2018年10月31日

スーパーのポイントカードはわずらわしくないか

しばらくまえから、いきつけのスーパーが
ポイントカードをとりいれた。
かいものでレジにならぶたびに
「ポイントカードをおもちですか?」
とたずねられる。
まいにちのようにいくスーパーだから、
顔をおぼえているはずだけど、
かいもののたびにおなじ質問をされる。
もってない、というと、
「おつくりになりませんか?」とつづく。
ゆうべなどは、ポイントカードがないと
かいものをうけつけてもらえず、
あせりまくる夢までみた。
状況は、もはや由々しき段階にたっしている。

はじめは、なんのことかわからなかった。
キャッシュレスでしはらうお客をふやすため、
カードでかったお客はポイントがもらえるのかとおもっていた。
そうではなくて、自分のお店だけをつかうお客を優遇し、
お客をかこいこむのが目的のカードらしい。
ポイントをためたひとだけが、
わりびきされていいおもいをするよりも、
商品の値段をさげて、だれもがやすくかえるほうが、
世のためひとのためのではないか。

サイフにいろんなポイントカードをいれるのは、
うつくしくないし、ただひたすらめんどくさくもあり、
わたしはこの手のカードをもたない主義だ。
ハンコをためたらコーヒー1杯が無料、
なんてのも、あつめる気にならない。
すこしぐらいわりやすになろうとも、
よけいなことに頭をつかわなくてもいいよう、
サイフには1枚もポイントカードをいれてない。
コツコツためればそれだけやすくなるのだろうけど、
「きょうはポイントが5倍です」
なんて強調されたりすると、
そのぶんやすくしてくれよとおもう。

カードばらいにすれば、お店の負担がすくなくなるので、
お客を優遇する、というのはよくわかる。
みんながしはらいにカードをつかえば、
おつりを準備しなくてもいいので お店はすごくらくだ。
でも、スーパーがやっているポイントカードは、
キャッシュレスでのしはらいとちがう。

いまわたしは、野菜あつめに 毎朝いくつもの農家をまわっている。
1袋を85円でかいとるので、しはらいにはこまかいお金が必要だ。
5円玉や10円玉をきらさないように気をくばる。
また、クッキーや野菜がうれたお金を銀行に入金するときは、
硬貨が100枚以上になると手数料をとられる。
小銭がたくさんだと、かぞえるのがたいへんだし、
おもくてあつかいにくく、いいところがない。
概念としてのお金は便利だけど、
現実に流通するお金はかなり不便だ。
すこしまえまでは、お金をだせばほしいものと交換できるなんて、
すごくよくできたしくみだと感心していた。
本をかうのに、塩が1キロ必要では、
かんがえただけでもたいへんだから。
でもいまは、お金のあつかいにくさばかりに目がむかう。
スーパーは、ポイントカードではなく、
キャッシュレスにむけ、本気でうごきだしたほうがいいのでは。

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2018年10月30日

三森アニソン研究所Pで、『パンダコパンダ』がとりあげられた

火曜日のゆうがたパラダイスには、
「三森アニソン研究所P」というコーナーがあり、
研究員の前田久さんがアニメ作品をとりあげて、
その魅力をプレゼンしてくれる。
といっても、最近のアニメ作品は、タイトルをきいたことさえなく、
わたしにはなんのことだかほとんどわからない。
こういう番組に、宮崎さんの作品は場ちがいで
とりあげられないのだろうと、あきらめていたら、
きょうは『パンダコパンダ』の主題歌がながれた。
前Qさんが、ハロウィンの仮装として、
パンダのかっこうをしていたことから、
パンダといえばこの作品、という関連づけだ。

『パンダコパンダ』は、1972年当時の
パンダブームにあてこんでつくられている。
そんな動機不純な作品をだれがみるものかと、
小学生だったわたしは、バカにして劇場へいかなかった。
宮崎さん・高畑さんがかかわった作品であることをあとからしり、
おとなになってビデオテープをかってみると、
そのたのしさにすっかりひきこまれてしまった。
これぐらい、こころをげんきにしてくれる作品はあまりない。

ひとりぐらしをしている女の子(ミミちゃん)の家に、
パンダの親子がやってくる、という
ありえないはなしなのだけど、
作品をとりまくゆったりした世界観がすばらしく、
みているうちにうれしくなってきて、
たいていのことはどうでもよくなる。
ミミちゃんは、お父さんとなった「パパンダ」に
「おとーさんは、会社へいくものよ」と、
カバンをもたせ、動物園へ仕事にかよわせる。
パパンダが、とまどいながら電車にのって通勤し、
ぶじに仕事をおえてかえってくると、
むかえにきていたミミちゃん・パン(コパンダ)の3人で
手をつなぎながら、家への道をあるいていく。
たよりになるおとうさんと やさしいおかあさんがいて、
みんななかよく くらしている、という幸福感が格別だ。

第2作目の『パンダコパンダ 雨ふりサーカス』では、
大雨がふって、家が水につかってしまう。
大水は、おとなには、たいへんな災害だけど、
子どもにとっては、とつぜんあらわれた めずらしい景色だ。
高畑さんは「日常生活のなかの冒険」といっていたようにおもう。
冒険は、子どもたちにとって、
なにかとくべつな状況のもとにおこなわれるものではなく、
日常のなかにだって、わくわくするできごとがたくさんある。
家が水につかっても、パンダの親子とミミちゃんは、
ベッドを船にして、サーカスの動物たちをたすけにでかける。
水のなかは透明にすんでいて、
家のなかには魚たちがはいりこんでいる。
ほんとうの水害は、こんなのどかな光景ではないわけだけど、
漫画映画のなかでは、たいへんな状況さえ冒険の場となる。

おとなのわたしがみてもたのしいこの作品は、
もちろん子どもたちのこころもとらえる。
わたしがスイミングスクールではたらいていたころ、
なにかの行事で『パンダコパンダ』の上映会をひらいたら、
子どもたちは画面から目をはなさず、集中してみていた。
まだほとんどしられていなかった『パンダコパンダ』を
上映作品にえらんだわたしは すごくとくいだった。

おとなもこどもも、こころが『パンダコパンダ』なら、
まちがいなく世界は平和なのに。
タグ:三森すずこ

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2018年10月29日

あたりまえにおいしい紅茶がのみたい

コーヒーをのむと胃がいたくなりやすいので、
このごろは紅茶にきりかえている。
スーパーでかったやすい紅茶の葉を
ポットにいれて3分ほどむらす。
ミルクティーにすることがおおく、
ときどきレモンをしぼる。
おなじようにいれているつもりでも、
おいしくはいるときと、そうでないときの差がおおきい。
なんども紅茶をいれていながら、
いまだに適切な葉の量がわからない。
沸騰直後のお湯、というセオリーも、
めんどくさいので、沸騰したまましばらくおいたり、
やかんにはいっていたふるい水を、
そのままわかしたりと けっこういいかげんだ。

家でいれる紅茶になかなか満足できないけど、
外でのむ紅茶はもっとひどい。
沸騰したお湯を紅茶にそそぐのは、
いまさらいうまでもない常識だとおもっているのに、
コンビニやKFCでは、お湯のはいった紙コップをもってきて、
お客がティーバッグをいれるところがある。
とうぜんお湯は熱湯ではなく、おいしい紅茶がはいるとはおもえない。
ミルクティーを希望すると、コーヒーにつかう
いわゆる「コーヒーフレッシュ」をだされる。
ミルクティーは牛乳のほうがおいしいのではないか。
コンビニだけでなく、喫茶店で紅茶を注文しても、
おいしいとおもった ためしがない。
日本人は、お茶をこのむひとがおおいのに、
紅茶についてはなぜこんな状況がいつまでもつづいているのだろう。

むかし柏原芳恵が「紅茶のおいしい喫茶店・・・」とうたっていた。
わざわざ「紅茶のおいしい」と注文をつけたくなるほど、
一般的な喫茶店がだす紅茶のレベルはひくいのではないか。
「コーヒーのおいしい喫茶店」と、もしだれかがうたったら、
なにかよほどの意味をこめた歌詞にきこえる。
コーヒーがおいしいのは、喫茶店としてあたりまえだからだ。
それでは、とびきりおいしい紅茶をいれる喫茶店に、
ひとがあつまるかというと、そうはならない。
おおくのひとは、喫茶店で紅茶なんてのまないし、
紅茶を注文するひとは、どうせたいした味ではないだろうと、
はじめからあきらめているから。

わたしがすむ町にも、本格的な紅茶をだす店があった。
そこは紅茶専門店であり、コーヒーはいれてくれない。
2〜3回その店にはいったけど、常連にはならなかった。
お客がすくないにもかかわらず、
何年もつづけられていたけど、しばらくまえに閉店となった。
きっとおいしい紅茶だったのだろうけど、
わたしが喫茶店にもとめるのは、専門店らしい風格ではなく、
気がるにはいれて ゆっくりくつろげる雰囲気だ。
そしてふつうにおいしいコーヒーと紅茶。
特別なお店をさがさなくても、
あたりまえにおいしい紅茶がのめる日はくるだろうか。
タグ:紅茶

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2018年10月28日

デイリーポータルZの地味なハロウィンがすき

デイリーポータルZに、恒例の地味なハロウィンがのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/jimi-halloween-2018/page/1
参加人数が874人というからすごい。
地味な仮装をこのむひとがこんなにもいるのはこころづよい。

きょう電車にのっていたら、手の甲に
おおきなキズのある女子高生をみかけた。
いたそうだなー、とみたいたら、
となりの席の女の子も、おなじ場所にキズをもっている。
ふたりがいっしょなので、
ようやくこれはハロウィンなのだと気づいた。
ひとさわがせなことだ。
そこへいくと、地味な仮装は人畜無害なうえ、
みる側の観察力と教養がためされる。

デイリーボータルZの記事をみると、
さすがに洗練されたものすごく地味な仮装に感心する。
「昼ごはんにカレーうどんを食った人」
のように、わかりやすい仮装もあるけど、
「雑すぎる人」
「機種変帰りの人」
「なかなか実績を残せない将棋のプロ(6段)」
(「藤井聡太七段に負ける人」だそうです」
「混んでるフードコートで先に水を確保してしまい
 なかなか座れない人」
「異業種から転職したタクシードライバー」
くらいひねられるとわたしはおてあげだ。
解説してもらわないとまったくわからない。

おもしろかったのは(どれもおもしろいけど、とくに)
「羽田についたら寒かった人」
「ときどきロビーにようすを見に来る舞台関係者」
「たまたま強盗にあった人」
(たまたまにも程がある、と壇上でコメントしたが
 強盗にあう人は全員たまたまである。)
というコメントに、そういえば、と納得する。

わたしの職場では、毎年ボジョレー=ヌーボーの解禁日、
つまり11月の第3木曜日に、仮装をしたうえで
ひごろお世話になっている方へ、
ボジョレーをくばりにいくのが恒例行事となっている。
奇抜な仮装は、それはそれでおもしろいけれど、
わたしはデイリーボータルZをそのままパクって、
この2年は地味な仮装でごまかしている。
おととしが、クロネコヤマトの宅急便で、
きょねんは回覧板をまわしにきた近所のおじさんだ。
ただ仮装するだけではおもしろくないので、
ボジョレー・ヌーボーにからめた
もっともらしく必然性のあるストーリーがほしい。
ことしいっしょにまわるのは、看護師さんなので、
それにからめてうまくひねりたいところだ。
だんだん11月の第3木曜日をプレッシャーにかんじてきた。

posted by カルピス at 20:42 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月27日

MacBook Air13インチがとどく

iMacがこわれたので、MacBook Air13インチを注文する。
SSDを256ギガにしたのでおよそ12万円。
メインにつかっているのはふるいMacBook Pro15インチで、
サブにMacBook Airの11インチがあるのだから、
ほんとうはいそいで13インチを手にする必要はないのだけど、
ほしい ほしいの気もちがつのり、けっきょくアマゾンで注文した。
iMacがこわれるまえに、メインをMacBook Proへ
かえていたからよかったけど、
そうでなかったら、ずいぶん不便だったはずだ。
毎日お世話になる道具なのだから、
アクシデントにそなえるのも必要な経費なのだと理由をつける。

ゆうべ移行アシスタントを設定してデーターをうつし、
きょうは手作業で、移行しきれていない部分をととのえる。
ブラウザのブックマークやドロップボックス、それにエバーノートを
メインのパソコンとおなじ環境にするのにてこずる。
だいたいの作業をおえてつかいはじめると、とてもしっくりくる。
これこれ、このかんじ。
ひさしぶりにパソコンをさわるたのしさを味わえた。
13インチというのは、わたしにあったおおきさのようで、
このひろさがあればストレスなくつかえる。
たいしていそぎのつかい道はないとおもっていたけど、
じっさいにうごかしてみると、ずっとひらいていたくなる。

11インチのMacBook Airをかったときに、
11インチにするか、それとも13インチなのか、
ずいぶんなやんできめたのに、
けっきょく両方をもつことになってしまった。
11インチは、それはそれでかわいいパソコンだけど、
ブラウザやエバーノートをみるのにはちいさすぎるし、
文章をうつだけでも老眼のわたしにはあつかいにくかった。

2008年にジョブズが封筒からMacBook Airをとりだし
そのうすさを紹介してから10年たった。
それからいままで、デザインはほとんどかわっていない。
あたらしいモデルがでるうわさはなんどかあったけど、
おおきな変更のないまま性能だけがすこしずつあがっている。
MacBookは12インチなのに14万円もするので
あまり気もちがうごかない。
けっきょく、かうならMacBook Airになってしまう。

posted by カルピス at 22:07 | Comment(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月26日

フルマラソンに挑戦した 地主恵亮さんの記録がよませる

デイリーポータルZで、地主恵亮さんが
フルマラソンに挑戦した記事をよんだ。
「まったく運動してこなかった30代がフルマラソンを走る」
https://dailyportalz.jp/kiji/full-marathon_30s/page/1
小・中・高と帰宅部で、大学は美大。
地主さんはこの30年間、ほとんど運動をしてこなかったという。
なぜかフルマラソンをはしるはなしがもちあがり、
9月の「オホーツク網走マラソン」にむけて、4月から練習をはじめる。
タイトルどおり、運動してこなかったひとが、
フルマラソンにいどんだらどうなるのか、
この記事は貴重な記録となっている。

練習をはじめたばかりのころは、
6キロはしるのが精一杯で、ペースもキロ7分とたいしたことない。
でも、週4回の練習をつづけるうちに、
10キロを5分25秒のペースではしれるようになっている。
わたしは6分20秒がせいぜいなので、それより1分もはやいペースだ。
初心者でありながら、あるいは初心者だから、
どんどんタイムをのばしていく地主さんに シットをおぼえる。
やがて、10キロのペースが5分をきる。
これはそうとうはやい。
わかさなのか、はしればはしるほど記録がのびている。

ただ、きゅうにたくさんはしりすぎたせいで ヒザがいたくなり、
1ヶ月ははしらないよう、医者に練習をとめられる。
そのあとメキシコへ取材にいったときに体調をくずし、
熱と下痢で入院し、1週間うごけなくなっている。
それでも9月中旬には、
10キロを5分半のペースではしれるまでに回復した。
そして、9月30日にレースの本番をむかえる。
練習をはじめたころは56キロだった体重が、
レースまえには58キロまでおとしている。
ただ、
ダイエットは炭水化物を抜く、という感じで、バナナや十割そばばかりを食べた。

と、ぜんぜん炭水化物をぬいていないのに、
糖質制限をしたつもりになってるところがへんだ。

結果からいえば、レースのとちゅうからあるいてしまい、
タイムは5時間32分とふるわない。
10キロを50分きるスピードではしれるひととは おもえないタイムだ。
ハーフとフルとはまるでつらさがちがう。
とちゅうまではスイスイはしれても、
まんなかをすぎるあたりで足がうごかなくなり、
ペースがガクッとおちる。
ペース配分をあやまったための初心者にありがちなミスだ。
(流氷のアイシングをしながら)天国だ。会場のみんなが優しい。完走したランナーにはみんなが優しいのだ。これがマラソンの醍醐味かもしれない。
ただね、もう走らないと思います。めっちゃキツいの。練習を思い出してもキツい。週4くらいのペースで5月くらいからは毎回10キロ走っていた。キツかった。向き不向きがあって、私は根っからの向かない人。ただマラソン大会自体は楽しかったので、人生で一度はアリだと思います。

ランナー歴はながいのに、スピードのないわたしは、
フルマラソンのベストタイムが、4時間38分でしかない。
30年間ほとんど運動をしてこなかった地主さんが、
練習のいきおいのまま4時間をかんたんにきったりしたら、
わたしはかなりがっかりしたとおもう。
それにしても、ごくフツーの33歳は、
マラソンにむけて練習をつむだけで
こんなにもタイムをあげていけるなんて、うらやましい。
わかさはどれだけのアドバンテージをひめているか はかりしれない。

「私は根っからの向かない人」
と地主さんはいっているけど、
練習のときにだしていたタイムは、
けしてむいてないひとのはしりではない。
22キロからつらくなった経験をいかし、
30キロくらいのながい距離も練習にとりいれて、
ぜひ2回目のフルマラソンに挑戦してほしい。
タグ:マラソン

posted by カルピス at 21:05 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月25日

まわりの雑音にふりまわされない槙ようこさん

miwaのミューズノートをきいていたら、
ゲストにマンガ家の槙ようこさんがよばれていた。

槇さんは、なにかについて、
いいとおもった自分の直感をしんじる、
とはなしていた。
頭で論理的に思考を展開し、
いい・わるいを判断するのではなく、
自分の感性を大切にする。
もしだれかが槇さんのとらえ方について、
否定的なことをいっても、槇さんは耳をとざし、
まったくききいれないのだという。
ひとの発言をきいていたら、作品づくりがすすまないので、
とにかく自分の直感をしんじてかきつづける。
まわりの雑音にふりまわされない姿が かっこいい。

それをきいたmiwaさんは、自分とのちがいに感心していた。
miwaさんは、大衆的であることを大切にし、
みんながどうおもっているかをとても気にするという。
まわりの声をききいれて、さんざんなやみ、
本や漫画をよんでリセットし、そうしたあげくに、
あらたなうごきをスタートさせるのだそうだ(うろおぼえ)。

はなし方をきいていると、タイプとしては
miwaさんのほうがひとの意見なんてききそうになく、
槇さんは謙虚にまわりの声をききいれそうだけど、
じっさいは反対なのが意外だ。
なかなか槇さんのように、きっぱりとまわりの声を無視できない。
よほど自分のやり方に自信をもっておられるのだろう。

わたしはどちらのタイプだろう。
はっきり意識したことはないけど、
あまりひとのアドバイスをきかないほうかもしれない。
配偶者などは、「どーせもうきめてるんでしょ」と、
わたしがひとりできめてしまうのにかなり批判的だ。
わたしとしては、相談したほうがいい内容については、
ちゃんとはなしあう姿勢をしめしているつもりなのに、
配偶者はまったくちがう うけとめ方をしている。
自分の姿勢と、ひとがかんじるている姿は、
ずいぶんずれがあるのかもしれない。

仕事の場合、なんにんかのチームですすめることがおおい。
わたしはリーダーシップを発揮するタイプではなく、
まわりとの関係を気にしながら
いわれること、できることをする。
いやなことはしない。
マンガ家や歌手のような仕事は、自分ひとりがたよりだ。
槇さんは確信的に自分の感性を大切にしており、
そうでなければ創造的な仕事はできないのだろう。
槇さんが はっきり自分のスタイルをうちだしているのにたいし、
いかにもわが道をいきそうなmiwaさんが
ポピュラーであることを大切にしているのがおもしろかった。

posted by カルピス at 22:35 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月24日

『夜廻り猫』の世界を ますますリアルにかんじる

『夜廻り猫』の第2巻をよむ。
遠藤さんというネコが よる町をまわり、
なみだのにおいをかぎつけて、
かなしんでいるひとの相談にのる。
ありえないはなしだけど、
登場するネコたちにすっかりなじみ、
わたしにはリアルな世界におもえてきた。

わたしのいちおしは、内気な性格のラミーだ。
元野良猫で、生きる苦労をしっているせいか、
なかなかもらわれた家のメンバーにあまえられない。
キャンキャンと、ストレートにお父さん・お母さんのもとへ
とびこんでいく犬のラピのうしろで、
じっと自分がよばれるときをまっている。
人間のお父さん・お母さん、そしてラピも、
ラミーがだいすきなので、ラミーはすこしずつ
こころをひらいて、みんなの愛をうけいれていく。

ネコにはそれぞれいろいろな性格があり、
あまえた声で自分の要求をじょうずにつたえるネコがいれば、
いつまでもひとになれず、距離をおこうとするネコもいる。
『夜廻り猫』にでてくるネコたちは、
人間のことばを理解したりはなしたりするのでわかりやすいけど、
現実の世界を生きるネコたちもまた、
きっとおなじようにゆたかなこころをもっている。
遠藤さんは、ラミーにひとつのアドバイスをおくる。
おまいさんはよく頑張ってる
あのな いじけたくなったら
3回頑張れ あと3回
それでも駄目なら 堂々といじけていい

けさ、ブロック塀のうえを、
ときどきみかける野良猫がとおりかかった。
子ネコのココは、外にいるネコにちかづこうと網戸によじのぼる。
野良猫はあまりこわがらず、ココとわたしをじっとみつめ、
ちいさな なき声をあげる。
おなかがすいているのかと、お皿にネコごはんをいれて さしだすけど、
さすがにそんなやり方では警戒してたべない。
お皿を外において仕事へでかけると、かえってきたときも
たべずにそのままごはんがのこっていた。
現実の世界では、おなかをすかせたり、
病気にかかってうずくまっているネコをときどきみかける。
そのすべてにかかわるわけにはいかないので、
声をかけるだけで わたしはその場をはなれる。

子ネコの重郎が熱をだし、ご飯をたべられなくなったとき、
このままでは死んでしまうと、
遠藤さんは人間の永沢さんをたよろうときめる。
永沢さんは、いざというときにお世話になろうと、
遠藤さんが信頼している人間だ。
重郎を永沢さんにたくし、遠藤さんはひとり家をでる。

重郎は遠藤さんのあとをついてきていた。それでも遠藤さんは、
重郎へのおもいをたちきってひとりさきをいく。
あとから友だちのニイが、
重郎をくわえて遠藤さんのもとにやってきた。
ニイは遠藤さんにむかってつぶやく。
いきられりゃ いいってもんじゃない
おれたちには 心があるんだ

こんな『夜廻り猫』の世界が、わたしにはとてもリアルだ。

posted by カルピス at 22:47 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月23日

ついついまた『カリオストロの城』をみてしまった

シネフィルで『カリオストロの城』を放映していた。
録画して、夜すこしずつみる。
どの場面でも、ほんのすこしでもみると、さいごまで
ずるずるとみつづけてしまうほどおもしろい。
このブログでも、うっかりさいごまでみてしまった、
と記事にしている。しかも2回。
もう40年ちかくまえの作品なのに、賞味期限はきていない。
いまでもじゅうぶん鑑賞にたえる。

ただ、この作品のよわさは効果音のおこちゃま性だ。
いかにもおさない子どもにむけた漫画映画のように、
「ジャーン!」と、おもしろさを強調するのがすこし鼻につく。
この作品がつくられたとき、音楽担当者は、
どうせ子どもあいての映画なんでしょ、と
かるくかんがえたのではないか。
宮崎さんも、そのころは画面づくりにせいいっぱいで、
とても効果音にまで手がまわらなかったと想像する。

これまで気づかなかったけど、
ルパンが湖をみわたしながらクラリスをおもいだし、
感傷にふける場面がとてもうつくしい。
湖の全景をカメラがゆっくりとうつしだす。
湖のさきはアルプスをのぞんでいる。
その背景のもと、時計台の鐘がしずかにときをつげる。
アクションシーンがおおいカリオストロにあって、
おちついたこの場面が、作品をひきしめている。

なんどみてもおもしろいのは、
結婚式にのりこんだルパンたちにより、
式がめちゃくちゃになる場面だ。
ルパンたちが伯爵の影とたたかっているいっぽう、
不二子のカメラは銭形をおいかける。
地下の偽札工房へおりた銭形が
ん?あそこにあるのは、
ありゃ、日本の札、これは偽札だ!
ルパンをおってて とんでもないものをみつけてしまった。
どーしよー。

と 棒よみするセリフが このうえなくきいている。

わたしが小学生だった50年まえ、
学校の体育館で、ときどき映画の上映会があり、
『長靴をはいた猫』をなんどもみた。
「え〜!また『長靴をはいた猫』?もうみあきた」
といいながらも、
子どもたちはすぐに画面から目がはなせなくなり、
おおわらいしながら魔王とのたたかいをたのしんだ。
おとなになってからは、え〜!また『カリオストロ』?
とあきれるくらい、よく放映され、
そのおおくにわたしはついついつきあってしまう。
『長靴をはいた猫』のドタバタシーンのおおくは、
宮崎さんが原画を担当していたそうで、
『カリオストロ』は、もちろん宮崎さんが監督をつとめた。
わたしの青少年期は、宮崎さんの冒険活劇によってつくられた。

いまこれをかいていて、
『長靴をはいた猫』はおおむかしの作品だとおもっていたけど、
つくられたのは1969年で、「カリオストロ」と10年しかちがわない。
「長靴」と「カリオストロ」をくらべた印象は、
「長靴」がアニメーションの黎明期につくられた古典なのにたいし、
カリオストロは、じゅうぶん現代にも通用する 完成度のたかい作品だ。
わずか10年で、アニメーションが
ものすごく進化したのにおどろかされる。
1989年当時、「カリオストロ」の出現は、
ひとつの奇跡だったにちがいない。

posted by カルピス at 22:38 | Comment(0) | 宮ア駿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月22日

だんだんと食欲がおちるのは、ただしい老化であり、死への準備かも

椎名誠さんのエッセイをよんでいたら、
食事をつくるのがめんどう、というはなしがあった。
奥さんが長旅にでているので、自分がたべる分は
自分でなんとかしないといけない。
ソーメンやうどんくらいはゆでるものの、
自分ひとりのためにまともな食事を用意するのは
ひどくめんどくさいようだ。
かいものも苦手なのだという。

椎名さんといえば、「探検隊」もので野外料理をしたり、
ゆでたてのスパゲティにマヨネーズとショーユをぶっかける
「スパゲティ・アラ・マヨ」みたいな
即席料理を得意にしているイメージがある。
でもじっさいは、そうしたおおざっぱな料理もするけど、
基本的には、ひとがつくってくれたものを
うまいうまいとたべるほう専門のひとみたいだ。
酒はこれまでとかわらずのむものの、
歳をとってからは食欲がおち、
固形物をとるはどうでもよくなっているらしい。

はじめは、わたしは料理が苦でなくてよかった、とおもったけど、
料理がどうこうよりも、食への関心の問題かもしれない。
たべることがどうでもよくなり、気がつくと
いちにち固形物をたべない日もあるなんて、
それはそれでわるい現象ではなく、
死にむけての準備であり、ただしい老化におもえてきた。
固形物をたべないので、体重はおちていく。
ベスト体重が72キロのところを、65キロになったそうだ。
がまんしてるわけではなく、しぜんと食欲がおち、
それにともないやせていくのは、
生物として、からだはただしく死へむかっているではないか。
だんだんと意欲もおとろえ、世のなかのことがどうでもよくなり、
なにがあっても「まあいいか」とおもえるようになったら
死はこわいものではなく、くるべきおむかえがきた、
くらいのかんじなのではないか。

べつに椎名さんが、死の準備をしている、
というつもりはないけど、だんだんと食欲がおちるのは、
いかにも自然に死をむかえるようで、わるくない。
椎名さんはいま74歳のはずで、わたしもそれくらいの年齢になれば、
いつのまにか たべることなどどうでもよくなり、
だんだんと、かれた境地にたっするのだろう。
ジタバタとアンチエイジングなんてするから、
からだが拒否反応をしめして病気になるのかも。
老化により、自然と食事の量がへってゆけば、
中性脂肪やコレステロールなんて関係なくなる。
死にむけたながれに身をまかせ、ゆったりすごせたら、
おだやかなさいごをすごせるのではないか。

posted by カルピス at 21:29 | Comment(0) | 椎名誠 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月21日

2回目の「村上RADIO」

2回目の「村上RADIO」をきく。
夜7時からの番組なので、
台所にふるいラジカセ(モノラル)をもちこみ、
夕ごはんをつくりながら耳をかたむける。
スパゲティをゆでたり、ソースをあたためるぐらいなら、
いかにも村上さんの番組むけだけど、
じっさいは、もうすこしこみいった夕ごはんの準備だった。
なかなか予定していたようにはうまくいかないものだ。

アレサ=フランクリンのマイウェイがかかった。
そういえば、村上さんが「村上さんのところ」で
「ブルース・ブラザース」をおしえてくれたから、
わたしはアレサをしったのだった。
曲ごとに村上さんのおしゃべりがはいり、
うたわれた背景をおしえてくれる。
曲もいいし、おしゃべりもたのしい。
わたしは音楽にくわしくないので、
曲名や歌手の名前のおおくはしらないけど、
村上さんがえらんだ曲はどれもたのしくきけた。
村上さんによるおしゃべりは、おしつけがましくなく、
こんなかんじでいつまでもきいていたくなる。
基本的に、村上さんがかけたい曲をかけるこの番組は、
ありそうでなかったスタイルなのではないか。

今夜の番組では、ゲストに猫山さんがきていて、
ほかにも女性がスタジオにいて、なんだかにぎやかだ。
村上さんがリラックスして(あそびながら)
番組をつくっているようすがつたわってくる。

村上さんはひとりっこで、というはなしがでた。
「昔から本と音楽と猫が友達だった」そうだ。
国分寺でくらしているころ、
お金がなく、暖房もなかったので、
2匹のネコといっしょに布団にくるまっていたという。
そのうち村上さんのネコが友達をつれてくるようになって、
気がつくと、ぜんぶで4匹のネコが布団にいた、
というのがおかしかった。

わたしの家のココは、家のなかだけでかっているので、
ネコの友だちがいない。
ときどき窓のそとをとおりかかる野良猫が3匹ほどいて、
気になるココは、網戸によじのぼってちかづこうとする。
野良猫たちは、わたしの姿をみると、サッとにげてしまうけど、
きょうきたネコは、あまりこわがらず、
しばらくわたしの顔をみていた。
おなかがすいているのかもしれない。
「夜廻り猫」には、こまったネコに
ごはんをあげるひとがよく登場する。
わたしも たずねてきたネコたちにごはんを提供したいけど、
ごはんだけのかかわりは、無責任な気もする。
きょうの番組では、村上さんへの質問コーナーがあった。
村上さんに、そとのネコたちとのつきあい方を相談したら、
なにかいいアドバイスをもらえるだろうか。

posted by カルピス at 22:29 | Comment(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月20日

J1リーグ 第30節 川崎が神戸に5-3の逆転勝利

J1リーグ 第30節 川崎対神戸
川崎が5-3の逆転勝利

せんじつの代表選、日本対ウルグアイは、
ひさしぶりにわくわくさせてくれる試合だった。
ボールをもったら、とにかくまえにむかってシュートをはなつ、
というわかりやすいサッカーは迫力があり、
なによりも、みていてたのしかった。
ゴールまえまではせまるものの、そのさきもたついてしまう
これまでの代表戦とまるでちがうサッカーだ。
そんなウルグアイ戦のあとで、Jリーグは
どんな試合をみせてくれるだろうか。

川崎は、PKから先制するも、オウンゴールで同点となり、
そのあとすばらしいシュートを2本きめられる。
イニエスタとポドルスキが攻撃にからみ、
きょうは神戸の日かとおもわれた。
1-3のままでは、川崎はさすがにきつかったけど、
前半終了間際、家長がおしこんで
なんとか前半を2-3でおえる。

なかなかボールをまわせなかった前半にくらべ、
後半の川崎はうまれかわった。
圧倒的にボールを支配し、たてつづけにチャンスをつくる。
後半の神戸は、シュートを1本しかはなてない。
川崎は、こまかなワンタッチパスをつなぎ、あいてをよせつけない。
神戸がながいボールをけりこんでも、すぐに川崎の網にひっかかる。
ボールをうばわれても、たかい位置から連動したプレスをしかけ、
ワンタッチパスであいて選手をかんたんにはずす。
神戸は攻撃をしようにも、ボールをもつことさえできない。
後半の川崎は、6割から7割のポゼッションだったのではないか。
後半20分に斎藤が移籍後の初ゴールをきめて3-3の同点。
そのあと大島がきめた4点目は、
ゴールまえでこまかくパスをつなぎ、
神戸のディフェンンダーはまったくついてこれなかった。
そのあとも、たてつづけに川崎がゴールにせまる。

イニエスタとポドルスキのまえで、
川崎が洗練されたパスサッカーをみせたのは小気味よかった。
ポゼッションを前提とするバルサのサッカーになれたイニエスタは、
逆の立場になり、ボールを支配さえると もち味がだせない。
まえへ、まえへ、という迫力では
ウルグアイ戦での代表がうえだけど、
チームとしての成熟度からいえば
川崎のパスまわしは代表をうわまわっている。

この日、2位の広島は清水にやぶれて連敗。
川崎とのかち点は4にひろがった。
川崎が神戸に逆転勝利をおさめたことで、
連覇にむけて おおきく前進した。
タグ:Jリーグ

posted by カルピス at 22:15 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月19日

バイブルになりつつある『夜廻り猫』

『夜廻り猫』のサイトをのぞくと、
更新された作品だけでなく、
まえにかかれた話もついよんでしまう。
わがままだったり(モネ)、調子よかったり(ワカル)、
どうしても遠慮してしまう性格だったり(ラミー)と、
いろんなネコがでてくる世界にすっかりなじんできた。
『夜廻り猫』をしってると、世界はずいぶんふかくてあたたかい。
人生におけるバイブルとなる作品だ。

「夜廻り」をしながら、遠藤さんはいろんなひとからはなしをきく。
ネコをたすけることもあるけど、たいていの場合、
遠藤さんがなみだのにおいをかぎとるのは人間のかなしみだ。
ときには、よろこびのなみだだったりもする。
遠藤さんは、こころがよわいひとでも、
けしてきりすてたりしない。
だめだった過去を後悔するひとには、
「おまいさんはがんばっている」と
そのひとぜんたいをうけとめる。
作者の深谷かほるさんは、どうやって遠藤さんのような
キャラクターをおもいついたのだろう。

「猫貧乏」ということばがでてきた。
気のどくなネコをだまってみすごせず、
何匹もひきとので、お金がたまらないひとのことだ。
「なんとかなる」といって、ネコとのくらしをやめられない。
貧乏かどうかはわからないけど、
わたしのまわりには、こまっているネコを
そのままにしておけないひとが何人もいる。
遠藤さんは、よわっているネコをみつけたとき、
このひとなら大丈夫、というしりあいにたよる。
わたしはまだ遠藤さんにたよられるほどの存在ではない。

わたしの家にいるココは、
まだ子ネコのせいか あそぶのに夢中だ。
家族の足に本気でたたかいをいどんだり、
けっこうなあばれんぼうだけど、
『夜廻り猫』をよんだあとでココとすごすと、
なにかふかいはなしをしてくれている気がする。
ココをだっこして、『夜廻り猫』のはなしをきかせながら、
わたしはココをなでる。

posted by カルピス at 23:40 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月18日

「幸福というのは、『いい時間』を過ごすこと」という糸井さん説に納得する

なんにちかまえの「今日のダーリン」に、糸井重里さんが
幸福というのは、「いい時間」を過ごすことではないか。

とかいている。
これまで幸福の定義をいろいろきいたけど、
この「いい時間」説はすごく納得できる。
値段だとか、一般的な価値だとかと関係なく、
それをしていた時間を、「よかったな」と感じていたら、
それが「いい時間」というものなんだと思う。

わたしはどんなとき「いい時間」とかんじているか。
・気もちよくはしれたとき
・おもしろい本をよんでいるとき
・動物になかよくしてもらえたとき

ひとをしあわせにするには、
そのひとにいい時間をすごしてもらえばいいわけだ。
このごろすきになった ながい距離をあるくのは、
4〜8時間かかるので、いい時間をながく味わえる。
しあわせがながつづきするのだから、おすすめの活動だ。

とびきりながくつらいレースは、しあわせを味わえるだろうか。
富士山のまわりを168キロもはしるグレートレースがある。
このまえ録画でみていたら、優勝した選手が ゴールのてまえで
「最高にしあわせだ」とはっきりくちにした。
ずっと2位ではしり、さいごのさいごで
1位の選手をぬいての優勝は、会心のレースはこびであり、
自分への自信にもつながったのだろう。
スタートしてからおよそ20時間、
ずっとはしりつづけ、やっと手にした1位は
かくべつのしあわせを味わせてくれたようだ。

ある選手は、128キロのエイドステーションについたとき、
これからスパートをかけて まえの選手においつき、
入賞をねらおうとしていた。
「40キロか」
とその選手がつぶやく。
128キロもはしったのに、まだ40キロもあるのか、
という意味だとおもったら、
「40キロしかないのか」
と、ひとりごとがつづいた。
まえをはしる選手においつくのに、
40キロでは時間がたりない、というあせりだった。
わたしは、この時点において
「あと40キロしかない」と とらえる
この選手の精神力におどろいた。
この選手は、レースのなかで いつ、どれくらい
しあわせをかんじたのだろう。

ながくあるくのは ただ単純にたのしいけど、
ながくはしるのは、なかなか労力がむくわれない。
それでもレースに参加しつづけるのだから、
タフなレースは、よほどいい時間をすごせるようだ。

posted by カルピス at 22:16 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月17日

「となりのお店」の地域デビュー

毎朝あつめた野菜を、いつもはカフェでうっているけど、
きのうは はじめて「となりのお店」においてみた。
お店の位置関係をはじめに説明すると、
クッキーをつくる「クッキー工房」のとなりに
メンバーが休憩するのにつかっている部屋がある。
「となりのお店」は、この休憩室のことで、
本来は、雑貨をあつかう「お店のようなもの」となるはずなのに、
なかなかスタートしないまま半年がすぎた。
お店のなまえは、クッキー工房のとなりにあることから、
ずいぶんまえに「となりのお店」ときめている。
店さきで野菜とクッキーをうり、なかで雑貨をあつかう
よくわかりにくいお店にしたいとおもっている。
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本業はクッキーの製造なので、
ずっとお店番をしているわけにはいかない。
「となりにいます 声をかけてください」と
ダンボールにかき、ガムテープでまどにはっておいた。
ダンボールとガムテープが、
「となりのお店」のコンセプトを象徴するアイテムなのだ。
しばらくすると、とおりがかりのひと(女性)が
野菜をもって「これください」とクッキー工房にこられた。
これまでに、関係者がクッキーをかってくれたことはあったけど、
まったくのお客さんを「となりのお店」がむかえるのは はじめてだ。
そのあともポツリ ポツリとお客さんがあらわれる。
「いつもひらいてるんですか」ともたずねられた。
やってるのなら、これからものぞいてみる、といわれるので、
できるだけまいにち野菜をおくようにします、とこたえた。
いつも野菜をうっていることがしられれば、
常連客になってくれるひともいるだろう。
そのうちクッキーや、雑貨をかってもらったり、
ご近所さんとしりあうきっかけになればうれしい。
『あおいけあ流介護の世界』をよんだとき、
わたしたちの事業所のよわいところは、
地域のつながりがないところだと すぐにおもった。
「となりのお店」は、地域の方々とふれあう場所であり、
関心をもってもらえるきっかけになるのではないか。

午後からは、おなじ事業所の職員やメンバーたちが
お店をのぞいてくれた。
いつも野菜とクッキーがあるとしられたら、
散歩のついでにたちよりやすいだろう。
ちがう活動をしている部門とは、
あんがいおたがいの交流がないので、
あそびにきましたと、気軽にいえる
いいきゅうけい場所になればいい。

「となりのお店」ちかくにJRの駅があるので、
駅へむかう高校生が、お店のまえをよくとおりかかる。
彼らが「となりのお店」にくるようになったら、
またちがった雰囲気になりそうなので、たのしみだ。

posted by カルピス at 20:44 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月16日

日本がウルグアイをあいてに4-3の快勝

国際親善試合、日本対ウルグアイ
4-3で日本

日本のわかいタレントたちが、
FIFAランキング5位のウルグアイをあいてに
どんな試合をみせてくれるだろう。
たのしみにしていたこの試合は、内容も結果も、もうしぶんなく、
はじめからおわりまで、ワクワクしながら応援できた。
みることでしあわせになるような、日本のよさがつまった試合。
W杯ロシア大会まえのゴタゴタで、
もやもやしていた代表への気もちがふっきれ、
鳥肌ものの試合となった。

日本の選手たちは、ウルグアイという強豪をあいてに、
ものおじすることなく、まっこうからぶつかっていった。
おおきくてつよいカバーニにたいしても、
ちいさな日本の選手がまけずにやりあっている。
1点を先取し、すぐにおいつかれ、でもまた2点目をあげる。
ボールがつながらない時間帯もあったけれど、
まえをむいてせめつづけ、中島の強烈なシュートを
あいてのゴールキーパーがはじき、こぼれだまを大迫がきめた。
この2点目にわたしはしびれ、そのあと試合終了まで、
すがすがしい気もちで選手たちを応援する。
堂安の3点目、南野の4点目は、
いずれもぶあつい攻撃が実をむすんでの得点だ。
ウルグアイをあいてに、うちあいをえんじ、
結果までのこした日本の選手たちがたのもしい。

シュート数は、ウルグアイの10本にたいし、
日本は18本。
日本が圧倒滴にせめつづけた印象がある。

東口が、ビッグセーブを2つみせ、
中島はまえをみいてどんどんしかけていく。
ボールをうけるときは、ターンして相手をかわす場面が
なんどもみられ、そのたびに喝采をさけぶ。
中島がボールをもつと、なにかがおこるのでたのしみだった。
堂安もテクニックをみせ、ボールをうしなわない。
後半を半分すぎると、あきらかにウルグアイは
日本のスピードにてこずっていた。
もちろん日本にもミスはいくつもあったけど、
これほどの試合をみせてもらえると、
ただ選手たちの健闘をたたえたくなる。
こんなにも、わかい才能がそだっていたのを
わたしはまったくしらなかった。
来年1月におこなわれる、アジア杯がたのしみだ。

posted by カルピス at 22:09 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月15日

デイリーポータルZ「2018年の目標を(今さら)決めよう!」に共感する

デイリーポータルZに
「2018年の目標を(今さら)決めよう!」がのった。
http://portal.nifty.com/kiji/181013204162_1.htm
達成できそうなほどほどの目標を立てれば、わりとたやすく目標が達成できて満たされた気分が味わえるのでは!
の趣旨のもと、読者に投稿をよびかけたら、
ほんとうにひくめの目標があつまっていた。
去年録画した『笑ってはいけない年末スペシャル』をさいごまで観る
去年残ったかき氷のいちごシロップを使い切る
穴の空いた靴下は捨てる

すごいところでは、
死なない

なんてのもある。たしかに、大切な目標だ。

「ひくい目標」を、わかっていながら あえてかかげるここちよさ。
これならわたしにでもできそう、とうれしくなる。
「今さらながら」の特集が、わたしはだいすきだ。

しばらくまえから気になっていた
・シューズをあらう
・クリーニングにだしていたふとんをとりにいく
を、わたしはこのまえの休日にクリアーした。
腰をあげれば、かんたんに実行できるのがわかっていながら、
なぜか、なかなかとりかかれず、いやな自分を味わっていた。
目標を達成できたあとしばらくは、すごく気分がよかった。
ささいなことなのに、こんなに達成感があるとは。
目標は、ひくければひくいほどいいのかも。
目標をきめ、それをなにかにかきこむだけでも効果がある。
かきこめば、行動にうつせる。
レコーディングダイエットがむかしはやったとき、
なんでたべたものを記録するだけでやせられるのか、
不思議におもったけど、目標の設定もおなじだ。

やらないでいるより、たとえきわめてひくくても、
じっさいにからだをうごかし、目標を達成できたら気もちいい。
気もちいいのは いくらおおくてもかまわないので、
ひくい目標をたくさんかかげていくのは
たしかにひとつのやり方だ。

posted by カルピス at 21:41 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月14日

『本の雑誌 11月号』のおすすめ記事

『本の雑誌 11月号』の特集は
「最強ロボット選手権!」だけど、
SFにくらいわたしには、ほかの記事がおもしろかった。

なんといっても「バーナード嬢曰く。」が
番外編としてのっている。
かんがえてみれば、「バーナード嬢」くらい
「本の雑誌」にふさわしい掲載マンガはない。
今回は、2ページというかぎられた枚数にもかかわらず、
神林によるみごとな要約が読書欲をくすぐる。
アシモフの『バイセンテニアル・マン』と、
ゼラズニイの『フロストとベータ』をよんでみたくなった。

椎名誠さんの連載「新旧いろいろ面白本」もよかった。
地球でいちばんたかい山はチョモランマ(8848m)だけど、
火星には標高2万5000mをこす山があるそうだ。
なんで地球にはめちゃくちゃなたかさの山が存在しないのか、
そういえば、これまでかんがえたことがなかった。
気球の重力と地殻の強度が山のたかさをきめるらしい。

宇田川拓也さんによるミステリー作品の紹介では、
「刑事ショーン=ダフィー」シリーズの2作目、
「サイレンズ・イン・ザ・ストリート」が、
ハヤカワ・ミステリ文庫から出版されるという。
1作目『コールド・コールド・グラウンド』での
だめ刑事ぶりがおもしろかったので、
2作目をたのしみにしていた。

西村賢太さんによる連載「一私小説書きの日乗」は、
西村さんの近況が日記で記録されている。
 朝、連載の「雨滴は続く」の白旗を揚げる。二箇月連続の休載。止むなし。
 夕方、苦しまぎれに東京駅から新幹線に乗りて、名古屋に行ってみる。

くるしまぎれに、フラッと新幹線にのるのがおもしろい。
もっとも、西村さんはなんどもこの手をつかうものだから

「これも少し習慣化してきたので、さして面白くなし。」

なんでもくりかえと、なにごとも新鮮味がなくなってしまう。

もうひとつ、西村さんの酒量と食欲にもおどろかされる。
 ラーメン屋に入って生ビール一、ウーロンハイ六。
 餃子、レバニラ炒め、鶏の手羽先煮。
最後に、うま煮そばと玉子チャーハンを食して帰室。
 上を向いたらキリがないが、生きていれば、そのうち自身にとっての会心の仕事もできよう。

やけぐいなのか、すごい量の夕ごはんだ。
「生きていれば・・・」と、
ゴーマンなのか謙虚なのか、わからないところがおかしい。

宮田珠己さんの連載「私がロト7に当たるまで」は、
だんだんはなしがこじれ、おもしろくなってきた。
宮田さんによると、ロト7をかう理由は、
100歳までながいきしてしまったときの予備措置なのだそうだ。
死にたくはないけど、長生きも困るというのが、われわれの現実だ。当てるしかない。

さいごに、わたしがすきな連載、
速水健朗さんによる「モーター文学のススメ」では、
吉田修一の『悪人』がとりあげられている。
妻夫木聡がえんじた祐一は、スカイラインGT-Rで、
岡田将生がえんじた圭吾はアウディA6にのっていることから、
ふたりがおかれている状況を推測できる。
 スカイラインGT-Rは、この小説の準主役的存在だ。これがアルファードだったら話は成立しない。

と、小説を車から分析しているのがこの連載の特徴だ。
GT-RのなかでもR32でなければだめで、
R33は「あれは日産の失敗作」、という細部のはなしがたのしい。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月13日

国際親善試合 日本対パナマ 3-0で日本

パナマはせんじつおこなわれていた
ロシアW杯に出場していたのだそうだ。
わたしはパナマの試合をみておらず、したがって
なんの印象ものこっていない。
グループGにはいっていたパナマは、
ベルギー・イングランド・チュニジアとたたかい、
3連敗でグループリーグをおえている。
テレビの解説は、ひいてまもるスタイルだったと、
W杯でのパナマをいっていたけど、
2得点・11失点という結果をみると、
まもりのかたいチームとはいいがたい。

得点こそ3-0で日本がかったけど、日本戦でのパナマは、
からだがつよくて しぶとくボールにからんでくる
いいチームだった。
たかい位置からプレスをかけてくるし、
パスのうけてをねらって はげしくうばいにくるので、
日本の選手はなかなかまえをむいてボールをもてない。
日本は試合がはじまってしばらくはせめこんだものの、
しだいに攻撃のかたちがつくれなくなる。
たてパスをいれてはボールをとられるのを、
なんどもくりかえすだけで、
ゴールにせまるきっかけがつかめない。
そのうちパナマになんどもあぶない場面をつくられる。
ただ、パナマはゴールまえでの精度にかけ、
決定的なチャンスをいかせなかった。

ざっくりとした印象では、
19歳で初招集された、センターバックの冨安がよかった。
やる気を全面にだしたプレーがたのもしい。
さいごまでピッチをはしりまわり、
攻守に貢献した原口もめだっていた。
キャプテンをつとめた青山も、
効果的なパスを何本もとおしている。
わたしの目には、すぐにボールをうしなってしまう南野が
ブレーキになっているようにうつったが、
先取点をあげたのは その南野だった。
青山からのたてパスをうまくトラップし、
ディフェンダーをはずしてからゴールをきめている。

つぎに試合がくまれているウルグアイは、
森保体制になってからたたかったコスタリカとパナマよりも、
FIFAランイキンングが5位と、ずっとつよそうだ。
はじめて強豪とたたかう つぎの試合を たのしみにしている。

posted by カルピス at 21:31 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月12日

『夜廻り猫』のコミックが気になってきた

お世話になったひと(ネコずき)へのプレゼントとして、
コミック版『夜廻り猫』の第1巻をかったら、
ものがたり性をかんじさせる表紙に感心してしまった。
よんでみたいけど、プレゼントなので、
包装をはがすわけにいかない。
ネットの『夜廻り猫』は、単行本の編集にいそがしいからと、
二週間ちかく新作がよめなくなっていた。
遠藤さんに、ながいあいだあえなくてさみしいので、
いぜん公開された作品をネットでよみ、
『夜廻り猫』ロスをしのいだ。

記念すべき第1話に登場する遠藤さんは、いまよりスマートだ。
http://www.moae.jp/comic/yomawarineco/1
遠藤さんが、涙のにおいをパトロールしているのは
いまとおなじだけど、フリーハンドでコマの線がひいてあり
でてくる青年はきわめて雑にかかれている。
こんな下絵みたいなかたちで『夜廻り猫』はデビューしたのか。

青年が、
無職で資格も 手に職もなくて
恋人も友人もいなくて
バカでブサイクで、
松屋のカレギュウ 食う金もないんだけど

と、遠藤さんにぐちっても、
遠藤さんは「そうか・・・ では」
とすごくそっけない。
「お互いがんばろう 俺もだ!じゃあ」
と、かるくおわかれしている。
女の子が似たようななやみをうちあけたら、
「おまいさんは がんばっている」
みたいなセリフを遠藤さんはいいそうなのに、
ダメをこじらしている青年にたいしては、
ずいぶんつめたいのがおもしろい。
なにかを期待していた青年は、
そんだけ!?
その猫缶をくれて
それが藁しべ長者になるとかないの!?

とあせってしまう。

『夜廻り猫』の第1巻をプレゼントしたひとは、
「ずいぶんシュールですね」
と、わたしが『夜廻り猫』にかんじている印象と、
すこしちがう感想をはなしてくれた。
第1巻は、ネットに公開されている作品と
おなじなのか、かえてあるのか。
ダメな人間もうけいれてくれるから『夜廻り猫』がすきなのに、
もともとの遠藤さんは、
「お互いがんばろう 俺もだ!じゃあ」
とつきはなすひとなのだろうか。
プレゼントしながら まだよんでない第1巻が気になってきた。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする