2018年11月30日

安發伸太郎(あわ しんたろう)さんが 料理にむかう姿勢に圧倒された

パリの三つ星レストランで副料理長をつとめる
安發伸太郎(あわ しんたろう)さんが、
BS1スペシャルにとりあげられていた。
あわさんは、18歳でフランスへわたり、
ずっとフランス料理のうでをみがいてきた。
身ぢかにあるやすい材料をいかした料理が評判をよび、
つとめさき以外のレストランからも、
あたらしいメニューの相談をもちかけられ、
おいしくて、斬新なアイデア料理を提案している。
やすみの日には、市場や食材店をまわり、
あたらしい創作料理の研究に余念がない。
生活のすべてを料理にささげている。

背筋をのばし、スタスタと足ばやにあるく。
やわらかなものごしながら、
料理についての発言はあいまいさがなく、
ズバッと核心にふれる。
実力にうらづけされた、自信にみちた態度で、
なぜこうやってつくるのかを相手につたえていく。
あわさんの絶対的な力量をまえにすると、
フランス人のシェフたちは
素直にあわさんの技術をまなぼうとする。

あわさんが全精力を料理にかたむけているのをみると、
日ごろわたしがつくっているものは
いったいなんなのか、とおもえてきた。
ぜったいに「料理」ではなく、
せいぜい「料理のようなもの」だ。
食材にはこだわらないし(やすければ、だいたいOK)、
レシピはまもらないし、もりつけもめちゃくちゃ。
わたしがつくったものをたべて、
しあわせになってほしい、なんておもったこともない。

あわさんの日常をみていると、つねに料理のことをかんがえている。
よりたかいレベルにたっしようとする求道者のようにみえる。
有名になりたいとか、たくさん給料がほしい、というおもいはなく、
ただ料理がじょうずになりたい。
じょうずに料理することが、
あわさんにとっていちばん価値のあることだ。

いったいなにがあわさんをこれほどまでに
料理へとむかわせるのか。
その情熱は、どこからくるものなのか。
あわさんは、たまたまそれが料理だったわけで、
これだけのエネルギーをかたむければ、
たいていのジャンルでたかいレベルにたっするだろう。
ひとりのわかもののこころを、料理がうばった。
一流の登山家が、困難なルートにいどむように、
あわさんは料理の世界で、だれもおとずれたことのない、
たかみにたっしようとしている。
料理人ではあるけれど、その本質は冒険家といえる。

わたしは料理にたいして、ほとんど関心がない。
自分でつくってたべるのはすきでも、
よりおいしくとか、たべるひとのしあわせとか、
かんがえたりしない。
たとえばラーメンづくりに情熱をささげるひとや、
行列にならんで評判のラーメンをたべようとするひとを、
ひややかな目でみたりする。
でも、あわさんの情熱にたいしては、
マイナスの感情をすこしももたなかった。
まっすぐに料理にむかうあわさんは、
欲望にまみれた いやな汁をだしてない。
あわさんは、その努力と才能により、
どこまで可能性をひろげていくのだろうか。

posted by カルピス at 21:37 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月29日

エバーノートのコンテキスト機能を どう評価するか

きのうブログの記事をエバーノートでかいていたら、
下のほうになにやら関連する記事があらわれていた。
ネットをみると、「コンテキスト」といい、
いまかいている記事と関係ありそうな情報を
自動的にしめしてくれる機能だという。
プレミアム会員だけが利用できるサービスで、
自分がためこんだ「ノート」だけでなく、
いろんなメディアも参照されるらしい。
まるでScrapboxのリンク機能みたいで、
プレミアムにアップグレードしてよかったとおもった。
分類するのをあきらめ、「inbox」に1700以上の記事を
ほったらかしているわたしには、ありがたいサービスだ。
自動的に関連記事をおしえてくれると、
うもれた記事に日の目をあてられる。

ネットの検索では、「コンテキスト」がじゃまでしょうがない、
なんてひとの記事ものっていた。
サービスのうけとめ方はさまざまだ。
わたしも、ワードをつかって文章をかくとき、
よけいなお世話的な機能にいらつくので、
じゃまだというひとの気もちがわからないでもない。
いまやろうとおもったことを、
さきどりしていわれたときのはがゆさもあるだろう。
ついでにいうと、自動車にのってエンジンをかけると、
「おはようございます」と、挨拶する機能もわたしはきらいだ。
自動販売機の音声も、本屋さんでながれている、
エンドレスのコマーシャルもいやだ。

「コンテキスト」が、どんな記事をしめすかというと、
いまのところ、おもしろい発見をもたらすほどの
気のきいた関連記事にはであえていない。
たとえば、
「あまりにもバカバカしい『博多と札幌、どちらが好き?』」
というタイトルでかいた記事には、
「世界でもっともバカバカしいコンセプトを持つiPad 用キーボード」
という記事がひっかかった。
内容よりも、「バカバカしい」という言葉に
ひっぱられただけなのはあきらかだ。
この記事は、iPadの入力に、
手動のタイプライターをつかうという、
冗談みたいな(冗談なのだろう)記事で、おもしろいアイデアだけど、
ほかのアイデアとのくみあわせはむつかしそうだ。
「コンテキスト」の機能がわるいのではなく、
ためこんだ記事の内容がもともとたいしたことないせいかもしれない。
もうすこしようすをみてから「コンテキスト」との相性を評価したい。
あんがいわたしも、「バカバカしい機能だ」といいだして、
「バカバカしい」の関連記事をひとつふやすかもしれない。

posted by カルピス at 22:26 | Comment(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月28日

釜あげそばはマルチタスクか

しりあいから手うちそばをもらった。
釜あげにしてたべたらうまかった。
ただそれだけのはなしだけど、
わたしはメンとしてのそばだけでなく、
ダシのきいたあついそば湯も、おいしいとおもった。
そして、パラリとふりかけたきざみネギも、
おいしさをましてくれたような気がする。
そばをたべるときに、釜あげにするのも、
ネギや七味をふりかけるのも、
きわめてあたりまえの作法といえ、
これは、ほんとうの意味で
そばをたのしんだといえるのか、ふと気になってきた。

「シゴタノ!」の佐々木正悟さんは、
コーヒーをのむときでさえ、
ふたつの行為を同時にしない、というのをしり、
つよく印象にのこっている。
https://cyblog.jp/29073
時間によほど追われていると自分で判断するのでない限り、マルチタスクは極端なまでに避けています。べつにできないわけではありませんが、マルチタスクに よる時間の節約というのは、思うほど効果がなく、しばしば時間がかえってムダになり、しかも経験が薄められてしまうと思うからです。

シングルタスクと料理は、共存できる概念か否か、
という点が、そばをたべたときにかんじた問題の所存だ。
フォーミュラー1の車みたいに、
ギリギリまでチューニングされたそばとはどんな姿なのか。
これ以上けずっては、そばとはいえないところまで
要素をそぎおとした究極のそばとは?
料理におけるシングルタスクは、
意外とややこしい問題をかかえているのではないか。

一流の料理店には、求道者みたいに、
その道をきわめようとする料理人の存在がかかせない。
有名なフレンチレストランでなくても、
日本では、おいしいラーメンづくりに
命をかけている「職人」がすくなからずいるという。
彼らがめざそうとしているのは、
もしかしたら、シングルタスクとしての料理、
あるいはラーメンではないだろうか。
おいしければいいというものではなく、
真のラーメンとして、あるべき姿をおいもとめ、
情報を整理し、理想の味を実現しようと、
一流の料理人は夢をおいもとめる。

雑な人間であるわたしは、
あたたかくて、ダシのうまみがいかされ、
適度に薬味がそえてある、釜あげそばのほうが、
わりごそば(出雲地方でだされる3段がさねのもりそば)
よりもおいしいとかんじる。
釜あげがマルチタスクで、わりごがシングルタスク的、
というのは、簡単にとらえすぎているかもしれないけど、
そばがすきなひとや、そば職人たちは、
釜あげよりもわりごをうえにおきたくなる心理が
すこしわかった気がする。
職人たちによる究極のそばづくりは、
シングルタスクとしての機能をおいもとめているのではないか。

posted by カルピス at 22:36 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月27日

あえて愚問をぶつけてくる「be between」は、もしかしたらすごい

土曜日の朝日新聞には、「be」という特別版がついている。
別ずりで12ページあり、通常版のうえに「be」がよめるのは
おとくな気がするので、なんとなくたのしみにしている。

とはいえ、「be」がどれだけよみごたえのある紙面かというと、
それほどたかい点はつけられない。
もちろんこのみの問題でしかないけれど、
お気にいりの連載もあれば、けしてよまないページもある。
わたしがすきなのは、相談コーナーの「悩みのるつぼ」で、
読者からよせられた質問にたいし、
何人かの回答者が自分のかんがえをのべている。
ただ、わたしがよむのは、
回答者が上野千鶴子さんのときにかぎられ、
あとのひとが回答にまわるときは、ほとんどスルーしている。

「be between」という連載では、
「どちらが好き?」みたいなかたちで、
読者に質問をなげかけて、おくられてきた回答から、
どんな傾向があるかをよみといている。
以前には、
「村上春樹の作品を読んだことがありますか?」
という回があった。
どんな作品がすき、あるいはきらいか、の回答がよせられ、
村上さんファンのわたしはおもしろくよんだ。

ただ このごろは、
「しゃぶしゃぶとすきやき、どちらがすき」
みたいに、どうでもいいような質問がおおい。

「奇数と偶数、どちらが好き?」
「人生相談を読みますか?」
「方言が好きですか?」

いったい、そんなことをきいて、どうしようというのだろう。
なにがおもしろいのか理解にくるしむ。
たずねるほうも、こたえるほうも、
わたしの価値観をはげしくゆさぶってくる。
こんな質問にも、関心をしめすひとがいるのだ。
そしてとうとう、前回の「be between」は
「博多と札幌、どちらが好き?」を読者にたずねてしまった。
質問も、ここまでどうでもいいと、すごみをかんじる。
徹底的に役だたないコーナーであろうという姿勢が
あたらしい次元に突入した瞬間だ。
「そばとうどん」「犬とネコ」「すきな季節は」。
いずれも過去の「be between」にとりあげられた質問で、
それぞれおなじくらいどうでもいいけど、
「博多と札幌、どちらが好き?」は
そのなかでも頭ひとつぬきんでている。

くだらないからやめろ、といっているのではない。
わたしにはうかがいしれぬ世界があるのを
じっさいにおしえてくれる人間観察の貴重な場所だ。
「be between」をネットで検索すると、
「月と太陽、どちらが好きですか?」
「朝ごはんをたべていますか?」
なんてのも今年にはいって質問されていた。
そりゃ、月と太陽のうち、どちらがすきか、
あるいは、朝ごはんをたべているかについて、
だれだってなにがしかのこたえをもっているので、
紙面はうまるかもしれないけど、ただそれだけ。
気のきいたこたえは、よい質問からしかうまれない、
みたいなのをきいたことがあるけど、
「博多と札幌、どちらが好き?」
の質問からは、どう分析しても、
たいした成果はえられそうにない。
それでも愚問をだしつづけるところが
「be between」ならではのすばらしさだ。

「博多と札幌」についてモニターがよせた回答は、
27%が博多で、73%が札幌だった。
だからどうしたというしかない。
そこに「be between」の意味があるというのが、
「be between」のややこしさをかたちづくる。
とことん無意味なのことには意味がある、
とわたしは日ごろおもっているけど、
「博多と札幌、どちらが好き?」には、
ついイラっとしてしまった。
わたしは、まだほんとうの意味で
「無意味」さを理解していないとしらされる。

posted by カルピス at 22:29 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月26日

「きらクラ」でのひふみんに、いっぺんで好感をもつ

NHK-FMの「きらクラ」にチャンネルをあわせると、
はやくちなのに、やたらとつかえながら、
あわててはなしてるひとがいる。
このひとだれ?とおもったら、
将棋の加藤一二三さんだった。
きょうのゲストはひふみんだったのだ。

加藤さんは、クラシックにもくわしいようで、
いろんな曲と作曲家の名前をスラスラ
(ほんとはスラスラじゃないけど)くちにする。
連敗ちゅうに、モーツアルトのなんとかをきいたら、
それから連勝がはじまったので、
その曲を自分のテーマ曲にしたはなしが紹介されていた。
将棋であれだけの実績がありながら、
まるで少年のように、いっしょうけんめい
自分のおもいのすべてをことばにしようとする加藤さんの
はなし方をきいているだけで ひきこまれていく。

加藤さんは、モーツアルトが6歳のとき
すでに作曲していたのを例にあげ、
才能のある芸術家が、いかにわかいうちから
第一級の仕事をなしとげていたかをはなす。
そういえば、音楽の世界は天才がゴロゴロいるのとおなじように、
将棋もまた、天才ばかりがすむ異次元の世界だ。
加藤さんは、わかいころ「神武以来の天才」とよばれた神童であり、
天才とは、どんなひとたちかについて、
ふかい理解と共感があるのではないか。
天才棋士として話題の藤井聡太さんについて、
二十歳前後でA級までいってないと、
藤井さんはちょっとつらいとおもいます

というのは、加藤さんでなければ いえない指摘だ。

きらクラでは、ふかわさんと遠藤さんが
加藤さんのもちあじをうまくひきだして、
いつもよりたのしい番組となった。
「BGM選手権」では、将棋について菊池寛がかいた詩に、
どの曲がBGMとしてふさわしいかが
視聴者からよせられてくる。
そのひとつひとつに加藤さんは真剣に感想をのべ、
けっきょくは2番目にながされた曲をえらばれたけど、
映画『スティング』のテーマ曲として有名な
「エンターテイナー」にも つよくひかれていた
(たしかにBGMとして よくあっていた)。
映画の『スティング』についてはなにもはなされなかったので、
純粋に曲としての「エンターテイナー」と、
菊池寛の詩との相性を吟味されたのだろう。
どこまでもまじめに曲をえらぶ加藤さんは、
おもわず姿勢をただしてしまう魅力がある。
タグ:きらクラ

posted by カルピス at 22:09 | Comment(2) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月25日

最終節までもつれるJ1の残留あらそい

J1リーグは、33節をおえ、最終節をのこすのみとなった。
すでに優勝をきめた川崎は、
FC東京をあいてに圧倒的なつよさをみせつける。
試合がはじまってしばらくはFC東京がせめていたけど、
じきに川崎ペースの試合になっていく。
パスを自由にまわし、ボールをキープしつづける。
たとえとられても、たかい位置から連携してのプレスをかけ、
すぐにうばいかえす。
前半の20分からは、ほとんどの時間帯を相手陣内でプレーしていた。
主力の小林と大島をケガでかきながらも、
かわりの選手が穴をうめてチーム力はおちない。
相手チームは、サッカーをさせてもらえないので、
川崎と試合すると、うんざりしてくるのでは。

リーグ戦の終盤にはいってからは、川崎のつよさが群をぬいていた。
象徴的だったのが第30節の神戸との試合で、
0-2と いったんはリードをゆるしながらも、
自分たちのスタイルをやりとおし、結果的には5-3と逆転している。
神戸には、イニエスタとポドルスキがいるのに、
世界的な名選手をあいてにしても、
まったくどうじない試合はこびはみごとだった。

33節で、セレッソ大阪に3-0と勝利しながらも、
柏レイソルのJ2降格がきまった。
そして、のこり1チームとなった残留あらそいは、
下位の横浜・Fマリノスから
名古屋グランパスまでの5チームが対象となる激戦だ。
16位となったチームは、J2チームとのプレーオフにまわり、
降格の可能性にさらされる。
ただ、名古屋と湘南の直接対決がくまれているため、
状況はかなりややこしい。
得失点差で優位な横浜は、よほどのことがないかぎり、
降格はまぬがれる位置にいる。

毎年この時期になると、J1の降格と、J2の昇格が話題にのぼる。
どんなに歴史や実績があるチームでも、
その年にそれなりの成績をのこさなければ降格となる。
今シーズンでは柏レイソル、2016年には名古屋グランパスが、
過去の栄光とは関係なくJ2へとしずんだ。
このきびしさは非情にもおもえるが、
だからこそ適正な競争がJリーグを発展させてゆく。
日本のプロ野球とくらべてもしょうがないけど、
いくらまけても、下部リーグにおちる心配がなければ、
実質的ないたみをともなわず、ぬるま湯状態がつづくのでは。
ふがいないチームへの効果的なお灸は、下部リーグへの降格だ。

先週は、A代表の試合がおこなわれたため、
「Jリーグタイム」はJ2スペシャルがくまれた。
その日はJ2の最終節であり、
J1昇格にむけたプレーオフにまわろうと、
6位までにはいるべく、まれにみる混戦となった。
大宮アルディージャと岡山との試合で、
アルディージャの大前のフリーキックを、
だれかがヘディングであわせる。
いったんはキーパーにふせがれたけど、 こぼれ球を菊池がきめた。
アナウンサーの中川さんが解説の山本さんにコメントをもとめる。
「菊池の反応のすばやさがすごかったですね」
みたいなことを山本さんがいうと、
中川さんが、
「ほんとにぬけめないんですよね」
と、おもわず本音がこぼれたのがおかしかった。
山本さんはあわてて
「気もちのこもったシュートといっていいとおもいますよ」
とフォローする。
かわいい中川さんのくちから「ぬけめない」
といわれると、ドキッとする。
プレーオフへまわった大宮アルディージャは、
東京ヴェルディにやぶれてJ2にとどまることがきまった。
いまひとつ、「ぬけめなさ」がたりなかったのかもしれない。
タグ:Jリーグ

posted by カルピス at 21:22 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月24日

33キロあるいたあとに、配偶者への誕生日プレゼントをかう

あるきの師匠と 3どめのながあるき。
コースをよみまちがえ、ぜんぶで33キロあるいた。
(33.8キロ・6時間19分・2077カロリー)

ここからあそこまで、だいたい何分でつくだろう、
というよみは、あるきの場合、なかなかあたらない。
そのコースを、じっさいにあるいた経験がないので、
どれだけの距離になるのか わからないからだ。
きょうは、もっとはやくつくだろうとおもっていた道に、
おもったよりもてこずり、予定よりも10キロながくあるいた。
午後2時すぎに目的地としたスーパーマーケットにつく。
もっとはやければ、スリランカカレーのお店へ、とおもっていたけど、
午後の営業がおわりそうな時間なのであきらめる。
前回のように、スーパーでバゲットとチーズにハム、
それに白ワインをかって、ちかくの公園でおそいお弁当にする。
これはこれで、たのしい食事だ。
ほとんどやすみなしであるきつづけており、
つかれはてて頭がうまくはたらかない。
白ワインまでがあまくかんじ、からだにしみわたった。
WWZ792SOD3KQXfVLHCzx6Z1ygcdskaO4An3YoZgIKhbwYXGxnX9nLE1IXoyDXxJY8ZXvDrivteLsI7kLa6U_EchybRzhgCX9mhDOns-fVRjTa4UhpYsyrdUH2_k4Yes2bXE4oX8Acyrj_-uIIFduTsRTJ54sgFAYeAs92z6PAlaVvHsllH2oxLbJ2mSJ68c_P7c8F-GlPdlt0SJ8rTfPIGTd.jpg
家にもどったのが5時すぎで、いまさらひるねはできない。
シャワーをあび、洗濯機をまわしてから、
配偶者への誕生日プレゼントをかいに、自転車で でかける。
12月1日の誕生日まで、のこされた日数がすくないため、
きょうのうちにあたりをつけておかないと、
ろくでもないプレゼントにおわる可能性がたかい。
何年かまえに、数で勝負の 福袋みたいなプレゼントをおくり、
もらったほうも、おくったほうも、
よろこんでいいのか、残念なのか、ピンとこないときがあった。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/444454064.html

つかれているにもかかわらず、なんとか かいものにでたのは、
自分としての最善をつくしておきたいという美意識からだ。
プレゼントのめぼしとして、アウトドアショップでのフリースか、
いかにもプレゼントらしい雰囲気のCDをかんがえていた。
けっきょく、コロンビアのフリースにする。
モンベルでないところがわたしの誠意をあらわしている。
気にいってもらえたらいいけど。

posted by カルピス at 21:24 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月23日

エバーノートを「プレミアム」へ アップグレードする

エバーノートをひらこうとすると、
アップグレードを催促されるようになった。
1年の年間契約がきれたためのおしらせみたいだ。
「プラス」の料金プランでつかっているので、
月に200円ぐらいの利用料をはらっていた。
無料でつかえる「ベーシック」プランでは、
2台までの末端しか あつかえないため、
「プラス」以上のプランにはいらなければならないけど、
お金をはらうのは気がすすまない。
どーしようーかなー、とためらっていたら、
「プラス」よりひとつうえのランクにあたる
「プレミアム」が、特別割引で半額になっていた。
通常料金の5200円はいやだけど、
半額の2600円は「プラス」プランよりやすい。
いそいそと、「プレミアム」に登録する。

エバーノートをつかいはじめたのは、
2010年くらいからだ。
東日本大地震がおきて、災害にかんする情報を
さかんにエバーノートへとためこんだ。
倉下忠憲さんの本をよみ、
梅棹忠夫さんの「知的生産」を
エバーノートによって実現できそうだといきごんだ。
タグをたくさんつけたり、ノートブックをふやしたりと、
はじめは熱心につかいながらも、だんだんとズボラな利用者となり、
いまでは「inbox」にほうりこんだまま、
未整理のノートが1700以上もたまってしまった。
カオスとなった「inbox」は、もはや手のつけようがなく、
このままほったらかすしかないとあきらめている。
部屋のよごれは、どうにもならなさが目にはいるけど、
未整理の「inbox」は、そのままつかえないことはない。
検索すればいいんだと、ひらきなおっている。

すこしまえから「Scrapbox」もつかうようになり、
エバーノートとのすみわけにとまどっている。
なんでも「Scrapbox」にいれてリンクをはれば、
いろいろおもしろそうだけど、入力に手間どるのがネックとなり、
コピペばかりをつかって入力している。
いまひとつメインにしきれずに、
ズルズルとエバーノートだのみがつづき、
ごちゃごちゃの「inbox」が すごみをましつつある。

エバーノートを「プレミアム」にアップグレードしたからといって、
わたしに必要なのは、複数の末端であつかえる機能だけだ。
あつかうデーター量などは、ベーシックでじゅうぶん用がたりる。
ネットをみると、3台目はウェッブでつかうなどの
「裏技」が紹介されているけど、
めんどくさいので「プレミアム」にしたのは後悔していない。
すぐれたサービスをつかうために、
最小限の費用をはらうのはしかたがないとうけいれている。
アップグレードをきっかけに、
エバーノートの機能をいかしていけばいいけど、
カオスとなったわたしのエバーノートへ、愛着もわいてきており、
なんだかんだいいながら、不便をそのままにして つかっていきそうだ。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月22日

「酒を皿に注いでストローですするとダメになる」(松本圭司)で酒をキメたくなった

酒をのみすぎたつぎの日、
あまり酒がほしいとおもわなかったので、
ひさしぶりに酒をのまずにベッドにはいる。
わかっていることだけど、
のまなければ、つぎの日すごくからだがらくだ。
こんなに楽なら、わざわざくるしいおもいなんて
したくないとおもえてきて、
この5日間、酒なしの日がつづいている。

そんなときにかぎって、酒についての記事が目につく。
デイリーポータルZにのった
「酒を皿に注いでストローですするとダメになる」(松本圭司)
https://dailyportalz.jp/kiji/straw-de-sake
がいいかんじ。
「ダメになる」とは、
ヤバイほどきいてくる、という意味だ。
コップにいれた酒を、ストローですうのではなく、
お皿にいれた酒を、ストローですする。
ストローでお酒をすするんですが、コツとしては、酒と空気が半々くらいに混ざるようにすること。
『ズズーツ』って音がする勢いで吸ってください。勢いが大事です。その方がキます。

ストローで酒をすする姿は、
映画でよく目にするコカインのすい方とよくにている。
ガラスのうえにコカインの粉をのせ、
カミソリでこまかくならしてから、
片方の鼻をおさえながらいっきにすいこむ。
いかにもドラッグをきめる、やばそうな場面だ。
松本氏が発見した酒のすすり方は、
鼻からではなく、口ですうのだから、
ぜんぜんちがうはずなのに、ドラッグをきめようとする
あぶなっかしい目つきは共通している。

松本氏は、こののみ方を「皿酒」と名づけ、
友だちにもためしてもらっている。
ストローですすると、意識がすする行為に集中するのか、
だれもがにたような目つきで
アルコールがきいてくるのをたのしんでいる。
まさしくドラッグをきめてるのとおなじ雰囲気をかもしだしている。

記事のはじめのほうで、
すごくようので、蒸留酒にはむかない、とかいておきながら、
松本氏はちゃんとウイスキーでもためしている。
じつは皿じゃなくてもストロー法はゆうこうです。
液面にストローをあてて空気をまぜながらすすればおなじこと。

ここらへんから、文章にしめるひらがなのわりあいがふえてくる。
まるでわたしがかいたみたいで、へんなかんじ。
すするほどにバカになっていくかんじがします。もうかんじへんかんとかどうでもいい。
みんなもバカになりましょう。

すごくたのしそうだけど、酒によわいわたしが「皿酒」をためしたら、
あっという間にわるよいしそうだ。
少ないりょうでながく酔えるので、むしろけんこうてきです(たぶん!)。きょうのヨルはストローでやっていきましょう。
でも吸いすぎにはちゅういな!

は、ほんとうだろうか。

posted by カルピス at 22:25 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月21日

『ワニの町へ来たスパイ』軽ハードボイルドとしてたのしめるかも

『ワニの町へ来たスパイ』
(ジャナ=デリオン・島村浩子:訳・創元推理文庫)

CIAの秘密工作員であるフォーチュンは、
まえの任務で派手にあばれすぎたため、
しばらくルイジアナ州の田舎町、シンフルで
身をひそめることになる。
上司の姪になりすまし、ほとぼりがさめるまで
おとなしくすごすだけの任務だ。
フォーチュンは、20代の女性なのに、
これまでかかわった事件で ことごとく死体の山をきずいている。
冷徹な殺人鬼なわけではなく、ただ単にけんかっぱやく、
「つい」とどめをさしてしまうクセがあるらしい。
上司の姪は、ミスコンの女王で、
あみものが趣味のおとなしい女性だ。
フォーチュンとはぜんぜんちがう性格だけど、
なんとか彼女になりすまし、シンフルでの生活がはじまる。

フォーチュンについて、うつくしいとか、
どんなスタイルなのかなど、
こまかなひととなりはどこにもかいてない。
よんでいるうちに、おいおい彼女の思考パターンと、
事件にまきこまれがちで、おさわがせな性格がみえてくるしかけだ。
わかくて、運動神経にすぐれ、けっこうなりゆきまかせで、
こまかいことはどうでもよさそうな性格は、
とてもCIAの秘密工作員にはおもえない。

CIAの秘密工作員で、死体の山をきずいた、なんていうと、
血も涙もない、なさけ無用のつめたい人間を想像するけど、
フォーチュンは、ただめぐりあわせがわるいだけで、
自分では、ごくふつうにふるまっているにすぎないとおもっている。
それでいて、余計なトラブルをまねき、
腕がたつものだから、きっちりとどめをさしてしまう。
そこらへんの仕置人的なすご腕は、『イコライザー』にでてきた
デンゼル=ワシントンみたいだと、いえなくもない。
軽ハードボイルドにでてくる探偵みたいに、
やたらと軽口をたたくけど、じょうずにひねられた、
気のきいたひとこと というよりは、
状況をおおげさにさわぎだてする女子高生みたいだ。
よんでいて、おもしろいとおもえるか、
ついていけないとかんじるか、読者をえらぶ文体で、
わたしはなんとかさいごまでついていけけど、
キレのあるジョークには期待しないほうがいい。
ドタバタがすきなひとには たのしめるかもしれない。

ルイジアナ、といわれたフォーチュンは、上司にたずねる。
ルイジアナ・・・というのは、湿地とワニと田舎者がいっぱいという意味ですか?
上官のこたえは、
愉快な人々が比較的ゆっくりしたペースで暮らしている、小さな町という意味だ。

このやりとりがわたしごのみだったので、
全体にこのレベルかとおもったら、
そのあとは低調な軽口におわっている。

フォーチュンがでてくる小説は、
シリーズになっており、本書がその1作目だ。
フォーチュンの活躍だけでなく、
いちおう謎ときの要素も もりこまれているので、
あんがいたのしめるひともおおいかもしれない。
ほんとうにおすすめできるかどうかは、
もう1作よんでみるまでの保留としたい。
タグ:ミステリー

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2018年11月20日

サッカー親善試合 日本対キルギス 前線の4人にかわる人材が必要

サッカー国際親善試合
日本対キルギス 4-0

先日のベネズエラ戦とはうってかわり、
ある時点まで 日本が自由にボールを支配する。
ベネズエラ戦でいいところがだせなかった
伊東・杉本・北川が先発で起用されている。
前半2分に山中があげた先制ゴールにつづき、
原口のフリーキックが相手ゴールキーパーのまずい守備にたすけられて
2点目もかんたんにはいる。
このままワンサイドゲームになるかとおもったら、
キルギスは前半30分ころからうまくまもるようになり、
日本はおもったように攻撃の形がつくれない。
いつでも点がとれそうだからと油断し、攻撃が雑になったかんじ。
シュートまでもっていけるけど、精度をかき、得点にむすびつかない。
おしいシュートや、くやしがる選手の表情はみたくない。
決定機に、きめきれる選手がほしい。

後半14分から27分にかけ、森保監督はつづけざまに選手を交代した。
伊東→堂安
杉本→大迫
三竿→柴崎
牧野→吉田
原口→南野
北川→中島

前線の4人がそっくりかわったのはベネズエラ戦といっしょだ。
まえの試合では、かわったとたん攻撃が機能しなくなったけど、
きょうは4人がはいったことで、残酷なくらい試合がうごきはじめる。
まえへむかう推進力がすごく、
ゴールをめざすうごきにためらいがない。
とくに中島は、ひとりできりこんでゆき、
すこしでもスペースがあれば、
強引にでもシュートをはなとうとする姿勢がここちよい。
結果からいえば、4人の交代でピッチの雰囲気がすっかりかわり、
手がつけられない状態が試合終了までつづいた。
サッカーは、パスをきれいにまわすだけではだめで、
ゴールをきめるのが目的であることをおしえてくれる。
4人が中心になっての、なにがなんでもとにかくシュート、
という攻撃は快感でさえある。

これだけの差をみせつけられると、
大迫・堂安・中島・南野の前線は、そのままアジア杯でみたい。
原口は、貧乏くじをひいたかんじだけど、
原口の献身的なうごきが必要な場面に、
スーパーサブとして活躍してほしい。

キルギスは、前半のはやい段階で失点したとはいえ、
けしてひいてまもるだけのよわいチームではなかった。
とくに前半のまんなかあたりから、
攻撃をしかける場面をなんどもつくっている。
日本の選手たちは、ゲームをうまくコントロールできず、
ときどきはなつシュートも精度をかき、いらだっていた。
前線の4人をかえるまで、日本は攻撃につまづいていたのだから、
4-0でかてたといっても、
手ばなしでよろこべる内容とは いえない試合だった。
日本の選手層は、人材豊富にみえて、
じっさいは前線の4人をうごかせないほど、
彼らにたよったチームになりつつある。
こんなにはやい段階でレギュラーが固定してしまうのは、
あまりいい状況ではないだろう。
うまくいきすぎて、新戦力が必要、というのもへんなはなしだけど、
4人にかわる人材がでてこなければ、日本ののびしろがひろがらない。

posted by カルピス at 22:32 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月19日

うでたてふせが、安定して連続100回できるようになった

毎日うでたてふせを100回している。
連続100回ができなければ、
たとえば80回プラス20回というふうに、
とにかく合計で100回をこなす。
ほぼ日手帳にメモした記録をみると、2016年の7月に
意識して毎日うでたてふせをするようになった。
それまでも、ときどきはやっていたけど、
2016年の7月をさかいに、いちにちのうち、
いつでもいいので、うでたてふせにとりくんでいる。

はじめのころは70回しかできなかった。
半年ごとにじわじわと10回ふえ、
2017年の11月に、なんと16年ぶりで 連続100回ができた。
ただ、そのあともけして毎日100回連続ができたわけではなく、
できたり できなかったり、安定しない状況がつづいていた。
体調をくずしたりすると、いっぺんに回数がおちてしまう。
そして、いったん数がこなせなくなると、
もとにもどすのは すごく日数がかかる。

そんな状態がずっとつづいていたのに、
10月23日に連続100回をこなしてからきのうまで、
1ヶ月ちかく、毎日うでたてふせが連続100回できている。
なにかが わたしのなかで かわったみたいだ。
まえは、連続100回といっても、90をすぎてからは、
1回いっかいをしぼりだすようにしての、ヘロヘロな100回だったのに、
いまではすんなりと、あぶなげなく100回をこなせている。

100回を意識するあまり、自分で壁をつくっていたのだろう。
ヒラリー=クリントン氏がガラスの天井にくるしんだように、
うでたてふせ100回を、自分にはたかすぎる目標だと
わたしの脳がかってにブレーキをかけていたようだ。
毎日さほど苦労せずに100回ができるようになると、
できなかったころが不思議におもえてくる。
マラソンでいうと、4時間がきれずにくるしんでいたランナーが、
いちど4時間の壁をやぶると、あとは安定して
3時間台ではしれるのとよくにている
(わたしはサブ4ランナーではないけど)。
さらにいえば、いちど自転車にのれるようになったら、
そのあとは無意識にからだをうごかしても、
かんたんに自転車をあやつれるのともよくにている。
うでたてふせのような筋肉にはたらきかける運動が、
筋力よりも反射神経や意識の問題というのがおもしろい。

うまくいくようになった要因として、ひとつおもいうかぶのは、
まえは「毎日やる」といいながら、
つかれていたり、やる気がでないときは、
ま、きょうはいいか、と、
けっこうすんなりおやすみにしていた。
それを、体調がよくてもわるくても、いいわけしないで、
かならずうでたてふせにとりかかるようにしたのが
いまおもえば よかったのかもしれない。
ほぼ毎日と、ぜったいに毎日とでは、
つみあげられる成果に おおきなちがいがある、
というのが今回の結論だ。
自分でかいていて、にわかにしんじがたいけど、そういうことになる。
ほんとうだろうか。

posted by カルピス at 21:43 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月18日

朝日新聞の土曜日版beにのった アメリカ映画ランキングについて

朝日新聞の土曜日版beに
1970〜80年代のアメリカ映画ランキングがのっていた。
1位『バック・トゥ・ザ・フューチャー』
(「バック・トゥ・ザ・フューチャー」と入力するのは
けっこうたいへんだ。わかりやすい邦題をつけてくれ)
2位『スター・ウォーズ』
3位『ET.』
と、よくしられた作品がならぶ。
ベスト20まで、たいていの作品をわたしはみているけど、
はじめからおわりまでを ぜんぶみた、といえないのが3作あり、
そのどれもがSFだ
(『スター・ウォーズ』『ET.』『未知との遭遇』)。

1位の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』が561票、
20位の『愛と青春の旅立ち』が256票で、票があんがいわれている。
1位と2位のあいだには、30票ほどしか差ない。
それぞれの作品に、いろんなひとが愛着をもっているのだろう。
調査の方法が、
「約70本のアメリカ映画から『もう一度見たい作品』を
いくつでも選んでもらった」とあり、回答者数は1318人。
どの作品もそれぞれ有名なので、
「いくつでも選んでもら」うと、
票がばらけて差がつきにくいのかもしれない。
『ゴッドファーザー』と『スタンド・バイ・ミー』をくれべ、
どちらがすぐれているかなんて いってもしかたないので、
「いくつでも選んでもら」うしかないのだろう。

記事には「忘れがたいシーン」として
『ゴッドファーザー』では馬の首、
『ロッキー』では恋人の名前をさけぶロッキーなど、
いくつかの有名な場面がとりあげられている。
作品名をただランキングするだけでなく、
ほんのちょっとしたセリフでも、
ふれると ふれないのでは ぜんぜんちがう。
こんなふうに紹介してあると、作品をなつかしくおもいだしやすい。

三谷幸喜さんと和田誠さんによる映画についての対談集、
『それはまた別の話』・『これもまた別の話』は、
ちょっとどころか、とりあげた作品について、
延々とふたりがかたりあっている。
映画ファン同士の対談というのは、よもやま話になることが多いんだけど、この連載ではできるだけ一つの映画を、細かく語っていきたいと思います。(和田)

映画雑誌『キネマ旬報』に連載された対談であり、
ひとつの作品について30ページをついやすのだから、
もしその作品をみていたら、とてもたのしいおしゃべりだ。
あまり映画にくわしくないわたしは、
おふたりがとりあげた作品のほとんどをみておらず、
『ダイハード』と『カサブランカ』くらいしか、
はなしについていけない。

おふたりの対話は、こまかな分析だけでなく、
もしこうだったら・・・と、
冗談をだんだんエスカレートさせていったりと、
脱線をふくめて、すごくマニアックな内容になっている。
はなしがこまかくなっていくほど
ファンにとってはおもしろいけど、
こまかいスキマにはいればはいるほど、
よむひとがかぎられてくる。
『それはまた別の話』みたいに、すごくマニアックで、
どんどんスキマへはいっていく評論をよみたい。

posted by カルピス at 21:02 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月17日

ヨシダプロ氏の怪作「なんでも茶色く描けばアルフォートっぽくなる」

デイリーポータルZに、ヨシダプロ氏の記事
「なんでも茶色く描けばアルフォートっぽくなる」
がのった。
https://dailyportalz.jp/kiji/chairoku_kaku-alfort/page/1
はじめはタイトルどおり、「なんでも茶色く描けばアルフォート」、
の路線ですすめていたけど、とちゅうから犬のももちゃんがでてきて、
ももちゃんシリーズっぽくなる。
とはいえ、今回のももちゃんは脇役にすぎず、
言葉の魔術師みたいに、ヨシダプロ氏が、
ちからずくでアルフォート化をすすめる怪作となっている。

この記事のみどころは、おそるべき論理の飛躍だ。
ヨシダプロ氏はチョコレートのアルフォートがすきといい、
ただ一点だけをスタートにして、
「茶色く描けばアルフォート」が無理やりすすめられてゆく。
アルフォートの愛好家を「フォーター」、
アルフォート愛好芸術家を「アルフォーティスト」、
アルフォート化することを「フォーティング」、
ついには巨大なフォーティング作品を
「アルフォーティングビジョン」と、
テキトーに、ことばをでっちあげ、
ぐいぐいと「フォーティング」をすすめる。
引用だらけで手ぬきの記事みたいになってしまうけど、
ヨシダプロの「いいわけ」をそっくりかきだして、
論理の飛躍を検証してみたい。

ヨシダプロの記事は、もっともらしい接続詞が特徴だ。

・そこでふと思ったのだが・・・
・そういえば・・・
・と、いうことは・・・
・と、こうなってくると・・・
・よし、こうなったら・・・

なにが「と、いうことは」だ、と
つっこみをいれながらも、
ヨシダプロ氏のいきおいにおされ、
さいごまで「フォーティング」につきあってしまった。

そこでふと思ったのだが、
そこでふと思ったのだが、もし何か絵を描いた際に、問答無用でチョコっぽく茶色で塗りたぐってしまえば、なんでもアルフォートっぽく(事実上、巨大アルフォートに!)できるのではないだろうかッ!?

そういえば
そういえばアルフォートって、フォーター(アルフォート愛好家の略称)の皆様はご存知だが、そのチョコの面に、船が描かれている。

と、いうことは、
と、いうことは、何か船を描く際に、チョコっっぽく茶色に塗りたぐってしまえば…
アルフォートのように(しかも巨大アルフォートに)なるのではなかろうかッ!!? そうだ、そうに違いない! アルフォーティスト(アルフォート愛好芸術家の略称)には至高のビジョンになること必至であろうッ!!!

と、こうなってくると、
と、こうなってくると、この画期的芸術手法で(ただ茶色で台無しにするだけ)なんでも巨大アルフォートにしたくなってきたわよね。

よし、こうなったら
よし、こうなったら船以外のモノでも、アルフォートっぽくなるのか確かめるべく、今度は、そばでウロついている柴犬ももを描いてみたいと思う。犬でもフォーティング(アルフォート化の略称)できれば、本物だ。

OH!! 全チョコ好き垂涎の、巨大なアルフォーティングビジョンが、完成したのであった!!

スタートの時点では、沼でボロ船をみながら絵をかく記事だったのが、
まさか巨大なアルフォーティングビジョンまで
成長するとはだれもおもわなかったにちがいない。
ヨシダさんが適当なこと言うときの強度はすごいです。

という編集部の古賀さんのコメントがまとめとなっている。

posted by カルピス at 20:56 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月16日

日本対ベネズエラ 1-1のひきわけ

サッカー国際親善試合
日本対ベネズエラ 1-1

森保監督にかわってからの3試合は、日本のいいところが目だち、
わくわくするようなおもしろいサッカーをみせてくれたけど、
きょうの相手となったベネズエラは、日本のよさをけしてきた。
前線からプレスをかけてくるし、縦パスをいれさせないよう、
日本への対応がよくねられている印象だ。
日本は中盤でボールをもてず、なかなかシュートまでもちこめない。
それでも前半の20分をすぎたころからは、
相手のうごきになれてきて、なんどもいい場面がでてきた。
そして39分に、中島のフリーキックを酒井がきめて、
ようやく先取点にむすびつける。

後半23分から、日本の前線4人(大迫・中島・堂安・南野)が、
たてつづけに北川・原口・杉本・伊東へとかわる。
パスのだし手となる遠藤と柴崎はのこっているけど、
うけ手が4人ともかわると、なかなか攻撃が身をむすばない。
原口がなんどかドリブルでしかけ、
シュートまでのながれをつくるけど、
それ以外は日本の攻撃にこわさがなくなる。
反対に、ベネズエラは選手交代によっていきおいをとりもどす。
日本は 後半36分にPKから失点し、1-1の同点となり、
そのままひきわけにおわった。

ベネズエラは、攻守とも連携のとれたいいチームだった。
どの選手もよくはしり、テクニックもたかい。
相手がこのレベルになると、日本もなかなかせめられないのが現実だ。
とはいえ、先取点をあげ、そのあともせめつづけていたのだから、
前線を4枚かえたりせず、勝負にこだわれば かてた試合だった。
4人かえたことで、なぜうまくいかなかったかを、
これからのチームづくりにいかしていけばよい。
選手のもち味をいかしながらチームのちからをたかめ、
1月からのアジア杯での活躍を期待したい。

posted by カルピス at 22:02 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月15日

地味な仮装によるボジョレー配達(本番編)

きのうのつづき。
仕事をしていても、ボジョレーの配達が頭からはなれない。
地味な仮装がうまくあたって、
栄光と達成感にみちた 人生最良の日となるのか。
あるいはすべってしまい、どうしようもない訪問になってしまうのか。

夕方から、2時間半かけて、8軒のおうちをまわる。
結論からいえば、どの訪問先でも立候補者はあたたかくむかえられた。
よくわらってくれたし、きよき一票も約束してくれた。
選挙に立候補するというと、けげんな顔をするひともいたけど、
おおむね冗談とうけとってもらえ、
訪問するわたしたちも、うけいれる利用者さんたちも、
あたたかでたのしい時間をすごせている。

すべての訪問をおえ、事業所にもどると、
ことしはどのペアもかなりレベルのたかい仮装なのがわかった。
芸能界にくらいわたしには、わからない仮装もあったけど、
わからなくても迫力だけで勝負できるような
ちからのこもった仮装におどろかされる。
広島カープの応援団という、地味な仮装のペアもいた。
男性職員が女性に、女性職員がおじさんにと、すこしひねりながら、
どこでもみかけそうなカープファンを再現している。
wWOitrbnsBUIAlbC4O7pEaW5R_L4pqv5WZupdVUcwCM9nwctEZFS1kndTUENKTnMasBEHdvLmxDlJtqmGYVPGj2FWKWipbsqvgsGWf3R1QPbvEmBusw15VQIZdyX3hLKslcd7HwT2OPhguZ37ua7oCFqvxXly32_PUTJpzmQXOjWAaMiLkXJSl_mMy4tipUm_2McrlrkqB4qnf-Pn_pEuNOU.jpg
アラレちゃんがかぶさってしまい、2人が仮装していたけど、
どちらもそれぞれかわいかった。
立候補者とその秘書、というわたしたちの仮装は、
アイデアに自信があったので、
たかい評価をあつめるとおもっていたのに、
おもしろい仮装とみとめられながらも、まわりのレベルもまたたかく、
突出した存在とまではいたらなかった。
KsnzO9pG3LsFuGDN-ns66naVqxH-v8yUeZWcD7VwgYpmzRMuBcGYDHAhBHwlvn9GSDmC52IC-1wpCeuGSB_Qi27Z3Z2eNF0tt9b_fApSxbpfq6uS_JRhNg9qVdtC5i8zw339tSIJZrMpMQJrAJDTO8rSyNjq-Kbnmki2gJkNFbHo-MW0nuJj_G7062Nv7DwUf5himjPMcDHI4PebXB5ze0BB.jpg
ただ、いつもはもっと豪華な景品やら食事券がおくられるのに、
ことしは業者さんからもらったせんべいとか、
ボジョレーを注文した酒屋さんがくれたティッシュとか、
しけた景品ばかりが理事長からわたされる。
イベントにお金をかけすぎて、経営がくるしくなってるのではと、
心配したくなるような、キレのない賞ばかりだった。

なんとかぶじに おおきなイベントをおえて安心した。
玄関先で立候補者を紹介するのは、予想以上にたのしくて、
もっとたくさんのおうちを訪問したくなった。
わたしはおそらく来年も地味な仮装路線をつづけるだろう。
ことしより、もっと気のきいたアイデアがうかぶだろうかと、
いまから1年さきのボジョレー配達を心配している。

posted by カルピス at 22:15 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月14日

地味な仮装によるボジョレー配達(準備編)

わたしがつとめる職場では、
ボジョレー=ヌーボーの解禁日である11月の第3木曜日、
お世話になっている方々へ、
ボジョレーをとどけるのが恒例行事となっている。
はじめは配達するだけだったのが、だんだん複雑になり、
いまでは職員が仮装してのイベントになってしまった。
ハロウィンにちかい日付のせいか、
ハロウィンみたいにはでな仮装がおおいなか、
わたしはデイリーポータルZの
「地味な仮装」路線をとりいれている。
https://dailyportalz.jp/kiji/jimi-halloween-2018

地味な仮装とは、ハロウィン的な はでさがなくて、
たとえば中学校のときの理科の先生、とか
仕事ちゅうの水道工事屋さん、など、
現実にいるひとになりきるたのしさを
仮装することで味わう。
説明をつけないと、みただけではわからない仮装でもかまわない。
ただ仮装するだけでは場がもたないので、
仮装にボジョレーをからめたストーリーがほしいところだ。
とはいえ、地味な仮装とボジョレーは、
そうかんたんにはなじまない。
まいとし、いったいどんな仮装をするのか、
かなりのプレッシャーのもと、なやむ日がつづく。
1年目はクロネコヤマトの宅急便、
2年目は、回覧板をまわしにきた近所のおじさんでのりきった。

ことしペアをくむ職員は、看護師さん(女性)なので、
お医者さんとケガ人という役割分担でいこうと
はじめはおもっていた。
でも、どうしても適切なストーリーをおもいつかない。
けっきょくお医者さんの仮装はあきらめて、
国会議員への立候補者と その秘書、という場面をおもいついた。
相方が立候補者で、わたしが秘書役にまわる。
これなら立候補のごあいさつに利用者宅をおとずれて、
ボジョレーをわたすながれに無理がない。
現実にある政党名をあげると ナマナマしすぎるので、
すべてのネコをしあわせにする
「ねこ第一党」をなのり、マニヘストをくばる。
内容は、かとうちあきさんの「野宿党」をパクリ、
・よくねます
・ダラダラします
・がんばりません
とする。
100均でタスキや白手袋などの「7つ道具」をそろえた。

ペナになる女性にわたしの案をつたえると、
了承してもらえたものの、
タスキに自分の名前をかくのははずかしいからと、
「磯野たま」(サザエさんにでてくるネコ)にしたいとか、
しっぽをつけてかわいく、みたいな案をだしてきた。
これではハロウィン的な仮装になってしまうので、
もういちど地味仮装のコンセプトを説明する。

もとめるのは究極のリアリティだ。
こういうとき、ふざけたり、はずかしがったりすると、
かえって おもしろくなくなってしまう。
ふたりとも役になりきり、
国会へぜひおくりだしてほしいと、
こころをこめておねがいする。
あそぶのは、いかにほんものらしくみせるか、の部分であり、
仮装ではふざけない。
あくまでも、どこかにいそうな立候補者と秘書をえんじる。

すごくいいアイデアだとおもったけど、
だれにもうけいれられる仮装ではない。
冗談にとってくれず、「?」な対応をされるおそれもある。
わたしたちは、役になりきれるだろうか。
冗談を、うけいれてもらえるだろうか。
あすの本番が まちどおしくなってきた。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月13日

MacBook Air13インチに あたらしいモデルがでたけど うらやましくないぞ

うわさどうり、MacBook Air13インチが
あたらしいモデルへとかわった。
画面がRetinaとなり、サイズがちいさく(MacBook Proとおなじ)、
おもさは100グラムかるくなっている。
13インチの画面をたもったまま、
本体がちいさくなったのはすばらしいけど、
そのぶん値段が3万5000円たかくなった。
これまでのモデル(税ぬき9万8000円)もまだかえるとはいえ、
在庫がなくなったら販売はおしまいだろう。

わたしとしては、MacBook Air13インチを手にしたとたん
新製品が発売になったわけだけど、
Retinaの画面に魅力をかんじないので、後悔はない。
3万5000円も値あがりするのなら、まえの型でじゅうぶんだ。
新製品がでても、ぜんぜんうらやましくないのでは、
新型MacBook Air13インチの登場は、
あまりはなやかとはいえないニュースなのでは。

わたしがMacBook Air13インチ(旧型)をつかいはじめてから、
まだ10日とはいえ、さわっているだけでたのしい よくできた製品だ。
13インチは必要かつじゅうぶんなおおきさの画面で、
ストレスをかんじずにネットをみられるし、文章がかける。
SSDなのでキビキビうごくし、1.35キロのおもさは、
11インチの1キロとくらべてあまりちがいをかんじない。
いかにもかるくみえるデザインなのだろう。
たいせつなのは、気にいってつかえるかどうかで、
もちはこびに負担をかんじないし、
じゅうぶんなひろさの画面と、
何時間もつかえるバッテリーをもつ13インチは、
これまでに手にしたマックのなかで、
いちばんつかいやすい機種におもえる。
わたしみたいに、ネットをみるのが中心で、
すこし文章をうつ程度のユーザーにとって、
MacBook Air13インチの性能で、なにも問題はない。

シェル型のiBookが登場したときには、
インパクトのあるデザインにおどろいたものだ。
いちど目にしただけで、どうしてもほしくなる。
画面は12インチあるとはいえ、解像度がひくいので、
いまのパソコンよりもずっとせまい範囲しかあらわせない。
でも、このiBookは、わたしがこれまでに
いちばんよくしたしんだパソコンとして記憶にのこっている。
13インチのMacBook Airは、
このシェル型iBookとおなじような相性のよさをかんじる。
ノートパソコンの存在になれ、すこしぐらい
こじゃれたパソコンでも おどろかなくなったわたしだけど、
MacBook Air13インチは、どこかシックリきてつかいやすい。
無機質であるノートパソコンのはずなのに、
くっきりと1台の存在に個性をかんじる。
まるでネコみたいに。

posted by カルピス at 23:01 | Comment(0) | パソコン | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月12日

愛をもとめてやってくるキジトラに どう対応したらいいのか

台所に面したブロック塀のうえを、野良ネコがよくとおる。
そのうちの1匹は、部屋のなかをのぞきこみながら、
さみしそうな声をあげる。
キジトラで、かわいい顔をしている。
ココよりもからだはちいさいけど、歳はうえだろう。
外にいるキジトラをみたココはおちつかず、
窓のそばをいったりきたりする。

ブロックの上からなかなかはなれないので、
ココをだいたまま窓をあけ、キジトラにはなしかける。
キジトラは、それでもはなれない。
わたしがなでてもしっぽをたかくあげ、
気もちよさそうに、というより、
もっとなでて、とすりよってくる。
ココが目的なのではなく、部屋のなかにいれて、
といってるかのようだ。
ためしにココとおなじネコごはんをお皿にいれてさしだしてみる。
すこしはくちをつけるけど、おなかがすいているのではなく、
部屋にいれてほしそうだ。

よその家でかわれているネコなのか。
家のなかにはいれてもらえず、
ご飯だけのかかわりなのかもしれない。
わたしの家にはいって、どうしたいのだろう。
きょうは台所にはいり、だっこまでさせてくれた。
ノドをならしながら声もあげて、
もっともっとと、全面的な介入をもとめているかのようだ。
C8bv18RDlpH0x5QZIZ-XxvkfBXiNn6SKeYlnLCDkirhCGWIyV73x-mOrs4dtmnMrXAzmhbo96U-cklPCNZqA9arTIO2NMs1YPwoZTslf0Ij7dTnF30TCb_ed6TOd7seLPzEXE3FwJFzoIgzl7lN1rN7wfUv-K1DvBP_WRjiMZIKIyq91TSJS1bfGzRAhC1FGfSbFqQ3e9CoRYNkbe6qTgS1i.jpg
いろんなネコをみてきたけど、ノラなのにこれだけひとになれ、
なでたりだっこをもとめるネコははじめてだ。
お腹がすいての訪問ではないし、ココにも関心がないみたい。
ひとをもとめ、愛されたいとねがっているようにみえる。
しばらくなでると、気がすむようでどこかへいってしまう。

キジトラを家にまねいてもいいけど、
ココは部屋のなかでかおうときめているので、
対応がやっかいだ。
キジトラだけ外と中をいききするのに、ココは家のなか、
というわけにはなかなかいかない。
ココとの関係もややこしい。
キジトラをかわいがることが、
ココの心理にどんな影響をおよぼすだろう。
ありえないほど友好的なキジトラのもとめにさえ
すんなりおうじられず、モンモンとしている。

posted by カルピス at 22:18 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月11日

『夜廻り猫 3』(深谷かおる) 人生の指南書

『夜廻り猫 3』(深谷かおる・講談社)

本屋さんになかったので、アマゾンに注文する。
つぎの日についた。はやすぎないか。

3冊目では、「しづさん」というわかい女性がでてくる。
こまっている動物がいると、ほっておけないひとだ。
そとのネコだけでなく、つばさをいためたカラスもくわわった。
そのうえ、となりの家がひっこしたときに
のこされた子ネコをひきうけ、
道ばたでたおれていた子ネコをつれてかえり、
家では母親がインフルエンザで高熱をだしている。
エサがたりなくなり、しづさんがかいにいってるあいだ、
動物たちはあつまってはなしあう。
「俺たちがいるとしづさんの命が縮む」
「俺は消える・・・長居したよ」
「俺もだ いいさ もう死んだはずだったんだ」

そこへしづさんが「やったよー」とかえってくる。
98円の缶詰が半額だったと
うれしさにホホがあかくなっている。

「大変と不幸は違うんだよ」
「あんた達がいて うれしいんだからね!」
「食べな 食べな」

ついでだけど、そのしづさんの家に
もともといるネコが「ぴぴ」という名前だ。
4月に死んだピピとおなじ名前なのでご縁をかんじる。

脳の異常でふらつきがなおらない子ネコがでてくる。
耳もきこえない。
でも、その子がむじゃきにあそぶのをみていると、
いてくれるだけでいい、とおもえてくる。
「生きてるだけでいいんだって
 この子が毎日教えてくれるの」

15歳でひとりだちしようとしている少女を
遠藤さんがなぐさめる。
「15だからな でも15だ 大丈夫 夢もみつかる」
女の子は、「夢はある」という
「好きな人に出会って むこうもうちを好きになってくれて
 ずっと仲良くくらすの つまんない?」
遠藤さんがこたえる。
「素敵な夢だ おまいさんなら きっとかなう」

遠藤さんがつれている子ネコの重郎は、
ちいさいころカラスにつつかれたせいで片目がない。
その重郎に、家のなかから「ようチビ」
と声をかけるネコ(ティモ)がいる。

「おまえ 目 片方どうしたんだ?」
「・・・ない」
「ヘエ〜片目! そんでよく生きてんな」
でも、そういうティモだって
片腕しかなく、のこった腕も指が1本だけだ。

ティモが重郎にいう。
「どんな感じか教えてやろうか?
 あのな 全然平気

『夜廻り猫 』は、ひととしてどう生きるかの
お手本となるマンガだ。
ただ生きているだけでいい。
日常が、それだけでいかにすばらしいか。
できればこまっているものに手だすけをする。
きっとだれかがみていてくれる。

posted by カルピス at 21:38 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする