずしい内容ではないかと、
本屋さんでページをめくりながら、
わたしは本書へうたがいの目をむけていた。
わたしはこれまで五百蔵さんのかかれた本をよんだことがなく、
内容にたしかさがかんじられない本では残念だから。
さいわい五百蔵氏は、誠実なサッカーライターで、
事実をあきらかにしながら
ハリルホジッチ氏のひととなりを紹介している。
ただ、おおくの紙面をわりあて、
戦術がくわしく説明されているものの、
わたし程度のにわかファンには
むつかしすぎて理解できなかった。
ハリルホジッチ氏がやろうとしたサッカーを、
ほんのすこしイメージしたにすぎない。
ハリルホジッチ氏といえば、「デュエル」(1対1のたたかい)と
「たてにはやい攻撃」を
日本代表にもちこもうとしたことでしられる。
これらのキーワードは、いっけんわかりやすいがゆえに、
ひとりあるきしやすく、まちがった解釈がひろまりやすい。
サッカー協会が、ハリルホジッチ氏がめざすサッカーを
正確につたえようとするのではなく、
反対に、あやまった解釈をほったらかすことで、
解任の理由につかわれたような印象をうける。
Wカップロシア大会で、日本は予想以上の活躍をみせ、
社会現象とでもいうべき ひろがりのある大会となった。
グループリーグをかちあがったこと、
決勝トーナメントでベルギーをあいてに
いい内容の試合をしたことで、
しだいに日本代表がおおきな関心をあつめた。
とはいえ、だからハリルホジッチ氏の解任はただしかった、
とはならない。
じゅうぶんな準備期間があれば、
もっとうえの成績をおさめていた可能性だってある。
ハリルホジッチ氏は、世界をあいてに、
かつことのむつかしさをよくしっている人物であり、
どんな選手をえらび、グループリーグをたたかったのかを
ぜひWカップ本番でみてみたかった。
資料として、ハリルホジッチ氏を代表監督にまねくときに、
日本サッカー協会の技術委員長として、
重要な役割をはたした霜田正浩氏へのインタビューがのっている。
田嶋幸三会長よりも、ずっとまともな感覚のもちぬしで、
霜田氏がハリルホジッチ氏をささえつづけていたらと、
いまになっても残念でならない。
(五百蔵容・星海社新書)
W杯の2ヶ月まえのだいじな時期に、
代表監督がきゅうに解任されるという「事件」のうらには、
いったいどんなうごきがあったのだろう。
世間で話題になった事件のあとでは、
こうした「しらざれる真実」みたいな本がよくつくられる。
ただ、そうした本は、きめつけた視点による
質のひくいゴシップ本になりがちな印象がある。
事実をあきらかにするというよりも、
「事件」につけこんだだけのまずしい内容ではないかと、
本屋さんでページをめくりながら、
わたしは本書へうたがいの目をむけていた。
わたしはこれまで五百蔵さんのかかれた本をよんだことがなく、
内容にたしかさがかんじられない本では残念だから。
さいわい五百蔵氏は、誠実なサッカーライターで、
事実をあきらかにしながら
ハリルホジッチ氏のひととなりを紹介している。
ただ、おおくの紙面をわりあて、
戦術がくわしく説明されているものの、
わたし程度のにわかファンには
むつかしすぎて理解できなかった。
ハリルホジッチ氏がやろうとしたサッカーを、
ほんのすこしイメージしたにすぎない。
ハリルホジッチ氏といえば、「デュエル」(1対1のたたかい)と
「たてにはやい攻撃」を
日本代表にもちこもうとしたことでしられる。
これらのキーワードは、いっけんわかりやすいがゆえに、
ひとりあるきしやすく、まちがった解釈がひろまりやすい。
残された言葉を確認する限り、ハリルホジッチは「縦に速く」とは1回も言っていません。対して、「スペースに、背後に速く入っていくサッカーをしたい」という意のことは、就任以来何度も語っています。
サッカー協会が、ハリルホジッチ氏がめざすサッカーを
正確につたえようとするのではなく、
反対に、あやまった解釈をほったらかすことで、
解任の理由につかわれたような印象をうける。
Wカップロシア大会で、日本は予想以上の活躍をみせ、
社会現象とでもいうべき ひろがりのある大会となった。
グループリーグをかちあがったこと、
決勝トーナメントでベルギーをあいてに
いい内容の試合をしたことで、
しだいに日本代表がおおきな関心をあつめた。
とはいえ、だからハリルホジッチ氏の解任はただしかった、
とはならない。
じゅうぶんな準備期間があれば、
もっとうえの成績をおさめていた可能性だってある。
ハリルホジッチ氏は、世界をあいてに、
かつことのむつかしさをよくしっている人物であり、
どんな選手をえらび、グループリーグをたたかったのかを
ぜひWカップ本番でみてみたかった。
資料として、ハリルホジッチ氏を代表監督にまねくときに、
日本サッカー協会の技術委員長として、
重要な役割をはたした霜田正浩氏へのインタビューがのっている。
田嶋幸三会長よりも、ずっとまともな感覚のもちぬしで、
霜田氏がハリルホジッチ氏をささえつづけていたらと、
いまになっても残念でならない。
2018年07月18日
『コールド・コールド・グラウンド』
『コールド・コールド・グラウンド』
(エイドリアン=マッキンティ・武藤陽生:訳・ハヤカワ文庫)
80年代の北アイルランドを舞台にした警察小説。
カソリック教徒がおおい土地にあって、
支配する側の警察や行政はプロテスタントよりで、
北アイルランドで差別されつづけてきた
カソリックの歴史が本書の背景にある。
北アイルランドといえば、
IRA(アイルランド共和軍)が有名だけど、
ほかにもいくつも武装組織がでてくる。
UDR(アルスター防衛連帯)・UDA(アルスター防衛同盟)
・UVF(アルスター義勇軍)と、すごくややこしい。
主人公のダフィは警官だけどカソリックで、
IRAからはうらぎりものとみられている。
ベルファストの町は暴動がたえず、
毎日あちこちで銃撃や爆発がおこる。
ダフィは、車にのるたびに、爆弾がしかけられていないか、
車の底をのぞきこみ、安全をたしかめなければならない。
こうした状況で、手首をきりおとされた死体がみつかった。
奇妙なのは、その手首はべつの人間のもので、
数日後にみつかった死体が、手首のもちぬしだった。
ダフィは自分のチームで事件の解明にのぞむ。
北アイルランドでは、ふつうの、まともな犯罪はおきない。
事件はぜんぶ、テロ組織がらみだ。
ようやくトリックをつかった連続殺人事件にかかわれて、
ダフィはまいあがってしまう。
なんとしても、推理で事件を解決しようと、
現場にのこされた「証拠」にふりまわされてしまる。
ふつうのミステリーだと、主人公は行動力があり、
推理もさえる人物がおおいのに、
この本の主人公であるダフィは、
論理のくみたてがあまり得意ではない。
捜査だからといって、犯人ときめつけた人物の家に、
捜査令状なしでしのびこんだり、
あやしいとおもった人物に、とにかくあいにいって、
犯行のあった時間になにをしていたか、アリバイはあるかなど、
ぶしつけな質問をやつぎばやにくりだすので、
相手がおこりだしてしまう。
推理というよりも、おもいつきをゴリおししてるだけで、
なぜそうなったかの理由はかんがえられていない。
げんきだけはあるけど、頭をつかうのは、
あまり得意でないタイプの警官だ。
それでもダフィのからだをはった捜査が実をむすび、
さいごには事件のすべてがときあかされる。
せんじつよんだ『許されざる者』とくらべると、
あまりにもちからづくで、雑な捜査にあきれてしまうけど、
ものがたりが終盤にさしかかったとき、
ようやくつぎの作品も よみたいという気になっていた。
本書はダフィ・シリーズの1作目で、
イギリスではすでに6冊が発売されているそうだ。
なかなかすすまない捜査に いらいらしてしまうけど、
ウォッカ・ギムレットをのみながら
ロックをきくダフィに共感をおぼえる。
ミステリーのたのしさは、事件の解明だけでなく、
登場人物のくらしぶりにふれられるところにある。
ダフィのダメ警官ぶりが、わたしにはちょうどあっている。
(エイドリアン=マッキンティ・武藤陽生:訳・ハヤカワ文庫)
80年代の北アイルランドを舞台にした警察小説。
カソリック教徒がおおい土地にあって、
支配する側の警察や行政はプロテスタントよりで、
北アイルランドで差別されつづけてきた
カソリックの歴史が本書の背景にある。
北アイルランドといえば、
IRA(アイルランド共和軍)が有名だけど、
ほかにもいくつも武装組織がでてくる。
UDR(アルスター防衛連帯)・UDA(アルスター防衛同盟)
・UVF(アルスター義勇軍)と、すごくややこしい。
主人公のダフィは警官だけどカソリックで、
IRAからはうらぎりものとみられている。
ベルファストの町は暴動がたえず、
毎日あちこちで銃撃や爆発がおこる。
ダフィは、車にのるたびに、爆弾がしかけられていないか、
車の底をのぞきこみ、安全をたしかめなければならない。
こうした状況で、手首をきりおとされた死体がみつかった。
奇妙なのは、その手首はべつの人間のもので、
数日後にみつかった死体が、手首のもちぬしだった。
ダフィは自分のチームで事件の解明にのぞむ。
北アイルランドでは、ふつうの、まともな犯罪はおきない。
事件はぜんぶ、テロ組織がらみだ。
ようやくトリックをつかった連続殺人事件にかかわれて、
ダフィはまいあがってしまう。
なんとしても、推理で事件を解決しようと、
現場にのこされた「証拠」にふりまわされてしまる。
ふつうのミステリーだと、主人公は行動力があり、
推理もさえる人物がおおいのに、
この本の主人公であるダフィは、
論理のくみたてがあまり得意ではない。
捜査だからといって、犯人ときめつけた人物の家に、
捜査令状なしでしのびこんだり、
あやしいとおもった人物に、とにかくあいにいって、
犯行のあった時間になにをしていたか、アリバイはあるかなど、
ぶしつけな質問をやつぎばやにくりだすので、
相手がおこりだしてしまう。
トミーはなんらかの理由でここにやってきて、フェディに殺された。ルーシーはそれを目撃したため、やはり殺されてしまった。
わからんが、突き止めてみせる。テロ犯罪容疑でやつを逮捕して、尋問して吐かせる。
推理というよりも、おもいつきをゴリおししてるだけで、
なぜそうなったかの理由はかんがえられていない。
「本人が戻ってくるまえに帰りましょう。あなた、クビになるわよ」
「いや、全部トミーと関係があるんだ!そうにちがいない」(中略)
「やつだ。そのはずなんだ」ちょっと頭が混乱してきていた。
げんきだけはあるけど、頭をつかうのは、
あまり得意でないタイプの警官だ。
それでもダフィのからだをはった捜査が実をむすび、
さいごには事件のすべてがときあかされる。
せんじつよんだ『許されざる者』とくらべると、
あまりにもちからづくで、雑な捜査にあきれてしまうけど、
ものがたりが終盤にさしかかったとき、
ようやくつぎの作品も よみたいという気になっていた。
本書はダフィ・シリーズの1作目で、
イギリスではすでに6冊が発売されているそうだ。
なかなかすすまない捜査に いらいらしてしまうけど、
ウォッカ・ギムレットをのみながら
ロックをきくダフィに共感をおぼえる。
ミステリーのたのしさは、事件の解明だけでなく、
登場人物のくらしぶりにふれられるところにある。
ダフィのダメ警官ぶりが、わたしにはちょうどあっている。
2018年07月17日
『本の雑誌 8月号』がおすすめです
「『本の雑誌 8月号』がおすすめです」
と、かいておきながら、8月号の特集
「消えた出版社を探せ!」はほとんどスルーした。
わたしをよろこばしたのは、宮田珠己さんによる新連載
「私がロト7に当たるまで」で、
いかにも宮田さんらしい文章にうれしくなった。
宮田さんが、ロト7にあたるまでつづくらしい、
この連載をたのしみにしている。
「新刊めったくたガイド」では、
akira 氏による書評をあてにして、
その月によむミステリーをえらんでいる。
数冊がとりあげられるので、そのうちのおもしろそうな本、
なおかつ文庫で出版された本がわたしのねらい目で、
500ページをこえるぐらいのあつさがのぞましい。
ねるまえに、寝酒とともにすこしずつよみすすめるのが
わたしの至福のときで、それには、あるていどのあつさがほしい。
いちばんはじめにすすめられている『要秘匿』
(カレン=クリーブランド)が今月号での収穫となりそうだ。
8月号ならではの企画は
「2018年上半期ベスト1」だ。
ここではなしあわれた内容が、
年末のベスト10えらびのときになると、
ほとんどわすれられてしまうので、
たいして意味がないような「ベスト1」えらびにおもえる。
だからこそ、7月といういまの段階で、
とりあげておく必要があるのかもしれない。
わたしがよんだ本は、朝日新聞で連載されていた
『ディス・イズ・ザ・デイ』(津村記久子)だけで、
でも、この本が正当な評価をうけているのをよろこぶ。
推薦した営業の杉江さんが
と、あつくすすめている。
「年末のサッカー本大賞受賞が決まってるんですけど」
がたのもしい。
わたしがたのしみにしているもうひとつの連載は
速水健朗氏による「モーター文学のススメ」で、
ロードムービーならぬ、ロード小説をすすめてくれる。
6月号では『ロング・グッドバイ』を、
ロード小説の視点からとりあげてあり おもしろかった。
レノックスとマーロウの関係が、
『ダンス・ダンス・ダンス』(村上春樹)の
五反田君と「僕」との関係のひな形、という指摘、
そして、ふたりがのる自動車とからめての分析がよませる。
速水氏が今月号でとりあげるロード小説は、
学生運動家くずれのお父さんが、シトロエン2CVにのって
むすこと旅にでるはなし。
となると、奥田英朗の『サウス・バウンド』をおもいださせる。
あの傑作をこえるのはむつかしいだろうけど、
わたしがすきそうな内容におもえる。
「辻村深月の10冊」(国樹由香)もいい仕事をしている。
辻村さんの小説は、作品どうしがリンクしているものがおおく、
どれをとりあげるか、なかなかきめにくい。
わたしが辻村さんの作品に熱中していたのは、
5年以上まえになるので、こまかな感想はわすれたけど、
国樹さんによる「辻村深月の10冊」をよんで
辻村作品のおもしろさを すこしだけおもいだした。
とりあげられている10冊は、どれもよませるけど、
シンプルに、でもさいごのどんでんがえしにおどろかされる
『ロードムービー』を、わたしはおすすめする。
「モーター文学のススメ」つながり、というわけではないけど。
本ずき、本がなければ生きていけないひとたちが、
