(西部謙司・株式会社カンゼン)
トータルフットボールをキーワードに、
サッカー戦術の歴史をときあかしている。
サッカーは、3-4-3とか4-3-2-1とか、
いくつものフォーメーションがあり、
いったいなにを目的にし、どんなちがいがあるのか、
なんどきいてもわたしにはさっぱりだけど、
この本をよむと、けっきょくはトータルフットボールが
サッカー戦術の軸になっていて、
トータルフットボールをふせごうとするうごきと、
トータルフットボールをきわめようとする側の
せめぎあいの歴史なのがわかってきた。
トータルフットボールとはなにか。
ゴールキーパー以外の選手がポジションをいれかわりながら、
こまかくパスをつなぎ、全員でせめ、
全員でまもるイメージがあるけれど、
ただポジションをかえるだけでは
トータルフットボールとよばない。
なぜトータルフットボールが
パスとプレッシングを前提条件としているかなど、
本書は理論明快にサッカー戦術のながれをときあかしてくれる。
そこらへんは、ぜひ本書をよんでいただくとして、
ここでは西部さんの本の、文章のうまさを紹介したい。
西部さんは、表現したいことの核心を、
たくみな比喩で、おもしろくかく。
わかりやすい文章は、ほかのサッカーライターにない魅力をもつ。
解説本としてだけでなく、よみものとしてたのしめるので、
いつもスルスルと、さいごまでよみすすめてしまう。
トータルフットボールと、ちょくせつ関係はないけど、
魅力のある文章を引用してみる。
レアルの補強戦略は昔から補強というよりコレクションに近くて、その時代で最もすぐれたアタッカーを揃えることに重点が置かれている。(中略)
強い選手を集めているから強い、というのがレアルの基本的な補強戦略である。
その成分はほとんどバルセロナの同じでも、流し込まれる型が違えば出来上がりも違う。タイ焼きと今川焼きが似ているけれども違う製品であるように、バルサとバイエルンは出来上がりが違っていた。具体的にはフィニッシュへのアプローチの部分だ。
ディエゴ・マラドーナは別格だ。プラティニとジーコは人類最高クラスかもしれないが、マラドーナはそれ以上であり、史上何人か存在する「他の惑星から来たプレーヤー」に属する。
攻撃はとにかくマラドーナにボールを預け、あとはマラドーナが何とかする。実際、それで何とかなった。
ドリームチームも今振り返れば無用に大きかった80年代の携帯電話のように見える。ただ、あれがなければスマートフォンもないわけだ。
この本をよむと、元代表監督のオシムさんがめざしたのは
トータルフットボールだったのがわかるし、
今シーズンの横浜F・マリノスがこころみているハイプレスも
トータルフットボールのながれをくむ戦術だ。
なぜ解説者がマリノスのサッカーを
つよく否定するのか不思議におもえる。
どんなサッカーをこのむかは、そのひとの人生観にかかわってくる。
正解はひとつではないし、自分で戦術をかえようとおもっても、
生きかたなのだから、そうかんたんにはかえられない。
フットボールが人生で、人の生き方ならば、選択肢はたくさんあるようにみえて、そうでもないのだろう。結局はこう生きたいと思ったとおりに生きるしかない。(中略)簡単に生き方を変えられるほど人間は器用ではないのだろう。