(西部謙司・株式会社カンゼン)
これまで日本代表の監督をつとめた10名について、
Wカップでどんな試合をおこなってきたかをまとめた本だ
(Wカップにでていない監督は、就任ちゅう、最後の試合)。
監督ごとにことなる代表チームの特徴を整理し、
日本代表があゆんできた戦術的なながれが解説されている。
そのまとめをもってして、Wカップロシア大会では、
どんなサッカーをみせてくれるかという期待と、
さらには、日本はどんなサッカーをしたいのかを、
ロシア大会をひとつのくぎりとして、
根本的にとらえなおしてみては、と本書はよびかけている。
日本代表をとりあげた本として、
とくに目あたらしい内容ではないけれど、
西部さんらしくすっきりまとめてあるので、
ついついよみすすめてしまう。
ジーコ監督時代のドイツ大会、
ザッケローニ監督時代のブラジル大会など、
期待されながらグループリーグでやぶれた大会は、
いったいどんな問題があったのか。
試合がおわってから何年もたったいま、
あらためて試合のながれを分析するのは
「あとだしジャンケン」でしかない。
あえて「あとだしジャンケン」するのは、
過去を断罪するのが目的ではなく、
未来の日本代表へとつながるヒントになれば、
というのが西部さんのねがいだ。
西部さんの本は、いつもながら文章がうまいので、
単純に、よみものとしておもしろい。
日本はサイドハーフの中田と名波が中央へ移動し、いわゆるバイタルエリアでパスを受ける。そこまではいいが、そこから先がない。
(トルシエ監督について)確固とした考え方があってそうなっているのだが、そのサッカー観がけっこう独特だった。パーソナリティほどは変わっていないけれども、いわば勝利至上主義ではなく自分至上主義。
(オーストラリアについて)受けて立とうという心意気は悪くないが、受けて立ってはいけない相手だった。
日本とパラグアイは120分間戦って0−0。どちらもここまで勝ち上がる資格があったということかもしれない。しかし、どちらも1点をとりきる力がなかった。つまり、ここから上へ行ける力はなかったともいえる。
「自分たちのサッカー」でなかった時間帯はリードしていて、「自分たちのサッカー」になりはじめたときにひっくり返されているわけだ。(中略)「自分たちのサッカー」ができなかったからというより、「自分たちのサッカー」をしようとした結果の失点だったといえるかもしれない。
ブラジル大会のコロンビア戦は、
得点こそ1−4と惨敗にみえるけど、
その内容は、けしてわるくなかったと西部さんはとらえている。
はやくできあがりすぎてしまったチームに、
大久保がわけのわからない活気をもたらした、というみかただ。
大久保を中心とした日本の攻撃は場当たり的で無秩序なのだが、カオスゆえの意外性と迫力に満ちていた。遠藤、香川、本田を中心とした洗練された攻め込みとはまた別種の、新しい攻撃が生まれていた。
西部さんは、あたらしいちからとなりえるカオスを、
「めちゃくちゃの中の秩序」と名づけ、
そこに日本サッカーの可能性をみいだしている。
世界の強豪国が、すでにとりあげている
きちんとしたシステムではなく、
めちゃくちゃにうごきまわるのを、
日本の選手たちが得意としているかも、
という指摘が興味ぶかい。
型にはめこまれれば、そのとおりにうごくけど、
自由をあたえられると、とまどってしまうというのが、
日本選手の特徴かとおもっていた。
「めちゃくちゃの中の秩序」が、
A代表の戦術になる日がくるのだろうか。