ペルーのアマゾンにすむ先住民には、
先祖たちによりかたりつがれてきた、
不思議ないいつたえがある。
100年以上まえ、ゴムの木をさがすため、
彼らの先祖が白人たちに森へむりやりつれていかれた。
過酷な労働にたえかね、森のなかをにげまわるうちに
ふたつのグループにわかれてしまった。
ひとつは、先祖たちのグループで、
かれらは故郷へもどることができたが、
もうひとつのグループは、そのまま森へきえてしまった。
森でわかれた仲間(ノモレ)をさがしてくれと、
彼らは子孫たちへのねがいを いいつたえてきた。
まえによんだ『ピダハン』や『ヤノマミ』では、
アマゾンの奥ふかくにくらす先住民たちが、
いかに現代人とはちがう文化をもっているかに
おどろかされた。
数をかぞえる単語がなかったり、
生まれた子を、そのままそだてるのか、
森へかえすのかの判断を母親がするといった、
わたしたちとまったくちがった価値観は、
かわっているだけに 話題となりやすい。
『ノモレ』は、おなじように先住民をあつかっているとはいえ、
『ピダハン』などとちがい、ずいぶん地味な記述に終始する。
文明をしらない先住民たちのくらしを、
どうやってまもっていくのかが、この本のテーマだ。
イゾラド(文明をしらない先住民)は、
自分たちだけのくらしをつづけてきた。
現代人と接触すれば、先住民はかんたんに病気にかかり、
村ぜんたいがほろんでしまう。
彼らに食料や医療をほどこすだけでは、
イゾラドならではの生活をつづけられないし、
文明化をよびかけることが、彼らのしあわせとはかぎらない。
保護区をつくり、ほかの住民がはいらないようにしても、
すくない予算では ひろすぎる森の管理は現実的でない。
先住民の末裔であるロメウは、
ペルー政府の政策によりたてられた
「監視・統制拠点」の職員にえらばれた。
森からあらわれるイゾラドとの関係づくりをまかされる。
ロメウは、イゾラドこそ、自分たち一族がさがす
ノモレであるような気がしている。
彼らにバナナをあたえ、先祖たちがはなしていた
ふるいことばでよびかけながら、信頼関係をつくろうとする。
ロメウはイゾラドたちをみて、自分の祖先たちの時代をおもう。
ロメウがイゾラドを「ノモレ」だとおもいたいのは、
自分もまたノモレたちの血をひいているとかんじるからだ。
イゾラドのくらしぶりは、
ロメウのアイデンティティーにうったえてくる。
自分はペルー社会の一員である以上に、イゾラドの末裔なのではないか。土地を奪われ、病気で死に、奴隷となってもなお森で生き延びてきた彼らの、営みをうけついできたはずの子孫なのではないか。
とすれば、自分が信じるべきものとは、森のルールなのではないか。
文明をうけいれた先住民ではあるけれど、
ロメウは、白人たちを全面的には信頼していない。
自分のなかにながれるイゾラドの血が、
ノモレたちのくらしを尊重するよう 彼をうごかしている。
かつての先住民たちが、いまどんなおもいでくらしているのかを、
ロメウに代表させたのが本書だ。
なぜロメウがノモレにこだわるのか
はじめはわかりにくかったけど、
イゾラドをまもろうとする地道なこころみをつうじ、
しだいにロメウへ共感をよせていった。