多岐のスイムランをおえ、
わたしはシーズンオフにはいった。
レースをおえたら、しばらくトレーニングからはなれ、
グダグダした生活を満喫しようとおもっていた。
もうはしらなくてもいい、というのを
たのしみにレースにでていたわけで、
動機としては あまりよくない気がする。
でもまあ、とにかくレースを無事におえた。
タイムはともかくとして、なんとか完走できたので、
予定どおりごほうびとして怠惰な生活にはいる。
もうはしらなくてもいいのは、すごく気がらくだ。
受験生が試験をおえたあとは、
こんな自由な気分を味わっているのではないか。
あついなか、町では中年のおじさんがはしっているけど、
わたしはもうはしらなくてもいい。
仕事のあとではしっていた時間がういたので、
このまえはブックオフへひさしぶりにいった。
はしろうという気がおきるまで、
しばらくランニングはおやすみだ。
まったくからだをうごかさないのは気分がよくないので、
お盆やすみにはウォーキングを予定している。
うまいぐあいにレース仲間から提案があり、
20キロくらいのコースをつくって、4時間ほどであるく。
はしりたくないし、自転車も気もちがうごかないけど、
ながい距離をゆっくりあるくのは
まえからやってみたかった。
ちかい将来に予定しているサンチャゴ=デ=コンポステーラ
への巡礼にむけて、イメージをたかめておきたい。
トレーニングをかんがえなくてもいいので、
夜のお酒も、すこし量をふやす。
おいしすぎてのみすぎるからと、
ことしは自分にきんじていたジントニックを解禁し、
きのうはひさしぶりにつくる。
ボトルとグラスを冷凍庫にいれておき、
ギンギンにひえたジントニックにする。
氷はロックアイスをつかう。
ライムもちゃんとかっておいた。
スイムランのうちあげを、すでに2回おえた。
うちあげは かかしたことがないけど、
2日つづけては はじめてだ。
シーズンオフにふさわしい リラックスした週となった。
2018年08月11日
2018年08月10日
『ノモレ』(国分拓)
『ノモレ』(国分拓・新潮社)
ペルーのアマゾンにすむ先住民には、
先祖たちによりかたりつがれてきた、
不思議ないいつたえがある。
100年以上まえ、ゴムの木をさがすため、
彼らの先祖が白人たちに森へむりやりつれていかれた。
過酷な労働にたえかね、森のなかをにげまわるうちに
ふたつのグループにわかれてしまった。
ひとつは、先祖たちのグループで、
かれらは故郷へもどることができたが、
もうひとつのグループは、そのまま森へきえてしまった。
森でわかれた仲間(ノモレ)をさがしてくれと、
彼らは子孫たちへのねがいを いいつたえてきた。
まえによんだ『ピダハン』や『ヤノマミ』では、
アマゾンの奥ふかくにくらす先住民たちが、
いかに現代人とはちがう文化をもっているかに
おどろかされた。
数をかぞえる単語がなかったり、
生まれた子を、そのままそだてるのか、
森へかえすのかの判断を母親がするといった、
わたしたちとまったくちがった価値観は、
かわっているだけに 話題となりやすい。
『ノモレ』は、おなじように先住民をあつかっているとはいえ、
『ピダハン』などとちがい、ずいぶん地味な記述に終始する。
文明をしらない先住民たちのくらしを、
どうやってまもっていくのかが、この本のテーマだ。
イゾラド(文明をしらない先住民)は、
自分たちだけのくらしをつづけてきた。
現代人と接触すれば、先住民はかんたんに病気にかかり、
村ぜんたいがほろんでしまう。
彼らに食料や医療をほどこすだけでは、
イゾラドならではの生活をつづけられないし、
文明化をよびかけることが、彼らのしあわせとはかぎらない。
保護区をつくり、ほかの住民がはいらないようにしても、
すくない予算では ひろすぎる森の管理は現実的でない。
先住民の末裔であるロメウは、
ペルー政府の政策によりたてられた
「監視・統制拠点」の職員にえらばれた。
森からあらわれるイゾラドとの関係づくりをまかされる。
ロメウは、イゾラドこそ、自分たち一族がさがす
ノモレであるような気がしている。
彼らにバナナをあたえ、先祖たちがはなしていた
ふるいことばでよびかけながら、信頼関係をつくろうとする。
ロメウはイゾラドたちをみて、自分の祖先たちの時代をおもう。
ロメウがイゾラドを「ノモレ」だとおもいたいのは、
自分もまたノモレたちの血をひいているとかんじるからだ。
イゾラドのくらしぶりは、
ロメウのアイデンティティーにうったえてくる。
文明をうけいれた先住民ではあるけれど、
ロメウは、白人たちを全面的には信頼していない。
自分のなかにながれるイゾラドの血が、
ノモレたちのくらしを尊重するよう 彼をうごかしている。
かつての先住民たちが、いまどんなおもいでくらしているのかを、
ロメウに代表させたのが本書だ。
なぜロメウがノモレにこだわるのか
はじめはわかりにくかったけど、
イゾラドをまもろうとする地道なこころみをつうじ、
しだいにロメウへ共感をよせていった。
ペルーのアマゾンにすむ先住民には、
先祖たちによりかたりつがれてきた、
不思議ないいつたえがある。
100年以上まえ、ゴムの木をさがすため、
彼らの先祖が白人たちに森へむりやりつれていかれた。
過酷な労働にたえかね、森のなかをにげまわるうちに
ふたつのグループにわかれてしまった。
ひとつは、先祖たちのグループで、
かれらは故郷へもどることができたが、
もうひとつのグループは、そのまま森へきえてしまった。
森でわかれた仲間(ノモレ)をさがしてくれと、
彼らは子孫たちへのねがいを いいつたえてきた。
まえによんだ『ピダハン』や『ヤノマミ』では、
アマゾンの奥ふかくにくらす先住民たちが、
いかに現代人とはちがう文化をもっているかに
おどろかされた。
数をかぞえる単語がなかったり、
生まれた子を、そのままそだてるのか、
森へかえすのかの判断を母親がするといった、
わたしたちとまったくちがった価値観は、
かわっているだけに 話題となりやすい。
『ノモレ』は、おなじように先住民をあつかっているとはいえ、
『ピダハン』などとちがい、ずいぶん地味な記述に終始する。
文明をしらない先住民たちのくらしを、
どうやってまもっていくのかが、この本のテーマだ。
イゾラド(文明をしらない先住民)は、
自分たちだけのくらしをつづけてきた。
現代人と接触すれば、先住民はかんたんに病気にかかり、
村ぜんたいがほろんでしまう。
彼らに食料や医療をほどこすだけでは、
イゾラドならではの生活をつづけられないし、
文明化をよびかけることが、彼らのしあわせとはかぎらない。
保護区をつくり、ほかの住民がはいらないようにしても、
すくない予算では ひろすぎる森の管理は現実的でない。
先住民の末裔であるロメウは、
ペルー政府の政策によりたてられた
「監視・統制拠点」の職員にえらばれた。
森からあらわれるイゾラドとの関係づくりをまかされる。
ロメウは、イゾラドこそ、自分たち一族がさがす
ノモレであるような気がしている。
彼らにバナナをあたえ、先祖たちがはなしていた
ふるいことばでよびかけながら、信頼関係をつくろうとする。
ロメウはイゾラドたちをみて、自分の祖先たちの時代をおもう。
ロメウがイゾラドを「ノモレ」だとおもいたいのは、
自分もまたノモレたちの血をひいているとかんじるからだ。
イゾラドのくらしぶりは、
ロメウのアイデンティティーにうったえてくる。
自分はペルー社会の一員である以上に、イゾラドの末裔なのではないか。土地を奪われ、病気で死に、奴隷となってもなお森で生き延びてきた彼らの、営みをうけついできたはずの子孫なのではないか。
とすれば、自分が信じるべきものとは、森のルールなのではないか。
文明をうけいれた先住民ではあるけれど、
ロメウは、白人たちを全面的には信頼していない。
自分のなかにながれるイゾラドの血が、
ノモレたちのくらしを尊重するよう 彼をうごかしている。
かつての先住民たちが、いまどんなおもいでくらしているのかを、
ロメウに代表させたのが本書だ。
なぜロメウがノモレにこだわるのか
はじめはわかりにくかったけど、
イゾラドをまもろうとする地道なこころみをつうじ、
しだいにロメウへ共感をよせていった。
2018年08月09日
かんたんそうで、じつはやっかいなゴムひもとおし
パジャマのゴムをつけかえる。
ゴムとはよべないまでのびきって、
まったく役をはたさなくなっていた。
人間を、2種類のタイプわけたがるひとがいるけど、
わたしにいわせると、
世のなかは、ズボンのゴムをいれかえたことのあるひとと、
ないひとの2つのタイプしかいない。
かえたことのないひとには、
これがどういう作業となるのか、
ほんとうの意味において 絶対にわかっていない。
ゴムをいれかえるときの ただしいやり方は、
おそらくふるいゴムをとりさるまえに、
ふるいゴムひものはしと、あたらしいゴムひものはしを
かんたんにぬってから とりかえの仕事をスタートさせる。
そうした下準備により、ふるいゴムひもをひっぱれば、
スルスルとあたらしいゴムにいれかわる。
そんなことはわかっているけど、わたしはめんどくさいので、
ゴムひもどおしを安全ピンでとめた。
いくぶんこころもとないかんじだけど、
ズボンを一周するくらいの負荷にはたえられるだろう。
でも、だめだった。
ちからをいれてふるいゴムをひっぱると、
かんたんに安全ピンがとれてしまい、
あたらしいゴムがズボンのなかにのこった。
つぎは、厳重に安全ピンをとめる。
かなりのちからがかかっても、これならはずれないだろう。
安全ピンを先頭にした、ゴムひもの旅がようやくはじまった。
でも、これがなかなかまえにすすまない。
ゴムの幅がひろすぎて、抵抗がおおきいため、
ちからをいれてゴムひもをひっぱると、またとれてしまいそうだ。
ほんのすこしずつ安全ピンをまえにおくりだし、
クシュクシュになったゴムを 指でしごいてまっすぐになおす。
ぜったいに、あせってはならない。
もしとちゅうで安全ピンがはずれたら、
はじめからやりなおしとなる。
わたしはこの仕事を、「村上RADIO」をききながら、
すこしずつすすめていった。
意識をものすごく集中させるほどでもないけど、
なにもきこえないのはたいくつで たのしくない。
村上春樹さんが、なにかのエッセイで、
「スパゲティ小説」という概念を提唱している。
スパゲティをゆでるときにぴったりな小説、という意味だ。
小説のできをけなしているわけではなく、
スパゲティをゆでているあいだも、
よみつづけたくなるほどおもしろい小説、
という意味だったとおもう。
スパゲティ小説に対応するのが「ゴムひもラジオ」だとおもった。
これはゴムひものとりかえという、かんたんそうで、
じつは繊細かつ忍耐がもとめられる仕事をつづけるときに、
適切なつよさで手だすけしてくれるラジオ番組をさす。
「村上RADIO」は、まさしくゴムひもを
とりかえるときに最適な番組だった。
やっとゴムをつけかえたパジャマのズボンは、
いちど洗濯したら かんたんにほどけてしまった。
ズボンにゴムがなければどうしようもないのに、
いっけんかんたんにみえるゴムひものあつかいが、
こんなにも融通のきかないのはなんでだ?
ゴムとはよべないまでのびきって、
まったく役をはたさなくなっていた。
人間を、2種類のタイプわけたがるひとがいるけど、
わたしにいわせると、
世のなかは、ズボンのゴムをいれかえたことのあるひとと、
ないひとの2つのタイプしかいない。
かえたことのないひとには、
これがどういう作業となるのか、
ほんとうの意味において 絶対にわかっていない。
ゴムをいれかえるときの ただしいやり方は、
おそらくふるいゴムをとりさるまえに、
ふるいゴムひものはしと、あたらしいゴムひものはしを
かんたんにぬってから とりかえの仕事をスタートさせる。
そうした下準備により、ふるいゴムひもをひっぱれば、
スルスルとあたらしいゴムにいれかわる。
そんなことはわかっているけど、わたしはめんどくさいので、
ゴムひもどおしを安全ピンでとめた。
いくぶんこころもとないかんじだけど、
ズボンを一周するくらいの負荷にはたえられるだろう。
でも、だめだった。
ちからをいれてふるいゴムをひっぱると、
かんたんに安全ピンがとれてしまい、
あたらしいゴムがズボンのなかにのこった。
つぎは、厳重に安全ピンをとめる。
かなりのちからがかかっても、これならはずれないだろう。
安全ピンを先頭にした、ゴムひもの旅がようやくはじまった。
でも、これがなかなかまえにすすまない。
ゴムの幅がひろすぎて、抵抗がおおきいため、
ちからをいれてゴムひもをひっぱると、またとれてしまいそうだ。
ほんのすこしずつ安全ピンをまえにおくりだし、
クシュクシュになったゴムを 指でしごいてまっすぐになおす。
ぜったいに、あせってはならない。
もしとちゅうで安全ピンがはずれたら、
はじめからやりなおしとなる。
わたしはこの仕事を、「村上RADIO」をききながら、
すこしずつすすめていった。
意識をものすごく集中させるほどでもないけど、
なにもきこえないのはたいくつで たのしくない。
村上春樹さんが、なにかのエッセイで、
「スパゲティ小説」という概念を提唱している。
スパゲティをゆでるときにぴったりな小説、という意味だ。
小説のできをけなしているわけではなく、
スパゲティをゆでているあいだも、
よみつづけたくなるほどおもしろい小説、
という意味だったとおもう。
スパゲティ小説に対応するのが「ゴムひもラジオ」だとおもった。
これはゴムひものとりかえという、かんたんそうで、
じつは繊細かつ忍耐がもとめられる仕事をつづけるときに、
適切なつよさで手だすけしてくれるラジオ番組をさす。
「村上RADIO」は、まさしくゴムひもを
とりかえるときに最適な番組だった。
やっとゴムをつけかえたパジャマのズボンは、
いちど洗濯したら かんたんにほどけてしまった。
ズボンにゴムがなければどうしようもないのに、
いっけんかんたんにみえるゴムひものあつかいが、
こんなにも融通のきかないのはなんでだ?
2018年08月08日
つよがりでなく「弱いチーム」でよかったとおもいはじめている糸井重里さん
きのうの「今日のダーリン」で、
糸井重里さんが、
「(巨人が)『弱いチーム』になって、よかった」
とかいている。
糸井さんは巨人ファンでしられ、
ここ数年を「さっぱり」な気もちですごされていたとおもう。
それが、いよいよ「『弱いチーム』になって、よかった」
とまで、ひらきなおるにいたったのかと、
気のどくにおもいながらよんでいたら、
どうもほんとうに「よかった」と達観されたみたいだ。
「・・・乱調になります。
・・・奇跡のように落とします。
・・・奇跡的に追いついたりして、負けます。」
がすごくおかしい。
ようするに、どうやっても
安定してかちつづけられない。
大切な試合にことごとくまけ、
どうでもいい試合をムダにかって、
お、調子がでてきたのか?とおもわせておきながら、
けっきょくは安定して不安定なことしの、
いや、ここ数年のジャイアンツ。
たたみかけるようにトホホの状況がかたられたのち、
とあるから、いまの「弱いチーム」がくりひろげる
ぐちゃぐちゃ ならではの必死な野球を
糸井さんはほんとうに おもしろがっている。
巨人が圧倒的につよかった時代には、
想像できなかったたのしみ方だろう。
客観的にみれば、このような体験をつみながら、
巨人ファンも ようやくほかのチームのファンとおなじ視線で
野球をみられるようになるのだから、
よわさもけしてわるいことばかりではない。
「弱いチーム」は、ファンのこころをきたえてくれる。
人格形成のために応援するわけではないとはいえ、
副産物として おおくをもたらしてくれる 巨人のよわさに
敵ながらあっぱれの拍手をおくる。
糸井重里さんが、
「(巨人が)『弱いチーム』になって、よかった」
とかいている。
糸井さんは巨人ファンでしられ、
ここ数年を「さっぱり」な気もちですごされていたとおもう。
それが、いよいよ「『弱いチーム』になって、よかった」
とまで、ひらきなおるにいたったのかと、
気のどくにおもいながらよんでいたら、
どうもほんとうに「よかった」と達観されたみたいだ。
こういうメンバーで、こういう戦い方をするだろうと、
4月までに予定に入っていた選手たちが、
ことごとく不調だったり、ケガをしたりしています。
ある程度安心してまかせられるはずのエースも、
大事なところで「まさか」という乱調になります。
ふつう、これくらいで勝てるだろうというような試合を、
まさかというくらい、奇跡のように落とします。
逆に、これはこのまま負けだなと思うような試合を、
じたばたと粘って奇跡的に追いついたりして、負けます。
「・・・乱調になります。
・・・奇跡のように落とします。
・・・奇跡的に追いついたりして、負けます。」
がすごくおかしい。
ようするに、どうやっても
安定してかちつづけられない。
大切な試合にことごとくまけ、
どうでもいい試合をムダにかって、
お、調子がでてきたのか?とおもわせておきながら、
けっきょくは安定して不安定なことしの、
いや、ここ数年のジャイアンツ。
たたみかけるようにトホホの状況がかたられたのち、
活躍する予定だった選手がいなくて、
一軍の名簿にもなかった選手たちが観客席を湧かせてる。
かんたんに言うと、ぐちゃぐちゃな弱いチームなのです。 (中略)
なにが起こるかわからない試合をして、負けるのはOK!
可能性をはらんだ「ぐちゃぐちゃ」が、チームを変える。
とあるから、いまの「弱いチーム」がくりひろげる
ぐちゃぐちゃ ならではの必死な野球を
糸井さんはほんとうに おもしろがっている。
巨人が圧倒的につよかった時代には、
想像できなかったたのしみ方だろう。
客観的にみれば、このような体験をつみながら、
巨人ファンも ようやくほかのチームのファンとおなじ視線で
野球をみられるようになるのだから、
よわさもけしてわるいことばかりではない。
「弱いチーム」は、ファンのこころをきたえてくれる。
人格形成のために応援するわけではないとはいえ、
副産物として おおくをもたらしてくれる 巨人のよわさに
敵ながらあっぱれの拍手をおくる。
2018年08月07日
女子力って、どんなちからだ?
きょうの「ゆうがたパラダイス」は、
番組担当の三森すずこさんと、
ゲストの渕上舞さんとのおしゃべりがいいかんじ。
ラジオをきいている、というよりも、
ふたりの日常会話を、そのまま耳にしているようだった。
おそらくきょうだけのコーナー、
「これが女子力だっ!!」では、
渕上舞さんが先生になり、
女子力についてかんがえている。
なにげなく女子力と口にするけど、
そういえば、ほんとうの女子力って、
どんなちからだろう。
リスナーから、すべてをゆるしてもらえるくらい
かわいく「ばかっ!」といえること、
なんて意見がよせられたら、渕上さんはかんたんに却下した。
男子がこうあってほしいとおもっている女子と、
女性がかんがえる「女子」とは かなりのひらきがあり、
渕上さんはだんだんイラついていた。
かとおもうと、ネイルをして
指さきまで意識をとどかせる、とか
いつもバンソーコーをとりだせるようにしている、とかには
たかい評価がくだされたので、
わたしにはやはり女子力の理解はむつかしいみたいだ。
渕上さんによる女子力の定義は、
「こころとからだをいやすパワー」
なのだそうだ。
ジェンダーやフェミニズムを意識すると、
たいていの女性らしさを、女子力として肯定するのはむつかしい。
やさしさや気くばりなどを、なぜ女性だけにもとめるのか
なんてかんがえると、うかつに女子力といえなくなる。
わたしはもしかしたら女子力のたかい男性かもしれないけど、
そう意識することじたい 気もちわるいといわれるかもしれない。
「アニソン研究所P!」では、渕上さんが出演されている
「ガールズ&パンツァー」について、前Qさんがプレゼンしている。
戦車がでてくる学園もの(しかも女子!)アニメらしい。
ウィキペディアによると、
というからすごくおもしろそうだ。
でてくる戦車は、いかにも「兵器」をおもわせる
殺伐とした現代の戦車ではなく、
第二次世界大戦に登場した戦車がおおい。
ソビエトのTー34とか、ドイツのティーゲルとか、
やたらとつよかった戦車だけではなく、
いかにもすぐにこわれそうな日本陸軍の○○式戦車だったり、
マチルダやシャーマンなど、各国の主力戦車がならぶ。
タミヤのプラモデルファンだったわたしには、
なつかしい名前がおおい。
V号戦車ならまだしも、II号戦車をつかう高校は、
どんな相手とたたかっても、かてる気がしなかったのでは。
女子がふるい戦車をあやつって・・・、という設定は、
男がいだきがちなモエをかんたんに刺激しそうだ。
あたらないわけがない作品で、わたしもみたくなった。
お盆やすみにはいったら、DVDをさがしてみよう。
番組担当の三森すずこさんと、
ゲストの渕上舞さんとのおしゃべりがいいかんじ。
ラジオをきいている、というよりも、
ふたりの日常会話を、そのまま耳にしているようだった。
おそらくきょうだけのコーナー、
「これが女子力だっ!!」では、
渕上舞さんが先生になり、
女子力についてかんがえている。
なにげなく女子力と口にするけど、
そういえば、ほんとうの女子力って、
どんなちからだろう。
リスナーから、すべてをゆるしてもらえるくらい
かわいく「ばかっ!」といえること、
なんて意見がよせられたら、渕上さんはかんたんに却下した。
男子がこうあってほしいとおもっている女子と、
女性がかんがえる「女子」とは かなりのひらきがあり、
渕上さんはだんだんイラついていた。
かとおもうと、ネイルをして
指さきまで意識をとどかせる、とか
いつもバンソーコーをとりだせるようにしている、とかには
たかい評価がくだされたので、
わたしにはやはり女子力の理解はむつかしいみたいだ。
渕上さんによる女子力の定義は、
「こころとからだをいやすパワー」
なのだそうだ。
ジェンダーやフェミニズムを意識すると、
たいていの女性らしさを、女子力として肯定するのはむつかしい。
やさしさや気くばりなどを、なぜ女性だけにもとめるのか
なんてかんがえると、うかつに女子力といえなくなる。
わたしはもしかしたら女子力のたかい男性かもしれないけど、
そう意識することじたい 気もちわるいといわれるかもしれない。
「アニソン研究所P!」では、渕上さんが出演されている
「ガールズ&パンツァー」について、前Qさんがプレゼンしている。
戦車がでてくる学園もの(しかも女子!)アニメらしい。
ウィキペディアによると、
戦車同士の模擬戦が伝統的な女性向けの武道として競技化され、戦車道と呼ばれて華道や茶道と並ぶ大和撫子の嗜みとして認知されている世界を舞台
というからすごくおもしろそうだ。
でてくる戦車は、いかにも「兵器」をおもわせる
殺伐とした現代の戦車ではなく、
第二次世界大戦に登場した戦車がおおい。
ソビエトのTー34とか、ドイツのティーゲルとか、
やたらとつよかった戦車だけではなく、
いかにもすぐにこわれそうな日本陸軍の○○式戦車だったり、
マチルダやシャーマンなど、各国の主力戦車がならぶ。
タミヤのプラモデルファンだったわたしには、
なつかしい名前がおおい。
V号戦車ならまだしも、II号戦車をつかう高校は、
どんな相手とたたかっても、かてる気がしなかったのでは。
女子がふるい戦車をあやつって・・・、という設定は、
男がいだきがちなモエをかんたんに刺激しそうだ。
あたらないわけがない作品で、わたしもみたくなった。
お盆やすみにはいったら、DVDをさがしてみよう。
2018年08月06日
村上春樹さんによる「村上RADIO」
とうとう「村上レディオ」が放送された。
村上春樹さんが、ランニングと音楽をテーマに
ラジオ番組の司会者をつとめるという。
TOKYO FMで夜7時から放送するとしり、
しばらくまえからたのしみにしていた。
村上さんの声は たしかまだきいたことがない。
それに、音楽ずきな村上さんが、
どんな曲をえらぶのか興味があった。
番組でながされた数曲は、有名ではあっても
どれもすこしひねってある。
なぜえらんだかを説明する村上さんは、
それがクセなのか、はなしのさいごでクスッとわらう。
あんがい てれているのかもしれない。
ランニングと文章についてのはなしは、
村上ファンにとってとくにめあたらしい情報はない。
「下半身がしっかりすると上半身がやわらかくなる。
そうすると、文章がよくなる」
小説家は体力がたいせつなのだと
いつものように強調していた。
視聴者からの質問にこたえるコーナーもあった。
「音楽なしか、ネコなしかをえらぶとしたらどっち?」
という、そんなことをきいてどうするんだ、
みたいな質問にたいし村上さんは、
そういう二者択一にはこたえないようにしているとはなす。
どちらかをもしこたえて、
それがほんとうになったらいやだから、
というのが理由らしい。
村上さんの声は、想像していたよりもかしこそうだった。
もうすこしぬけたひとのしゃべりを予想していたら、
なれたDJみたいにスラスラとはなされる。
おしゃべりが音楽のじゃまにならず、
リラックスしてきいていると、ここちいい。
真剣に耳をかたむけたり、
メモをとったりする番組とはちがうのだ。
おしゃべりの内容がつまらないわけではなく、
音楽をメインにした番組と とらえれば、
これぐらい人畜無害なはなしがちょうどいい。
毎週でもこの番組をききたいとおもった。
番組のさいごに、おもっていたよりたのしかったので、
また機会があれば、みたいなはなしがあった。
月にいちどくらいのペースでもいいから
これからもつづけてもらいたい。
村上春樹さんが、ランニングと音楽をテーマに
ラジオ番組の司会者をつとめるという。
TOKYO FMで夜7時から放送するとしり、
しばらくまえからたのしみにしていた。
村上さんの声は たしかまだきいたことがない。
それに、音楽ずきな村上さんが、
どんな曲をえらぶのか興味があった。
番組でながされた数曲は、有名ではあっても
どれもすこしひねってある。
なぜえらんだかを説明する村上さんは、
それがクセなのか、はなしのさいごでクスッとわらう。
あんがい てれているのかもしれない。
ランニングと文章についてのはなしは、
村上ファンにとってとくにめあたらしい情報はない。
「下半身がしっかりすると上半身がやわらかくなる。
そうすると、文章がよくなる」
小説家は体力がたいせつなのだと
いつものように強調していた。
視聴者からの質問にこたえるコーナーもあった。
「音楽なしか、ネコなしかをえらぶとしたらどっち?」
という、そんなことをきいてどうするんだ、
みたいな質問にたいし村上さんは、
そういう二者択一にはこたえないようにしているとはなす。
どちらかをもしこたえて、
それがほんとうになったらいやだから、
というのが理由らしい。
村上さんの声は、想像していたよりもかしこそうだった。
もうすこしぬけたひとのしゃべりを予想していたら、
なれたDJみたいにスラスラとはなされる。
おしゃべりが音楽のじゃまにならず、
リラックスしてきいていると、ここちいい。
真剣に耳をかたむけたり、
メモをとったりする番組とはちがうのだ。
おしゃべりの内容がつまらないわけではなく、
音楽をメインにした番組と とらえれば、
これぐらい人畜無害なはなしがちょうどいい。
毎週でもこの番組をききたいとおもった。
番組のさいごに、おもっていたよりたのしかったので、
また機会があれば、みたいなはなしがあった。
月にいちどくらいのペースでもいいから
これからもつづけてもらいたい。
2018年08月05日
猛暑にすくわれたスイムラン
出雲市多岐町でひらかれたスイムランに参加する。
猛暑ため、大会事務局の判断で、
ロングの部は5キロみじかいコースへと変更になった。
結果からいえば、この判断にわたしはすくわれ、
なんとか完走をはたす。
じっさいは、あついといっても、
大会当日のコンディションとしては、きょねんも、
おととしもまた35℃をこえていたので、
コースをかえるほどではなかったとおもうけど、
事務局としては、いたしかたない判断というのもわかる。
あつさへの対応なのか、このごろのはやりなのか、
テントをもちこんだ選手・グループがおおかったようにおもう。
日かげがなければ 太陽の光からにげられないので、
適切な配慮かもしれない。
なんねんかまえに、香港でおこなわれたデモで、
色とりどりのテントがつかわれたけど、
きょうの多岐の海岸は、あのデモとにた風景になった。
わたしはテントのなかのむしあつさがにが手なので、
イスとクーラーボックスだけをもちこんだ。
ことしは、はじめてのこころみとして、
現地についてから朝ごはんをたべてみた。
いつもは自宅でたべてから出発するので、
駐車場をみつけるのがむつかしくなるし、
レースの3時間まえが理想といわれる食事時間をかんがえると、
現地でたべたほうがコンディションをととのえやすい。
男女2つずつの仮設トイレがもうけられているので、
食事のあとの用たしにもこまらなかった。
9時きっちりの時報とともに、参加者全員がスイムをスタートする。
ロングの部も、ショートの部も、女性も男性も、
すべてのカテゴリーがいっしょにスタートするので、
およぎはじめてしばらくは団子状態となる。
さきをいく選手のつくる水流にひっぱられる形で、
楽におよげるポジションのときもある。
ことしは波がすこしたかく、場所によっては、
うねりにほんろうされながらおよいだ。
ランは、冒頭にかいたように、
ロングの部は5キロみじかい16キロのコースだ。
これは、はしりおえてからの感想だけど、
どうも「猛暑」「酷暑」「災害級のあつさ」などのことばに、
脳が影響されて 足をとめてしまったふしがある。
もっとはしれるのに、あついのですごくしんどい、と
脳がからだじゅうに命令して、あつさから身をまもったのでは。
はしっているときは、たしかにすごくくるしくて、
エイドごとに2杯ずつの水分をもとめたり、
頭から氷水をかけてもらったりしたけど、
ゴールまえになると なにやら足がうごくようになり、
ラストスパートがてきたし、はしりおえると、
さっきまでのくるしさは なんだったのか、というほど、
すぐにげんきがもどってきた。
しばらく海につかって からだをひやしてから、
参加者にふるまわれるサザエ・トウモロコシ・ミニトマト
などがもられたお皿をうけとる。
この2年は、ゴールがおそすぎて、すでに完食となり、
残念なおもいをしたソーメンに、ことしはありつけた。
タイムは、5キロみじかいのに、ギリギリ3時間をきるていど。
もしいつもの21キロをはしっていたら、
これまででいちばんおそいゴールになっていた。
完走できたし、ひどいタイムをかくせたので、
猛暑にすくわれた大会といえそうだ。
猛暑ため、大会事務局の判断で、
ロングの部は5キロみじかいコースへと変更になった。
結果からいえば、この判断にわたしはすくわれ、
なんとか完走をはたす。
じっさいは、あついといっても、
大会当日のコンディションとしては、きょねんも、
おととしもまた35℃をこえていたので、
コースをかえるほどではなかったとおもうけど、
事務局としては、いたしかたない判断というのもわかる。
あつさへの対応なのか、このごろのはやりなのか、
テントをもちこんだ選手・グループがおおかったようにおもう。
日かげがなければ 太陽の光からにげられないので、
適切な配慮かもしれない。
なんねんかまえに、香港でおこなわれたデモで、
色とりどりのテントがつかわれたけど、
きょうの多岐の海岸は、あのデモとにた風景になった。
わたしはテントのなかのむしあつさがにが手なので、
イスとクーラーボックスだけをもちこんだ。
ことしは、はじめてのこころみとして、
現地についてから朝ごはんをたべてみた。
いつもは自宅でたべてから出発するので、
駐車場をみつけるのがむつかしくなるし、
レースの3時間まえが理想といわれる食事時間をかんがえると、
現地でたべたほうがコンディションをととのえやすい。
男女2つずつの仮設トイレがもうけられているので、
食事のあとの用たしにもこまらなかった。
9時きっちりの時報とともに、参加者全員がスイムをスタートする。
ロングの部も、ショートの部も、女性も男性も、
すべてのカテゴリーがいっしょにスタートするので、
およぎはじめてしばらくは団子状態となる。
さきをいく選手のつくる水流にひっぱられる形で、
楽におよげるポジションのときもある。
ことしは波がすこしたかく、場所によっては、
うねりにほんろうされながらおよいだ。
ランは、冒頭にかいたように、
ロングの部は5キロみじかい16キロのコースだ。
これは、はしりおえてからの感想だけど、
どうも「猛暑」「酷暑」「災害級のあつさ」などのことばに、
脳が影響されて 足をとめてしまったふしがある。
もっとはしれるのに、あついのですごくしんどい、と
脳がからだじゅうに命令して、あつさから身をまもったのでは。
はしっているときは、たしかにすごくくるしくて、
エイドごとに2杯ずつの水分をもとめたり、
頭から氷水をかけてもらったりしたけど、
ゴールまえになると なにやら足がうごくようになり、
ラストスパートがてきたし、はしりおえると、
さっきまでのくるしさは なんだったのか、というほど、
すぐにげんきがもどってきた。
しばらく海につかって からだをひやしてから、
参加者にふるまわれるサザエ・トウモロコシ・ミニトマト
などがもられたお皿をうけとる。
この2年は、ゴールがおそすぎて、すでに完食となり、
残念なおもいをしたソーメンに、ことしはありつけた。
タイムは、5キロみじかいのに、ギリギリ3時間をきるていど。
もしいつもの21キロをはしっていたら、
これまででいちばんおそいゴールになっていた。
完走できたし、ひどいタイムをかくせたので、
猛暑にすくわれた大会といえそうだ。
2018年08月04日
ラジオ番組三題
きょうのラジオマンジャックは「おまつり」がテーマだった。
えらばれた曲が、ぜんぶライブ盤でながされる。
1曲目は『ブルース・ブラザース』にでてきた
「Everybody Needs Somebody to Love」。
わたしがだいすきな曲だ。これぞライブ。
そのあともご機嫌な曲がいくつもながれる。
わたしはあすのレースをひかえ、すこしおもい気分だったけど、
レースもまた「おまつり」であり、
せっかくだからたのしもうという気になってきた。
こんな猛暑のなか、大会に参加できるのはしあわせかもしれない。
タイムはのぞめないとしても、
おやつやのみもの、それにスイカも しこたま用意して、
おまつり気分をもりあげたい。
なんねんかまえに赤坂さんが担当した
「とことん暑苦しい音楽」は、
いまおもうと、わたしにピッタリのロック入門番組だった。
2週間にわたって番組をきいていたら、
あとになって、ながされた曲をいろんなところで耳にする。
これだけをおさえておけば まちがいはないという
ロックやブルースのスタンダードナンバーが
気づかないうちに耳になじんでいた。
津野米咲さんが担当する木曜日のゆうがたパラダイスに、
ヒャダインさんがゲストとしてまねかれていた。
ヒャダインさんは、わたしにガールズポップスへの関心を
むけさせてくれたひとだ。
津野米咲さんとのつながりのように、
おもいがけないひとへ曲を提供されている。
ヒャダインさんの頭に蓄積されている
膨大な音楽情報は、つい耳をかたむけたくなる。
アイドルグループには、さすがについていけなくなったけど、
これもまたひとつの音楽ジャンルとして、
わたしのなかで存在感をもつようになった。
火曜日の三森すずこさんが担当する番組では、
「μ's」(ミューズ)という名前がでてきた。
三森さんはミューズと関係がふかいらしい。
ミューズってなんだ?
ウィキペディアをみると、ミューズは
ラブライブにでてくる架空の9人組の
女性アイドルグループらしい。
それでもまだなんのことだかわからない。
ゲストとしてアクアからきた2人が よばれていた。
アクアもわからない。
アクアもまた、9人組の女性グループらしい。
ガールズポップスのときも、「°C-ute」とか、
「ハロー!プロジェクト」にひっかかってさきへいけなくなった。
わたしが推察するに、三森さんの「μ's」は、
「ハロー!プロジェクト」における
「°C-ute」みたいなものなのだろうか。
ぜんぜんちがっている感がすごいけど。
アイドルでは「ハロー!プロジェクト」、
アニソンでは「ラブライブ」をおさえておかないと、
おじさんにはなんのことなのかわからないままだ。
超初心者むけの入門番組があればたすかるのだけど。
いつか、このわからなさの霧がはれ、
すべてがつながる日をむかえるのだろうか。
えらばれた曲が、ぜんぶライブ盤でながされる。
1曲目は『ブルース・ブラザース』にでてきた
「Everybody Needs Somebody to Love」。
わたしがだいすきな曲だ。これぞライブ。
そのあともご機嫌な曲がいくつもながれる。
わたしはあすのレースをひかえ、すこしおもい気分だったけど、
レースもまた「おまつり」であり、
せっかくだからたのしもうという気になってきた。
こんな猛暑のなか、大会に参加できるのはしあわせかもしれない。
タイムはのぞめないとしても、
おやつやのみもの、それにスイカも しこたま用意して、
おまつり気分をもりあげたい。
なんねんかまえに赤坂さんが担当した
「とことん暑苦しい音楽」は、
いまおもうと、わたしにピッタリのロック入門番組だった。
2週間にわたって番組をきいていたら、
あとになって、ながされた曲をいろんなところで耳にする。
これだけをおさえておけば まちがいはないという
ロックやブルースのスタンダードナンバーが
気づかないうちに耳になじんでいた。
津野米咲さんが担当する木曜日のゆうがたパラダイスに、
ヒャダインさんがゲストとしてまねかれていた。
ヒャダインさんは、わたしにガールズポップスへの関心を
むけさせてくれたひとだ。
津野米咲さんとのつながりのように、
おもいがけないひとへ曲を提供されている。
ヒャダインさんの頭に蓄積されている
膨大な音楽情報は、つい耳をかたむけたくなる。
アイドルグループには、さすがについていけなくなったけど、
これもまたひとつの音楽ジャンルとして、
わたしのなかで存在感をもつようになった。
火曜日の三森すずこさんが担当する番組では、
「μ's」(ミューズ)という名前がでてきた。
三森さんはミューズと関係がふかいらしい。
ミューズってなんだ?
ウィキペディアをみると、ミューズは
ラブライブにでてくる架空の9人組の
女性アイドルグループらしい。
それでもまだなんのことだかわからない。
ゲストとしてアクアからきた2人が よばれていた。
アクアもわからない。
アクアもまた、9人組の女性グループらしい。
ガールズポップスのときも、「°C-ute」とか、
「ハロー!プロジェクト」にひっかかってさきへいけなくなった。
わたしが推察するに、三森さんの「μ's」は、
「ハロー!プロジェクト」における
「°C-ute」みたいなものなのだろうか。
ぜんぜんちがっている感がすごいけど。
アイドルでは「ハロー!プロジェクト」、
アニソンでは「ラブライブ」をおさえておかないと、
おじさんにはなんのことなのかわからないままだ。
超初心者むけの入門番組があればたすかるのだけど。
いつか、このわからなさの霧がはれ、
すべてがつながる日をむかえるのだろうか。
2018年08月03日
ちかくの海でシュノーケリングをたのしむ
家から車で30分のところにある海岸でまちあわせ、
レース仲間とシュノーケリングをたのしむ。
ほかにはひとがだれもいない。
ひとつの入江が、わたしたちふたりだけのプライベートビーチだった。
このところの猛暑で、わたしのすきな水風呂につかってもなまぬるく、
ここちよいつめたさを 味わえなくなっていたけど、
海の水はさすがにひんやりしている。
すこしおよぐだけで、もうはだざむくなり、岩のうえでやすむ。
波がなく、ひとの気配もなく、セミのなき声しかきこえない。
ものすごくしずかな海を独占しているのが不思議なかんじだ。
午前ならさすがに海水浴客がいるだろうけど、
わたしたちがおよぎはじめたのは3時半だったので、
ほんとうにひとがいない。
こんな海岸に、車ですぐにこれて、駐車場にもこまらないのだから、
なんて島根はすてきなんだろうとおもう。
水中メガネからみる景色は、
さすがにサンゴ礁ほど色あざやかではないけど、
さかながあたりまえにおよいでいる。
もうすこしにげたらとおもうのに、
ひとがちかづいても、のんびりおよぎつづけている。
なによりも水がすきとおっていて、波もなく、
ただよっているだけで気もちいい。
1時間ほどで浜にあがる。
海岸ちかくの砂がキラキラかがやいていて とてもきれいだ。
シャワーの設備などないので、
ポリタンクにもってきた水で水あびをする。
からだはいいかんじにひえたままだ。
家にかえるまで、エアコンをつけなくても平気だった。
レース仲間とシュノーケリングをたのしむ。
ほかにはひとがだれもいない。
ひとつの入江が、わたしたちふたりだけのプライベートビーチだった。
このところの猛暑で、わたしのすきな水風呂につかってもなまぬるく、
ここちよいつめたさを 味わえなくなっていたけど、
海の水はさすがにひんやりしている。
すこしおよぐだけで、もうはだざむくなり、岩のうえでやすむ。
波がなく、ひとの気配もなく、セミのなき声しかきこえない。
ものすごくしずかな海を独占しているのが不思議なかんじだ。
午前ならさすがに海水浴客がいるだろうけど、
わたしたちがおよぎはじめたのは3時半だったので、
ほんとうにひとがいない。
こんな海岸に、車ですぐにこれて、駐車場にもこまらないのだから、
なんて島根はすてきなんだろうとおもう。
水中メガネからみる景色は、
さすがにサンゴ礁ほど色あざやかではないけど、
さかながあたりまえにおよいでいる。
もうすこしにげたらとおもうのに、
ひとがちかづいても、のんびりおよぎつづけている。
なによりも水がすきとおっていて、波もなく、
ただよっているだけで気もちいい。
1時間ほどで浜にあがる。
海岸ちかくの砂がキラキラかがやいていて とてもきれいだ。
シャワーの設備などないので、
ポリタンクにもってきた水で水あびをする。
からだはいいかんじにひえたままだ。
家にかえるまで、エアコンをつけなくても平気だった。
2018年08月02日
同僚の結婚をおいわいするサプライズパーティー
職場の同僚が結婚することになり、
サプライズパーティーが企画された。
とてもやさしい女性で、きょうの会が
自分のためにもよおされたサプライズと気づいたところで
はやくも涙をこらえきれず、ぐしゃぐしゃの顔になる。
それがまたすてきな笑顔なので、
おいわいするわたしたちもうれしくなる。
どこで用意したのか、ウェディングドレスをきた彼女は、
花婿の代理をつとめる職員といっしょに
みんなのまえをしずしずとあるいてくる。
ほとんど結婚式にでたことのないわたしは、
彼女がほんとうにきれいなのでおどろいた。
きれいでないのに「すてき!」というのはつらいけど、
彼女はほんとうにすてきだった。
とはいえ、個人的なこのみでいうと、
サプライズパーティーはかんべんしてほしいとおもう。
わたしなんかに企画されるわけはないので、
心配する必要はないのだけど、どんなおいわいであれ、
サプライズされたらこまってしまうだろう。
企画するほうはたのしいかもしれないけど、
おどかされる側は、うれしさとともに、
かなりのはずかしさをかんじているのでは。
ひとにはむき・ふむきがあり、ああした日のあたる場面は、
それにたえられるひとだけにしてほしい。
サプライズパーティーの司会をしたのも、
花婿の代理をつとめたのも、
さいごに万歳三唱をとなえたのも、
みんな離婚経験者なのに気づき、おもしろいとおもった。
結婚が、けして無条件のしあわせでないのをみんなしっており、
それでもなお、こころからおいわいしたいとおもっての会だ。
そういうわたしだって、まさか自分たちが
しずかで会話のとぼしい 典型的な中年夫婦になるなんて、
結婚したときにはすこしもおもわなかったのに。
きょうの会は、結婚が、いいことばかりじゃなくて、
でも、そのすばらしさを よくわかっている職員たちのおかげで、
リアルな、こころのこもったおいわいになった。
結婚する彼女が、しあわせな生活をおくるよう ねがっている。
サプライズパーティーが企画された。
とてもやさしい女性で、きょうの会が
自分のためにもよおされたサプライズと気づいたところで
はやくも涙をこらえきれず、ぐしゃぐしゃの顔になる。
それがまたすてきな笑顔なので、
おいわいするわたしたちもうれしくなる。
どこで用意したのか、ウェディングドレスをきた彼女は、
花婿の代理をつとめる職員といっしょに
みんなのまえをしずしずとあるいてくる。
ほとんど結婚式にでたことのないわたしは、
彼女がほんとうにきれいなのでおどろいた。
きれいでないのに「すてき!」というのはつらいけど、
彼女はほんとうにすてきだった。
とはいえ、個人的なこのみでいうと、
サプライズパーティーはかんべんしてほしいとおもう。
わたしなんかに企画されるわけはないので、
心配する必要はないのだけど、どんなおいわいであれ、
サプライズされたらこまってしまうだろう。
企画するほうはたのしいかもしれないけど、
おどかされる側は、うれしさとともに、
かなりのはずかしさをかんじているのでは。
ひとにはむき・ふむきがあり、ああした日のあたる場面は、
それにたえられるひとだけにしてほしい。
サプライズパーティーの司会をしたのも、
花婿の代理をつとめたのも、
さいごに万歳三唱をとなえたのも、
みんな離婚経験者なのに気づき、おもしろいとおもった。
結婚が、けして無条件のしあわせでないのをみんなしっており、
それでもなお、こころからおいわいしたいとおもっての会だ。
そういうわたしだって、まさか自分たちが
しずかで会話のとぼしい 典型的な中年夫婦になるなんて、
結婚したときにはすこしもおもわなかったのに。
きょうの会は、結婚が、いいことばかりじゃなくて、
でも、そのすばらしさを よくわかっている職員たちのおかげで、
リアルな、こころのこもったおいわいになった。
結婚する彼女が、しあわせな生活をおくるよう ねがっている。
2018年08月01日
自動車をもつ生活に 疑問がめばえてきた
自動車保険の更新にあたり、保険会社から説明にこられた。
これまでといっしょでいい、というのに、
ぜひ直接あっておはなししたい、といわれる。
めんどくさいけど、仕事がおわる時間に職場まできてもらった。
けっきょくこれまでとおなじ保険を、ひきつづき契約する。
ただ、免許証の色が金から青にかわったため、
すこし保険料があがって3万8000円ほどになる。
1年に4万円ちかくもするのかと、いまさならながおどろいた。
これまでいちども保険のお世話になったことがないので、
30年以上、保険料を無駄にはらいつづけているわけだ。
保険とは、いざというときのためだから、
しょうがないとはいえ、すごくもったいない。
自動車保険のほかにも 毎年しはらうものに、
自動車税と重量税があり、
わたしのホンダ・フィットは4万5000円ほどかかる。
家の庭にとめてあるので、駐車料金はかからないけど、
いちねんにかならず8万5000円、そのうえ
2年にいちどの車検に10万円もはらうのは、いかにも残念だ。
これから年金生活者となり、収入がへったときに、
自動車をもちつづけるのは貧乏人にとってそうとうな負担となる。
きょうはあたりまえとおもって自動車保険をそのまま契約したけど、
いちどかんがえなおしてみるのもありだとおもった。
自動車をもち、すきなときに、すきな場所へいけるのは
自由な生活の象徴ではあるけれど、その自由はずいぶんたかくつく。
都会とちがい、公共の移動機関がじゅうじつしていない地方では、
じっさいに車がないと くらしが不便になるとはいえ、
生きていけないわけではもちろんない。
自動車にかわり、たとえばスーパーカブにかえたら、
必要な経費はずいぶんすくなくなり、機動力はそんなにおちない。
わたしは20代の後半から30代の前半にかけての5年間、
自動車とバイクをもたずにくらしていた。
わかいころ、女の子とあそぶ機会をあきらめても
車をもたずにやっていけたのだから、
いい年をしたオヤジが車を手ばなすのは、
そうたいしてむつかしくないのでは。
近場は自転車で、とおくへはバイクでいけばいいのだ。
お金をつかわない生活を、不便だとおもえばわびしいので、
ゲームの一種として 節約をたのしむ。
はいってくるお金がすくなくなる以上、
でていくお金が これまでとおなじなのは無理がある。
車がなければ、いろんな便利さをあきらめなければならないけど、
歳おいていく過程で あきらめもまた必要になってくる。
精神の自由は、あんがい車を手ばなしたら、
するっと手にはいるかもしれない。
きょうのヤフーニュースに、スーパーカブの
125ccが新発売になる記事がのっていた。
タイではすでに販売されているそうだ。
125ccのカブといえば、わたしのあこがれである
ホンダドリーム125ではないか。
車を手ばなしてカブにかえるよう、
神さまがささやいているのかもしれない。
これまでといっしょでいい、というのに、
ぜひ直接あっておはなししたい、といわれる。
めんどくさいけど、仕事がおわる時間に職場まできてもらった。
けっきょくこれまでとおなじ保険を、ひきつづき契約する。
ただ、免許証の色が金から青にかわったため、
すこし保険料があがって3万8000円ほどになる。
1年に4万円ちかくもするのかと、いまさならながおどろいた。
これまでいちども保険のお世話になったことがないので、
30年以上、保険料を無駄にはらいつづけているわけだ。
保険とは、いざというときのためだから、
しょうがないとはいえ、すごくもったいない。
自動車保険のほかにも 毎年しはらうものに、
自動車税と重量税があり、
わたしのホンダ・フィットは4万5000円ほどかかる。
家の庭にとめてあるので、駐車料金はかからないけど、
いちねんにかならず8万5000円、そのうえ
2年にいちどの車検に10万円もはらうのは、いかにも残念だ。
これから年金生活者となり、収入がへったときに、
自動車をもちつづけるのは貧乏人にとってそうとうな負担となる。
きょうはあたりまえとおもって自動車保険をそのまま契約したけど、
いちどかんがえなおしてみるのもありだとおもった。
自動車をもち、すきなときに、すきな場所へいけるのは
自由な生活の象徴ではあるけれど、その自由はずいぶんたかくつく。
都会とちがい、公共の移動機関がじゅうじつしていない地方では、
じっさいに車がないと くらしが不便になるとはいえ、
生きていけないわけではもちろんない。
自動車にかわり、たとえばスーパーカブにかえたら、
必要な経費はずいぶんすくなくなり、機動力はそんなにおちない。
わたしは20代の後半から30代の前半にかけての5年間、
自動車とバイクをもたずにくらしていた。
わかいころ、女の子とあそぶ機会をあきらめても
車をもたずにやっていけたのだから、
いい年をしたオヤジが車を手ばなすのは、
そうたいしてむつかしくないのでは。
近場は自転車で、とおくへはバイクでいけばいいのだ。
お金をつかわない生活を、不便だとおもえばわびしいので、
ゲームの一種として 節約をたのしむ。
はいってくるお金がすくなくなる以上、
でていくお金が これまでとおなじなのは無理がある。
車がなければ、いろんな便利さをあきらめなければならないけど、
歳おいていく過程で あきらめもまた必要になってくる。
精神の自由は、あんがい車を手ばなしたら、
するっと手にはいるかもしれない。
きょうのヤフーニュースに、スーパーカブの
125ccが新発売になる記事がのっていた。
タイではすでに販売されているそうだ。
125ccのカブといえば、わたしのあこがれである
ホンダドリーム125ではないか。
車を手ばなしてカブにかえるよう、
神さまがささやいているのかもしれない。