『本の雑誌』を ぶあつくとりまいているのをかんじる。
8月号は、とくにわたしむきの記事がおおく たのしめた。
この本をよめるしあわせに感謝する。
と、かいておきながら、8月号の特集
「消えた出版社を探せ!」はほとんどスルーした。
わたしをよろこばしたのは、宮田珠己さんによる新連載
「私がロト7に当たるまで」で、
いかにも宮田さんらしい文章にうれしくなった。
さらにゆゆしいのは、実際問題生活が苦しいことだ。どういうわけか働いているのに食うべからずな感じなのである。私の仕事の成果が正当に評価されていないのではないか。
否、私の仕事の成果が正当に評価されすぎているのではあるまいか。
宮田さんが、ロト7にあたるまでつづくらしい、
この連載をたのしみにしている。
「新刊めったくたガイド」では、
akira 氏による書評をあてにして、
その月によむミステリーをえらんでいる。
数冊がとりあげられるので、そのうちのおもしろそうな本、
なおかつ文庫で出版された本がわたしのねらい目で、
500ページをこえるぐらいのあつさがのぞましい。
ねるまえに、寝酒とともにすこしずつよみすすめるのが
わたしの至福のときで、それには、あるていどのあつさがほしい。
いちばんはじめにすすめられている『要秘匿』
(カレン=クリーブランド)が今月号での収穫となりそうだ。
8月号ならではの企画は
「2018年上半期ベスト1」だ。
ここではなしあわれた内容が、
年末のベスト10えらびのときになると、
ほとんどわすれられてしまうので、
たいして意味がないような「ベスト1」えらびにおもえる。
だからこそ、7月といういまの段階で、
とりあげておく必要があるのかもしれない。
わたしがよんだ本は、朝日新聞で連載されていた
『ディス・イズ・ザ・デイ』(津村記久子)だけで、
でも、この本が正当な評価をうけているのをよろこぶ。
推薦した営業の杉江さんが
6位に入れて欲しいのは年末のサッカー本大賞受賞が決まってるんですけど、津村記久子の『ディス・イズ・ザ・デイ』。J2を応援しているサポーター小説で、ディテールが細かくて、サッカーファン感涙です。
と、あつくすすめている。
「年末のサッカー本大賞受賞が決まってるんですけど」
がたのもしい。
わたしがたのしみにしているもうひとつの連載は
速水健朗氏による「モーター文学のススメ」で、
ロードムービーならぬ、ロード小説をすすめてくれる。
6月号では『ロング・グッドバイ』を、
ロード小説の視点からとりあげてあり おもしろかった。
レノックスとマーロウの関係が、
『ダンス・ダンス・ダンス』(村上春樹)の
五反田君と「僕」との関係のひな形、という指摘、
そして、ふたりがのる自動車とからめての分析がよませる。
速水氏が今月号でとりあげるロード小説は、
学生運動家くずれのお父さんが、シトロエン2CVにのって
むすこと旅にでるはなし。
となると、奥田英朗の『サウス・バウンド』をおもいださせる。
あの傑作をこえるのはむつかしいだろうけど、
わたしがすきそうな内容におもえる。
「辻村深月の10冊」(国樹由香)もいい仕事をしている。
辻村さんの小説は、作品どうしがリンクしているものがおおく、
どれをとりあげるか、なかなかきめにくい。
わたしが辻村さんの作品に熱中していたのは、
5年以上まえになるので、こまかな感想はわすれたけど、
国樹さんによる「辻村深月の10冊」をよんで
辻村作品のおもしろさを すこしだけおもいだした。
とりあげられている10冊は、どれもよませるけど、
シンプルに、でもさいごのどんでんがえしにおどろかされる
『ロードムービー』を、わたしはおすすめする。
「モーター文学のススメ」つながり、というわけではないけど。
本ずき、本がなければ生きていけないひとたちが、
『本の雑誌』を ぶあつくとりまいているのをかんじる。
8月号は、とくにわたしむきの記事がおおく たのしめた。
この本をよめるしあわせに感謝する。
2018年07月16日
『作家がガンになって試みたこと』がおもしろそう(まだよんでないけど)
新聞の広告欄に、高橋三千綱さんの
『作家がガンになって試みたこと』(岩波書店)がのっていた。
とあり、おもしろそうだ。
アマゾンのレビューをみると、
高橋さんは、糖尿病や肝硬変をわずらい、
2013年には胃ガンを宣告されるが手術を拒否している。
食道ガンを内視鏡手術したあと禁酒していたが、
2016年に4年半の禁酒をやめてみると 血糖値が109にさがり、
γ-GTPもアンモニアも正常値。
CAE(腫瘍マーカ)も正常値になっていた。
「過度の禁酒が高度のストレスを招き
肝硬変(と糖尿病)の改善を拒ん」でいたのでは(レビューより)
という推測がおもしろい。
わたしはこの本をよんでおらず、
レビューと「商品の説明」だけの情報で
なんちゃってな「感想」をかくと、
医者がいったことを、そのままうのみにせず、
高橋さんのように、ほっておくのもひとつの方針だとおもう。
病院では、つい医者のいいなりになってしまいがちで、
自分のからだなのに、医者と自分で、
どちらが主導権をもっているのかわからなくなってしまう。
自分のからだにおきたことについて、すべてをうけいれ、
これまで生きてきたように、
これからも生きていこうという判断をわたしもとれたら。
どうせひとは死ぬのであり、人生の主体はあくまでも自分でありたい。
それができるのは、高橋さんのようにつよい精神力が必要だけど、
そうでないひとにも、自分で治療をえらべるために、
この本は背中をおしてくれそうだ。
禁酒が過度のストレスで、病気の改善をこばんでいた、
という理屈もすばらしい。
医者や病院は、とかくなにかを我慢させたがるけど、
そうした我慢もまたストレスとなり、病気にわるい影響をおよぼす。
もしかしたら屁理屈なのかもしれないけど、
自分のからだなのだから、すきなように酒をのめばいい。
死にたくないからといって、なんでも医者にすがりつき、
医療費をいくらでもつかうひとよりも、
高橋さんのように「ほったらかし療法」をえらぶひとのほうが
しあわせなさいごをむかえられるのではないか。
『作家がガンになって試みたこと』(岩波書店)がのっていた。
「今度は胃ガンが見つかりました。ほうっておくと大変なことになります」。医者のそんなことばを振り切り手術を拒否すると、作家の医療漂流が始まった。
とあり、おもしろそうだ。
アマゾンのレビューをみると、
高橋さんは、糖尿病や肝硬変をわずらい、
2013年には胃ガンを宣告されるが手術を拒否している。
食道ガンを内視鏡手術したあと禁酒していたが、
2016年に4年半の禁酒をやめてみると 血糖値が109にさがり、
γ-GTPもアンモニアも正常値。
CAE(腫瘍マーカ)も正常値になっていた。
「過度の禁酒が高度のストレスを招き
肝硬変(と糖尿病)の改善を拒ん」でいたのでは(レビューより)
という推測がおもしろい。
わたしはこの本をよんでおらず、
レビューと「商品の説明」だけの情報で
なんちゃってな「感想」をかくと、
医者がいったことを、そのままうのみにせず、
高橋さんのように、ほっておくのもひとつの方針だとおもう。
病院では、つい医者のいいなりになってしまいがちで、
自分のからだなのに、医者と自分で、
どちらが主導権をもっているのかわからなくなってしまう。
自分のからだにおきたことについて、すべてをうけいれ、
これまで生きてきたように、
これからも生きていこうという判断をわたしもとれたら。
どうせひとは死ぬのであり、人生の主体はあくまでも自分でありたい。
それができるのは、高橋さんのようにつよい精神力が必要だけど、
そうでないひとにも、自分で治療をえらべるために、
この本は背中をおしてくれそうだ。
禁酒が過度のストレスで、病気の改善をこばんでいた、
という理屈もすばらしい。
医者や病院は、とかくなにかを我慢させたがるけど、
そうした我慢もまたストレスとなり、病気にわるい影響をおよぼす。
もしかしたら屁理屈なのかもしれないけど、
自分のからだなのだから、すきなように酒をのめばいい。
死にたくないからといって、なんでも医者にすがりつき、
医療費をいくらでもつかうひとよりも、
高橋さんのように「ほったらかし療法」をえらぶひとのほうが
しあわせなさいごをむかえられるのではないか。
2018年07月15日
ロゼワインのように、いいとこどりの年になればいいけど
梅をつけてから、だいたい1ヶ月たったので、
ザルにあけて日にほす。
いつもは梅雨あけまえに「1ヶ月」がくるので、
3日ほどのてんぴぼしが、なかなかできなかった。
雨やくもりの日に梅をほしても
ぜんぜん「梅ぼし」らしくないので。
ことしは、梅雨あけがはやく、
今週は鉄板のいいお天気がつづいているので、
梅ぼしづくりには最適の年となった。
きょうは最高気温が35℃で、
あしたもおなじような天気が予想されている。
梅ぼしのためには、またとない猛暑の日々だ。
あつければ、あついなりに、わるいことばかりではない。

先日の朝日新聞に、ロゼワインがとりあげられていた。
白と赤のいいとこどりができるワインとして、
このところロゼの人気がたかまっているのだそうだ。
わたしは、白ワインと赤ワインを
それぞれおいしいとおもってのむけれど、
ロゼについては、とくにこころをうごかされたことがない。
わたしにとってのロゼは、「いいとこどり」よりも、
「どっちつかず」のワインにうつる。
しっかりしたロゼを、のんだことがないからなのだろう。
ただ、どうせロゼだから、と先入観がじゃまをして、
どんなロゼをのんでも、
「どっちつかず」とおもうような気がする。
ロゼワインがどうこうよりも、わたしの気もちの問題だ。
きょうは、わたしの誕生日だ。57歳になった。
いいこともあれば、わるいこともある年ごろとなるのか、
ロゼのように いいとこどりができる一年にできるのか、
せっかくのロゼを、どっちつかずにしてしまうように、
ぼんやりした年にしてしまうのか。
けっきょくは気もちのもちようにおさまりそうだ。
いちばんいいのは、なにもかんがえず、
そのままをうけいれることだろう。
子ネコみたいに。
ザルにあけて日にほす。
いつもは梅雨あけまえに「1ヶ月」がくるので、
3日ほどのてんぴぼしが、なかなかできなかった。
雨やくもりの日に梅をほしても
ぜんぜん「梅ぼし」らしくないので。
ことしは、梅雨あけがはやく、
今週は鉄板のいいお天気がつづいているので、
梅ぼしづくりには最適の年となった。
きょうは最高気温が35℃で、
あしたもおなじような天気が予想されている。
梅ぼしのためには、またとない猛暑の日々だ。
あつければ、あついなりに、わるいことばかりではない。

先日の朝日新聞に、ロゼワインがとりあげられていた。
白と赤のいいとこどりができるワインとして、
このところロゼの人気がたかまっているのだそうだ。
わたしは、白ワインと赤ワインを
それぞれおいしいとおもってのむけれど、
ロゼについては、とくにこころをうごかされたことがない。
わたしにとってのロゼは、「いいとこどり」よりも、
「どっちつかず」のワインにうつる。
しっかりしたロゼを、のんだことがないからなのだろう。
ただ、どうせロゼだから、と先入観がじゃまをして、
どんなロゼをのんでも、
「どっちつかず」とおもうような気がする。
ロゼワインがどうこうよりも、わたしの気もちの問題だ。
きょうは、わたしの誕生日だ。57歳になった。
いいこともあれば、わるいこともある年ごろとなるのか、
ロゼのように いいとこどりができる一年にできるのか、
せっかくのロゼを、どっちつかずにしてしまうように、
ぼんやりした年にしてしまうのか。
けっきょくは気もちのもちようにおさまりそうだ。
いちばんいいのは、なにもかんがえず、
そのままをうけいれることだろう。
子ネコみたいに。
2018年07月14日
西日本豪雨から一週間
一週間まえの集中豪雨は、西日本におおきな被害をもたらした。
死者・行方不明者の数が、発表されるごとにふえる。
わたしのすむ島根県は、亡くなった方はいないものの、
床上・床下浸水の被害がでている。
交通では、伯備線の復旧がおくれ、
山陰と山陽をつなぐ特急やくもの運転がとりやめになっている。
物流がとだえ、コンビニでは、
パンやお弁当がはいらなくなり、スカスカな棚がある。
きのうからは、猛暑となり、
被災地での復旧作業がきびしがましている。
水がとまったままの地区もあり、
そんななかでの避難生活とあとかたづけは
どれだけたいへんだろう。
6日と7日の二日間に各地でふった雨量が発表されている。
そのグラフをみると、25ある観測地のなかで、
松江の雨量がいちばんすくない。
松江では、7日(金)によくふったので、
ことしの梅雨はすごいなーとおもっていたのに。
ほかの市や町は、松江の数倍もふっているところばかりだ。
そのすくなかった松江でさえ、はげしい雨がながい時間つづき、
川があふれそうになり、こわいおもいをした。
その数倍もの大雨だった地域は、
いったいどれだけすごい雨だったのだろう。
わたしのむすこは広島市の大学へいっていることから、
なんにんもの方から
「むすこさんのすむところは大丈夫でしたか?」
と気づかってもらった。
さいわい直接の被害にはあわなかったと、
むすこから配偶者に連絡があった。
わたしはというと、むすこが広島にいることをしりながら、
被害にあったかもしれないなんて、すこしもかんがえなかった。
子ばなれができている、というよりも、
まったく意識にないほど無関心なわけで、
自分がひどくゆがんだ人間におもえてきた。
むすこの心配さえしない人間が、
もしもほかの地域や国で災害がおきたとき、
正常に想像力をはたらかせて 気づかえるだろうか。
自分のことばかりかんがえてないで、
自分のまわりでおきていることを
もっと気にかけなければ、と反省する。
のんびりくらしすぎていて、
ひとの世のよろこびやかなしみを
かんじられなくなったらひどい。
死者・行方不明者の数が、発表されるごとにふえる。
わたしのすむ島根県は、亡くなった方はいないものの、
床上・床下浸水の被害がでている。
交通では、伯備線の復旧がおくれ、
山陰と山陽をつなぐ特急やくもの運転がとりやめになっている。
物流がとだえ、コンビニでは、
パンやお弁当がはいらなくなり、スカスカな棚がある。
きのうからは、猛暑となり、
被災地での復旧作業がきびしがましている。
水がとまったままの地区もあり、
そんななかでの避難生活とあとかたづけは
どれだけたいへんだろう。
6日と7日の二日間に各地でふった雨量が発表されている。
そのグラフをみると、25ある観測地のなかで、
松江の雨量がいちばんすくない。
松江では、7日(金)によくふったので、
ことしの梅雨はすごいなーとおもっていたのに。
ほかの市や町は、松江の数倍もふっているところばかりだ。
そのすくなかった松江でさえ、はげしい雨がながい時間つづき、
川があふれそうになり、こわいおもいをした。
その数倍もの大雨だった地域は、
いったいどれだけすごい雨だったのだろう。
わたしのむすこは広島市の大学へいっていることから、
なんにんもの方から
「むすこさんのすむところは大丈夫でしたか?」
と気づかってもらった。
さいわい直接の被害にはあわなかったと、
むすこから配偶者に連絡があった。
わたしはというと、むすこが広島にいることをしりながら、
被害にあったかもしれないなんて、すこしもかんがえなかった。
子ばなれができている、というよりも、
まったく意識にないほど無関心なわけで、
自分がひどくゆがんだ人間におもえてきた。
むすこの心配さえしない人間が、
もしもほかの地域や国で災害がおきたとき、
正常に想像力をはたらかせて 気づかえるだろうか。
自分のことばかりかんがえてないで、
自分のまわりでおきていることを
もっと気にかけなければ、と反省する。
のんびりくらしすぎていて、
ひとの世のよろこびやかなしみを
かんじられなくなったらひどい。
2018年07月13日
『負け犬の遠吠え』から15年
「家族」のありかたについてかんがえる記事が
朝日新聞で連載されており、
「単身社会編」の最終回に
酒井順子さんのはなしがのった。
2003年に『負け犬の遠吠え』が出版されてから15年たち、
酒井さんもいまではりっぱな「負け犬」だ、
とおもっていたら、記事のなかで酒井さんは、
と、意外なカミングアウトがされている。
「負け犬」のりっぱなリーダーとして、私淑していた酒井さんに、
特定の相手がいたのはショックだった。
あこがれていたアイドルに、恋人がいたみたいなものか。
未婚だけどパートナーがいる、というのは
「負け犬」の定義からしてどうなのだろう。
この15年のあいだに、「負け犬」をめぐる状況は、
酒井さんが予想していたかのように、
ますます未婚へとうごいた。
「負け犬」は、メス犬だけでなく、
当然ながらオス犬だったいるわけだけど、
世間の目は、メスの「負け犬」ばかりにそそがれている。
結婚しない(できない)男なんて、だれも関心をもたず、
子どもをうんでくれる(はずの)女性ばかりにプレッシャーがかかる。
そんな社会で、『負け犬の遠吠え』が出版された意味は
はかりしれない。
「負け犬」というひとたちがいること、
けして結婚したくないわけではないのに、
いろんな理由から相手をきめきれないこと、
男は、ただたんにダメな場合がほとんどなこと、
などがつまびらかにかたられた。
『負け犬の遠吠え』を座右の書として、
メスの「負け犬」たちが、
横暴なおじさん(おばさんもか)にいじめられることなく、
すこやかに生きていくことをねがっている。
朝日新聞で連載されており、
「単身社会編」の最終回に
酒井順子さんのはなしがのった。
2003年に『負け犬の遠吠え』が出版されてから15年たち、
酒井さんもいまではりっぱな「負け犬」だ、
とおもっていたら、記事のなかで酒井さんは、
私は縁あって40代を目前にしてパートナーに出会い、一緒にすんでいますが、結婚はしていません。
と、意外なカミングアウトがされている。
「負け犬」のりっぱなリーダーとして、私淑していた酒井さんに、
特定の相手がいたのはショックだった。
あこがれていたアイドルに、恋人がいたみたいなものか。
未婚だけどパートナーがいる、というのは
「負け犬」の定義からしてどうなのだろう。
この15年のあいだに、「負け犬」をめぐる状況は、
酒井さんが予想していたかのように、
ますます未婚へとうごいた。
「負け犬」は、メス犬だけでなく、
当然ながらオス犬だったいるわけだけど、
世間の目は、メスの「負け犬」ばかりにそそがれている。
結婚しない(できない)男なんて、だれも関心をもたず、
子どもをうんでくれる(はずの)女性ばかりにプレッシャーがかかる。
そんな社会で、『負け犬の遠吠え』が出版された意味は
はかりしれない。
「負け犬」というひとたちがいること、
けして結婚したくないわけではないのに、
いろんな理由から相手をきめきれないこと、
男は、ただたんにダメな場合がほとんどなこと、
などがつまびらかにかたられた。
『負け犬の遠吠え』を座右の書として、
メスの「負け犬」たちが、
横暴なおじさん(おばさんもか)にいじめられることなく、
すこやかに生きていくことをねがっている。
2018年07月12日
ムバペなのか、エムバペなのか
フランス代表のムバペ選手が注目をあつめている。
プレーのスピードだけでなく、味方をいかすパスのセンスや、
やわらかなボールタッチがすばらしい。
まだ19歳というから、フランスは、
とんでもない宝物を手にいれたようだ。
テレビ中継をみてるとき、はじめはアナウンサーが、
彼をなんとよんでいるのかわからなかった。
「エムバペ」にきこえるけど、
ユニフォームには「MBAPPE」とあり、
フランス語よみすると「ムバペ」のはずだ。
ウィキペディアをみると、
フランス語よみだけでなく、祖先の出身国である
カメルーンの発音がからんできて、
どれがただしいかをきめられないらしい。
その結果、いろんなよみ方がまかりとおっている。
テニスの錦織圭選手の「錦織」をどうよむかについて、
まえの記事にかいたことがある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/440955744.html
錦織選手は「にしこり」とよむ。
島根には「錦織」という苗字がけしてめずらしくないけれど、
ややこしいのは、「にしこり」だけでなく、
「にしきおり」「にしこおり」というよみ方も
ふつうに通用している点だ。
わたしは、これを漢字のせいだとおもっている。
漢字があるばかりに、いろんなよみ方が通用してしまうので、
そうならないよう、
できるだけ漢字をつかわない表記法をこころがけている。
ムバペ選手は、ムバペとよむアルファベットでかかれているのに、
それをいくつものやり方でよぶのは、いったいどういうわけだろう。
日本語でいえば、ひらがなで「ムバペ」とかいてあるのに、
それをエムバペとかムバッペとか テキトーによむようなものだ。
これは、英語に責任があるかもしれない。
英語はつづりと発音が一致しない単語がめずらしくない。
英語を母語とするひとにとれば、「MBAPPE」とかいてあっても、
それを英語よみしてエムバペとよむのは朝飯まえだ。
フランス語よみではムバペだから、
ムバペが最終的にただしい、とはいいきれないのが、
ややこしいところだ。
祖先の出身国であるカメルーンをもってこられると、
そちらの発音が由緒ただしいというとらえ方もできる。
本人は「ンバペ」と自分のことをよんでいるようで、
だから「ンバペ」にきめよう、といううごきにもなってない。
けっきょく、どうよんでもいいという線で、
あいまいなままほっておくしかないのだろう。
つづりと発音の不一致は、どちらがただしいかを議論しても、
けっきょく決定版をきめられない。
論理よりも生理の問題だ。
プレーのスピードだけでなく、味方をいかすパスのセンスや、
やわらかなボールタッチがすばらしい。
まだ19歳というから、フランスは、
とんでもない宝物を手にいれたようだ。
テレビ中継をみてるとき、はじめはアナウンサーが、
彼をなんとよんでいるのかわからなかった。
「エムバペ」にきこえるけど、
ユニフォームには「MBAPPE」とあり、
フランス語よみすると「ムバペ」のはずだ。
ウィキペディアをみると、
フランス語よみだけでなく、祖先の出身国である
カメルーンの発音がからんできて、
どれがただしいかをきめられないらしい。
その結果、いろんなよみ方がまかりとおっている。
テニスの錦織圭選手の「錦織」をどうよむかについて、
まえの記事にかいたことがある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/440955744.html
錦織選手は「にしこり」とよむ。
島根には「錦織」という苗字がけしてめずらしくないけれど、
ややこしいのは、「にしこり」だけでなく、
「にしきおり」「にしこおり」というよみ方も
ふつうに通用している点だ。
わたしは、これを漢字のせいだとおもっている。
漢字があるばかりに、いろんなよみ方が通用してしまうので、
そうならないよう、
できるだけ漢字をつかわない表記法をこころがけている。
ムバペ選手は、ムバペとよむアルファベットでかかれているのに、
それをいくつものやり方でよぶのは、いったいどういうわけだろう。
日本語でいえば、ひらがなで「ムバペ」とかいてあるのに、
それをエムバペとかムバッペとか テキトーによむようなものだ。
これは、英語に責任があるかもしれない。
英語はつづりと発音が一致しない単語がめずらしくない。
英語を母語とするひとにとれば、「MBAPPE」とかいてあっても、
それを英語よみしてエムバペとよむのは朝飯まえだ。
フランス語よみではムバペだから、
ムバペが最終的にただしい、とはいいきれないのが、
ややこしいところだ。
祖先の出身国であるカメルーンをもってこられると、
そちらの発音が由緒ただしいというとらえ方もできる。
本人は「ンバペ」と自分のことをよんでいるようで、
だから「ンバペ」にきめよう、といううごきにもなってない。
けっきょく、どうよんでもいいという線で、
あいまいなままほっておくしかないのだろう。
つづりと発音の不一致は、どちらがただしいかを議論しても、
けっきょく決定版をきめられない。
論理よりも生理の問題だ。