2019年03月31日

マッサージをうける至福のとき

首と肩のいたみが2年まえからつづいている。
はじめは、いっしょにねていたピピ(ネコ)に気づかって、
へんな姿勢をつづけたから とおもったけど、
どうも原因はべつにあるようで、いつまでもなおらない。
右肩だったり、左肩だったり、肩甲骨だったり、
日によって ちがった場所がいたくなる。

いろんなストレッチをためしたし、
タイ旅行のときは、まいにちマッサージにかよったりした。
でも、そのときはすこしよくなっても、
つぎの日になると、またおなじいたみがぶりかえしてくる。
このごろでは、このいたみとつきあうのが運命なのだろうと、
達観して、長期戦のかまえをとっている。

マッサージの学校にかよっているしりあいに、
練習台になるから、マッサージをしてほしいと たのんでみた。
1時間1000円でどうかともちかける。
学校には3年間かようのだそうで、
はじめはことわられたけど、1年目をおえるころ、
ようやく了解してもらえた。
ただ、まだ勉強ちゅうなので、
お金をうけとるわけにはいかないらしい。
とはいっても、ただではもうしわけないので、
お酒かなにかの品物では?ときいてみたら、
いっしょなことなので、それもだめという。
というわけで、まったくお金をはらわずに、
これからマッサージをうけられることになった。
マッサージがすきで、じっさいにいたみをかかえるものとして、
ねがってもなかった うれしい状況だ。

はじめてマッサージしてもらう日には、
首と肩だけではもったいない気がしたので、
ジムへいってウエイトトレーニングにとりくみ、
からだをいいかんじにつかれさせておいた。

まず首からもみはじめ、つぎに肩、そして背中へうつっていく。
おしながら、わたしの感想をきかれるので、
気もちいいとか、ぜんぜんかんじないとかをこたえる。
タイでマッサージをうけると、
かたことの英語でコミュニケーションをとるので、
こまかなことがなかなかつたえられない。
確認しあいながらマッサージをすすめられるのはすばらしい。
1年とはいえ、ちゃんと学校で勉強しただけあって、
わたしには、じゅうぶん気もちのいいマッサージだ。
ほかの筋肉も 勉強になるから ほぐしたい というので、
腰と足もやってもらった。けっきょく全身だ。
1時間半があっという間にすぎる。
ながければいいというものではないだろうけど、
つよすぎるマッサージではなかったので、
もみかえしは おこらないだろう。
からだぜんたいがかるくなり、首と肩のいたみもらくになった
(つぎの日にはもとにもどったけど)。

わかいころ 美容院のカットモデルになり、
ただで髪をきってもらっていたときがある。
ただはありがたいけど、
イスに3時間ぐらいすわったまま、
ずっと髪をいじられるのは あんがいたいへんだった。
これならお金をはらってでも、1時間でおわったほうがいい。
なんかいか かよったあと、カットモデルをやめる。
マッサージのモデルは、そんな苦痛がなく、
ただ気もちがいいだけで時間がすぎていく。
おかかえのマッサージ師を手にいれたようで、
どこかの王様みたいだ。すごくうれしい。

posted by カルピス at 20:24 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月30日

おおきなケガをしなかったイチロー選手

イチロー選手の引退が話題をあつめた。
ほとんど野球に興味のないわたしでも、
イチロー選手の活躍は耳にはいってくる。
引退報道で、ひさしぶりに目にするイチロー選手は、
ずいぶん齢をとったようにみえた。
あれほどの選手でも、ヒットがうてなくなる日がくるとは。

これまでの成績が年ごとにしめされると、
そういえば、イチロー選手は
おおきなケガをしなかったことに気づく。
どんなに超一流の技術をもっていても、
ケガでじゅうぶんな体調を維持できなければ
本来のプレーからとおざかってしまう。
松井選手は、手首を骨折してから、
おもいどおりの打撃ができなくなった。
ダルビッシュ投手と大谷選手は、肘を手術したし、
松坂投手もケガにないた選手だ。

野球だけでなく、あらゆるスポーツで、ケガ(あるいは故障)は
その選手の活躍をおおきく制限してしまう。
ケガを克服することで、
精神的な成長がうながされるかもしれないけど、
その代償はあまりにもおおきい。
これからという時期にケガをくりかえして、
じゅうぶんに活躍できなかった選手を なんにんもおもいつく。

イチロー選手は、きっと万全の準備をもって練習と試合にのぞみ、
おおきなケガをまねかなかったのだろう。
その結果が、とほうもない記録と、強烈なイメージという形で
わたしたちのまえにのこされている。

中学から大学まで、ずっと競泳をつづけたわたしは、
とくにおおきなケガをせずに選手生活をおえた。
イチロー選手のように、ていねいな準備をかさねたから、
ではもちろんなく、たまたまケガをしなかっただけだけだ。
おおきなケガをしなかったのに、たいした成績はのこせなかった。
ケガと成績の関係についてまとめてみる。

・超一流の選手は、ケガをせずに成績をのこす
(ケガをしなかったから成績をのこせた)。
・活躍をのぞまれたおおくの選手は、
 ケガにより残念な記録におわる。
・どうでもいいレベルの選手は、
 ケガをしなくても、そこそこの成績しかのこせない。
・どうでもいいレベルの選手がケガをしても、
 本人がこまるだけで、だれの目にもとまらない。

偉大な選手と凡人とのちがいは、ここらへんにある。
いずれにしても(なにが「いずれにしても」だ)、
ケガをしないほうが なにかとしあわせな人生にちがいない。

posted by カルピス at 10:40 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月29日

むすこに夕ごはん当番をたのんだら、野菜いためをつくっていた

一週間まえ、広島からむすこがかえってきた。
せっかくだから、きのうは 夕ごはんをつくって、とたのんでみる。
わたしが仕事をおえて、スーパーへかいものにいくと、
どうしてもたべはじめるのが7時すぎになってしまう。
むすこに用事がないのなら、むりしてわたしがつくるより、
かわりに夕ごはんをつくってもらったほうがらくだ。
まいにちだとたいへんだけど、週にいちどくらいならいいだろう。

むすこに夕ごはんをまかせ、わたしは仕事のあと、
職場からジョギングにでかける。
今週は雨にじゃまされず、月・火・水とはしったので、
できれば木曜日もジョギングをつづけ、月のトレーニング回数を
20回にしておきたかった。

むすこはひとりぐらしをするようになり、
自炊のうでがあがっただろうから、
なにかひねったものをつくるのかとおもっていた。
そうでなければカレーライス、
あるいは、広島にいるのでおこのみやき、
もしかしたらシチューもあるかもしれない。
でも、家にかえってみると、むすこがえらんだのは野菜いためだった。
ほかに、配偶者がつくったサラダとなますが冷蔵庫にあった。
野菜いためはすこし意外だ。肩すかしをくったかんじ。
おくれて家にもどったわたしは、
ひとりで野菜いためと ほかのおかずをつつく。

でもほんとうは、野菜いためがいちばん無難な献立だ。
カレーやシチューが一品だけでは かなりさみしいけど、
野菜いためなら、まちがいのないおかずとなる。
わたしもまえはずいぶん野菜いためをつくったものだし、
いまでもしょっちゅう野菜いためにたすけられている。
わかいころ、1年間の農業研修に参加したとき、
昼ごはんと夕ごはんは、日がわりで参加者がつくっていた。
いろいろ献立をかんがえるのだけど、
15人分の料理はなかなかたいへんで、
そんなとき、野菜いためをつくれば、
とりあえず一品になったので、ずいぶんたすけられた。
「こまったときの野菜いため」とだれかがいった。

ほんとうに、野菜いためはインドにおけるカレーみたいだ。
いろんな野菜と豆、あるいは肉のくみあわせで、
膨大な種類のカレーができあがるように、
野菜と肉の種類をかえていためれば、
それはもう、まったくちがう料理として 堂々と食卓にならべられる。
むすこが献立を野菜いためにきめたのは、
どんな意図があってのことか、つまびらかではない。
でも、すでに野菜いための偉大さをみとめているとしたら
なかなかの料理センスとみとめなければならないだろう。
もしかしたら、そこまでふかよみするのは、ただの親バカで、
ほんとうは、めんどくさかっただけかもしれないけど。

posted by カルピス at 20:43 | Comment(0) | むすこ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月28日

『今こそ読みたい児童文学100』(赤木かん子)人生の節目には子どもの本を

『今こそ読みたい児童文学100』
(赤木かん子・ちくまプリマー新書)

図書館の返却本コーナーにあったのが目についた。
かん子さんがすすめる100冊ならまちがいないだろう。
こどもの本は、みじかい分量に、
ふかい内容がもりこまれているので、
生活をたのしむ おだやかなこころを
とりもどせるような気がする。
ゆとりのないわたしの生活には、
もうすこし しずけさとおちつきが必要だ。
まずしくても、家族関係がうまくいかなくても、
ろくでもないできごとばかりおきても、
こどもの本をよめば、きっとなんとかしてくれる。

これは、あんがいはなしが逆かもしれない。
わたしはいまなにか重大ななやみをかかえていて、
そのふしめをなんとかきりぬけようと、
この本に目をうばわれた可能性がある。

よみはじめてみると、とりあげられているどの本もおもしろそうだ。
フセンをはって、あとでリストアップしようとおもったけど、
どの本にもフセンをはりたくなったので、すぐにあきらめた。
すべてが必読書におもえる。きっとすべてが必読書だ。

第3章の「児童文学は愛情不足をこんなふうに描いています」では、
 そうして最終的には、親が揃っているかどうか、という形ではなく、子どもが安全だ、と思う環境で暮らせること、その子を愛して可愛がる大人が一人はいることがポイントなのだ、ということを見つけ出したのです。

安全とおもえる環境で、可愛がられること。
すごくシンプルなのに、
そんなことさえ子どもたちにあたえられていないなんて。

『青さぎ牧場』(ヘブサ・F・ブリンズミード)の紹介は、
 五歳かそこらでお母さんが亡くなったあと、超高級女子寄宿舎に放り込まれ、なのに父親は一度も会いにこない、ということになれば、どんな子だって怒るでしょう。
 というわけで、めっぽう頭のいい、美人のアマリリスは、大学入試資格を得た十七歳になる頃には一人の友だちもいない、プライドの高い、鋼鉄のレディになっていました。

すごくおもしろそう。
『変身』(カフカ)のかきだしをよんで、
そのさきをよみたくないひとがいるとしたら、
どんなかきだしも無力だ、みたいにいわれている。
かん子さんの紹介文もおなじで、
どれもキモとなる部分を きっちりしめしてあり、
ついそのさきをよみたくなる。

とりあげてある本のなかには、
わたしがこれまでによんでいるものもあった、
とおもったけど、ちがった。
『今こそ読みたい児童文学100』をガイドとして
それらの本にであっていたのだ。
つまり、わたしはすでに
『今こそ読みたい児童文学100』をよんでいた。
ブログをみると、4年半ほどまえの記事に、
いまかいている感想よりも、
ずっとくわしくこの本を紹介している。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/403890925.html
いったい4年半はわたしをどうかえたのか
(あるいはかわらなかったのか)。
タグ:赤木かん子

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月27日

国際親善試合、日本対ボリビア 1−0で日本

国際親善試合、日本対ボリビア
1−0で日本

森保監督は、コロンビア戦での先発を全員いれかえた。
ワントップに蒲田、2列目に左から乾・香川・宇佐美。
ボランチは小林と橋本で、
ディフェンダーは左から安西・畠中・三浦・西、
そしてゴールキーパーにシュミット=ダニエル。
畠中と安西は、これが代表のデビュー戦となる。

前半は世紀の凡戦だった。
日本はおしこみながらも、最後の部分がつながらない。
ボリビアは、さほどテクニックがないわりに、よくまもっている。
ただ、攻撃は迫力がない。
よほどのことがないかぎり、日本は失点をしないのでは。
関心は、日本がどうやって
ボリビアの守備をこじあけるかにしぼられる。
乾・香川・宇佐美と、W杯ロシア大会のメンバーがならんだのに、
連動した攻撃ができず、得点のにおいがほとんどしない。

後半開始は、おなじメンバーでのぞんだものの、
なかなか攻撃が機能しない。
森保監督は、たてつづけに選手交代をはかる。
22分に宇佐美を堂安へ、乾が中島へとかわる。
その後も、香川が南野に、小林にかわって柴崎がはいった。
けっきょく、コロンビア戦の先発とおなじ顔ぶれがならんだ。
これらの選手交代で、試合がうごきだす。
中島が、なんどか効果的な攻撃をしかけたあと、
後半31分に先制となるシュートをきめる。
その後もせめつづけながら、得点はこの1点だけにとどまった。

先発に起用された乾・香川・宇佐美は、
あとからはいった中島・南野・堂安のひきたて役にみえた。
キャリアとしては、先発の3人がうえなのに、
いまや代表チームの中心は、彼らでないことを印象づけた。
攻撃は、まえへの意欲がなければ まったくこわくない。
パスをまわすだけのプレーには魅力がない。
もっとも、3人にとって、むつかしい試合だったかもしれない。
先発したおおくの選手は代表戦の経験があさく、
連携のとれたプレーはそうかんたんではない。

中島は、さわやかな笑顔をふりまきながら、
えげつないほどゴールをもとめている。
その貪欲さがみるものをたのしませる。
強引にディフェンスをくずしてシュートまでもっていく。
コースがあけば、どこからでもうってくるので、
まもっているほうにとって こわい存在だろう。
ただ、その中島にしても、相手がボリビアだからこそ
すきなようにプレーできたけど、
コロンビア戦ではじゅうぶんにちからをだせなかった。
中島を中心に、どうやって攻撃をくみたてられるのか。
6月におこなわれるコパ=アメリカをたのしみにしている。

posted by カルピス at 21:58 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月26日

「できなくなったら、さらにできるだけはやいスピードで」とむちゃがたのしい「みんなで筋肉体操」

「みんなで筋肉体操」の録画をみながら
ほぼ毎日 うでたてふせとスクワットをしている。
スクワットは、2秒でしゃがみ、2秒でたちあがる、
ゆっくりなやり方だ。
指導する谷本道哉さんは、
「これをくりかえし、できなくなったら・・・」
と説明する。
できなくなったらどうするんだ?ときいていると、
「できなくなったら、さらにできるだけはやいスピードで
 数回反復し限界までおいこみきります」
なんていう。
できなくなったら、さらにはやく、なんて
ふつう無理だろ。日本語としておかしいぞ。
でも、いかにも体育会系の谷本さんがいうと、
そんなむちゃをいわれても、
なんとかやるしかないな、という気になってくる。

「みんなで筋肉体操」の録画をみながら
いっしょにからだをうごかすのはたのしいけど、
はたして効果はあがっているだろうか。
このまえ雨ふりのため 外をはしれなかったので、
ひさしぶりにジムへいった。
おひるごはんの時間だったせいか、
利用者がすくなく、バーベルがあいており、
ベンチプレスとプレス、
それにベントローとデットリフトにとりくむ。
ベンチプレス以外は、それぞれ2セットだけの
なんちゃってウエイトトレーニングだ。
30分ほどで、じゅうぶんに筋肉をおいこめた。
いつもはうでたてふせとスクワットしかしていないのだから、
つぎの日に筋肉痛がでるのは当然だけど、
胸の筋肉がいつもよりずっとパンパンになる。
うでたてふせではきたえられなかった部分に
刺激をあたえた実感がある。
筋肉体操だけで、ほんとうにお兄さんたちみたいな
とんでもないからだになるのだろうか。
もうそろそろ、「筋肉体操」をはじめて3ヶ月になるけど、
いまのところささやかな成果しか かんじられない。

posted by カルピス at 21:36 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月25日

「きらクラ」の「BGM選手権」でタイ旅行をおもいだす

「きらクラ」の名物コーナーに、「BGM選手権」がある。
ふかわりょうさんがよみあげる「お題」にたいし、
ピッタリのBGMをみつけてください、という趣旨のコーナーだ。
文豪のかいた小説から お題のでる回がおおいけど、
こんかいは、ふかわさん作の「とんぶりの唄」をもってこられた。
「とんぶり」は、秋田県でたべられている食品だそうで、
みためはキャビアによくにているらしい。
ふかわさんがとんぶりにであったとき、
いい食品なのにあまりひろまっていないことから、
かってに応援をかってでて、うたまでつくったという。
その応援歌が「とんぶりの唄」となる。

へー、かわったたべものがあるもんだ、
とはおもったものの、
たいして興味はわかなかったのが先週のはなし。
きょうの「きらクラ」では、4名の視聴者が
「とんぶりの唄」にあった曲を BGMとして えらんできた。
わたしは、とんぶりの食感をしらないので、
どの曲がとんぶりにふさわしいのか
いまひとつピンとこない。

番組をきくうちに、わたしはなぜか
せんじつのタイ旅行をおもいだした。
なぜ「とんぶり」がタイをイメージさせたのか、
理由はすぐにおもいついた。
できすぎた冗談みたいだけど、
旅行の目的地であるブラチュワップキーリーカンへの電車は、
バンコクにあるトンブリー駅から出発したのだ。
わたしの脳は、「とんぶり」ときいて、
とっさに「トンブリー駅」を連想したにちがいない。
「きらクラ」へ、トンブリーという駅があると、
メールでしらせたらよろこんでくれそうだけど、
わすれないうちに、まずはブログにかいておこう。

バンコクの中央駅はファラポーン駅だけど、
南部へむけての列車は、トンブリー駅始発のものがある。
わたしがのった列車がそれだった。
トンブリー駅は、中央駅であるファラポーン駅とは
くらべものにならないぐらい こじんまりした駅だ。
タイ語は日本語になじみのないことばがおおく、
なかなかおぼえられないけど、「トンブリー」は
「どんぶり(丼)」に にているせいか、
こんかいの「BGM選手権」で「とんぶり」と再会するまで
記憶にのこっていた。
先週はじめて「とんぶり」という食品をしったときは、
たいして興味をもたなかったのに、
この1週間で、わたしの脳はしずかに熟成をかさね、
とんぶりとトンブリー駅との関係に気づいたらしい。
記憶って、本質的にダジャレみたいなしくみなのだろうか。

はじめておとずれたブラチュワップキーリーカンは、
わたしごのみのしずかな町だった。
いごこちのいいホテルもみつかり、満足のいく時間をすごす。
なにか特別なことをしたわけではないのに、
またいってみたい気がしている。
それもこれも、とんぶりがとりもつ縁だったようだ。
ブラチュワップキーリーカンでは、
タピオカのはいったお茶ものんだ。
日本には、タピオカミルクティーのお店がはやりだけど、
タイでは、タピオカいりの
グリーンティーやコーヒーがよくうられていた。
ちょっと強引だけど、タピオカとキャビアはよくにているので、
とんぶりつながりのご縁は、
ここでもわたしをタイ旅行へとみちびいている。
タグ:とんぶり

posted by カルピス at 22:20 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月24日

国際親善試合、日本対コロンビア 0−1でコロンビア

国際親善試合、日本対コロンビア
0−1でコロンビア

たのしみにしていたコロンビア戦だけど、
よかったのは前半だけで、後半にはいると、
ほとんどの時間帯で防戦一方となる。
W杯でなんとかコロンビアにかてたのは、
前半のはやい時間に、相手が10人となったからで、
まともにぶつかると さすがにつよい。
点差以上に ちからの差をみせつけられて、
0−1のまま、あっけなく試合がおわった。

コロンビアがギアをあげてきたのは後半からだ。
反対に、日本は別のチームになったようにげんきがなくなる。
日本の失点は、ハンドによるPK だけだけど、
内容としては完敗だった。
1点だけにおさえられたのが幸運におもえる。
コロンビアは、先発メンバーだけでなく、
交代ではいってくる選手もふくめてレベルがたかい。
彼らが全力でボールをうばいにくると、
日本はセカンドボールをひろえなくなり、
おしこまれた時間帯がつづいた。

ひさしぶりにみる中島は、
ボールをもつと、なにかやりそうな雰囲気がある。
右にボールをもちだして、強引にはなつシュートが魅力的だ。
でも、後半にはいると、
相手の監督が 中島のうしろのスペースをつかいだし、
そこを起点にせめられるようになる。
後半には堂安にかわって乾がはいり、
はじめて中島と乾が2列目でならぶ。
右の乾は、あまりこわさがないけど、
そのぶん絶妙なアシストを期待できそうだ。

はじめて代表にえらばれた鈴木武蔵が
センターフォワードをつとめたけど、
ちからがはいりすぎて からまわりしていた。
後半20分、鈴木にかわって香川がはいる。
注目をあつめたけど、それほど効果的なうごきはできなかった。
大迫の不在をどう解消するかは、
こたえが なかなかみつからない。
日本で印象にのこるのは、右サイドバックの室屋だ。
なんどもかけあがり、右からの攻撃をつくっていた。
つぎのボリビア戦では どんなはたらきをするだろうか。
全体的に、日本よりも、コロンビアのよさがめだつ試合だった。

posted by カルピス at 22:01 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月23日

『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』(倉下忠憲・星海社新書)

『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』
(倉下忠憲・星海社新書)
https://www.amazon.co.jp/dp/4065151562/
タスク管理なら、わたしには関係ないかな、と
スルーしてたけど、
すこしまえのブログに倉下さんが
「『今日はこれをするぞ!』は結構ダメパターン」
とかかれていて、これが まさしくわたしのことだった。
https://rashita.net/blog/?p=27026

・今日って、いつですか
・これって、なんですか
・「ぞ!」の決意がけっこうやっかい

いわれてみれば もっともな指摘で、
それなら本書はわたしに関係あるかも、という気になった。
仕事に「やること地獄」はかんじないけど、
部屋のかたづけや、本のよみ方などに
タスク管理がいかせるかも。
本書がわたしの背中をおしてくれたらありがたい。

「やること地獄〜」をよみはじめると、
とてもよみやすい文章なのに すぐに気づく。
章だてが親切で、内容もきれいに整理されている。
リズムがここちよく、スラスラとさきへすすみたくなる。
過不足のないことばえらびに、
シンプルでありながらオリジナルな文章。
たくさんの本をだされている倉下さんに
こんないい方は失礼だけど、完成度のたかさが印象にのこる。
本書は、全編にこまやかな配慮がいきとどいており、
安心して倉下さんの「神の手」に身をまかせる。

この本は、できないことを前提にしてかかれている。
人間は、不完全・不合理な存在で、間違いをおかすことはさけられない

そんなわたしたちが、どうタスク管理にとりくんでいくか。

タスク管理について、ひととおり説明したあとで、
 
ここまでくれば準備は万端。(中略)あとは実践あるのみなので、何か好きなノウハウを選んで実行してみてください、と言いたいところなのですが、そう言って終わらせることはできません。なぜなら、その「実践」が難しいからです。

倉下さんは、フツーのひとが
どれだけ腰がおもいのかを、よくわかっている。
フツーのひとがおちいりやすいワナにたいして、
ちゃんと処方箋が用意されている。

できない自分はダメなやつ、ではなく、
できるほうが不思議なわけで、
そんななか、うまくいった例があれば、
なぜうまくいったのか、
どうしたら再現できるのかをかんがえる
「ブライト・スポット」の手法が示唆にとむ。
たいした決心もなしに、
わたしはなぜブログをつづけられているのか。
コーヒーを、あっさりやめられたのはなぜか。
ひとは、あんがい決心なんてものとは
関係ないところでうごいているのかもしれない。

第8章は
「よくある失敗とそこからのリカバリー」にあてられている。
たとえば
・毎回の作業を「キリの良いところ」ではなく、
 「キリの悪いところ」で終わらせてしまう
・「第2章を執筆する」ではなく
 「第2章の執筆を1時間進める」に項目を書き換える
など、いかにも効果がありそうな「頓服」だ。

本書の実践として、いちばん簡単そうな
「5分ダッシュ方」をためしてみる。
タイマーで5分はかり、5分だけにかぎって
部屋のかたづけをする。
たった5分なので、心理的なハードルはひくいし、
いったんからだをうごかすと、
5分でもかなりのかたづけがすすむ。
まだ2日しか「ダッシュ」していないのに、
おどろくほど部屋がきれいになった。
つぎの日のかたづけが、たのしみになってきた。

第9章の「人生の舵を取るタスク管理」は
本書のまとめとなっている。
「自分のやること」を決めるためには、「何が自分のやることなのか」を決めなければなりません。それはつまり、「自分の役割」を定めるということです。そしてそれは、必然的に「自分とは何か」を決定づける要素にもなります。

ほんとに、「やること」って、いったいなんだろう。
「やること」がわかれば 自分もわかる。
 しかし、「別に前に進まなくてもいいんだ」という選択肢はいつでもキープしておきたいところです。なにせ「前」だと思っていたものが、まったく前ではなかった、ということがありうるのです。

「不完全・不合理」なわたしは、
そういってもらえると、すごく気がらくになる。

posted by カルピス at 10:27 | Comment(1) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月22日

紅茶愛飲者にとって、日本はひどすぎる社会

しんざきさんの
「現代日本は純塩味ポップコーン派にとって生きにくすぎる社会なのではないだろうか」
http://mubou.seesaa.net/article/464674645.html
がおもしろかった。
わたしはとくに純塩味のポップコーンでなくてもいいけど、
しんざきさんの気もちはよくわかる。
この記事に便乗して、
「紅茶愛飲者は抗議の声をあげよう」といいたい。
日本における紅茶のあつかいが なんとかならないだろうか。

このまえ全国チェーンの喫茶店で紅茶を注文したら、
あきらかにティーバッグをつかった 紙くさい紅茶がでてきた。
おいしくない。それでいて440円もする。
スーパーでティーバッグをさがせば、 おなじ値段で50袋かえるのに、
にたようなティーバッグをつかっておきながら、
なんてめちゃくちゃな価格設定だろう。
よほどの紅茶専門店でなければ、
ほかの店でもおなじように残念な体験をする。
このチェーン店だけでなく、たいていの喫茶店は、
おいしい紅茶をサービスするつもりが はじめからない。
コーヒーは気をつかっていれるくせに、
紅茶はおなじお金をとりながら、手をぬき放題になるのはなんでだ。
紅茶はまずくてあたりまえ、と はじめから あきらめている。
そもそもおいしい紅茶をのんだことのないひとが紅茶をいれるから、
どうやってつくればいいのかわからない。
沸騰したお湯をつかう原則さえまもられない。

コンビニでは、セブンイレブンは紅茶をあつかってないし、
ローソンは、150円だったのに、すこしまえに180円に値あげした。
コーヒーは1杯100円でのめるのに、
紅茶は はじめから想定外の商品として位置づけられている。
紅茶をだすおおくの店では、レモンティー・ミルクティー、
ストレートからえらべるようになっているけど、
みかけだけ、もっともらしくかまえているにすぎない。
ここでいうミルクはコーヒーについている フレッシュのことだ。
フレッシュを紅茶にいれるひとって、 じっさいにいるのだろうか。
まずくてたかい紅茶があたりまえにほっておかれる状況が
日本ではずっとつづいている。
消費者であるわたしにできるのは、
ろくでもない紅茶を注文しないことだけど、
コーヒーがのめない人間には、紅茶くらいしか かわるものがない。
紅茶愛飲者にとって、紅茶をめぐる日本の状況はあまりにもひどい。

テレビのCMで、無糖の「午後の紅茶」をみた。
これまであまい紅茶しかえらべなかったから、
すこしだけ よろこばしい変化だ。

posted by カルピス at 22:10 | Comment(0) | 食事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月21日

NHKカルチャーラジオの「十字軍」に耳をかたむける

NHK-FMでカルチャーラジオをきいていたら、
十字軍についてはなしていた。
十字軍は、名前をしっているだけで、
じっさいになにがおこなわれたか、わたしには知識がない。
ていねいなかたりかけに好感をもちながら、耳をかたむける。
おはなしは、上智大学文学部の藤崎衛准教授。

そもそも、十字軍とはなんなのか。
キリスト教とイスラム教の対立はわかる気がするけど、
なぜキリスト教徒がとおいエレサレムまで でかけ、
イスラム教をやっつけようとするのか。
藤崎さんは、当時の参加者たちが、
巡礼として魂の救済をもとめていた側面を指摘している。
また、現実的に 金銭や領地の獲得を期待した
参加者がすくなくないそうで、
正義が悪をやっつける、みたいな構図は
十字軍において まったくなりたたない。

むかし社会科でならったときのわたしは、
十字軍をどうイメージしただろう。
ヨーロッパ側からみた価値観によって、
十字軍の出兵を、ふつうにありえる行為、
とすりこまれたような気がする。
すこしつっこんでかんがえてみると、
とおい中東の地までわざわざでむくには、
たてまえとはほかに、なんらかの現実的な理由があるはずだ。
かくされた事実をしるのが歴史のおもしろさとはいえ、
学校でおそわる社会科は、かなりのマユツバだとおもいはじめる。
よほど謙虚に歴史とむきあわなければ、
一方的な価値観のみをつたえがちだ。
十字軍の理解は、キリスト教、
そして中世ヨーロッパの歴史をしらないと、
名前だけの知識にとどまってしまう。
すこしふかくしろうとすると、
ずるずるいろんなことがからまって、
かんたんには説明できなくなってくる。
歴史は、そうなってからがおもしろい。

むかし社会科で、砂漠地帯のナツメヤシがでてきたとき、
彼の地では重要な産物であるとおしえられた。
ひとつの知識としてこの情報を頭にいれる。
でも、じっさいには みたことも たべたこともない植物を
教科書でならい、まちがいのない事実であるように
テストでためされるのは、すごくへんだ。
先生だって、みたことも、たべたことも、
その地域でどう位置づけられているかをしらないだろうに。
おとなになってから、旅行さきでナツメヤシをたべ、
これがあのナツメヤシかと、社会科の授業をおもいだした。
そのままたべても、ほし柿みたいな食感でおいしかったし、
たしかにいろんな料理にもつかわれている。
ずいぶんとおまわりしてナツメヤシにであった気がした。
社会科って、不思議な学科だと しみじみおもう。
NHK-FMのカルチャーラジオ「歴史再発見」は、
そんなわたしにピッタリの番組だ。
タグ:十字軍

posted by カルピス at 10:16 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月20日

ビンゴクッキーのデビュー

職場でつくっているクッキーは、
おおきくわけて、まるい形の「コロコロクッキー」と、
板にはさんでおしつぶしてつくる「型おしクッキー」にわかれる。
どちらも1袋に6個はいって150円だ。
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コロコロクッキーは、ほぼまるい形なので、
3個を3列にならべると、正方形となるのに気づいた。
ココアだったり、抹茶だったりと、
きれいな色のクッキーが3×3、きっちり袋におさまって、
みためにきれいな袋いりクッキーとなる。
9個いりで200円だから、わりやすでもある。
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おいしいからかってもらう、というのもひとつのアピールだけど、
きれいだから、かわいいから、というのも
またべつのアピールであり、
みせかたによって、これまでとはちがう商品となる。
名前は(わたしのなかだけど)ビンゴクッキーで、
販売のときのポップは、
「めっちゃおいしい まっ茶ミックス」ときめている。
ほんとにおいしいので。

これまで職員にみてもらい、感想をきいてみると、
いい反応がかえってきた。
きょうは、はじめて外部での販売にもっていく。
ビンゴクッキーのデビューだ。
さいわいお客さんにも好評で、
5個もっていったところ、ぜんぶかってもらえた。
写真では、クッキーがきちんとならんでないのもあり、
ビンゴらしからぬ姿となっているけど、
ほんとは整然と おごそかに正方形をつくり、
視覚的にうつくしくしあがっている。
パッケージをひと工夫すれば、
もっとたかくてもかいたくなるような、
おみやげ品にもなりそうだ。
テキトーに色をならべるのもいいけど、
ななめにおなじ色をつかったほうが、
ビンゴクッキーだけに うれるかもしれない。

posted by カルピス at 21:31 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月19日

中野ジェームズ修一さんによる動的ストレッチをためしてみる

すこしまえの「ランスマ」に、
中野ジェームズ修一さんがゲストで出演され、
青山大学の陸上部で有名になった
動的ストレッチをおしえてくれた。
一般的に、筋をのばすストレッチが
そのまま準備体操としておこなわれているけど、
中野さんによると、こうした静的ストレッチは
練習あとのクールダウンでとりいれたほうがいいらしい。
練習まえには、筋肉と筋をおおきくうごかす動的ストレッチを、
最低でも10分はおこなうようにはなされた。
おもにうごかす場所として、肩甲骨と股関節があり、
どちらも4つずつ、動的ストレッチを披露された。
いずれも、おおきな動作をともなう運動で、
10分もやれば、からだがあたたまるし、はしりだしたい気にもなる。
じっさいにはしってみると、残念ながら、
わたしは たいしてちがいをかんじなかった。
「ランスマ」では、モデルのランナーが上級者だったせいか、
動的ストレッチのあとのはしりは、
これまでとぜんぜんちがう、と、みなさん納得の表情だったのに。

わたしが1ヶ月まえに股関節をいためたとき、
すこし違和感があっても そのままはしりつづけたら、
いくつもの筋を決定的にこじらせてしまい、
あるけないほどの、ひどいいたみをあじわった。
なぜ股関節がいたくなったのか、理由はわからないけど、
動的ストレッチによって、故障をふせげるのなら、
10分間をケチらないで、はしる準備をととのえたい。

わたしの個人的な なやみは、
首と肩甲骨まわりのいたみで、
もう2年以上、楽にはしれない状態がつづいている。
左うでをおおきくふれないし、右うでもピリピリいたい。
動的ストレッチは、肩甲骨まわりをほぐしてくれるので、
つづけるうちに、すこしずつ
いたむ箇所がもちなおしてくれないだろうか。

はしったあとの静的ストレッチは、
筋肉があたたまっているうちに、
できるだけはやくおこなうものらしい。
番組では、ランナーのレベルにおうじて
いくつかのストレッチとアイシングをおしえてくれたけど、
意識してのばしているはずの筋が、
わたしにはあまりピンとこなかった。
動作だけをまねしてもしたかないので、
いままでやっていたストレッチを、そのままつづける。
ただ、はしったすぐあとのストレッチを こころがけるようになった。

posted by カルピス at 21:49 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月18日

ロコモ診断のたちあがりテストができず、すごく くやしい

ロコモティフシンドロームの診断で、
いすにすわった体勢から、
片足だけでたちあがれるか、というのがある。
いすのたかさは40センチ。
わたしは、平均的な中高年よりも
からだをうごかしているほうだとおもうけど、
左足でのたちあがりテストができない。
右足では、なんの苦もなくたてるのに、
左足ではびくともしないのでがっかりする。
アスリートのプライドがきずつけられるので、
こんなテストでなにがわかる、と
ロコモという概念を否定していた。
だって、日常的にからだをうごかし、
うでたてや、スクワットをしている人間
(わたしのことだ)ができないテストって、
どこかまちがっていないか。

「みんなで筋肉体操」でのトレーニングが日課になってきた。
ほんの5分なのに、しっかり筋肉をおいこんだ快感をあじわえる。
腹筋と背筋はおいといて、うでたてふせとスクワットを、
お風呂にはいるまえの時間に1つずつやる。
2種目やっても10分しか かからないので、
心理的なハードルはひくい。
スクワットでは、片足ずつきたえるトレーニングがあり、
そのときには、左右の足でフォームにかなりの差がでてしまう。
右足ではスイスイできるのに、左足ではぎこちないうごきとなり、
バランスがくずれがちだ。
ロコモ診断で気づかされた左足のよわさを、
「筋肉体操」でもまた指摘されたかたちとなる。
わたしは、ほんとうに左足が かなりよわいみたいだ。
残念だけど、くやしいけど、この現実をみとめ、
「筋肉体操」によって、左足の筋力をたかめたいとねらっている。
左足ではさっぱりだったうごきが、
毎晩くりかえすうちに、すこしはかっこがつくようになった。
できないことが できるようになるのはうれしいもので、
毎晩の「筋肉体操」がたのしみになっている。

それにしても、ロコモ診断はおもしろくない。イライラさせられる。
40センチのいすから片足で、しかも両方の足とも、
すんなりたちあがれるひとが、どれくらい いるだろうか。
いったんは納得したようなことをかいたけど、
内心では、どうしてもロコモ診断をうたがってしまう。
片足どちらかでもできれば、といってくれたらいいのに、
両足ともできなければならないなんて、詩心がない。
対象者によりそうのではなく、つきはなすテストだ。
タグ:ロコモ

posted by カルピス at 22:21 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月17日

第40回まつえレディースハーフマラソンに、伴走として参加する

第40回まつえレディースハーフマラソンに、伴走として参加した。
わたしがはたらく事業所から、20名以上の利用者が
ジョギングの部にもうしこんだためだ
(「ジョギングの部」全体は630人)。
「レディース」がつく大会だけど、
女性しか参加できないのは ハーフマラソンだけで、
ジョギングの部には男性でもエントリーできる。
ジョギングの部は2.6キロのコースなので、
大会に参加した気分はあじわえるし、距離もながすぎない。
事業所をあげての応援にはげまされながら、
いつもいっしょに仕事をしているひとたちとはしる。
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わたしはいつもジョギングをしているので、
2.6キロなんてたいした距離じゃない。
あわよくば、伴走の仕事はテキトーにながして、
自分のはしりをたのしもう、なんて
調子いいことをかんがえていたら、
これがあんがいたいへんだった。
結果からいえば、2.6キロを21分ではしり、
タイムとしてはかなりおそいのに、
それでもう精一杯な状態でゴールする。
気もちがゆるんでいると、どんなスピードでもくるしい。
大会に参加しているという、リスペクトの精神が必要だとしる。

事業所から参加したメンバーのおおくは、
わたしがとくに声をかけなくても
ほとんどとまらずにはしりつづけ、いいタイムをマークした。
3月にはいって雨の日がおおく、あまり練習できなかったのに、
本番につよいメンタリティーを発揮して、
レースの雰囲気をじょうずにたのしんでいる。
来年もまた参加する、と、はやくも決意表明するひともいた。
レースがはじまる直前まではげしい雨がふっていたのに、
ねがってもないタイミングで雨がやみ、
もうしぶんのないレースコンディションとなった。
コースぞいの道からは、応援するひとたちが
とぎれず声をかけてくれる。
40回目をむかえただけあって、
市民に定着した大会となっているのをかんじた。
お城のまわりをぐるっと一周するコースもいいかんじで、
はしっていてたのしかった。
大会運営にかかわられた、おおくの方々に感謝したい。

posted by カルピス at 20:26 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月16日

太田哲雄さんのつくるシンプルなトマトソースパスタ

きのうの朝日新聞に、
トマトソースのパスタがのっていた(「わたしの料理」)。
太田哲雄さんが、イタリアのミラノでつくっていた
とてもシンプルなパスタだ。

パスタといえばトマトソースが基本にきまっている。
いまさらトマトソースでもないでしょうー?
なんておもいがちだけど、
そこをあえてとりあげるところに
太田さんの実力がにじみでている。
日本料理でいえば、
「おにぎりのつくり方」にあたる(ほんとうか?)。
きっとこのパスタは、世界一おいしい。

・オリーブ油と潰したニンニクを火にかけ
・ニンニクをこがさないようにじっくりと温めます
・トマトと塩を加えてクツクツと煮込み、
・煮詰まってきたらニンニクを取り出します
・ゆでたパスタを加え、
・ソースと絡めたら出来上がり
・お皿に盛って、薄く切ったバターをそっとのせます

トウガラシをいれないつくり方だ。コショーもなし。
ポモドーロなどといわず、「トマトソース」と
きっぱり名のるところがいい。
わたしが料理すると、レシピをまもらないので、
ろくでもないできあがりになるけど、
これぐらいシンンプルだと、レシピどおり つくる気になる。
ていねいに工程をすすめるようすが、
なんだか宗教の儀式みたいだ。
「薄く切ったバターをそっとのせます」もいいかんじ。
バターは無塩バターとかいてある。
それぐらいは、普通のバターで まあいいか。
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posted by カルピス at 09:36 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月15日

『本の雑誌 4月号』にのった「青春の一冊」。『楡家の人びと』と『ツバメ号とアマゾン号』

『本の雑誌 4月号』に、読者からよせられた
「私の青春の一冊」がのっていた。
北杜夫の『楡家の人びと』と
アーサー=ランサムの『ツバメ号とアマゾン号』。
わたしがしたしんできた2冊をみてうれしくなった。

『楡家の人びと』は、中学生のときに北杜夫のファンとなり、
満をじして、というかんじで 挑戦した本だ。
子どもむけの本をのぞき、
それまで小説をほとんどよまなかったわたしでも、
『楡家の人びと』は ふつうにおもしろかった。
上下巻にわかれた あつい本をよみおえたのも自信となった。
まえの記事にもかいたけど、なぜか期末試験の勉強中に
『楡家の人びと』をふたたびよみたくなった。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/232991346.html
すこし勉強すると1章よみ、またすこし勉強してからつぎの1章と、
だんだん どっちがメインかわからなくなり、
けっきょくひらきなおって『楡家の人びと』を優先させた。
2ど目も、1ど目とおなじようにおもしろかった。
本は、よんではならないときが、いちばんはかどる。

『楡家の人びと』について、
いまもあんがいこまかなところをおぼえている。

・ものがたりは、楡脳病院のまかないからスタートする。
おおきな釜で、何升もの米をたきあげ、
これまたおおきなしゃもじで、かきまぜてからむらす。
いまでもわたしは、炊飯器が「たきあがり」をしらせると、
しゃもじに水をつけ、ざっくりかきまぜないと おさまらない。

・むこ養子の徹吉が、ドイツへ留学したときに、
ワラビをタマゴとじにしてたべていた。
これもわたしのとくい料理として いきのこっている。

・ものがない時代なのに、
缶詰をあつめるのがこだわりとなった人物もいた。
おおきなトランクいっぱいにあつめた 宝物のような缶詰は、
アメリカ軍の空襲にのまれてしまった。
わたしが必要以上に備蓄をこころがける習性は、
『楡家の人びと』からまなんだのかもしれない。

『ツバメ号とアマゾン号』をよんだのは20代のころだ。
本の探偵でしられる赤木かん子さんがおしえてくれた。
まず「ツバメ号」からスタートし、
そのあと12冊の全集すべてをよんだ。
こんなふうにイギリスの子どもたちは
船のりの精神をまなんでいくのかと、感心したものだ。
どんなにちいさな船でも、たとえのりくみ員が2人でも、
船長には船長として はたすべき責任がある。
責任をまっとうしたときは、親や上級生にほめられ、
手をぬけば、一人前のふなのりではないと 烙印をおされる。
「ツバメ号」は、少年・少女の冒険ものであるとともに、
イギリスの子どもたちがそだつ環境と、
たいせつにしている精神をおしえてくれる。

「私の青春の一冊」に、
「楡家」と「ツバメ号」を投稿された方々は、
いずれも高校生のころ、
先生や友人にすすめられたのがきっかけで、
これらの本をよむ機会をえている。
わたしがすきな本にたいし、おなじように
特別なおもいをよせるひとがいるのはうれしい。
両方の本とも、わたしにとってもまた 青春の一冊だ。

posted by カルピス at 20:57 | Comment(4) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月14日

世のなか しらないことばかり

「世界ふれあい街歩き」で
マレーシアのジョホールバルをとりあげていた。
すきな番組なので、録画して
夕ごはんをたべながら なんとなくみる。
兵隊さんが訓練しているところをみかけたので、
どんな軍隊なのかを「旅人」がたずねる。
門番をしているひとは、自分ではこたえずに、
階級がうえのひとをよんできた。
まだわかい上官でてきて 説明してくれる。

「自分たちは、ジョホールロイヤルアーミーだ。
マレーシアには13の州があり、9つの州に王様がいる。
そのなかで、ジョホールバル州の王様だけが
直属の軍隊をもっている」

マレーシアは多民族国家で、
いちばんおおいのがマレー系、ついで中華系、
すくないのがインド系、ぐらいはしっていたけど、
マレーシアに王様がいるとはしらなかった。
そして王様は、自分の軍隊をもっている。
世のなかは、わたしがしらないことばかりだ。

では、わたしがしっていることって、なんだろう。
おもいうかべてみると、しってるような気でいることも、
そのほとんどは、表面的な知識だけにとどまっている。
たとえば、アメリカ合衆国について、
いくらかはしってるようにおもっているけど、
すこしつっこむと、じつはなにもしらない。
大統領選挙制度・州のやくわり・軍事費の割合。
アメリカ合衆国だけをしらないのではない。
たいていの知識は、「名前をきいたことがある」
程度にとどまっている。
宗教だって、しっているのは名前だけだ。
なじみがふかい気でいるキリスト教でさえ、
なにをおしえている宗教なのか
ほんとうのところは よくしらない。
イスラム教・ヒンドゥー教・ユダヤ教、
そこまでいかなくても、仏教だってじつはしらない。
世界の人口、日本の老人率、島根の予算規模。
植物の名前、動物の生態、ただしいダシのとり方。
ぜんぶあいまいな知識のまま、ごまかしながら生きてきた。
いまさらなんとかしようとはおもわないけど、
57年もいきながら、あまりにも貧弱な知識しか
身つけてこなかったことにあきれている。
みんなこんなものなのか。わたしがひどすぎるのか。

車のしくみをこまかなところまでしらなくても
運転さえできれば支障はない。
整備士でなくても、ユーザーにはなれる。
パソコンも、プログラミングをしらなくても、
ネットをつかえ、テキストの入力ができれば
(いまのところ)こまらない。
一般的なおとなといえるには、
どのていどの教養や常識があればいいのだろう。
そのテストは、ジョホールバルに王様がいるかどうか
正確な知識をたずねるてくるだろうか。

posted by カルピス at 21:59 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月13日

いいことばかりは ありゃしない

RCサクセションの曲に、
「いい事ばかりはありゃしない」がある。
きのうは白バイにつかまった
月光仮面が来ないのと あの娘が電話かけてきた(中略)
昔にくらべりゃ 金も入るし
ちょっとはしあわせそうに 見えるのさ
だけど わすれたころに ヘマをして
ついてないぜと 苦笑い

ほんとうに、いいことばかりはない。
ちょっと陽がさしたかとおもっても、
すぐにまた、もとのさえない状況にひきもどされる。
RCサクセションの曲のなかで、
それほどハデさのないこの曲に、なぜかひかれるのは、
トホホの気分をじょうずにすくいあげているからだろう。

きょうの「ゆうがたパラダイス」は
津野米咲さんの担当で、
「ちょっと何言ってるかわからない曲」特集だった。
そのなかで、PUFFYの「アジアの純真」がかかる。
作詞:井上陽水・作曲:奥田民生だった。
http://j-lyric.net/artist/a00079f/l0070f5.html
ひとことひとことは はっきり発音されていても、
意味のない単語のつらなりなので、
みごとに「ちょっと何言ってるかわからない」。
北京 ベルリン ダブリン リベリア
束になって 輪になって
イラン アフガン 聞かせて バラライカ

トホホの日には、「アジアの純真」みたいに
意味のわからないことばのつらなりが
なんだか頭にここちよいのをしった。
意味からはなれるタイプの快感が たしかにある。

posted by カルピス at 21:47 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月12日

「家族になろうよ」すべての動物がしあわせでありますように

すこしまえに、BSプレミアムで
「家族になろうよ」を放映していた。
保護された たくさんの犬やネコを紹介し、
動物たちを、もうひとりの家族にむかえませんか、という番組だ。
休憩をはさみながら、ほぼ1日じゅう
スタジオにいるネコや、譲渡会場にきた犬の、
チャームポイントをつたえている。
「ほめられると のびるタイプです」と
紹介された犬がいておかしかった。
犬だって、ほめられれば いい方向に成長するんだ。

気もちがあれば、だれでも犬やネコを
家族にむかえられるわけではない。
動物たちをひきうける条件として、
65歳以下とか、家のなかでかうこと、
家族全員が了解していること、
などがあげられている。
かいぬしが、さきにうごけなくなってはいけないので、
年齢はたしかに大切な条件だ。
57歳のわたしは、さきのことをかんがえると、
ギリギリまにあうかどうか、というところだ。
きょねんからいっしょにくらしているネコのココが、
おそらくさいごの動物となるのでは ないだろうか。
日本だけでなく、外国で動物がどうあつかわれているかの例として、
ドイツと台湾、それにブラジルのとりくみも紹介していた。

カメラにうつる動物たちは、みんなそれぞれかわいいけれど、
いっしょにくらそうとしたときには、
家族の一員、というおもいがかかせない。
動物が病気になったとき、
自分がうごけなくなったときにどうするか。
責任をもって動物をひきうけるには、それなりの覚悟がいる。
矢野顕子さんがうたう「家族になろうよ」がよかった。
ありがとう うちにきてくれて
ありがとう いっしょにいてくれて

台湾には、「学校犬」と位置づけられた犬がいて、
学校で犬がかわれているという。
子どもたちにぜんぶ世話をまかせるのではなく、
担当となる先生がきめられている。
子どもたちは、犬とあそんだり、
世話をしながら、動物とのつきあい方を体験する。
日本にも、「学校犬」がいたらいいのに。
それぞれの学校に犬が1匹いたら、
保護犬の問題はずいぶんすくなくなる。
子どもだって、犬になぐさめられたり、
すくわれたりのつきあいができるので、
きっといい存在となる。
学校だけでなく、市役所や町役場にも動物がいたら、
おおくのひとのこころがやわらかくなりそうだ。
さらにいえば、介護事業所にも、
動物がいたほうが なごやかな雰囲気になる。
結局、町のいたるところに動物がいたらすてきだ。
人間は、人間だけで生きないほうがいい。
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posted by カルピス at 22:12 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする