ポゼッションは、7:3でサウジアラビアだった。
解説の山本昌邦さんは、あいてにボールをもたせているだけで、
これが日本のサッカーです、といっていたけど、
とてもそのことばどおりにはうけとれない。
たしかにかたくまもりきったけど、
結果がよかったからいえることで、
なにがおきても不思議はない場面もおおかった。
あいてのシュートミスにたすけられただけで、
ほかの国があいてだったら、もっと点がはいっていただろう。
ネットにあがった記事では、
日本はうまく試合をコントロールしたそうで、
ねばりづよくまもりきった試合はこびが評価されている。
たしかに、サウジアラビアのようなサッカーを、
かつては日本がやっていた。
圧倒的にボールを支配し、シュートを何本もあびせ、
でも、ことごとく枠をはずしたり、バーにきらわれたり。
さいごまでゴールをわれず、決定力不足をたたかれ、
こんなはずではなかったとしたをむく。
ゆうべは、その日本を、サウジアラビアが再現したような試合だった。
こまかくパスをつなぎ、ゴールちかくまでせまるものの、
そこからさきのアイデアがとぼしい。
とはいえ、サッカーではなにがおこるかわからない。
まければおわりのトーナメントで、
うけにまわりつづけるのはリスクがある。
まもりきれたからよかったけど、
あつさとつかれで、選手たちのうごきがにぶくなり、
もう1点をとりにいくちからは のこされていなかった。
選手を10人いれかえた、グループリーグのウズベキスタン戦にかち、
選手全員でたたかえるめどがついたというのなら、
なぜもっとはやく交代の選手をいれなかったのか。
わたしには、まもりきったうまい試合はこびよりも、
アジアレベルの大会で、ほとんどボールをもてずに
90分せめられつづけたことがショックだった。
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