このごろは紅茶にきりかえている。
スーパーでかったやすい紅茶の葉を
ポットにいれて3分ほどむらす。
ミルクティーにすることがおおく、
ときどきレモンをしぼる。
おなじようにいれているつもりでも、
おいしくはいるときと、そうでないときの差がおおきい。
なんども紅茶をいれていながら、
いまだに適切な葉の量がわからない。
沸騰直後のお湯、というセオリーも、
めんどくさいので、沸騰したまましばらくおいたり、
やかんにはいっていたふるい水を、
そのままわかしたりと けっこういいかげんだ。
家でいれる紅茶になかなか満足できないけど、
外でのむ紅茶はもっとひどい。
沸騰したお湯を紅茶にそそぐのは、
いまさらいうまでもない常識だとおもっているのに、
コンビニやKFCでは、お湯のはいった紙コップをもってきて、
お客がティーバッグをいれるところがある。
とうぜんお湯は熱湯ではなく、おいしい紅茶がはいるとはおもえない。
ミルクティーを希望すると、コーヒーにつかう
いわゆる「コーヒーフレッシュ」をだされる。
ミルクティーは牛乳のほうがおいしいのではないか。
コンビニだけでなく、喫茶店で紅茶を注文しても、
おいしいとおもった ためしがない。
日本人は、お茶をこのむひとがおおいのに、
紅茶についてはなぜこんな状況がいつまでもつづいているのだろう。
むかし柏原芳恵が「紅茶のおいしい喫茶店・・・」とうたっていた。
わざわざ「紅茶のおいしい」と注文をつけたくなるほど、
一般的な喫茶店がだす紅茶のレベルはひくいのではないか。
「コーヒーのおいしい喫茶店」と、もしだれかがうたったら、
なにかよほどの意味をこめた歌詞にきこえる。
コーヒーがおいしいのは、喫茶店としてあたりまえだからだ。
それでは、とびきりおいしい紅茶をいれる喫茶店に、
ひとがあつまるかというと、そうはならない。
おおくのひとは、喫茶店で紅茶なんてのまないし、
紅茶を注文するひとは、どうせたいした味ではないだろうと、
はじめからあきらめているから。
わたしがすむ町にも、本格的な紅茶をだす店があった。
そこは紅茶専門店であり、コーヒーはいれてくれない。
2〜3回その店にはいったけど、常連にはならなかった。
お客がすくないにもかかわらず、
何年もつづけられていたけど、しばらくまえに閉店となった。
きっとおいしい紅茶だったのだろうけど、
わたしが喫茶店にもとめるのは、専門店らしい風格ではなく、
気がるにはいれて ゆっくりくつろげる雰囲気だ。
そしてふつうにおいしいコーヒーと紅茶。
特別なお店をさがさなくても、
あたりまえにおいしい紅茶がのめる日はくるだろうか。
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