パリの三つ星レストランで副料理長をつとめる
安發伸太郎(あわ しんたろう)さんが、
BS1スペシャルにとりあげられていた。
あわさんは、18歳でフランスへわたり、
ずっとフランス料理のうでをみがいてきた。
身ぢかにあるやすい材料をいかした料理が評判をよび、
つとめさき以外のレストランからも、
あたらしいメニューの相談をもちかけられ、
おいしくて、斬新なアイデア料理を提案している。
やすみの日には、市場や食材店をまわり、
あたらしい創作料理の研究に余念がない。
生活のすべてを料理にささげている。
背筋をのばし、スタスタと足ばやにあるく。
やわらかなものごしながら、
料理についての発言はあいまいさがなく、
ズバッと核心にふれる。
実力にうらづけされた、自信にみちた態度で、
なぜこうやってつくるのかを相手につたえていく。
あわさんの絶対的な力量をまえにすると、
フランス人のシェフたちは
素直にあわさんの技術をまなぼうとする。
あわさんが全精力を料理にかたむけているのをみると、
日ごろわたしがつくっているものは
いったいなんなのか、とおもえてきた。
ぜったいに「料理」ではなく、
せいぜい「料理のようなもの」だ。
食材にはこだわらないし(やすければ、だいたいOK)、
レシピはまもらないし、もりつけもめちゃくちゃ。
わたしがつくったものをたべて、
しあわせになってほしい、なんておもったこともない。
あわさんの日常をみていると、つねに料理のことをかんがえている。
よりたかいレベルにたっしようとする求道者のようにみえる。
有名になりたいとか、たくさん給料がほしい、というおもいはなく、
ただ料理がじょうずになりたい。
じょうずに料理することが、
あわさんにとっていちばん価値のあることだ。
いったいなにがあわさんをこれほどまでに
料理へとむかわせるのか。
その情熱は、どこからくるものなのか。
あわさんは、たまたまそれが料理だったわけで、
これだけのエネルギーをかたむければ、
たいていのジャンルでたかいレベルにたっするだろう。
ひとりのわかもののこころを、料理がうばった。
一流の登山家が、困難なルートにいどむように、
あわさんは料理の世界で、だれもおとずれたことのない、
たかみにたっしようとしている。
料理人ではあるけれど、その本質は冒険家といえる。
わたしは料理にたいして、ほとんど関心がない。
自分でつくってたべるのはすきでも、
よりおいしくとか、たべるひとのしあわせとか、
かんがえたりしない。
たとえばラーメンづくりに情熱をささげるひとや、
行列にならんで評判のラーメンをたべようとするひとを、
ひややかな目でみたりする。
でも、あわさんの情熱にたいしては、
マイナスの感情をすこしももたなかった。
まっすぐに料理にむかうあわさんは、
欲望にまみれた いやな汁をだしてない。
あわさんは、その努力と才能により、
どこまで可能性をひろげていくのだろうか。