2018年09月04日

創意工夫や改善に関心のないわたし

先日のアルバイトは、ハーブ用土をつくる仕事だった。
まぼろしのブレンダーともよばれる
経験豊富なスタッフが体調をくずしたため、
いつもやっている苗の発送ではなく、
用土づくりの仕事をいいつかった。
いきなりひとりではできないので、
店長のむすこ(大学1年生)が、
わたしにつくり方をおしえてくれる。

ハーブ用土は、つかい道によっていくつもの種類がある。
こんかいは、そのうちの2種類にとりくんだ。
土をまぜる機械に、何種類かの材料をいれてスイッチをおす。
かんたんそうだけど、材料をいれる順番や量を
まちがいなくこなすのは、あるていど経験が必要だ。
そして、仕事なので、
できるだけはやくすすめたほうが いいにきまっている。
店長のむすこくんは、お父さんから
はやく仕事をすすめられるような、
アイデアをだすよう宿題がだされている。
お父さんが3時間で30袋をつくるのなら、
材料のおき場所や、計量のやり方を工夫して、
もっとはやくできる方法はないかと
むすこくんは、ブツブツつぶやきながら用土づくりにとりくんでいた。

わたしは、作業効率をあげるための工夫や、
仕事のすすめ方を改善していくのに、まったく興味がわかない。
極端なことをいうと、そうした創意工夫こそが諸悪の根源であり、
地球を破滅にむかわせているのだと本気でおもっている。
わたしが尊敬する梅棹忠夫さんの影響だ。
20代のころによんだ梅棹さんの『わたしの生きがい論』により、
わたしは わかくして人生をおりてしまった。
たとえば、ふえすぎた人口をどうするかといった、
地球全体、人類全体の状況が
いかにむつかしい問題になっているかを梅棹さんは指摘する。
その解決のために科学の進歩にたよろうとしても、
けっきょくは またあらたなややこしい問題を
生みだすだけというのが梅棹さんのかんがえだ。
進歩で解決できるとおもうのは、あまいですよと、
一般にいわれているのと
反対の発想を梅棹さんはしめしている。
かんがえるのは、これまで人類がずっとやってきた。
むしろ かんがえないことにこそ、
あたらしい道がひらかれているかもしれないと、梅棹さんはいう。
梅棹さんの本をよむうちに、
その影響からわたしはのがれられなくなった。

わたしだって、作業効率をあげるために、
道具や材料のおき場所や順番をかえることもある。
時間がかかるやり方へ、改悪するのが目的ではないので、
おもいついた範囲で、たとえば袋のむきをかえたり、
左から順番に材料をならべたりする。
それぐらいの「工夫」はうけいれないと、
はじめたやり方をずっとつづけなければならない。
問題なのは、創意工夫を善ときめつけるかんがえ方であり、
ひょっとしたら、こうした効率改善は悪かもしれないという
可能性を頭のすみにのこしておきたい。

まだわかい大学1年生のむすこくんは、
将来のある身であり、おおいに創意工夫をすればいい。
改善にむけて、おおくの工夫をためしたあげく、
ある日、そうした努力はもしかしたら意味がないのかも、と
かんじるようになったら、おなじ道をあゆむものとして
人生論をかたりたい。

posted by カルピス at 20:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする