2018年10月06日

3つ つづけて作品をなげだしてしまい、すこし残念

たてつづけに3つの作品をとちゅうでなげだした。
2冊の本と1本の映画。
『遭難信号』は、主人公のパートナー(女性)が
仕事でいったはずのスペインからかえってこない。
なぜ自分のまえからいなくなったのか、
主人公は延々と自問し、とまどいつづける。
500ページのうち、130ページまでよんでも、
ずっとその調子でひっぱられ、ついていけなくなった。
なんの説明もなしにものがたりがすすむのは きらいではない。
かきかたにもうすこし工夫がほしかった。
読者をイライラさせない気くばりがたりないのではないか。

『点のひらの音符』は、むかしをおもいだす描写がずっとつづく。
きっといいはなしなんだろうけど、わたしにはたいくつだった。
書評でとりあげられていたので、かってみたのだけど、
わたしのストライクゾーンとずいぶんずれがある。

映画の『バタフライ・エフェクト』は、
ショッキングな場面がおおく、なんどもドキッとさせられる。
犬がひどい虐待をうけたところで
それ以上みつづけられなくなった。

このごろ自分のやさしくない部分に気づくことがおおく、
しょんぼりというか、残念におもっていた。
こんなときにこそ、自分を肯定できるも作品にふれたいのに、
3つもとちゅうでなげだしては、
ますます自分のゴーマンさをかんじてしまう。
本や映画は、作品によってあう・あわないがあり、
作品の優劣ではなく相性の問題なのだから、
わりとあっさりとちゅうでなげだしてしまう。
とはいえ、こんかいのように、
3つ たてつづけになげだすのはめずらしい。
なんだかマージャンの役がそろったみたいなので、
これをきっかけに、いい作品とであいたい。

夜ねるまえに、子ネコのココとあそんでいる。
とぎれとぎれに『ソナチネ』(北野武:監督)をみていたら、
たけしが機関銃をもってホテルへ・・・という場面になった。
いつもは はげしくあそびまわるココが、
わたしのひざのうえで、じっと画面をみている。
うごきがあるからテレビに視線をうつすわけではないから、
ココなりになにかをかんじたのではないか。
ぼんやりみていた『ソナチネ』は、
テキトーな鑑賞態度にぴったりの作品だった。

posted by カルピス at 13:19 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする