ダジャレのあたらしい概念を提案している。
「音ではなくサイズによる新しいタイプのダジャレ」
http://portal.nifty.com/kiji/180820203738_1.htm
ダジャレのおもしろさってなんだろう。「同じ音でちがう意味」それがダジャレのおもしろさなら「同じサイズでちがう意味」もダジャレになるのではないか。
ものの形はさまざまなので今回は円形に絞った。
ようするに、町でみかけるいろいろな「円」に、
用意してきたまるいものをかぶせてみて、
それがおなじおおきさだったら、それは「ダジャレ」なのだ。
まずルールを決める。これから円形のものを探して持参したものに置き換える。そしてダジャレであるのでうまくいったらドヤ顔をしようということになった。「円形のものを探す→置き換える→ドヤ顔」を繰り返す。
新宿駅の壁にはってあった消防隊のマークに
6pチーズの箱をかぶせてみると、ぴったりおさまった。
すかさず大北さんはドヤ顔してみせる。
ぴったりだろうと思ってるものがぴったりだった。これを「当たり前だ」ととるか「すごいぞ」ととるかで人は分かれるだろう。
「当たり前だ」と思う人は素晴らしい知性の持ち主だ、今からでも東大を目指してほしい。「すごいぞ」と思う人は心優しい仲間だ。この夏は地面を掘ってブラジルに行こう。
家で食器をあらっているとき、ながしの排水口に、
すっぽりタッパーのふたがおさまったりするので、
こうしたサイズには、なにか
かくれた法則が存在するのかもしれない。
そして、都営地下鉄のマークは、
新宿中村屋のどら焼きがすっぽりおさまった。
そのご、いくつもの「ピッタリ」がみつかる。
・都営大江戸線のマークとシーチキンマイルド
・火災報知器とちょっとおおきめのメロンパン
・終日禁煙のマークともちかえりコーヒーのフタ
だじゃれが成立したのだから、おもしろいはずなのに、
現実にはなんだか やるせなさがつのる。
「いまとなってはだからどうしたんだとくじけそうになる」
がせつない。
ついには、「タッチでおトク」のマークに
森永のムーンライトクッキーが
わずかにちいさくて、マークがはみでているのを、
「これは日食ではないか!」と
それまでのピッタリ路線をかなぐりすてて、
おきてやぶりの強引さでおしまくる。
さいごには、ミスタードーナツのハニーディップと、
ビッグプッチンプリンがだじゃれであり、
さらにはプリマハムもそのうえにきれいにおさまった。
「これが私達の考える新しいダジャレである。
韻を踏んでいるといってもいい」
いくつもの「あたらしいダジャレ」を発見しながら、
どうしても「だからどうしたんだ」からぬけきれなかった大北さん。
サイズがおなじものをあつめるだけでなく、
それを「ダジャレ」と喝破しようとした
大北さんのするどい感性をたたえたい。
ダジャレは、こんなにも自由なのだ。