質問されることにたいして にが手意識がある。
このまえ「すきなたべものを3つあげて」と
なにげなくたずねられただけでつまずいてしまった。
これくらい こたえるのがかんたんそうな質問でも
わたしはかんがえこんでしまう。
ハンバーグやステーキがすきだけど、
サンマの塩やきだって、イワシの煮つけだっておいしいし、
ラーメンもいいけどスパゲッティもすてがたい、とか、
いつまでもベスト3がまとまらない。
2択とか、3択だったらなやまない。
すべての候補から3つ、がだめだ。
すきな曲、いってみたい国、すきな本、すきな作家。
質問されそうなことはいくらでもあり、
そのすべてがきちっときまっているひとは、
いつも自分がやりたいことについて、
優先順位や方針がさだまっていそうだ。
わたしの場合、ああでもない こうでもないと、
まよったり なやんだりするのを、
たのしんでいるところもある。
仕事をしていても、なにか判断が必要なとき、
「ちょっとまってね」と、しばらくかんがえないときめられない。
こういう職員は、おおくの場合つかいものにならないけど、
だからといって人間性におとるわけではないので、
すえながく職場においといてほしい。
質問にすぐこたえられるひとは、
頭のなかが整理されているというよりも、
いっていの訓練をつんだ結果ではないか。
就職試験にむけて、面接の練習をつんだ大学生は、
きっとなにがしかのコツをつかむのではないか。
とはいえ、そうやってすんなりこたえるひとが、
きいているひとのこころをとらえるかというと、
それはまたべつの問題となる。
わたしがすぐにこたえられる質問に、
「きらいなこと3つ」がある。
・質問されること
・行列にならぶこと
・おもたい荷物をもつこと
すぐにこたえられるよう、いつも準備しているのに、
これまでにいちどもこの質問をされたことがない。
ベスト3でなくても こたえがむつかしい質問もある。
あなたのしあわせとは?とたずねられたら、
なんとこたえたらいいのか。
自分のしあわせすら、すぐにはこたえられない。
やはり質問は、たとえどんな種類でも、こたえるのがやっかいだ。