2018年12月04日

プレゼントをたずねられたとき、すぐにこたえられず残念だった

わたしはつとめさきの介護事業所で、
クッキーづくりにとりくんでいる。
利用者4人、職員3人のちいさなグループで、
わたしはあまり目だたなくてもいいポジションをえて、
気らくにはたらかせてもらっている。
12月にはいったせいか、
「プレゼントをもらうとしたら、なにがいい?」と、
きのう女性の利用者にたずねられた。
わたしになにかプレゼントしたい、という意味ではなく、
まさしく「(もしも)もらうとしたら」という純粋な質問だ。
なさけないことに、なにも頭におもいうかばなかった。
わたしがほしいものって、なんだろう。

ほかの職員にもはなしをふると、
そのひともすぐにはこたえられなかった。
「車」といちおう口にはしたものの、もちろん冗談だ。
プレゼントとしてもらうには おもたすぎる。
ノンタンじゃあるまいし、
おもちゃの赤い自動車でもないだろうし。
しばらくはなしあったのち、
おとなはプレゼントをイメージしにくいのでは、
という結論にいたった。
プレステ(ふるっ!)やプラモデルをプレゼントにもらい
こころをときめかせるには、
うすよごれ、世なれすぎてしまっている。

欧米のクリスマスでは、家族のあいだで
プレゼントのやりとりをするというけど、
いったいどんなものをプレゼントにするのだろう。
セーターとかシャツとか、
かんたんで実用的な品なのだろうか。
もらえたらものすごくうれしい、みたいなリストを、
あまりおとなはもっていないのでは。
子どもとちがい、プレゼントのリストをもたないのが
ふつうのおとな、という定義もありかもしれない。

質問をした女性に、おなじ質問を家にかえって
お母さんとお父さんにもしてみてください、とはなす。
彼女の予想では、お母さんは「時間」とこたえそうだという。
いつもいそがしくうごきまわっているひとなので、
ゆっくりした時間がほしいのでは、という意味だ。
いかにもおとながのぞみそうな「プレゼント」だけど、
これもことばのあそびであって、
じっさいのプレゼントにはならない。
もらってこころがポッとあたたかくなる
気のきいたプレゼントは、
おくり手よりも、うけ手のおおきさをあらわしている。
プレゼントをこたえられなくてなやむのがふつうのおとなで、
ほしいプレゼントを、さっとこたえるのが、
ワンランクうえのおとななのだと定義したい。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする