2018年11月06日

なんどもみていながら、また『スティング』にだまされる

『スティング』(ジョージ=ロイ=ヒル:監督・1973年・アメリカ)

なんどみてもだまされると、これまでなんどもブログにかいている。
今回もまた、FBI捜査官ポークの演技にすっかりひっかかる。
まえにみた記憶がうすれていることもあるけど、
それだけじょうずにつくられた作品なのだろう。
BSプレミアムでの放映を録画し、夜ねるまえに何回かにわけてみた。
いつもはあそびに夢中なココが、なぜか
この作品をみるときは、あぐらをかいたわたしの足にまるまって、
しずかに画面をながめていた。
さすがに内容を把握しての「鑑賞」ではないだろうから、
ネコにちょうどいいうごきの作品だったのかもしれない。

今回あらたに気づいたのはつぎの2点。
ゴンドーフ(ポール=ニューマン)が列車のなかで
ロネガン主催の賭博ポーカーにくわわるとき、
よったふりをするのにジンをつかうのだけど、
そのときのジンは、わたしがすきなゴードン=ドライジンだった。
そんなむかしからのまれていた酒だったのをしりうれしくなる。
一流の男がえらぶのは、ゴードン=ドライジンにきまっている。
もうひとつは、はじめてこの作品にかんじた疑問として、
フッカー(レッドフォード)を暗殺しようとした
ロレッタの役柄にひっかかる。
フッカーは、たまたまロレッタに声をかけたのであり、
その彼女がじつは・・・、というのはかんがえにくい。
ロレッタは、わたしごのみの女性だけど、
殺し屋ではなく、ゆきずりの関係にとどめたほうが自然だ。

だいぶまえに、小学生だったむすこが
たしか『スタンド・バイ・ミー』をみたとき、
ポーカーをもっとしりたがった。
わたしはてっとりばやい方法として『スティング』をみせる。
くわしいルールはネットでしらべられるけど、
ゲームの雰囲気は なにかの映画をみたほうがつたわりやすい。
カードのやりとりをへて、相手よりも
つよいくみあわせをつくるポーカーは、
いかにもおとなのあそびにみえるらしく、むすこは気にいった。
マッチ棒をチップにして、しばらくポーカーが親子でのあそびとなる。

家族関係は、きわめて流動的だ。
10年ちょっとまえでしかないのに、
どれだけあのころが貴重な時期だったのかをおもう。
作品本来の内容をたのしめるだけでなく、
名作は、おもわぬ副産物をうんでくれる。
むすこといい時間をすごさせてくれた『スティング』は、
めぐりめぐって、子ネコのココとの関係をふかめてくれた。
わたしの人生におけるかけがえのない場面として、
いまわのきわに おもいだしたい。

posted by カルピス at 22:36 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする