『スティング』(ジョージ=ロイ=ヒル:監督・1973年・アメリカ)
なんどみてもだまされると、これまでなんどもブログにかいている。
今回もまた、FBI捜査官ポークの演技にすっかりひっかかる。
まえにみた記憶がうすれていることもあるけど、
それだけじょうずにつくられた作品なのだろう。
BSプレミアムでの放映を録画し、夜ねるまえに何回かにわけてみた。
いつもはあそびに夢中なココが、なぜか
この作品をみるときは、あぐらをかいたわたしの足にまるまって、
しずかに画面をながめていた。
さすがに内容を把握しての「鑑賞」ではないだろうから、
ネコにちょうどいいうごきの作品だったのかもしれない。
今回あらたに気づいたのはつぎの2点。
ゴンドーフ(ポール=ニューマン)が列車のなかで
ロネガン主催の賭博ポーカーにくわわるとき、
よったふりをするのにジンをつかうのだけど、
そのときのジンは、わたしがすきなゴードン=ドライジンだった。
そんなむかしからのまれていた酒だったのをしりうれしくなる。
一流の男がえらぶのは、ゴードン=ドライジンにきまっている。
もうひとつは、はじめてこの作品にかんじた疑問として、
フッカー(レッドフォード)を暗殺しようとした
ロレッタの役柄にひっかかる。
フッカーは、たまたまロレッタに声をかけたのであり、
その彼女がじつは・・・、というのはかんがえにくい。
ロレッタは、わたしごのみの女性だけど、
殺し屋ではなく、ゆきずりの関係にとどめたほうが自然だ。
だいぶまえに、小学生だったむすこが
たしか『スタンド・バイ・ミー』をみたとき、
ポーカーをもっとしりたがった。
わたしはてっとりばやい方法として『スティング』をみせる。
くわしいルールはネットでしらべられるけど、
ゲームの雰囲気は なにかの映画をみたほうがつたわりやすい。
カードのやりとりをへて、相手よりも
つよいくみあわせをつくるポーカーは、
いかにもおとなのあそびにみえるらしく、むすこは気にいった。
マッチ棒をチップにして、しばらくポーカーが親子でのあそびとなる。
家族関係は、きわめて流動的だ。
10年ちょっとまえでしかないのに、
どれだけあのころが貴重な時期だったのかをおもう。
作品本来の内容をたのしめるだけでなく、
名作は、おもわぬ副産物をうんでくれる。
むすこといい時間をすごさせてくれた『スティング』は、
めぐりめぐって、子ネコのココとの関係をふかめてくれた。
わたしの人生におけるかけがえのない場面として、
いまわのきわに おもいだしたい。