2018年12月31日

旅行11日目 スコータイ遺跡へ

8時にピサヌロークのホテルをでて、スコータイゆきのバスにのる。
1時間ほどでついた。
タイのバス網はとてもよく発達していて便利だ。

スコータイのつくりはちょっとややこしい。
スコータイのバスターミナルにつくと、
そこから新市街までのりあいバスでむかう
(わたしは声をかけてきた車にのった)。
スコータイ遺跡は、旧市街とよばれる地域にあり、
新市街からまたのりあいトラックで30分ほどかかる。

ホテルさがしからつまずいた。
はじめにたずねたホテルは満室といわれ、
それでもほかのホテルに電話をかけてきいてくれた。
1500バーツのバンガロータイプならある、
といわれたけど、さすがにたかすぎる。
もうひとつあたってくれたところは、
ドミトリーが300バーツであるという。
ゼロよりもいいやと、とにかくまずそのホテルへ。
でも、300バーツをはらっていったんはチェックインしたものの、
ドミトリーではパソコンやタブレットをのこしたまま
安心してるすにできない。
お金をけちって 余計な心配ごとをかかえたくないので、
目についたちかくのホテルに あらためて部屋をたずねる。
エアコンなしのシングルルームが250バーツであった。
かなりふるいホテルで、部屋もトホホだけど、
とにかく自分の居場所ができて安心する。

部屋にリュックをおくと、すぐ旧市街にあるスコータイ遺跡へむかう。
冒頭にかいたように、のりあいトラックで30分でつく。
ネットには、しずかであまりひとがいないようにかいてあったのに、
年末年始のハイシーズのため、たくさんの観光客でにぎわっている。
車もおおく、交通渋滞ができるほどだ。
30バーツで自転車をかり、
史跡公園のなかだけを1時間弱でざっとみてまわる。
なんだか旅行にきたという、アリバイづくりに
遺跡をたずね、写真をとってるかんじだ。
はじめは気がのらなかったけど、自転車をこいでるうちに
遺跡のうつくしさにすこしはひかれてきた。
とはいえ、アンコールワット遺跡をたずねたときのような
はげしい興奮はかんじない。
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新市街にもどってからは、例によってタイマッサージの店へ。
残念ながら、あまりじょうずにもんでくれず、不満がのこる。
ホテルにもどると、ネコと犬がいた。
犬は、はじめわたしにほえてきたけど、
ホテルのひとが声をかけると、なでさせてくれた。
リオという名前だ。ビールとおなじ名前なのでおぼえやすい。
建物はトホホのホテルだけど、経営者の家族と
動物たちは、わたしの気をやすめてくれる。
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2018年12月30日

旅行10日目 ピサヌロークへの移動

ルーイのバスステーションから
ピサヌロークゆきのバスにのる。
10時半に出発し、4時間30分でついた(266バーツ)。
ピサヌロークは、バスステーションが2つあり、
はじめは郊外のバスステーションにとまり、
ほとんどの客をおろすと、つぎに市内のバスステーションへむかった。
バスステーションからバイクタクシー(60バーツ)で、
駅のちかくにある「Lishai Guesut House」へ。
どこかゲストハウスはないか?ときくと、
そこへつれていってくれた。
めずらしく女性のドライバーだった。
「ゲストハウス」となっているけど、
かまえは立派でたかそうなホテルだ。
フロントでたずねると、400バーツのシングルルームがあった。
エアコン・テレビつきで、朝食もこみだという。
もちろんWi-Fiもつかえる。
ゲストハウスのようなアットホームな雰囲気は期待できないけど、
とまるだけならまったく問題はない。
こんかいの旅行で、「朝食つき」は はじめてだ。
バターをたっぷりぬったトーストに紅茶。
そんなことさえたのしみになる。

ピサヌロークといえば、スコータイ遺跡にちかい町なので、
ネットでしらべてみる。ここからバスで1時間だ。
わかいころの旅行で、わたしはピサヌロークにきたはずだけど、
どうやらわたしがまえにきたのは
スコータイの新市街だったみたいだ。
ソンテク(のりあいトラック)で遺跡までいったおぼえがある。

ピサヌロークまできてスコータイ遺跡にいかないのは
もったいないような気がするし、
でも遺跡にはまえにいっってるしで、
例によってつぎのうごきをどうするか、
モンモンとまよってしまう。
ピサヌローク駅から鉄道でナコンサワンへいってもいいし、
遺跡をみてからバスでナコンサワンという手もある。
なにがやりたいか、はっきりしてないと、
方法はいくらでもあるので、いちいちまよってしまう。

タイマッサージの店をもとめて、
1時間くらい町をぶらついたけど みあたらない。
シャッターをおろしている店がおおいので、
マッサージも正月やすみをとっているのかもしれない。
夕ごはんは、駅のちかくにでているナイトマーケットで
パパイヤやあんかけヤキソバなどをたべる。
かえりにセブンイレブンでリオビールをかった。
ホテルのまえに、バーがあったけど、
旅行ちゅうはつよい酒をとおざけておきたいので我慢する。
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2018年12月29日

旅行9日目 ルーイの宿でまったりすごす

朝おきると雨がふっている。
しばらくするとやんだけど、
きょうは雨がふりやすいお天気みたいだ。
できればいこうとおもっていた
ダーン=サーイへのおでかけはやめて
ほぼいちにち宿ですごす。

きのうのつづきみたいになるけど、
ヘタレの中年旅行者が、いちにちでなにをしたかというと、
まず宿のひとにつめきりをかりて、爪をきった。
すこしまえから、のびた爪が気になっていたのですっきりする。
つぎに、洗濯物を宿にだした。
天気がわるいので、かわくかどうか心配だけど、
ずっとはいていたズボンをいいかげんきれいにしたかったので
洗濯をおねがいした。1キロが30バーツ(110円)。

ルーイの町には、あついお茶をだしてくれる店がみあたらないので、
宿のひとに どこかいいお店がないかたずねる。
おもいあたらないけど、もしよかったら家にハーブティーがある、
といって わたしにいれてくれた。
こういうこころづかいが、すごくうれしい。
ハーブティーをのみながら、『ジーヴズの事件簿』をよむ。
皇后が「ジーヴズも二、三冊待機しています」
といったことから 話題になったらしい。
頭の回転のはやいジーヴズのはたらきをよんでいると、
皇后につかえる従僕(にあたるひと)は、
かなりプレッシャーだろうと すこし気のどくになる。
ジーヴズがつかえるのは、あまり知的とはいえないバーティくんだ。
僕の好きなものを一つと言われたら、それは静かな生活だ。周りでしじゅう何事か起こっていないと落ち着かなかったり、落ち込んでしまったりするたちじゃない。僕が退屈してしまうなんて、まずありえない。三度のまともな食事、上出来のミュージカル・コメディを時々、いっしょにほっつきまわる友達の一人二人もいれば、あとはもう何もいらない。

ジーヴズは、バーティのことをみくだしているけど、
わたしはバーティの愛するささやかな日常に共感しながらよんでいる。

夕ごはんには、いきつけとなった食堂でトムヤムムープをたべる。
トムヤムクンはエビのスープであり、
この店のは鶏肉をつかっているので トムヤムガイになる(とおもう)。
注文すると、1人前のスープを小鍋でつくってくれる。
スパイスとしてショウガ・レモングラス・トウガラシが
ぎっしりはいっていて、かきまわすと
鶏肉・キノコ・トマトがゴロゴロでてくる。
おおげさでなく、すごい量の肉とキノコだ。
ふたりでたべるとちょうどいい量で、でもおいしいので
ひとりでぜんぶたべる。
どんぶり1杯のスープともち米で90パーツ(340円)。
ほかのおかずはとてもお腹にはいらないので、
もち米だけをたのみ、スープにひたしてたべる。
今夜で3晩つづけてかよった。
これだけおいしいと、日本では とても家でつくれない。
たべおさめだとおもって、今夜はしっかり味わった。
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2018年12月28日

旅行8日目 メコン川からラオスをのぞむチェンカーンへ

「ゲストハウスのしずけさはわたしごのみだけど、
 1泊だけにとどめて、あすはチェンカーンへむかおう」

ときのうの記事にかいておきながら、
宿のひとに「あすチェックアウトしてチェンカーンへいく」
といったら、
「気をつけてね、いまは新年をいわう客で
ホテルがいっぱいかもしれないから」といわれた。
チェンカーンはメコン川ぞいにあり、有名な観光地らしい。
そして、いまは新年をいわう旅行シーズンだ。
そういわれると、わたしのよわいこころは かんたんにゆれうごいた。
チェンカーンにいって、ホテルがなかったらどうしよう。
ネットをみると、1000バーツ以上のたかいホテルがひっかかるけど、
そんなたかいところはとまりたくないし、
トホホなベストハウスもでてきたけど、それもまたいやだ。
あせってかんがえたあげく、
チェンカーンへは日がえりでいくことに予定をかえる。
いまいるシュガーゲストハウスが、
とてもすごしやすいので、3泊の滞在にした。

ゲストハウスには、バスステーションまでの
送迎サービスがある(50バーツ)。
きょうはチェンカーンへいこうと、おくりをたのんだら、
なぜかゲストハウスのむすめさんが、
車でチェンカーンまでおくってくれた。1時間でつく。
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きのういわれたように、たしかにたくさんの観光客でにぎわっている。
なんねんかまえ、おなじようにメコン川に面する北部の町、
チェーセンへいったことがあるけど、こことにたような光景だった。
メコン川の対岸にはラオスがのぞめ、
川ぞいにおみやげ屋さんとレストランがならぶ。
メコン川がながれ、対岸にラオスとくれば、
にたような観光名所になるのだろう。
おみやげ屋さんには興味がないので、
ただひたすらメコン川ぞいをあるく。
しずかな川ぞいをあるいていると
だんだん調子がでて、気もちよくなってきた。
3時間でとなりの町までを往復する。
ルーイまでのかえりは、30分おきにミニバスがでている。
1時間半でルーイについた。35バーツ。
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ケチでビンボー、それに中年でヘタレの旅行者が、
旅行ちゅうなにをしてすごしているかというと、
本とひるね、それにビールというなさけない状態だ。
きのうはなにげなくキンドルのタブレットをWi-Fiにつなげると、
「3ヶ月99円で、音楽を聴き放題」
というアマゾンのサービスが目についた。
旅行がしりつぼみになり、逆上したわたしは、
ついポチッとな、をしてしまう。
「いちご白書をもう一度」・「こころもよう」・
「走れコータロー」などをずるずるきいてしまう。
旅行にきて、なにをやってるんだ、と自分につっこむ。

posted by カルピス at 21:05 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月27日

旅行7日目 タフな夜行バスにのり、ルーイに到着

きのうはプラジュワップキーリーカンから
バンコクへの移動日にあてた。かえりはバスにする。
これから旅行は第2部にうつる。
これまでまだいったことのない、
タイ東北地方(イサーン)をまわるのが、
今回の旅行で やりたいことのふたつめだ。

プラジュワップキーリーカンからのバスは、
定刻の9時に出発し、とちゅうで客をひろうことなく
スムーズにはしりつづける。
4時間でつくかな、とおもったけど、
バンコクにちかづくにつれ渋滞がひどくなり、
けっきょく南バスステーションについたのは
1時間45分になっていた。

バンコクにはなるべくいたくないので、
ホテルをさがさずに、そのままイサーン地方をめざすことにする。
南バスステーションから北バスステーションへタクシーで移動し、
コーンケーンゆきのチケットをもとめる。
でも、もううりきれらしい。
イサーン方面ならどこでもいいので、
ピサヌローク・ナコンラチャシマ・ウドンタニーと、
いくつか名前をあげるけど、
どれもないと、ものすごく不機嫌そうにことわられる。
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とほうにくれてほかの窓口をまわると、
「ルーイ 19:30」とふだがでていた。
ルーイこそ、わたしがいきたかった場所なので、
わたりに船だとチケットをもとめる。
2等しかのこってないけどしかたない。
朝6時につくといわれた。302バーツとやすい。

やすいのは、当然それなりの理由があり、
定刻より1時間おくれて出発したバスは、
ものすごくたいへんなバスだった。
バスステーションには、各座席にパネルがついている
ゴージャスなバスがゴロゴロしてるのに、
わたしがのったのは、シートがせまく
運転手2人はまったく英語をはなさず、
サービス精神もとぼしい。
まわりの客も、タイ語しかつうじないので、
すごくこころぼそかった。
とちゅうでバスの のりかえがあり、
いったいどこへつれていかれるのかと心配する。
タイ語をはなせないわたしがいけないのであり、
バス会社側に問題はないのだけど、
くらいなかをはしる夜行バスは すごくさみしい。
グーグルマップでいまはしっている場所がわかり、
ちゃんとルーイへむかっているのだと
なんどもたしかめて安心した。
けっきょく12時間15分かかってルーイにつく。

すこしまえの朝日新聞「折々のことば」で、
冒険家、角幡唯介さんの
ぞくぞくした。この永続する不安感は探検がうまくいっている証拠なのである。

がとりあげられていた。
わたしの旅行は、冒険などではないけれど、
不安感がうまくいっている証拠、というのに納得する。
ハラハラドキドキするからこそ、旅行はたのしい。

バスのり場からトゥクトゥクで市内へむかい、
シュガーゲストハウスにつく。
しずかで、おちついた雰囲気で、スタッフは親切で、
タフな夜行バスのあとでは天国におもえるゲストハウスだ。
夜行バスのあとでなくても、こんなところにとまれたら
旅行はたのしくなる。
この町には1泊のつもりだったけど、
いいゲストハウスにめぐりあえ、まよってしまう。
朝はさむいくらいだった町も、昼になるとあつさをかんじる。
エアコンをつかわなくてもちょどいいかんじ。
よくはれて、すこしはだざむく、とてもすごしやすいお天気だ。
宿のしずけさがとてもここちよい。
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自転車をかりて町をぶらついてみる。
東北地方の名物という鳥のやきもの(ガイヤーン)
のお店があったので はいってみた。
清潔で、店のひとがキビキビとはたらいていて
いいかんじだ。
ガイヤーンともち米を注文する。
ほかの町でたべた鶏肉よりおいしい(気がした)。
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朝ついたルーイのバスステーションにもどって
メコン川ぞいにある町、チェンカーンへの便をきく。
30分おきにでているそうだ。
ゲストハウスのしずけさはわたしごのみだけど、
1泊だけにとどめて、あすはチェンカーンへむかおう。

posted by カルピス at 13:12 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月26日

旅行6日目 旅行ちゅうはクリスマスを意識しなかった

そういえば、クリスマスイブも クリスマスも、
まったく意識しないまますぎていた。
日本を出発するまえに、タイのクリスマスについてたずねられ、
クリスマスをひとりですごすのは、
旅行ちゅうといえどもさみしいかなー、
なんてはなしていたけど、じっさいは
クリスマスをわすれていたので、
ひとりぼっちをかんじないですんだ。
町をあるいていても、タイにはクリスマスの気配がない。
日本はなんであんなにクリスマスがおおきなイベントなんだろう。
とはいえ、イブに配偶者からメールがとどいたとき、
せめて「よいクリスマスを」ぐらい かけばよかった。

高校のころから基本ひとりですごしてきたといい、
「非リア充」にくわしそうな地主恵亮さんが
「リア充とはなにか」をといかけている。

「クリぼっちでも無問題?
 『リア充』とは何かを再定義してみた」
https://kindaipicks.com/article/001614
リア充に「リア充とは?」と聞くと、いろいろな意見があったけれど、まとめると「やりたいことがやれている」ということで、「恋人の有無は関係ない」ということになる。これがリア充によるリア充の定義なのだ。

非リア充から見れば、リア充とは恋人がいることなのだ。

でも、何人かの学生にインタビューしているうちに、
地主さんの「リア充」定義はゆらいでくる。

旅行していると、おおくの旅行者は
仲間や彼女とすごしており、「リア充」にみえる。
ひとりの旅行者もいるけれど、目だたない。
旅行という、非日常の場面でも、
「リア充」にみえるかどうかは、日常生活とおなじだ。
わたしはいま、計画どおりに旅行し、
充実した時間をすごしているはずだ。
でも、それが「リア充」かというと、あまりその実感はない。
そもそも「リア充」ということば自体が
あまりにもあやふやな定義のまま
生きのびてしまったようにおもえる。
地主さんによる「リア充」再定義のこころみは、
はたして目的をはたせただろうか。
タグ:リア充

posted by カルピス at 08:29 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月25日

旅行5日目 アオ マナオ ビーチへの散歩

目的地はどこでもいいから、たくさんあるこうと宿をでる。
旅行案内所にたちより、地図をもらった。
アオ マナオ湾がよさそうだ。
海岸にそってすこしあるくと、空軍の基地があり、
門には兵隊さんがたっている。
「アオ マナオ ビーチへいく」といったらとおしてくれた。
だれでも基地内にはいっていいみたい。
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あるきだして1時間でアオ マナオ ビーチについた。
あまり海水浴客はおらず、シーズンオフの雰囲気だ。
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けばけばしいリゾートビーチではなく、おちついてすごせそう。
目的地にはついたけど、まだあるきたりないので、
ビーチをすぎて、そのまま道をすすむ。
地図をみると、もうすこしさきにセブンイレブンがあるので、
そこをきょうの目的地とした。
すごい田舎道なので、こんなところにセブンイレブンがあるかいな、
とおもっていたら、だんだん町らしくなってきて、
ほんとうにセブンイレブンがあった。
プラチュアップキーリーカンのとなりにある
コンワンという町にでたようだ。
プラチュアップキーリーカンほどではないけれど、
ここにもビーチをうりにしたホテルがたっている。
外国人めあてだけでなく、タイには
タイのひとがあそべるリゾートがたくさんある。

休憩をかねて、目についた食堂でカオパットを注文する。
いつもながらのヤキメシだ。
タイでは、このカオパットとうどんばかりたべてるけど、
このお店の品は、そのなかでもハッとするおいしさだった。
値段も35バーツとやすい。
あまりながく休憩するとうごけなくなるので、
カオパットをたべおえるとすぐにきた道をひきかえした。
いき かえりが おなじ道なのは退屈だけど、
プラチュアップキーリーカンはタイでいちばん
マレー半島がせまくなった部分に位置しており、
ミャンマーとの国境まで13キロしかない。
へんにうろうろすると、すぐミャンマーとの国境をこえるので、
きょうのところはシンプルな往復コースで手をうった(まけおしみ)。
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YUTICHAI HOTELにもどり、鍵をうけとるとき、
きょうの分の水として、ペットボトル2本をもらう。
きのうも2本もらっていたし、
部屋のドアノブには、きょうのぶんの
トイレットペーパーと、コーヒー・せっけん、
それにおかしが袋にいれてぶらさげてあった。
きのうチェックインしたとき、
部屋にはわかせるポットとコーヒーの袋、
それにおかしまでおいてあり、サジが2つそえられていた。
それらがはいっているちいさなカゴには、
インスタントコーヒーの袋をきるための(おそらく)
ハサミまでついている。
ふつうハサミのことまでかんがえないだろう。
こういうこまやかな気づかいって、とてもうれしい。
ふくろにはいったきれいなコップもいいかんじ。
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ケーブルテレビがみられるし、Wi-Fi環境もよく、
まったく、いたりつくせりのホテルだった。
こういうホテルにはいると、
つい連泊したくなるのがわたしのよわいところで、
でもそれをやると、くつろぐだけの滞在になってしまう。
こんかいは、すこしまよったけど、
あすバンコクへかえるバスのチケットをかって、雑念をふりきった。
なんどでも またあそびにきたいホテルだ。

朝から5時間かけて20キロあるき、ほどよくつかれた。
宿でシャワーをあび、くつしたとTシャツをあらい、
ビールをのみながらよみかけの『鳩の撃退法』をひらく。
午前におもな活動をおえ、午後はリラックスの時間にあてるのが
わたしにはリズムをつくりやすい。
1時間ほどひるね。
理想的ないちにちとなった。

(追記)
宿のちかくをぶらついていると、
つめたいのみものをうっているお店があった。
「CHAMITI」とある。茶道のことだろう。
いろんな種類がメニューにかいてあったので、
ジャスミンティーをたのんでみたら、
なかにはツルンとした食感のちいさなお団子がはいっている。
カップにふといストローをつきたてて、
お茶といっしょにそのお団子もすする。
まえに「デイリーポータルZ」でとりあげていた
タピオカ飲料をおもいだした。
このモチモチ団子はタピオカだろうか。
つめたさと妙な食感がピッタリで、はじめての体験だった。
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2018年12月24日

旅行4日目 プラチュワップキーリーカンへ

ゲストハウスを朝5時半にでて、トンブリー駅へむかう。
朝はやいせいか、トゥクトゥクもタクシーもあまりみかけず、
200バーツという値段をふっかけられる。
3キロぐらいしかないはずなのに、めちゃくちゃたかいけど、
いい値をそのままうけてタクシーにのりこむ。
トンブリー駅でプラチュワップキーリーカン
までのチケットをもとめる。
たった56バーツだ。200円ほど。
各駅列車とはいえ、すごくやすい。
切符には、7時半出発で、到着が午後1時27分となっていた。
出発はほぼ7時半だったけど、到着は1時間おくれた。
7時間もかかったけど、各駅列車ならではのおもむきがあり、
あまりたいくつしない。
ものうりがひっきりなしにとおり、窓からの景色もめずらしい。
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プラチュワップキーリーカンは、
バンコクからマレー半島を南へむかって300キロにある町だ。
まえによんだ『タイ鉄道4000キロの旅』(渡邉乙弘・文芸社)
で紹介されていたことから、いってみたくなった。
きれいな駅としずかな海岸がいいとある。
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プラチュワップキーリーカンの駅は、
たいしてきれいとはおもわなかったけど、
おちついた町のたたずまいはわたしごのみだ。
駅でホテルの客びきがまってるかとおもったのに、
だれも声をかけてこないので、いいかげんにあるきだす。
駅から100メートルほどのちかさに、いいホテルがあった。
エアコンつきのシングルルームで500バーツだ。
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カオサンでとまっていた部屋にくらべると、格段にいごこちがいい。
シャワーをあび、昼ごはんをちかくの食堂ですませてからひるね。
そのあとは、例によってタイマッサージだ。
2年ほどまえから、首と肩をいためているわたしは、
前回の旅行で毎日タイマッサージにかよい、
肩と背中を中心にほぐしてもらった。
ぜも、気もちはいいけどよくはならない。
部分よりも全体か、と、今回は全身のタイマッサージを
つづけてみることにする。
きょうはいった店はあたりだった。
かたくなってる場所をさがしあて、ていねいにもんでくれる。

夕ごはんは、ホテルのちかくにナイトバザールがでていたので、
マンゴーやサバのやいたのをたべる。
サバは、たいでも「サバ」とよんでいたので、
うれしくなって注文した。
日本でたべるサバのみりんぼしをおもいだした。
またゲリをしたらいやなので、つけあわせの生野菜はのこした。
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宿では自転車とバイクをかりられるようだけど、
あるきの師匠のおしえをまもり、あしたはたくさんあるこう。

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2018年12月23日

旅行3日目 体調をくずし、つぎの町へ移動できない

予定では、朝はやおきして、プラジュアップキーリーカンという
バンコクから電車で4時間ほどの町をめざすはずだったけど、
きのうの夕方からきびしいゲリがつづき、
とても移動できる体調ではなくなった。
ゲリはふつうわるいものをだせばすっきりするのに、
こんかいは、ずっとのたうちまわるくらいのくるしがつづく。
こりゃ救急車をよんだほうがいいかな、とマジにおもった。
あるいは、このまま死ぬのかも、とも。
朝ごはんと昼ごはんに、近所の屋台でぶっかけご飯をたべており、
そのときによくないものを とりこんだのだろう。

ぜんかいのタイ旅行でも、おわりごろからゲリがはじまり、
たべるものがぜんぶでてしまい、1週間で4キロやせた。
こんかいは、旅行がはじまったばかりなので、
そんなことになったらまともにうごけなくなる。
きょういちにちは、おとなしく宿ですごし、
うつらうつらしながらからだをやすめた。
さいわい、きょうたべた朝ご飯とひるご飯は、
なんとかからだにおさまった。
火をとおしたものがいいだろうと、両方ともうどんにする。
ヘトヘトになって宿にたどりついたきのうでさえ、
うでたてふせ100回と、ヒンズースクワット300回をこなしたのに、
きょうはとてもそんなげんきがでない。

昼ごはんから宿にもどるとネコがいた。
やたらとネコがうろついている宿で、
そのなかの1匹がわたしのひざにとびのってきてうずくまる。
やたらとあまえてくるので うれしくなり、
からだをなでさせてもらう。
あとからおもえば、そのネコの居場所にわたしがすわったので、
はやくそこからどけ、といいたかったのかもしれない。
体調をくずしてげんきのなくなっているわたしには、
ありがたいネコとの時間だった。
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体調のわるさばかりをかいてもしかたないので、
いちねんをふりかえるという意味で、
まえに鴻上尚史さんがおしえてくれた
「七味・五悦・三会」をかいてみる。

「江戸時代には、おおみそかに、
いちねんをふりかえりながら、
・7つのあたらしい味
・5つのたのしいおもいで
・3つのであい
があったかどうかを家族ではなしあっていたらしい」
http://parupisupipi.seesaa.net/article/461468729.html?1545559609

というやつだ。
それぐらい、かんたんだ、とおもっていたけど、
わたしがメモにのこしている候補は
・ながい「あるき」のたのしかったおもいで
・子ネコのココが我が家にきてくれたこと
・うでたてふせが連続100回かんたんにできるようになったこと
ぐらいで、数も質もすごくものたりない。
その日におきた「よかったこと」を
なんでもメモしておけばよかったけど、
習慣になるまえにつづかなくなった。
ゲリをしても、ネコがなかよくしてくれたら、
すこしはげんきがでる。
きょうの「七味・五悦・三会」は、
ゲストハウスの子ネコとのであいできまりだ。

(追記)
あとからおもいついた。
ココとのであいは別格として、
アニソンの「Qunka!」にはしびれた。
https://www.youtube.com/watch?v=AwrIpP6js2M&list=RDMMAwrIpP6js2M&start_radio=1
すごい名曲なのでは。

posted by カルピス at 19:02 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月22日

旅行2日目 関空で11時間まったあげく、ようやくバンコクへ

きのうはバンコクゆきの飛行機が7時間30分おくれた。
余裕をもって午後2時半には関空についていたので、
空港で11時間まっていたことになる。
ことばにすると「空港で11時間まった」と、
それは気のどくだったね、ですむ他人事だけど、
空港で11時間まつながさは、
空港で11時間まったものにしかわからない。
航空会社のカウンターで、チェックインはできるものの、
飛行機がとぶ時間まで、あまりにもはやすぎるため、
パスポートコントロールにはすすめない。
けっきょく9時半までずっと4階の国際線出発フロアで時間をつぶす。
出国審査をおえたからといって、なにもすることはないのだけど、
それでもただひたすらまつ身にとって気分がちがう。
荷物の検査へすすめたときは、やっと第一関門をこえた気分だった。

出発フロアでは、本をよみ、iPodをきくぐらいしかすることがない。
ときどきイスのうえに横になるけど、ねむれるわけではない。
まっていると、なさけないことに、
まつことになれてきて、さいごのほうは
あんがいすぐに時計の針がすすんでいった。
『異邦人』のなかでムルソーが、
自分の部屋にあるこまかなものをひとつひとつおもいだして
刑務所の独房でたいくつせずにすごしている。
ひとは、まつことにもなれてしまうみたいだ。
日産のゴーンさんは、独房でなにをしながら
時間をつぶしていたのだろうか。

ひたすらまちつづけ、さいごには、
出発といわれた0時20分から
さらに1時間おくれるおまけまでついた。
けっきょく深夜の1時半に関空を出発し、
けさの5時半にバンコクのドンムアン空港に到着する。
タイは2時間の時差があるため、飛行時間は6時間だ。
ほんとうなら、夜の10時に空港につき、
深夜には予約していたホテルにチェックインしていたはずなのに、
その予定時間にようやく出発できたわけで、
飛行機にのりこむときは なすがままの心境だった。
人質事件がおきると、とらわれたひとたちは
束縛されるのになれ、犯人たちのいうままに
なにも抵抗できなくなるのと なんだかにている。

空港から路線バスにのり、旅行者があつまるカオサンへ。
まえにとまったことのあるゲストハウスで部屋をもとめる。
トイレ・シャワーが共同で、ただベッドがおいてあるだけの部屋に、
いちどはきめたものの、
バンコクはおもっていたよりもあつく、そんな部屋にいたら
頭もこころもつらくなるので、エアコンつきの部屋にかえる。
そのあとは、ご飯をたべに近所の店へでかけたり、
タイマッサージをうけたりと、
ひたすらからだをやすめるだけに きょういちにちをあてる。
飛行機がおくれたために、いちにちが空白となってしまった。
旅行では、よくあることとはいえ、さすがにつかれはてた。

posted by カルピス at 18:57 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月21日

荷づくりがいつもうまくいかない

こんかいのタイ旅行は、できればたくさんあるこう、
ぐらいのゆるい予定なので、荷物はすごくすくないはずだった。
マラソン大会に参加するわけではないし、
寝袋がいるような場所にもいかない。
キンドルがあるので、おもい本をもっていく必要もない。
リュックはきっとスカスカで、羽のようにかるい(はず)。
でも、どうしたことか、荷づくりで、
シャツやズボンを用意するうちに、
こわけした袋がいくつもできている。
長ズボン・半ズボン・Tシャツ・・・、
たいしたものをつめたわけではないのに、
なんでいつも荷物はたくさんになるのだろう。

しばらくかんがえて、電子辞書と旅行用の時計はやめた。
いろいろさきまわりして心配するから荷物がふえるのだ。
キンドルがあるから本はいらない、なんていいながら、
ちゃっかり文庫を3冊しのばせ、
くつしたやパンツを5枚ずついれわたしがわるい。
不安がひとを荷物もちにする。
その気になれば、デイパックにもおさまるはずなのに、
いつものこととはいえ、30リットルのリュックがいっぱいになった。

きょうはひさしぶりにお天気となった。
ずっと雨まじりのくらい日がつづいていたので、
おひさまをみるのはひさしぶりの気がする。
お天気でよかった、とおもっていたら、
出雲空港へむかうとちゅうの道は、キリがふかくたちこめている。
お天気がよすぎたのだ。
このキリで飛行機がとべば おどろくべきだろう。
でもまあいいか。旅行とは、こういうものだ。
わたしがやることは、うまくいかないにきまっている。
タイへいけなくても、それはそれで
なにかべつの展開がひらけるだろう。
われながらおちついて空港につくと、
東京への便は欠航だけど、わたしがのる大阪ゆきは、
定刻どおりとパネルにしめされている。
わたしの平常心が、アクシデントにまさったのだ。

チェックインしたあと マッサージ機こしかけてひとやすみする。
100円で10分間もんでくれ、とても気もちがいい。
空港でのまち時間はマッサージにかぎる。
タイではまいにちタイマッサージにかよううつもりだけど、
すこしはやめに旅行気分をあじわう。

伊丹空港へむかう飛行機がもうすぐ離陸しようとしたとき、
わたしのスマホがなった。旅行会社からだ。
17時発のバンコクゆきは、
おおはばな遅延がでています、といわれる。
なんと6時間半おくれて深夜に出発という。
自然現象のキリはクリアーしたのに、
航空会社のワナがまっていた。
関空で深夜までまつとは。
平常心はもうどうでもいい。がっかり。
タグ:パッキング

posted by カルピス at 14:48 | Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月20日

『ラストマン・スタンディング』を2年まえにもみていた

新聞のテレビ番組を紹介する欄に、ブルース=ウィリスと
クリストファー=ウォーケンのでる作品がのっていた。
わたしはウォーケンのファンだし、
監督が『48時間』のウォルター=ヒルとくれば、
こりゃ、みないわけにいかないなと録画を予約する。
タイトルは『ラストマン・スタンディング』。
1996年のアメリカ映画だ。

夜ねるまえ、ココとあそぶ時間に作品を再生した。
ブルース=ウィリスが、むりやり声をしぼりだすような
へんなはなし方をする。
しぶい男にみえるかというと、なんだかはずしている。
しばらくみていたら、しってる作品なのに気づいた。
みただけでなく、ブログにも たしかかいたぞ。

しらべてみると、2年まえの記事にとりあげていた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/437342061.html
たった2年まえなのに、題名や、
そもそも作品をみたこと自体、すっかりわすれている。
にたようなことは、本でもときどきあるけど、
今回みたいにきれいにわすれていたのは はじめてだ。
なんだかこわくなった。

きょうは仕事の配達ちゅう、
小物のはいったカバンをお店にわすれている。
お店のひとが、勤務先に連絡したために、
わたしのわすれものがひろくしられてしまい
すごくはずかしかった。
こんなにわすれっぽくて、
あすからのタイ旅行はだいじょうぶだろうか。
だいじょうぶじゃ ないだろう。

わすれないように、というか、わすれてもいいように、
こまめにメモをとるようにしてるけど、
カバンなど、ものをわすれてしまうのは どうしようもない。
きょねんの旅行では、ホテルによみかけの、
しかもいいところにさしかかっている本をわすれてしまった。
部屋をでるまえに、なんどもチェックしたつもりなのに、
まるで手品をみてるみたいで、いまでもしんじられない。

きょうカバンをわすれたのは、
本番まえの予行練習みたいなものとひらきなおる。
おなじ失敗は、ぜったいとはいわないけれど、
しばらくは気をつけるので ふせげるだろう。
とはいえ、カバンじたいにあやうさがつきまとう。
ちいさなカバンなどが、いちばんあぶない。
そもそも、アバンがあるからわすれるので、
カバンをもたない方針にきりかえる。
貴重品いれは、はだみはなさず。
サイフはズボンのポケットへ。
カバンをもたなければわすれない。

『ラストマン・スタンディング』については、
わすれてしかるべき作品と いいわけできる。
ふきかえの声にたいしての違和感が、
そのまま作品じたいへの評価につながってしまう。
2年まえも、こんかいも、おなじ感想をもつのだから、
ようするに、たいした作品ではない。
わたしの脳が、記憶するにあたいしないと判断したのだろう。
わたしにも、老人力がそだちつつある。
タグ:わすれもの

posted by カルピス at 22:09 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月19日

配偶者のタブレットにラインをインストールする

「シゴタノ!」で佐々木正悟さんが、
「平成が終わる前に終わらせておきたい3つのこと」のひとつとして、
「母親にApple Watchを使わせたい」をあげている。
https://cyblog.jp/35247
母親に親孝行したいから、ではなくて、
あくまでも自分の時間をまもるためだ。
愛情よりも、自分の都合というのがおもしろい。
お母さんに役だつのは、
たしかにスマホよりもApple Watchかもしれない。
放っておくと理解に苦しむスマホを買ったあげく、要りもしないオモチャみたいなサービスに加入させられて、月々の支払が微増していく。
気がつくとその解約作業に私が半日費やす。でも使っているのはときどきの通話と、手ぶれの写真撮影と、LINE。

わたしの場合、親へApple Watchをプレゼントするのではなく、
配偶者のタブレットにラインをインストールしたという、ケチはなし。
タイへの旅行をまえに、
もしなにかおきたらどうやって連絡したらいいのか、
と配偶者にたずねられた。
これまでは、いっしょにくらしていたむすこにメールしていたけど、
いまは大学生となり、とおくの町にいるのでたのめない。
配偶者にも、メール、それにラインで連絡をとることにした。

彼女はガラケーをつかっており、タブレットは
誕生日プレゼントとして、きょねんわたしがおくったものだ。
メールアドレスさえあれば、
あとは自分ですきなアプリをダウンロードするだろうと、
Gmailだけはわたしが設定し、やすいタブレットを手わたした。
ときどき「タブレット、つかってる?」
と配偶者にたずねると、「つかってる」というので
ほっておいたら、けっきょくいちねんたっても
まったくもとの画面のままだった。
デフォルトでつかうひとって、ほんとうにいるのだ。
配偶者が「つかってる」というほどには つかっていなかったのだろう。
あるていど歳をとってからスマホなりタブレットにせっしても、
まわりがお世話しないと、どうやるのかわからないのかもしれない。
ラインは電話番号を基本情報にしているので、
タブレットにインストールできるかわからなかったけど、
なにも問題なくひらけた。
むすことラインでつながったのを、配偶者はよろこんでいた。
親の世代がスマホと距離をおきたがるのはわかるけど、
配偶者はまだ50代なのに、スマホはむつかしいと警戒している。
ネットがきらいならそれもいいけど、
つかいたいのに ためらうのはもったいない。

佐々木さんは、自分の時間がみだされるのを予防するために、
お母さんへApple Watchをおくろうとしたのだけど、
インターネットをつかわないひとに
なにかを説明したり、設定するのは
たしかにすごく時間がかかる。
わたしの場合、ラインとインスタグラムを
インストールしただけなのに、
ずるずると時間がすぎていく魔のサイクルをあじわった。
いっしょにくらしながら、これまでほったらかしていた
わたしたちの希薄な関係性にこそ、
問題の本質がかくされているのかもしれない。

posted by カルピス at 22:11 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月18日

『おすすめ文庫王国 2019』

『おすすめ文庫王国 2019』(本の雑誌社)

まえは毎年たのしみにしていた 「おすすめ文庫王国」だけど、
わたしのこのみとずいぶんすれちがうようになり、
おすすめ本情報としての役をはたさなくなった。
ことしのベスト10に、佐藤正午の『鳩の撃退法』が
えらばれなかったのをみても、わたしとの距離をかんじる。
もっとも、都内にある丸善と三省堂のうりあげでは、
『鳩の撃退法』の上巻が、三省堂で86位、丸善は74位だから、
一般的にも熱狂的にうけいれられたとはいいがたいようだ。

情報はえないけれど、よみものとして
『おすすめ文庫王国』のおもしろさはみとめている。
ながねんかわらないことにより、
地味だけどいい味をだしているかわった本だ。

まえにあげた2書店のはなしあいをよむと、
本屋さんのたいへんさがすこしはわかってくる。
三省堂
結局、新刊も既刊も関係ないんですよね。とにかく何か話題があればとびつくっていう傾向が顕著になっている。カズオ・イシグロがノーベル賞獲ったなんて最たるものですね。

丸善
話題があればまだ日頃書店に来ない人も本を買ってくれるっていうことですよね。

三省堂
すごくその傾向が強くなっている気がします。あとこのデータも見て思いましたけど、もう上下巻は買ってもらえない時代なんだなあって。西加奈子の『サラバ!』の上中下の売れ数の差に愕然としました。

『鳩の撃退法』も、ベスト100にはいっているのは上巻だけだ。
あんなにおもしろい小説が、一部ではすごく話題になっていたのに、
ぜんたいでみると、わずかなうれゆきでしかない。
話題になった本だけがうれるなんて、ひどい世界だ。

「サッカー好き書店員匿名座談会」による
文庫Bリーグが7年目をむかえている。
文庫をだしている出版社に サッカーチームらしい名前をあたえ、
その順位がまいとしはなしあわれる。
なぜその順位になったかの根拠が「総評」にまとめられており、
よみものとしておもしろいし、
よくこれだけどうでもよさそうなことに
ちからをそそげるものだと感心する。
出版業界におけるうきしずみが、順位表をよんでいるとわかる。
「文庫王国」でいちばん よみごたえのある企画だ。
おそらくその労力にひきあうほど よまれていないとおもけど、
かってにはなしあい、それが7年もつづいているところがすばらしい。
わたしはとくにどこのサポーターでもないけれど、
リーグ全体の底あげをねがっている ささやかな文庫愛好者だ。

posted by カルピス at 23:11 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月17日

オルガンとホルンによるコンサートで、懐石料理を連想する

わたしがすむ町の音楽ホールで
クリスマスのコンサートがひらかれた。
ラジオばかりではなく、たまには生の音楽をきくかと、
土曜日の午後3時にひとりででかける。
この会場には、りっぱなパイプオルガンがあり、
コンサートではパイプオルガンとホルンによる11曲が演奏された。

ラジオでは「きらクラ」や「クラシックカフェ」に
よくチャンネルをあわせるけど、
もともとクラシックに関するわたしの知識は きわめてとぼしい。
この日のプログラムには、バッハやワーグナーといった、
有名な作曲家による曲がならんでいたのに、
オルガンでひかれると、わたしには はじめての曲にきこえる。
そもそも、ホルンがどんな形の楽器なのか、
このコンサートまでわたしはしらなかった。
ホルンを演奏するひとは、ラッパの部分に左手をいれて
楽器をささえているのが興味ぶかかった。

コンサートがはじまると、パイプオルガンをひくひとが舞台にあがり、
お客さんは拍手をおくる。
演奏じたいは ほんの数分ですぐにおわる。
演奏がおわるとまた拍手。
共演するひとが舞台にでてくると拍手。
おわるとまた拍手。
みじかいインターバルで、なんども拍手をおくる。
演奏をききながら、これはなにかに似ているとおもった。
懐石料理だ。
おおきな器に ほんのすこしもりつけられた料理が
うやうやしくはこばれてくる。
たべおえて、しばらくたつと、つぎの料理。
とてもすくない量なので、たべた気がしない。
それでも、コースのおわりごろには、
ほのかにおなかが みたされたようでもある。
さいごに盛大な拍手をなんどもおくる。
おわったかとおもって安心すると、
また舞台にでてこられて、そうするとまた拍手。
コンサートって、こんなにも拍手をするもよおしだったっけ。
わたしのまえの列にすわっていた女性ふたりは、
とても熱心に拍手をおくっていた。
演奏にふかく満足したようすもうかがえる。
音楽にあかるいひとにとっては、みちたりた演奏だったようだ。

わたしには、このコンサートが、
上品すぎたのかもしれない。
もうすこしにぎやかな楽器がくわわれば、
あるいはちがうプログラムなら、
バイキング料理やフランス料理のフルコースを
連想したかもしれないけど、
パイプオルガンとホルンのふかさをききわけるには、
わたしの耳はおおざっぱすぎた。
懐石料理のあとでラーメンをたべたくなるように(ほんとうか?)、
しずかめのコンサートのあとでは   
ゴスペルなんかがいいんじゃないかとおもう。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月16日

『知的生活の設計』(堀正岳)知的生産をつみあげる方法

『知的生活の設計』(堀正岳・KADOKAWA)

倉下忠憲さんが「シゴタノ!」でとりあげていた。
ブログにいかせそうなので よんでみる。
https://cyblog.jp/35163
おもしろかった。
「10年後を目指して」「知的生活を設計」する。
わずかな時間でも、5年、10年とつづけたら、みたいに
皮算用する本をみかけると、
そりゃそうだろうけど、計画どおりになかなか実行できないのが
ふつうの人間だろうと、かるくながしてしまいがちだ。
でもこの本は、習慣を10年つみあげると、
どれだけの収穫がえられるかについて、
たくさんのノウハウにうらづけされたリアリティがある。
帯にある「豊かな人生は『設計』できる」、
表表紙の「『10年後の自分』を支える83の戦略」が
説得力をもつ。

内容では、とくにブログについて、
ウェブ上で知的生活を情報発信する場合、いまでもそれに最適なプラットフォームはブログです。

とかいてあり、とてもちからづけられる。
7年まえに、ブログをかきはじめておいてよかった。
もし、ブログをはじめてなかったとおもうと、すこしこわい。
カテゴリ分けとタグづけは入念に行う

は、ありがたい指摘だ。
わたしは、カテゴリーをわけているけど、
タグはつけてなかった。
記事をうもれさせたくないといいながら、
配慮がたりなかったわけで、
この本をよんでから、あわててタグづけをしている。
でも、これまでにかいた2500の記事について、
いまからタグをみなおしていくのはたいへんだ。
タグの重要性に、もっとはやくから気づくべきだった。

わたしは10年をめざしてブログをかいていながら、
10年つづけたら自分がどうなっているかを
かんがえたことがなかった。
どうにかなってるかもしれないし、なってないかもしれない。
10年後の姿は、なりゆきにまかせるしかないとおもっていた。
この本をよんでも、わたしがすぐに10年後のつみあげを意識して、
バシバシ参考にするかというと、おそらくあまりかわらないだろう。
こういう本は実践してなんぼだけれど、
たのしみの読書にとどめてしまうのが、わたしのひくいところだ。

本書を、すばらしい内容とみとめながら、
わたしには3つほど気になる記述がある。
いずれも梅棹さんに関係するところで、
梅棹さんの本をよんでいると すぐに気づく。

1.『知的生産の技術』での「情報発信」は、だれを念頭にかかれたか
『知的生産の技術』や『知的生活の方法』が書かれた当時は、まだ誰もがアクセスすることができるインターネットが存在していなかったため、「情報発信」については、主に学者や作家が論文や著作を発表することを念頭においた解説がされていました。(本書P22)

『知的生活の方法』についてはしらないけど、
梅棹さんがかいた『知的生産の技術』は、
当時すでに、だれもが知的生産にたずさわる時代である、
と とらえている。
研究者、学生、文筆業者、あるいはひろく情報産業従事者といってもいいが、そういう人たちの範囲をこえて、すべての人間が、その日常生活において、知的生産活動を、たえずおこなわないではいられないような社会に、われわれの社会はなりつつあるのである。『知的生産の技術』P12

すでにのべたように、今日においては、職業的な文筆家でなくても、文章をかかねばならない機会はたいへんおおい。文章がかけるということは、いまではすべての知的職業人の基礎的技術のひとつである。『知的生産の技術』P197

2.遊牧民がおこなっている遊牧とは
多くのひとは「ノマド」を「どこにでも行く」という意味で捉えていましたが、実際のノマドはあてもなく放浪しているわけではありません。
 明確な目的をもって、長い歴史で決められた牧草地を巡るのが、本来のノマドです。(本書P111)

「あてもなく放浪しているわけではありません」
と、ついいいたくなるけど、
梅棹さんがフィールドの観察で気づいたのは、
遊牧民たちは、羊のむれがむかうところへ
ただいっしょに移動しているだけだったはず。
どこへいくのかは、家畜のむれがきめていた。

3.梅棹氏は和文タイプライターを「使っていた」か
 書斎のなかの情報発信は、和文タイプライターを使っていた梅棹忠夫氏の時代から、ワープロ、パソコン、そしてスマートフォンやタブレットといったように、その時代の最先端を取り入れることでより巨大な情報を扱えるように進化してきました。(本書P198)

この表現では、梅棹さんが
和文タイプライターをつかっていたようによめてしまう。
時代としては、清書用として
和文タイプライターがつかわれていたとはいえ、
梅棹さんは英文タイプライターでローマ字による日本語を、
のちにはカタカナやひらがなのタイプライターを開発し、
日本語をかく工夫をかさねている。
なぜなら和文タイプライターでは、
はやく、らくにうてず、知的生産につかえないから。

本筋とは関係のない記述とはいえ、
以上の3点にひっかかった。
タグ:知的生産

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2018年12月15日

『本の雑誌 1月号』に2018年のベスト10がのった

『本の雑誌 1月号』(本の雑誌社)

『本の雑誌 1月号』で2018年のベスト10が発表されている。
(以下、ネタバレあり)
杉江さんが『ノモレ』を猛烈におし、
これ以上の本には十年は出会えない。もはやオールタイムベストです。

そのとおりに選考会(というより座談会)がすすみかけたところ、
さいごのさいごにどんでんがえしがまっていた。
まあ、これは『本の雑誌』ではよくあることだ。
同率で一位は、という提案もあったけど、
「一位というのは厳密なんですよ」
という意見により、じゃんけんがおこなわれ、
その結果・・・。
一位をきめるのがすごくだいじ、
といいながら その方法がじゃんけんなのは、
サッカーにおけるPKみたいなものか。

杉江さんは、いつも全力で本をもちあげるから、
「これ以上の本には十年は出会えない」
みたいな発言は、いくぶんさしひいて
判断したほうがいいかもしれない。
何ヶ月かまえ、杉江さんが『ノモレ』をほめたとき、
わたしもどれどれとよんでみたけど、
正直いって、それほどの作品とはおもえなかった。
杉江さんはもう一冊、
『ディス・イズ・ザ・デイ』(津村記久子)を
サッカー本大賞に推薦している。
これはわたしも異存のないところで、
サッカーチームを応援するひとたちには、
それぞれものがたりがあるのを うまくとりあげている。

わたしが関心のあるミステリー部門では、
『そしてミランダを殺す』(ピーター=スワンソン)と
『オンブレ』(エルモア=レナード)が
1位と2位にえらばれた。
どちらもわたしはよんでおり、
とくに『そしてミランダを殺す』のうまさは格別で、
ミステリーのたのしさを堪能させてくれた。
務台夏子氏による訳もこなれており、
だれにでも安心してすすめられる。
『オンブレ』は、村上春樹さんの訳にひかれた本だ。
主人公の精神的なつよさが印象にのこる。
とはいえ、あまりたくさんの本に目をとおしてないわたしが
1位と2位の両方をよんでるなんて、
ミステリー部門は収穫のすくない年だったのだろうか。

わたしのベスト10は以下のとおり。
『そしてミランダを殺す』(ピーター=スワンソン)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/459169846.html
『許されざる者』(レイフ=GW=ペーション)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/460338127.html
『夜廻り猫』(深谷かおる)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/454978597.html
『不死身の特攻兵』(鴻上尚史)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/459153549.html
『甘いお菓子は食べません』(田中兆子)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/459723468.html
『監督たちの流儀』(西部謙司)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/456927447.html
『あおいけあ流介護の世界』(森田博洋之・加藤忠相)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/462095844.html
『コールド・コールド・グラウンド』(エイドリアン=マッキンティ)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/460587811.html
『オンブレ』(エルモア=レナード)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/458553015.html
『ディス・イズ・ザ・デイ』(津村記久子)
http://parupisupipi.seesaa.net/article/449305190.html

posted by カルピス at 22:31 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月14日

ゲストのふかわりょうさんが、ホストの右近さんを完全にのみこんでいた「カブキ・チューン」

NHK-FMで「カブキ・チューン」をきいていると、
ゲストにふかわりょうさんがまねかれていた。
ふかわさんが案内役をつとめる「きらクラ」に、
右近さんが前回ゲストによばれ、きょうは反対に、
ふかわさんが右近さんの番組に顔をみせる。
ゲスト役を交換しながらの企画はどうなったか。

「きらクラ」によばれた右近さんは、いつもの右近さんで、
ふかわさんと遠藤まりさんとたのしいおしゃべりをまじえつつ、
クラシックに関する番組という位置づけにも、
それなりにゲストとしての役わりをはたしていた。
でも、きょうの右近さんはすごくかたくなっている。
自分の番組に ホストとしてふかわさんをまねいているのに、
立場が完全に逆転し、自分がゲストによばれたみたいだ。
緊張しながら案内役のふかわさんのはなしに
いっしょうけんめい うけこたえしようとする
デビューしたての新人アーティストをおもわせる。
ふかわさんのおおきさにのみこまれてしまったようで、
おおわらいしながら 右近さんのかたさを指摘するふかわさんにたいし、
右近さんは かりてきたネコみたいに うけこたえがギクシャクしている。

番組の収録は、「きらクラ」のあと、
スタジオをうつして すぐ おこなわれたそうで、
それなのに、いつものなめらかさが
すっかり影をひそめている右近さん。
ふかわさんがまるで別人、といえばいうほど、
右近さんはかたくなり、声がちいさくなる。
「ふかわさんにとってことしはどんな一年でしたか?」
とたずねたあと、
「来年はどんな一年にしたいとおもっていますか?」
と、むりやりしぼりだしたように、ありがちな質問をかさねる。

ちなみに、「どんな一年でしたか?」にたいし、
「あいづちをたいせつにした一年でした」
とふかわさんはこたえている。
ふかわさんは108もあいづちのパターンをもっており、
相手によってそれをつかいわけて場をもりあげていくそうだ。
108なんて、たたの冗談だろうけど、
右近さんはしきりに感心して「あいづち」をうっている。
あいづちがたいせつといったり、
108のあいづちパターンがあるといったり、
ふかわさんは自由自在に ことばのやりとりを たのしんでいる。

「来年はどんな一年に?」にたいする ふかわさんのこたえは、
「2018年の惰性でいけたらとおもっています」だ。
惰性でいけたらなんて、なかなかいえるセリフではない。
右近さんも、まわりでそんなことをいってくれるひとはいない、
と、いいにくいことをさらっと口にする
ふかわさんの自由なスタンスがうらやましそうだ。
ふかわさんがすきです、と右近さんが「告白」する。

番組をきいていると、
わたしもふかわさんに興味がわいてきた。
ふかわさんによると、わかいころはもっと
こうしよう、とか、こうでなくては、と、
いろんなことにこだわっていたけど、
あるときからふとちからがぬけて、
楽にとらえられるようになったという。
「カブキ・チューン」のうちあわせでも、
わかったような顔をしてうなづいていたけど、
内容はぜんぜん頭にはいってないそうだ。
なにかをあらかじめきめこむと、
つまらなくなるのでやめたという。
ひとの番組にまねかれながら、
かたくなっているホストの右近さんに、おおわらいしつつ
「この番組をたのしんでます?」とたずね、
もっと自由にやったら、みたいにアドバイスする。
のびのびはなすふかわさんと、
自由でいなければというプレッシャーで
きゅうくつになっている右近さんが対照的だった。

いつもの右近さんは、26歳とまだわかいのに、
まじめそうで、おちついたかたりかけにより、
「カブキ・チューン」という番組を、
じょうずにコントロールしている。
歌舞伎の魅力や、歌舞伎界のしきたりなどもおしえてくれ、
なにやらかたい世界だとおもっている歌舞伎にたいし、
したしみをもたせてくれる存在だ。
その右近さんを、まるのみにして 豪快にわらいとばしながら
右近さんの肩のちからをぬこうとするふかわりょうさん。
「きらクラ」とはひと味ちがう魅力をふりまいて、
ふかわさんのおおきさが印象にのこる番組となった。
タグ:きらクラ

posted by カルピス at 20:25 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月13日

去勢手術から ココがぶじにかえってくる

仕事を1時間ぬけさせてもらい、
動物病院へココをむかえにいく。
去勢手術のため、おとといから入院していたのだ。
病院の都合で、手術のあと2泊し、
きょうの午前に退院となった。
かかった費用はぜんぶで1万3150円。

家でかうことをきめているココだけど、
オスとしての自覚がめばえ、メスをめぐってのたたかいいや、
なわばりあらそいにまきこまれてはたいへんだ。
うちにしょっちゅうあそびにくるキジトラがメスなので、
ココは彼女の首すじにかぶりつきながら、
背中にのっかったりして、あそびというより、
交尾をおもわせるうごきをみせている。
はやいとこ去勢手術をすませておきたかった。

おとといの火曜日にココを動物病院へつれていき、
じゃあおねがいします、とおわかれしたのだけど、
おもいもよらず、さみしさがこみあげてきた。
たった2泊だし、リスクのすくない手術だとわかっていながら、
ずっとあえないような気がしてくる。
年末からわたしは2週間の旅行にでるので、
2泊よりはるかにながい時間、ココなしですごすのだけど、
自分がいなくなるぶんには なんとかたえられる。
今回の場合、ココが家にいないという 非常事態なわけで、
まるで死んでしまったかのように、さみしい家となった。
ココのねぐら型クッションや、トイレや、
ココがよくうえにのぼっていた冷蔵庫など、
げんきなココのおもいでがわきでてくる。
こんなにさみしくなるなんて、おもってもみなかった。
半年いっしょにすごしたので、
ココがいない生活はもうかんがえられない。

というわけで、冒頭にもどり、
きょうの午前10時すぎに動物病院へココをむかえにいく。
お医者さんは、ココにひどくひっかかれたそうで、
ケージからだすのはわたしにまかされた。
自分に不快なおもいをさせる人間には、
つよく攻撃にでるなんて、ココもなかなかやる。
わたしがケージのまえにたつと、
ココはいつもとかわらないおだやかな表情をみせてくれた。
洗濯につかうネットにココをいれようとすると、
獣医さんは、
「まずだっこしてほしいかもしれません」
といわれた。
そんなものかとおもいつつ、でもだっこしないでネットにいれ、
さらにおおきなカゴにそのネットごといれる。
家にかえるとちゅう、ココは車のなかでずっとないていた。
家につくと、おちつかないようすで台所をあるきまわる。
わたしがとなりの部屋へ姿をけすと、すぐにさみしそうな声をあげる。
獣医さんのいった「まずだっこ」は、
安心感をあたえ、おちつかせるという意味で
おびえているココに必要な対応だったのだ。
しばらくなでていると、ココはだんだんおちつきをとりもどした。
わたしはココがいなくてさみしかったのだけど、
ココもつよいストレスをうけてたいへんだったろうし、
さぞかし不安でこころぼそい夜をすごしたにちがいない。
わずか2泊とはいえ、わたしもココも、
おたがいを必要としているのがよくわかった。

動物病院の先生は、ココについて
「きれいでおおきなネコだから、
こんな子がグダーッとよこにいてくれたら、
ネコとくらすみょうりにつきますね」
といってくれた。
ココは家のなかだけですごしているので、
わたしがいうのもなんだけど ほんとにきれいな色をしている。
黄白のココは、ソックスをはいたように足がまっしろで、
その白さがチャームポイントでもある。
ココがぶじにかえってきてくれて ほんとうによかった。
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タグ:去勢手術

posted by カルピス at 22:04 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月12日

死ぬときがきたら死ねばいい、といいつつ オプジーボの出現になやむ

2ヶ月ほどまえ、胃がいたくなったのをきっかけに
コーヒーをのまなくなった。
「ひかえる」のではなく、それからいっさいのんでいない。
かわりに紅茶をいれているので、コーヒーをのむのと
にたようなものかもしれないけど、
とにかくコーヒーからは距離をおいている。
おなじような時期に、ふつかよいになったつらさから、
しばらく酒をのまなくなった。
こちらのほうは、完全にやめたのではなく、
ポツリポツリていどにはのんでいるとはいえ、
寝酒の習慣からはぬけだしている。
お酒をのまないでむかえた朝は、すごくからだがらくだ。
からだ全体、とくに胃袋がやすまった気がする。
こんないいかんじを手ばなしてまで 酒をのまなくてもいい。
我慢というより、積極的にのみたくない気もち。

食後のコーヒーをのまなくていいと、
コーヒーのたのしみを味わえないさみしさより、
コーヒーに頭とからだを支配されない自由をかんじる。
食後にのむコーヒーを、いつも気にしていたのが、
のまなくていいとなれば、気もちがすごくらくになった。
こんなふうにして、いろんなことをやめていけたら、
人生がだんだんとシンプルになりそうだ。
たべもの・のみものへの執着から解放され、
物欲もなくなって、いまあるものでなんとかするようになれば、
こころは縄文人のように自由だ。
お金や人間関係など、さまざまな欲望がうすれていくと、
さいごにはなにがのこるのだろう。
まわりのひとたちへの感謝だったらすごい。

団塊の世代が本格的な高齢化をむかえるせいか、
このごろ健康への不安につけこんだ広告をよく目にする。
さまざまな健康情報がとびかい、
コレステロール・中性脂肪・血糖値・高血圧について、
あの手この手で危機感をあおる。
健康に、絶対の自信をもつひとはそういないだろうから、
あぶなっかしい数値がでると、
なんとか病院や薬にたよらないで
数値をよくしたいとおもうのだろう。
わたしはケチでビンボーだから、
それらのトクホやサプリメントに手をだしたことがない。
もちろん健康でいたい気もちはあるけど、
それらの商品に、からだとこころを支配されたくない。
死ぬときがきたら、死ねばいいとおもっている。

そうおもっていたところへ、がん免疫治療薬が登場した。
ノーベル賞を受賞された本庶佑氏は、
おおくのひとが がん免疫治療薬を利用できるよう
ねがっておられるという。
ガンがなおるのは、おおくのひとのねがいであり、希望だろう。
ガンによって死ななくなれば、どれだけおおくの命がすくわれるか。
とはいえ、そうなったらなったで、またべつの問題がでてくるはずだ。
ガンで死ななくなっても、人間がしあわせになるとはかぎらない。
かぎらないけれど、わたしがもしガンになり、
目のまえにオプジーボがあったら、わたしはことわれるだろうか。
トクホやサプリをのまないといって得意がり、
でもオプジーボにはたよというのでは、なんだかおかしい。
シンプルでありたいわたしの美意識に、
オプジーボの出現は、あたらしい宿題となっている。

posted by カルピス at 22:28 | Comment(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする