釜あげにしてたべたらうまかった。
ただそれだけのはなしだけど、
わたしはメンとしてのそばだけでなく、
ダシのきいたあついそば湯も、おいしいとおもった。
そして、パラリとふりかけたきざみネギも、
おいしさをましてくれたような気がする。
そばをたべるときに、釜あげにするのも、
ネギや七味をふりかけるのも、
きわめてあたりまえの作法といえ、
これは、ほんとうの意味で
そばをたのしんだといえるのか、ふと気になってきた。
「シゴタノ!」の佐々木正悟さんは、
コーヒーをのむときでさえ、
ふたつの行為を同時にしない、というのをしり、
つよく印象にのこっている。
https://cyblog.jp/29073
時間によほど追われていると自分で判断するのでない限り、マルチタスクは極端なまでに避けています。べつにできないわけではありませんが、マルチタスクに よる時間の節約というのは、思うほど効果がなく、しばしば時間がかえってムダになり、しかも経験が薄められてしまうと思うからです。
シングルタスクと料理は、共存できる概念か否か、
という点が、そばをたべたときにかんじた問題の所存だ。
フォーミュラー1の車みたいに、
ギリギリまでチューニングされたそばとはどんな姿なのか。
これ以上けずっては、そばとはいえないところまで
要素をそぎおとした究極のそばとは?
料理におけるシングルタスクは、
意外とややこしい問題をかかえているのではないか。
一流の料理店には、求道者みたいに、
その道をきわめようとする料理人の存在がかかせない。
有名なフレンチレストランでなくても、
日本では、おいしいラーメンづくりに
命をかけている「職人」がすくなからずいるという。
彼らがめざそうとしているのは、
もしかしたら、シングルタスクとしての料理、
あるいはラーメンではないだろうか。
おいしければいいというものではなく、
真のラーメンとして、あるべき姿をおいもとめ、
情報を整理し、理想の味を実現しようと、
一流の料理人は夢をおいもとめる。
雑な人間であるわたしは、
あたたかくて、ダシのうまみがいかされ、
適度に薬味がそえてある、釜あげそばのほうが、
わりごそば(出雲地方でだされる3段がさねのもりそば)
よりもおいしいとかんじる。
釜あげがマルチタスクで、わりごがシングルタスク的、
というのは、簡単にとらえすぎているかもしれないけど、
そばがすきなひとや、そば職人たちは、
釜あげよりもわりごをうえにおきたくなる心理が
すこしわかった気がする。
職人たちによる究極のそばづくりは、
シングルタスクとしての機能をおいもとめているのではないか。