2019年02月15日

足のいたみがひくと、そこは ほんとうに「生きてるだけでまるもうけ」の世界だった

右足のいたみについて、すこしまえの記事にかいた。
はじめはすこしの違和感だったので、
ジョギングをつづけていたら、
だんだんといたみがまして、
足をひきずらないとあるけなくなった。
ほとんどすべての動作が不自由で、日常生活にも、仕事にも
さしさわりがでてきたので、おもいきって病院へいく。
このまま車椅子にのる生活なのかと、くらい将来が頭をかすめる。
診察台では、いたみのあまり、大声をあげた。
レントゲンもとられたけど、
とくにわるいところはないといわれる。
股関節にはたくさんの筋肉がついているので、
そのなかのいくつかが 炎症をおこしているのでしょう、
ということだ。
ただ、股関節にはこわい病気もあるので、
MRIによる精密検査をしたほうがいいといわれる。
おっかないので、それはことわった。
毎食後にのむ薬と、湿布を処方された。

薬をのんで2日たったころ、いたみがすこしずつひいていった。
そのあとは、どんどん足の状態がよくなり、
ふつうにあるいたり、自転車をこいでもいたくない。
先週は、ようやくジムへいけるほど回復した。
ひさしぶりのトレーニングだし、リハビリちゅうなので、
みじかい時間でのかるい負荷をこころがけた。
トレッドミルで20分はしり、自転車を30分こぐ。
ジムでの順番まちは、こころをまずしくする、
とこれまでおもっていたけど、
リハビリちゅうのからだをかかえるものにとると、
ゆっくり、みじかめの運動でいいのだから、
順番をゆずりあう気もちの余裕までうまれる。
故障を体験するのは、わるいことばかりではない。

まえの記事には、いたみがなければ、
「生きてるだけでまるもうけ」ではないか、とかいた。
それほどいたみに頭とからだが支配されてしまう。
ふつうにうごけることが、どれほどありがたいか。
そして、いたくないからだでの生活は、ほんとうに
「生きてるだけでまるもうけ」だった。
自由にうごくからだにくわえ、
毎晩ねるまえには、お酒をのみながら
すきな本のページをめくる。
いちにち3どの食事では ほしいものをたべ、
お店にいけば なんでも すきなだけかえる。
天国だとおもった。
その程度のことで天国なのかと、
レベルのひくさをわらうひとがいるかもしれないけど、
わたしにとって、いまを生きているのは、
ありえないほど天国にちかい場所とおもえる。
もうすぐJリーグもはじまるし。

posted by カルピス at 14:17 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする