2019年01月12日

『君の名前で僕を呼んで』みおえたあとのすがすがしさが自分でも意外だった

『君の名前で僕を呼んで』
(ルカ=グァダニーノ:監督・2017年)

ゲイのカップルのはなし、としりあいから説明をうけていた。
映画がはじまっても、なかなか恋愛感情はうかがえず
(わたしがにぶいのだろうけど)、
とちゅうまでたいくつでしかなかった。
作品の世界にはいっていけたのは、
ゲイがどうこうではなく、これは年下の男の子が、
年上のひとをすきになる恋愛映画なのだとおもえてからだ。
おたがいが、おたがいを、いとおしくてならない存在となり、
いつもそばにいなければおちつかない。
肉体的なコミュニケーションもあるけれど、
精神的にふたりの関係はすごくピュアだ。

相手の男性(オリバー)も、さいわい、
少年(エリオ)をリードできるだけの
責任感のつよい しっかりした大人だった。
オリバーがいうように、もし彼のお父さんが
ふたりの関係をしったら、
矯正施設へおくりこまれるくらい、
あたまごなしに反対するだろう。
でも、エリオのお父さんは、
すべてをしっても あえて口をはさまないで、
ふたりをみまもりつづける。
オリバーへの態度も、むすこのパートナーであるにもかかわらず、
家にきたときとかわらない誠実な態度でせっしている。
両親だけでなく、お手つだいの女性も、
庭師みたいなおじいさんも、大人たちがみんないい。
まともな大人にかこまれているから、
少年はこれだけまっすぐにそだった。

オリバーは、エリオたちのもとをさってから半年後に、
婚約のしらせを電話でつたえてくる。
エリオは、もうけしてオリバーが
自分のもとにはもどってこないかなしみにつつまれる。
しかし、オリバーのしあわせを祝福できるだけの
大人になっていた。
相手へのおもいがかなわなかった恋愛なのに、
映画をみたあとのすがすがしさが、自分でも意外だった。

posted by カルピス at 20:16 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする