「世界ふれあい街歩き」のアンコール編で、
アメリカの西海岸の町をあるいていた。
いいかんじの家が林のなかにみえるので たずねていくと、
仲間があつまって 休日をたのしんでいる。
家からみわたす景色がうつくしく、
仲間どうしでおしゃべりにくつろぎながらシャンパンをのむ。
ナレーターが「いいですねー」と感想をもらすと、
そのなかのひとりが、
「いい関係をたもつには、わらいが必要、
それにシャンパンと」といっていた。
シャンパンはともかく、たしかに笑顔のちからはおおきい。
笑顔になれば、なんでもないおしゃべりがはずんでくる。
番組のカメラがとらえる彼らは、
おしゃべりをまじえて しずかにほほえんでいる。
ふざけあっておおさわぎしているわけではない。
笑顔と、ちょっとした料理があれば、それでじゅんぶんみたいだ。
わたしがみても、極上の時間をすごしているのがわかった。
家族や友人たちと、なんとなくいい時間をすごすしあわせを、
デンマークでは「ヒュッゲ」とよんで大切にしているそうだ。
わたしもそんなあつまりに参加してみたいけど、
どこで、だれとすごすのかがイメージしにくい。
日本人は、こんなふうになんとなくあつまって
どうでもいいはなしをたのしむのがにが手なのではないか。
レストランや居酒屋ではなく、
おたがいの家や、第3のスペースですごす日常のひととき。
そんなぜいたくな時間は、
職場へかよいながらだと、なかなかのぞめない。
夏目漱石の小説には、ぶらりとあそびにきて、そのままながいこと
どうでもよさそうなはなしをする場面がよくでてくる。
現代にいきるわれわれは、いそがしすぎて、
目的もなくあつまる時間がないのだろうか。
でも、退職して、時間に余裕ができても、
だれもがじゅうじつした時間をおくれるわけではない。
いそがしい、はいいわけにすぎず、
けっきょく仕事以外のすごしかたがうまくない。
いまのうちに、仕事をはなれた人間関係を大切にしておかなければ。
といいながら、わたしは地区でのデビューに失敗した
(役員を最低限の2年だけでやめている)。
のこるはレース関係の人脈だけがたよりだ。
仕事へかたむける時間は極力へらし、
わたしなりの「ヒュッゲ」をとりいれていきたい。