2019年04月30日

『誰がために鐘を鳴らす』(山本幸久) 極上の青春小説でもあり、お仕事小説

『誰がために鐘を鳴らす』(山本幸久・角川文庫)

Web本の雑誌に、書評家の目黒考二さんが
「書評依頼は4枚だったのに、12枚も書いてしまった話」
http://www.webdoku.jp/column/meguro_n/2019/03/29/093019.html
として本書をとりあげている。
もちろんそれは、『誰がために鐘を鳴らす』が
ものすごくおもしろかったからで、
「12枚も書いてしまった」という解説をよむと、
山本幸久作品がすきだという目黒さんの興奮が、
そのままつたわってくる。
山本作品によくある「あそび」として、
ほかの小説の登場人物が、本書にも顔をだしており、
それが山本作品のファンには、また たまらないのだ。
どうでもいいような、そんなはなしを、
目黒さんはおおくの紙面をさいて紹介している。
解説というよりファンレターにちかい。
そして、こうしたあついおもいは、
論理的に作品のよさにふれる解説よりも、
よむもののこころをとらえる。
(文庫本の解説は、北上次郎の名で のせられている)

文庫の帯には あさのあつこさんが
上質の青春小説でお仕事小説。少年たちの誇りと職人の矜持が鳴り響く。

とコピーをよせている。
ほんと、そのとおりのものがたりで、
青春小説であるとともに、お仕事小説でもあるのがすごい。
このふたつをさらっと同時にもりこめるのが、
山本幸久さんのうまいところだ。

本書は、ハンドベルをめぐる部活小説でもある。
クラスメートなのに、はじめは目もあわせなかった4人が、
ハンドベルの練習や発表会をつうじて
しだいにかたいきずなでむすばれた仲間へと成長していく。
うばわれたハンドベルをとりかえそうと、
チンピラとの対決があったり、
先輩である年上の女性にときめいたりと、
エンタメの要素もじゅうぶんで、
ゼロからはじまった登場人物たちの関係が、
だんだんとゆたかにからまっていく。
アイツはハンドベルを奪い返すためだけじゃなくて、諏訪高ハンドベル部の名誉を取り戻すために戦ったんだ

なんて、おもわずジーンとなった。
これはもうひとつの『バンド・オブ・ブラザース』だ。
つぎのページへすすむのが まちどおしいわくわく感を、
ひさしぶりに味わう。
本って、仲間っていいなーとおもわせる、極上の小説であり、
この本をよまないのはもったいない。
よみおえたあとのすがすがしさが格別だ。

posted by カルピス at 10:03 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月29日

「平成さいご」にうんざり

10連休がどうしたこうしたと、ガタガタさわぐんじゃない。
まいとしのように、年末年始のやすみをふくめ、
2週間ほど旅行するわたしは、
10連休なんて、たいしてありがたくない。
10連休にまいあがるほど、ながい休暇にこまってないぞ。

なんて、うそぶいていたけど、旅行ではなく
家ですごす10連休は、リズムをつくりにくいのもたしかだ。
家にいては、ただボンヤリの時間になってしまうので、
午前のうちにジョギングをすませ、からだと頭をリセットする。
でも、1時間半もひるねをしてしまい、
またまたどよんとしたからだになってしまった。

たてなおすために、本屋さんへ。
まえにしりあいがすすめていた『宝島』(真藤順丈)をもとめる。
2000円ちかくするのでためらっていた本だけど、
このまえ3000円する『クロストーク』をネットでかったし、
なによりも、この連休によんだ本として、記憶にのこしたかった。
あの年の10連休に、そういえば『宝島』をよんだなー、みたいに。

世間は「平成さいご」でかまびすしい。
Jリーグタイムでは、平成さいごのゴールを
浦和レッズの興梠選手がきめたとほうじていた。
とうぶん「平成さいご」、
そして、「令和さいしょ」がさわがれそうだ。
わたしは年号をつかわないので、
個人的には「平成さいご」にも「令和さいしょ」にも
まったく興味がない。

連休ちゅうにとりくむ仕事として、
・稲の種まき
・30キロのながあるき
・KDPによる本づくり
をあげている。
「稲の種まき」はすでにすませたし、
「30キロのながあるき」はお天気をみて実行にうつす予定だ。
問題は、「KDPによる本づくり」で、
連休ちゅうにとりくむぞ!だけでは、
からふりになるのが目にみえている。
いつ、どうやってとりかかるのかを、具体的にきめないと、
10連休などすぐにおわってしまうだろう。
あしたからちゃんと、とりかかろう、
と、みごとにわるいスタートのお手本となりそうだ。

もうひとつ、母親の米寿のいわいというタスクがあった。
連休ちゅうに、姉夫婦(とメイ2人)がやってくるので、
それにあわせ、ことし88歳になる母親の米寿を、
どんな形であれ、なんとかおいわいしたことにしたい。
焼肉屋さんかもしれないし、スーパーでかってきた
おすしとおそうざいになるかもしれない。
赤いチャンチャンコをプレゼントする、
ちゃんとした会ではなく、なんちゃって米寿の会だ。

わたしの母親は、むすこのわたしがいうのもなんだけど、
なにごとにも感謝し、おおくをもとめず、
質素なくらしで満足する、仙人みたいな人間だ。
ごはんやおかずは、のこりものからたべるし、
朝ごはんのときにいれた玄米茶を、昼ごはんのときも、
急須にはいっているお茶っぱをすてないで、そのままつかう。
母親みたいな人間ばかりなら、
地球は環境問題にこまらないし、世界は平和になるだろう。
唯一の失敗が、わたしを わたしのような
わがままな人間にそだてたことで、
なんちゃって米寿の会などでごまかされてしまうのも、
わたしへのしつけをまちがえた結果ともいえる。
そういう意味では、身からでたサビ、
といえなくもない(ほんとうか?)。

posted by カルピス at 20:34 | Comment(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月28日

「本の雑誌が選んだ平成30年間の第1位30冊」は、「佐藤」作品がつよい

「本の雑誌が選んだ平成30年間の第1位30冊」
http://www.webdoku.jp/newshz/zasshi/2019/04/23/100830.html

「本の雑誌」は、毎年1月号(発売は12月なので)に
その年のベスト10を発表している。
「本の雑誌」の社員が座談会をひらき、
それぞれが気にいった本を推薦する、という方法だけど、
それがまたけっこうどうでもいいはなしあいだ。
社員のちから関係や、声のおおきいひと、
なんとなくの雰囲気がきめてとなる、
あそびみたいな企画、といってよい。
こんかい紹介する「平成30年間の第1位30冊」は、
30年にわたるベスト10のつみかさねを、
1位だけにしぼってまとめたものだ。

この記事も、
きちんと議論もせず、声の大きい者、早く推薦した者の推薦本がいつも上位を独占している"ようなお遊び企画なので、決してここから平成という時代の世相が見えることはない。

とことわったうえで、30年をふりかえると、
"佐藤"が強い

という、おもわぬ傾向を指摘している。

平成9年(1997年)
『しゃべれども しゃべれども』佐藤多佳子
平成11年(1999年)
『双頭の鷲』佐藤賢一
平成12年(2000年)
『ジャンプ』佐藤正午
平成18年(2006年)
『一瞬の風になれ』佐藤多佳子
平成19年(2007年)
『ミノタウロス』佐藤亜紀
平成21年(2009年)『デンデラ』佐藤友哉

30回のうち、6回を「佐藤」がしめている。
ただの偶然にはおもえない割合だけど、
でも、これはきっとただの偶然だ。
ミステリーをよんでいると、
「偶然」なんて都合のいいことはありえないことをまなぶ。
「偶然」にみえても、きっとそれは
だれかが意図的にしくんだワナとおもってまちがいない。
しかし、「本の雑誌」の場合、
だれかが情報を操作するような勤勉な会社ではないので、
「佐藤」姓がおおくても、ただの偶然だとしんじて大丈夫だ。

「佐藤」作品のうち、3冊をわたしはよんでいる。
・『しゃべれども しゃべれども』佐藤多佳子
・『ジャンプ』佐藤正午
・『一瞬の風になれ』佐藤多佳子
どれもおもしろかった。さすがに「佐藤」はつよい。

「佐藤」以外によんだ1位作品は、
・『流星ワゴン』重松清
・『風味絶佳』山田詠美
・『ふがいない僕は空を見た』窪美澄
・『なぎさ』山本文緒
の4作で、これもまた、どれもそれぞれおもしろかった。
「佐藤」作品との差は、わたしにはわからない。

あたりまえだけど、姓による差なんて あるわけがない。
はじめに紹介したように、
1位になるか、10位になるか、それともランク外かは、
座談会の雰囲気できまる。
1位の作品が、10位よりも、
ずっとおもしろいとはかぎらないわけで、
30年間のベスト1位といっても、
ほとんど意味をもたない「まとめ」でしかない。
といいつつも、
「佐藤」がつよいのは、なんでだ。

posted by カルピス at 22:21 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月27日

自然農法による5年目の米づくり

自然農法による米づくりが5年目をむかえた。
自然農法なので、田んぼをたがやさず、田うえもしない。
種もみを田んぼの土とまぜ、泥団子にしてから、
田んぼへ直接まいていく。
でも、1年目に18キロの収穫があったきり、
あとの3年はさっぱりだった。
なにがわるいのか、わたしにはわからない。

そんな状況を、田んぼのもちぬしが、気のどくがってか、
このままではラチがあかないとおもったのか、
ことしはトラクターで田んぼをおこされてしまった。
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自然農法といいながら、なにもしない田んぼに
業を煮やされたみたいだ。
自然農法をめざすわたしからすると、
トラクターによる土おこしは 残念だけど、
どうとりくめばいいのか、わからなかったのもたしかだ。
はじめてのこころみとして、おこされた田んぼをうけいれる。
田んぼはたがやされてしまったけど、
とりくみはこれまでの種まきとおなじだ。

・田んぼの土と種をまぜて、泥団子をつくる
・それをちいさく くだいて田んぼにまいていく
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すごくシンプル。
4時間ほどで、すべての作業をおえる。
クワでたがやしたり、苗をうえたりしないので、
たいした労力ではない。
いつもは、雑草だらけの草むらに
泥団子をまいていくかんじだけど、
ことしは たがやされた田んぼにまいたので、
うまくいきそうな手ごたえがあった。
これであとは水管理と、アゼの草かりだけをすればいい。
うまくいけばいいけど。

posted by カルピス at 20:49 | Comment(0) | 農的生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月26日

ティーポットをかってお金をしはらったら、「これでビールをかいます」といわれた

ティーバッグでばかり紅茶をいれるのは、
なんだかものたりないし、さみしくもあるので、
ティーポットがほしくなった。
ティーバッグのまえは、急須でまにあわせていたけど、
紅茶をたのしむ雰囲気から いくぶんはずれてしまう。
とはいえ、ネットをみても、
いいかんじのポットがみつからない。

職場の介護事業所がひらいているカフェで、
ハーブティーを注文したら、
ガラス製のティーポットにいれられて でてきた。
ちょうどいいおおきさだし、シンプルでわたしごのみだ。
どこでかったのかたずねると、
わたしがアルバイトをしているハーブショップだという。
まさかそんなに身ぢかなお店だとはおもわなかった。

きょう、アルバイトにいったとき、
カフェでみたティーポットをたずねた。
一人用と二人用があり、値段は400円しかちがわない。
すこしまよったけど、一人用でも280ccはいるので、そっちにきめた。
レジでお金をはらうと、お店のひとが
「これでビールをかいます」と
笑顔ながら きっぱりいわれた。
貴重な現金収入だったわけではないだろうに、
なぜそういわれたかわからないけど、
わたしのかいものが、もしほんとうに
みなさんのビールへと姿をかえるのなら、
客として、こんなにうれしいことはない。
切実さがにじみでるセリフに、お金をはらいながらも、
こうした場面では かんじることのない、みたされた気もちになれた。
クールに対応されるより、ビールがのめるからうれしいと、
率直によろこばれるのもまた いいものだ。
今夜のビールに直結する 生活感が なんともいえない。
おかげでお米がかえます、
なんてうちあけられたら、ちょっとつらいけど、
ビールとなれば、 はなしがぐっとカジュアルになる。
190426ティーポット.jpg
じっさいにティーポットをつかってみると、
フタが茶こしをかねており、
わざわざこし器をもちださなくてすむ。
ややこしいポットほどめんどくさくないので、
ふだんからつかえそうだ。

posted by カルピス at 23:05 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月25日

シャンプーがうまくなれば、ほかの仕事もできるようになる

NHKの「カルチャーラジオ」をぼんやりきいていたら、
美容業界での常識として、
シャンプーがじょうずにできるひとは、
ほかの美容技術もだんだんのびてくる、
というはなしが耳にはいってきた。
どういうことかというと、シャンプーをつうじて型をつくるのであり、
その型から技がうまれるらしい。
シャンプーの技術をたかい水準まできわめたひとは、
試行錯誤しながら身につけた一連の経験を、
ほかの仕事にも応用できる、という意味なのだろう。
すっかり感心してしまった。
講座名は「中国古典『易経(えききょう)』から学ぶ帝王学」で、
講師は竹村亞希子さん。

野球でいえば、すぶりだけをいくらくりかえしても 型はできない。
コンビネーションプレーとして、一連のながれ、
たとえばセカンドゴロをうたせて
ダブルプレーをとるのがうまくできるようになったチームは、
その技術が足がかりとなり、ほかの連携プレーも身につけやすい。

映画の『ベストキッド』みたいに、
なんの練習かわからなまま、とにかくくりかえすうちに、
自然とからだにカラテのうごきがしみこんだ、というのは、
映画としてはおもしろいけど、
無意識・無自覚にいくら練習しても型はできない。
あたまとからだをつかい、全力でとりくんだ経験が、
ほかの技術を身につけるときにもいきてくる。
シャンプーをつうじてつちかった、
かんがえ方やとりくみ方を、よこやたてにひろげていくだけで
ほかの仕事にもいかせるようになる。
よく、成功体験が必要だといわれているけど、
成功した体験をいかして 型をつくりやすいからなのだろう。

竹村さんのはなしは、ほかにも
龍と雲のはなしがおもしろかった。
龍と雲はセットなのだそうで、
雲のないところに龍はいないという。
陰と陽のはなしなど、すごくわかりやすい。
わかりやすいけど、すぐに頭からぬけていく。
易経(えききょう)について、もっとしりたくなった。

posted by カルピス at 22:29 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月24日

村上龍さんのおかげで、トランプ大統領にくだされた「黒ときめられないけど、白ともいえない」がとてもよく理解できた

アメリカ合衆国のトランプ大統領に うわさされているロシア疑惑が、
黒ときめられないけど、白ともいえない、と判断された。
そういうのって、たしかにある。
まえに村上龍さんの『55歳からのハローライフ』をよんだとき、
映画「真夜中のカウボーイ」のパクリとおもえる箇所があった。
からだの具合がきわめてわるくなっているツレを、
ふるさとの町につれてかえろうと、バスにのる場面だ。
そっくりそのままではないので、
パクリときめられないけど、かといって
パクリでないとは、これまたぜったいにいいきれない。
村上龍さんが、「真夜中のカウボーイ」をしらないわけはなく、
なのになんでおなじような設定をもってきたのだろう。
パクリではなくオマージュ、と いいわけはできない。
パクってない、といいはることはできても、
よむほうにとっては、かぎりなくどこかでみた場面だ。

似たような商品をつくっている会社にたいし、
不正なコピーだと、裁判ざたになっているのをときどきみかける。
車や自転車などは、機能的に 似たような商品なのだから、
デザインがよくにてもしかたがないようにおもう。
映画や小説だって、人間がすることに そうちがいはないだろうから、
似たような場面をみかけることもあるだろう。
ただ、それが確信的にパクろうとしたものなのか、
人間の無意識がつくりだした偶然なのかは
よんでいればだいたい見当がつく。

トランプ大統領は、おそらく黒だろうし、
村上龍さんの小説も、「真夜中のカウボーイ」から
安易にかりてきたようにおもえる。
龍さんのおかげで、トランプ大統領にくだされた、
「黒ときめられないけど、白ともいえない」
の判断が、とてもよく理解できた。

posted by カルピス at 21:41 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月23日

トレーニング初心者や中級者のはなしがすき

NHK-FMで音楽遊覧船をきく。
今週は、向谷実さんが担当する
「ミュージックエクスプレス」で、
例によって電車とはまったく関係ないはなしでも、
鉄道にのって旅にでるコンセプトだけはくずさない。

きょうは、スタートアップにふさわしい曲の特集で、
ジムやジョギングなどできくと、
からだを自然とうごかしたくなるような曲がかかる。
向谷さんは、定期的にパーソナルトレーニングをうけているそうで、
ときどきそこでのトレーニングを話題にだされる。
わたしがきいたりよんだりするとき、
トレーニングや映画についてふれられると
どうしてもきき耳をたてる。
本や音楽についてのはなしもすきだ。
ひとがどんなトレーニングをしているか、
あるいは、どんな本をよんでいるかに興味があるけど、
そんなブログにはなかなかであえない。
べつに、専門的なくわしいはなしがしりたいのではない。
あまり運動をしなかったひとが、
ひさしぶりにトレーニングをはじめたとか、
めったに映画をみないけど、このまえの◯◯がよかった、
みたいな どうでもいいはなしがすきだ。

きょうの番組では、向谷さんが、奥さんにさそわれて、
ジムで自転車こぎをした体験をはなされた。
奥さんにできるのだから、オレだって、と、
かるい気もちではじめたのに、
さいごまでつづかずにたおれてしまったという。
すこしかっこわるいおもいでばなしとともに、
そのときにながれていた曲を紹介される。
トレーニングについて、あるいは
音楽について、といっても、
そのていどのはなしがわたしにはちょうどいい。
その道をきわめたひとのはなしは、それはそれでおもしろいけど、
初心者や中級者のおもいというは、
あまり発信されていないのではないか。
ひくいはなしがわたしはすきなのかもしれない。
健康づくりのためにジムでマシンにとりくんでいるおじさんは、
いったいなにをかんがえて からだをうごかしているのだろう。

音楽は、あまり気がのらないときに、トレーニングをたすけてくれる。
わたしがふだんどんな曲をきいてはしっているかというと、
トレッドミルのときは「ブルース・ブラザース」のサントラがおおい。
おなじアルバムではじきにあきてしまうので、
ときどきべつの曲にかえる。
わたしぐらいトレーニング歴がながいと、
すこしぐらいアップテンポの曲をきいたぐらいでは、
脳への刺激とならず、からだは反応しない。
音楽ではごまかせないぐらい、
からだはうごきたくないようだ。
わたしぐらいの、ひくいレベルの愛好家が、
なにをどれくらいトレーニングしているのか、わたしはしりたい。

posted by カルピス at 21:30 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月22日

ミルクティーその後、のつづき

ミルクティーが、なかなかうまくはいらない、
というはなしを まえの記事にかいた。
わたしは、紅茶というのみものが、かおりだけでなく、
あつさもたいせつな条件だとおもいこんでいて、
それが まちがいの第一歩だった。
煎茶はいったんお湯をさましてから
お茶っぱにそそぐので、
のむときはすでに適温になっている。
紅茶は、葉がよくひらくように、
熱湯をそそぐのがおやくそくで、
はいったお茶は、とうぜんすごくあつい。
はいりたての紅茶は のむにはあつすぎ、
おいしくのめるのは、すこし時間がたってからとなる。
それまではジタバタしないで、のみごろをまつ。
あついうちに、息をふきかけてさましたり、
コーヒーでよくやるように、カップを手にもって、
からだをあたためるのにつかうのは、紅茶の仕事ではない。
のみごろまで温度がさがった紅茶は、
たとえティーバッグでも それなりにおいしい。
あつさではなく、かおりをたのしむのが紅茶だ。
そんなことに、さいきんようやく気づいた。

ミルクティーは、あつくはいった紅茶に牛乳をいれるのだから、
とうぜん温度がさがり、そのままのめる状態となる。
牛乳のコクを味わうとともに、
すぐにでものめるのがミルクティーのよさでもある。
あついミルクティーがほしいからといって、
牛乳をあたためたりすると、紅茶の味がかわってしまう。
牛乳をそそぎ、ぬるくなったときが
そのままミルクティーの のみごろとなっている。
せっかちなひとむけの のみ方ともいえる。

コーヒーは、熱湯ではなく、すこしさめたお湯を豆にそそぐ。
はいったコーヒーは、その時点で
すでにだいぶ温度がさがっており、
すぐにでもカップに口をつけ、あつさをたのしみながらのめる。
ぬるくなったコーヒーは、味がおちてるような気がするけど、
しっかりした豆なら、すこしぐらい時間をおいても、おいしくのめる。
けっきょく、紅茶もコーヒーも、
あつさはそれほど必要な条件ではない。

ひやしてのむ酒は、たとえばジントニックなど、
ジンもグラスも冷凍庫にいれてひやし、
氷もおおきなロックアイスをつかい、
できるだけつめたくしてのむのが正解だ。
おなじように、お茶やコーヒーも、
あつさをたのしむのだから、できるだけあついほうが
おいしいにきまっている、とおもいこんでいた。
煎茶をのむには 適温があるように、
紅茶だって、ただひたすらあつければいいというものではない。
食後の紅茶は、食事がおわってからいれるより、
すこしはやめに用意してけば、
食事のながれのなかで紅茶をたのしめる。
ひとりでこれをやると、バタバタとおちつかないから、
できるだけ めしつかいか 執事がいれてくれたほうがいい。

posted by カルピス at 21:33 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月21日

携帯電話は映画になじまないのでは

せんじつみた『グリーンブック』がなぜわたしに
すごくしっくりきたのか、
べつの映画をみていておもいついた。
携帯電話が画面にでてこなかったから、ではないか。
携帯が標準にある世界は、映画にむかないのでは、
というのがわたしの仮説だ。
『グリーンブック』は1962年が舞台となっているので、
いわゆる固定電話はふつうにでまわっていても、
テレビはブラウン管で、携帯はもちろんまだ姿をみせていない。
いつでもどこでも連絡がとれる携帯があると、
なんでもできてしまい 作品がばたばたしてしまう。
パソコンなどのIT機器についてまで、
はなしをひろげないでおこう。
だれもがあたりまえのように
個人の電話をもつようになったのが、
映画のおちつきをなくしたとだけ指摘しておく。

きわめて個人的な感想だけど、映画の舞台は
1980年代までにとどめたほうが
おちついて作品の世界にひたれる気がする。
ただわたしが比較的ふるい映画をこのむだけで、
ただのいいがかりかもしれないけど、
現代は、映画としてあつかいにくい時代なのではないか。
ふるいからよくおもえるのではなく、
携帯電話がないからうまくいっている、とおもえば
すべてがすっきり説明できる。
携帯やスマホを、あたりまえの環境として
頭と肌になじませた作品が、これまでにあっただろうか。

例外は『パルプ・フィクション』で、
1994年につくられたこの作品には、
かなりおおきいけど、れっきとした携帯電話がでてくる。
ボスの女(ユマ=サーマン)が大量のコカインをすって
ショック状態になったとき、
トラボルタがおおあわてで あちこちに携帯をかけまくっていた。
一生懸命になにかをすると、
たとえ悪人でも浄化されると宮崎駿氏がかたっているように、
必死に全力をつくす姿は、たとえ携帯電話をつかっても
クールな印象はなく、ただせっぱつまったかんじしかしない。
携帯の弊害をけすためには、がんばってしまうしかない。
現代は、正面きってがんばれない時代なのかも。

わたしがすきな『スタンド・バイ・ミー』・
『ブルース・ブラザース』・『カサブランカ』
『グッバイ・ガール』・『耳をすませば』。
ぜんぶ携帯電話のない世界だ。
ひどい いいがかりなのを承知したうえで、
わたしはひらきなおってといたい。これは偶然だろうか。

posted by カルピス at 21:28 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月20日

ただのゴミでも ひとは肯定されるとうれしくなる

デイリーポータルZで、
「大事なゴミを見せあう会」
のようすが紹介されている。
https://dailyportalz.jp/kiji/treasure_or_trash
これまでだいじにとっておいた、
フツーのひとからみたら、ゴミでしかないものを
みんなでみせあう会。
参加者は、デイリーポータルZのライターをつとめる
きだてさん・伊藤さん・西村さんに、
編集長の林さんという4名だ。

4人がもちよってきたものは、
たしかにゴミみたいなものだけど、
参加者はおたがいに「いいじゃん」「欲しい」
と肯定的な発言をしはじめる。
すると、会の方向性がさだまり、
なごやかな雰囲気がただよってきた。
たとえゴミのようなコレクションでも、
じぶんでもゴミだろうとおもっていても、
まわりがみとめてくれるとじわじわとうれしい。
うそでもいいから肯定しあうのって、すごくだいじだ。

そんななか、伊藤さんが
「カップ焼きそばの中ぶた」という
すごいコレクションをもちだしてきた。
林  なんで集めてるんですか
伊藤 理由は分からないんですけど捨てるに忍びなくて。
   それぞれ湯切り口の形が違うんですよ。
   車で言えばグリルの表情が違うような味わいがある。
西村 ロールスロイスとかベンツとか

西村 これ実は大切で、ゴミって後で見ようと思ってもないんですよ。みんな捨てるから
(「そりゃゴミだからね」と皆さん読みながら突っ込みをお願いします。) 
きだて 誰かが持ってないと歴史に残らない。メーカーですら捨てちゃったりしますから。
林  歴史を残すために僕らは自宅のスペースを提供している

林さんは、家庭教師のチラシをあつめているといい、
台割のパターンをみんなに説明している。
どこもまず1ページめで勉強が苦手な子ほど大丈夫、勉強のやりかたをわかってないだけって書いてあります。そのあとは体験学習、電話番号、Q&A、先生紹介という流れです。

どんなにゴミとしかおもえないものでも、
まなぶべきなにかがあるようだ。

伊藤さんは、不用品回収業者のチラシをもってきた。
それをみた西村さんが、
ポストに入ってるやつですよね。これは捨てるな。さすがにおれも

ゴミに貴賎はない、とおもっていたら、
やっぱりそれなりに限度があるらしい。
わたしには、家庭教師のチラシと
不用品回収業者のチラシとの差が
なんなのか、よくわからない。

まとめは林さんによる、
「博物館を作るしかない」だ。
伊豆あたりにライターが持っている物を集めた博物館を作ろうという話をよくしている。僕らが館長となって来た人を捕まえて長い説明をするのだ。
20年後の北村ヂンさんみたいなライターがやってきて『どうかしてる博物館があって館長がまたおかしい!』という記事を20年後のデイリーポータルZみたいなサイトに書くのだ。
輪廻だろうか。

posted by カルピス at 20:05 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月19日

『自作の小屋で暮らそう』(高村友也)月2万円でのベーシックライフ

『自作の小屋で暮らそう』(高村友也・ちくま文庫)

なんで「自作の小屋で暮ら」すのかというと、
あまりお金をつかわずに生きたいからで、
著者はそうした生活を「Bライフ」と名づけている。
路上生活者の段ボール小屋とちがうのは、
だれにも文句をいわれないで、
自由にねっころがっていられる場所をもとめての
小屋づくりだから。
「B」はベーシックの「B」だ。必要最低限の生活。
似たような本はたくさんみかけるけど、
この本が類書とちがうのは、特別な知識や技術がなくても
幼稚ともいえる素人のこころみで なりたっている点にある。
小屋をたてるのもそうだけど、トイレや排水システムなど、
大工仕事がじょうずなひとでなくても、
たいしてマメな性格でなくても、
つまりわたしのような人間にも
できそうなのがBライフだ。

著者は、しずかでいごこちのよさそうな雑木林に目をつけ
最小限のひろさの土地を 68万円までねぎって手にいれる。
そこにツーバイフォー工法で10平米の小屋をたてた。
費用は全部で10万円強。
土地をかい、小屋があれば、そこはもう自分の家だ。

毎月の生活費がのっている。
・食費 1万円
・ガソリン 200円
・インターネット 5000円
・年金 0円(全額免除)
・健康保険 1500円(7割免除)

など、合計で2万円となっている。
電気はソーラーパネルで、ガスはカセットコンロ、
排泄物や生活用水は畑にもどし、
洗たくやちかくの川、お風呂はときどきの銭湯。
「多少の汚れは気にしない」のだそうだ。
もしも2万円でくらせたら、1日8000円の仕事を
月に数回やれば生きていける。

税金と社会保険についても
こまかなしくみが紹介されている。
収入がすくなければ、
税金や社会保険がほとんどかからないそうで、
生活費一覧にのっているように、
国民年金は全額免除、健康保険は7割免除となる。
それでも年金は半額おさめたものとして計算されるので、
65歳以降は毎月3万円もらえるというから、
収入がすくないのもわるいことばかりではない。
日給を8000円として著者が試算すると、
週1日くらいでのんびり働きながら(30歳から)65歳までBライフしたとすると、年金をもらう頃には840万円の貯金ができる。

というから、会社づとめがバカバカしくなる。

とはいえ、Bライフをおくるよりも、
フツーの生活のほうが「お得」なのはたしかで、
それなのに、なぜ高村さんはBライフをえらぶのか。
まとめにあたる「なぜBライフか」で高村さんは、
「自由」をあげている。
最後に、「自由」という動機がある。言葉にしてしまうとこれほど色褪せてしまう概念も珍しく、できれば自分からは口に出したくない言葉だが、これを挙げなかったら嘘になってしまう。

本書が単行本として出版されたのは2011年で、
文庫本となったのが2017年。
5年半のあいだに、状況はいくらかかわったものの
(インターネットがやすくなったり)、
高村さんはいまも小屋でのくらしをつづけている。

posted by カルピス at 20:13 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月18日

田村亮さんがかかげるエンジョイ ランに共感する

3月まで、25分ずつの番組としてたのしんでいた
「ランスマ」と「チャリダー」が、
4月から それぞれこれまでの倍の 50分枠となった。
「ランスマ」は水曜日の夜9時から、
「チャリダー」はこれまでどおり土曜日の6時から放送されている。
これまでの倍も時間がのびたのだから、
番組がゆったりとした構成になった。
まだどちらも時間配分になれてないかんじで、
50分をもてあましてるようにもみえる。
つまらないのではなく、スタート直後ならではの、
新鮮さがつたわってきて好感がもてる。

先日の「ランスマ」は、田村亮さんが
ラン✖︎エンジョイをかかげ、ハーフマラソンに参加していた。
熊本県の「横島いちごマラソン大会」が舞台で、
タイムにこだわるのではなく、
はしるたのしさを おおくのひとにつたえるのが 亮さんの目的だ。

大会の制限時間は2時間30分。
フルマラソンのベストタイムは4時間18分だけど、
しばらく練習してないので、
完走できるかどうか心配、という男性に、
亮さんがつきそってはしった。
はじめはいいかんじだったのに、
後半になると足がでなくなり、たちどまりそうになる。
そんな男性に、亮さんは適切なアドバイスをおくり
(たおれそうなからだをささえるイメージで、など)、
男性の精神的支柱となる。
まわりにいたランナーにも亮さんはこまやかに声をかけ、
だんだんと亮さんのまわりに集団ができてきた。
うごかなくなるからだをはげましながら、
集団はぶじに2時間25分でゴールする。

番組をみるまえに、たまたまわたしもはしっていた。
7.5キロコースを1時間というゆっくりランだ。
風がつよく、からだがなかなかまえにすすまない。
そんななかでも めずらしくたのしい気分ではしった。
その直後にランスマをみたせいか、
ゆっくりたのしんではしろうという亮さんに共感する。
ハーフマラソンというと、つい2時間をきろうなど、
タイムにこだわってしまいそうだけど、
制限時間をいっぱいにつかって、大会の雰囲気や、
まわりのけしき、エイドステーションでのたべものなど、
たのしむのを目的とした参加も またありなのだと気づかされる。

大会には91歳の男性も参加し、
きょねんにつづいてみごとに完走された。
あるく時間もあったけど、
ラストはみごとなはしりでゴールされている。
タイムにこだわると、のびしろのないわたしは
フルでもハーフでも、はしればはしるだけ
ベストタイムからとおざかっていくだろう。
それをおそれてレースへ参加する意欲をなくしていたけど、
はしるたのしさを目的とする参加でもいいのだとおもった。

番組では金さんが
「長距離にまぐれはない」
といっていた。
練習せずに参加しても、なんとかなるのは わかいうちだけだ。
わたしぐらいの歳になると、練習したちからを
レースでそのままだせたら それでじゅうぶんといえる。
たのしさをかんじられるペースで、
ゆっくりながくはしるのが、わたしのレーススタイルだとさとる。

posted by カルピス at 21:23 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月17日

「私がロト7に当たるまで」(宮田珠己) 当たらなくても人生は続く

『本の雑誌』に連載ちゅうの
「私がロト7に当たるまで」(宮田珠己)をたのしみにしている。
まだおおきなあたりにはめぐまれないけど、
当選金をえたはなしが ときどきのるようになった。
とはいえ、ロト7でくらしていくには、
当然ながら、かなりおおきな当選金をえる必要がある。
それまでとにかくいきのびるなければならない。
5月号にはそのためのこころがまえかかれている。
徐々に可能性を感じさせつつあるわがロト7生活だけれども、万が一当たらなくても人生は続く。その準備も平行して進めておかなければならない。(中略)
 我が家も子どもたちが高校や大学への進学を控え、家計はいよいよ厳しくなってきた。とりあえず現実的な手立てとして、生活をコンパクトにし収入がすくなくても生きていける暮らしに修正していく必要がある。

「生活をコンパクトにし収入がすくなくても生きていける暮らし」
のために、宮田さんは断捨離がだいじ、というけど、
具体的にはできるだけ支出がすくないくらしをめざしたほうがいい。
収入がすくなくても、支出もまたすくなければ なんとかなる。
これからすくなくなるという年金だけでくらしていければ、
将来への不安はすくなくなり、
おもいっきり「ロト7」にちからをささげられる。
「私がロト7に当たるまで」という
威勢のいいタイトルとはうらはらに、
くらしをきりつめて生活するコツへと、焦点がうつっていく。
現実的は、あたらない確率がたかいのだから、
ロト7でゆたかなくらしを手にいれるうごきと、
それまでいきのびるうごきを、平行しておこなう必要がある。

いま『自作の小屋で暮らそう』(高村友也)をよんでおり、
そこには月2万円しかお金をかけないくらしが紹介されている。
2万円でなんとななるのなら、
あまりはたらかなくても大丈夫そうだ。
そうなれば、とくにロト7があたる必要がなくなるわけで、
連載の趣旨とだんだんはなれていく。
ロト7をあたるまでつづけていると、
ロト7があたらなくてもいい状況になる、
という矛盾がおもしろい。

posted by カルピス at 22:27 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月16日

ドクのまねをして寝酒にカティサーク

ゆうべは寝酒にカティサークをのむ。
映画『グリーンブック』で
ドクが毎晩1本あけていたウィスキーだ。
みどり色が特徴的な背のたかいボトル。
ブレンドされたスコッチウィスキーで、
しかも1本1000円ぐらいとやすい。
ドクのまねがしたいだけなので、もちろんストレートにする。
上流階級にぞくするドクが、なぜカティサークにこだわるのだろう。
どんなメッセージがこめられているのか、
あるいは、なにかのコンプレックスと関係があるのか。
ドクのふるまいからは、ウィスキーなら
シングルモルトがにあいそうなのに。

そだちや環境に、ドクがふかい闇をかかえているとはいえ、
毎晩1本のウィスキーは度をこしている。
からだに、ましてや演奏にいいわけがない。
それでもドクは1本のウィスキーを あけずにおれなかった。
映画のなかでドクがカティサークをのむとき、
ただぼんやりと椅子にすわり、
チェイサーもなしにショットグラスを口にはこんでいる。
おいしいからのむというよりも、孤独さがきわだつのみ方だった。

黒人専用のクラブでトニーが
「カティサークと今夜のスペシャル」を注文する。
「そんな気どった酒、おいてあるわけないでしょ」
とじゃけんにあつかわれるのかとおもっていたら、
すぐにつうじた。
ドクがバーボンをのまないのはわかる気がするけど、
黒人専用のクラブでスコッチというのは意外だった。
アメリカで、カティサークがどういう存在なのか
わたしには知識がないので、不思議におもえた場面だ。

『グリーンブック』をみたあとで
フライドチキンをたべたくなったひとはおおいだろう。
カティサークもまた、あの映画のあとでは
必然的にからだがもとめる酒だ。
いつもバランタインの水わりをのんでいるわたしは、
カティサークのやすっぽい味わいに したしみをおぼえる。
ドクとはちがい、1/5ほどのめば、寝酒としてじゅうぶんだった。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月15日

いまさらながらだけど、Bluetooth対応のCDラジオがすごく便利だ

職場のクッキー工房には、わたしが家からもってきた、
きわめてふるいラジカセしかなかったので
(レトロなラジカセ、といわれたこともある)、
まともなプレーヤーをかいに 100満ボルトへでかけた。
4月からあたらしい利用者がはいったこともあり、
休憩時間に音楽をたのしんでもらうためでもある。

ちなみに、「ラジカセ」は、
ラジオとカセットテープがきけるプレーヤーのことで、
CDとラジカがきけるプレーヤーは、CDラジオというらしい。
お金をかけずにすまそうとおもえば、
CDラジオが4000円ぐらいであるけど、
どうせかうなら、Bluetooth対応の機種がほしくなった。
いちばんやすくて1万2000円ほどだ。
ボタンのあつかいがわかりにくそうだったけど、
ただのCDラジオよりも、Bluetooth対応のほうが魅力的なので、
まよわないで そっちにきめる。
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クッキー工房にもどると、さっそく箱をあけて
CDラジオをためしてみる。
Bluetoothの設定をしてからスマホでユーチューブをひらくと、
あたりまえながら CDラジオから音がながれる。
Bluetoothの手がるさと威力に感心する。
CDをいれかえずに、スマホの曲をきけるのは すごく便利だ。
わたしがこれまでしらなかった たぐいの便利さで、
昭和うまれのおじさんは感心するしかない。
これからのプレーヤーは、 CDをあつかうよりも
Bluetooth機能をいかしたスピーカーであると おもいしる。

こんなCDラジオが1万円ちょっとでかえるのなら、
自分の部屋にもほしくなった。
ただ、さすがに1万2000円ていどの品は、
ちいさなスピーカーなので、あまりおおきな音はもとめられない。
ちゃんと音楽をたのしむのなら、
それなりに おおきなスピーカーにしたほうがよさそうだ。
いずれにしても、これからはBluetoothのほうがずっと便利だ。
CDをあつかわずに音楽をたのしむ時代が、
すぐそこまできているのを実感する。
というよりも、いまがまさにそのときなのかも。

posted by カルピス at 21:56 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月14日

『グリーンブック』わたしごのみの作品。ぜんぜんながくない

『グリーンブック』
(ピーター=ファレリー:監督・2018年・アメリカ)

いまさらながらの『グリーンブック』。
いい評判をあちこちできき、たのしみにしていた。
黒人のピアニストと、彼にドライバーとしてやとわれた白人が、
1962年という時代にアメリカのディープサウスを演奏旅行する。

ピアニストのドン=シャーリーは、黒人ながら
上流階級にぞくするインテリで、
博士号を3つもっていることからドクターとよばれている。
ドライバーをつとめるトニー=リップは、
ブロンクスそだちのイタリア系白人だ。
運転技術だけでなく、トラブルをうまくまるめこむ
世わたりじょうずなところをかわれ 運転手としてやとわれる。
教養のある黒人と、がさつな白人という、
一般的な立場とは反対のふたりが、8週間の旅をスタートさせる。

おとずれるさきが黒人差別のはげしいディープサウスなのだから、
当然なんだかんだとトラブルがおこる。
ピアニストのドンにたいし、おもてむきは歓迎しながらも、
外にあるトイレをつかうよう さらっといわれたり、
楽屋がせまくるしいものおきだったり、
スーツをつくろうと店にはいっても、試着させてくれなかったり、
ホテル主催のコンサートなのに、
そのホテルにあるレストランにいれてもらえなかったり、
黒人は夜であるいてはいけないと、
警官からいやがらせをうけたり・・・。

映画のはじめに登場してきたトニーは、
どうやったらこんなに
下品な表情ができるのかとあきれるぐらい、
教養のない乱暴ものだったし、
おまけに差別主義者だったけど、
ドンとの旅行をつうじてしだいにかわってゆく。
妻に手紙をかくようになり、窓からみえる景色に、
アメリカのうつくしさを再確認し、
音楽家としてのドクへの敬意がめばえる。

それにしても、トニーのたべっぷりはすごかった。
おおぐい競争で26個のホットドッグをつめこみ、
妻がつくってくれた特大のサンドイッチを
ドクのぶんまでむりやり口におしこみ、
ホテルの部屋では直径1メートルありそうなピザを
2つにおりたたんで、そのままかぶりつく。
ドクもまた、毎晩1本のカティサークを
ストレートでのむほど、ありえない習慣をつづけている。
この映画の教訓は、めちゃくちゃな食生活をしても、
あんがいながいきできるので心配するな、となる
(ふたりとも2013年まで生きたらしい)。

クリスマスの夜、ようやく家にたどりついたトニーは、
家族や一族から歓迎されつつも、どこかうかない表情だ。
「ニガーとはたいへんだったか?」とたずねられたトニーは、
「ニガーはよせ」と相手をたしなめる。
トニーのかわりように、場がしらけた雰囲気になるところを、
奥さんのドロレスが、子どもがテレビにのぼったとか、
テレビの配線で感電したらたいへんだとか、
すごくどうでもいいはなしをもちだして、場をおさめる。
そのすこしあとに、質屋の夫婦がたずねてくる。
「冗談でさそったのに。でもまあはいって、はいって」と
トニーの一族がようこそ、とうけいれていると、
ドンが玄関のとびらから顔をみせる。
「メリークリスマス」というドンに、
みんなは一瞬かたまったけど、すぐに
「さあ彼に席をあけて」と
全員がドンをあたたかくむかえいれる。
ひとりでさみしくクリスマスをむかえるドンが、
トニーの家にきたらいいのに、とおもっていたら、
そのとおりの展開になった。
まったくのハッピーエンドがバッチリきまる。

テレビの配線などのどうでもいいはなしや、
質屋の夫婦を登場させて場をつなぎながら、
ドンが自然にうけいれられる状況をつくった
こまやかな脚本がすばらしい。
アカデミー作品賞だけでなく、脚本賞もあげたい、
個人的にわたしがかってにあげよう、とおもっていたら、
ちゃんと脚本賞もとっていたので安心する。

映画のあとで、夕ごはんにツレと居酒屋へはいる。
こんでいるので、と、ものおきみたいな部屋にとおされた。
デジャビュ、だ。ここはアメリカのディープサウスか。
注文したフライドチキンがとどくと、
メニューの写真とは まったく別なものがでてくる。
あまりのギャップに「これはなんですか?」と
ツレがおもわずたずねたくらいちいさい。
いまの時代にありえない 露骨な差別も、
『グリーンブック』をみたあとでは
むりやりな笑顔で「なかったこと」にできる。

posted by カルピス at 21:20 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月13日

『クロストーク』をよみおえる

『クロストーク』(コニー=ウィリス・大森望:訳・早川書房)

『クロストーク』をよみおえる。
ハヤカワのポケットブック版で、上下2段にくまれ、
解説をふくめると、ぜんぶで715ページある。
3000円もするし、やたらとながく、
にがてなSFなのによむ気になったのは、
書評番組の「北上ラジオ」で、
北上次郎さんが絶賛していたからだ。
http://www.webdoku.jp/column/radio/2019/0221113331.html
番組で司会進行をつとめる杉江さんは、
「読んでも読んでも終わらない」とブログにかいている。
こわいものみたさでよんでみたくなった。

SFといっても、基本的な設定は現代なので
SFにふなれでも すんなりよめる。
とはいえ、よみはじめが3月1日なのだから、
1ヶ月半もかけてよんだわけだ。
おもしろいけど、たしかに「読んでも読んでも終わらない」。
『カラマーゾフの兄弟』は、おおくの場合
よみとおすことが目的の読書となるように、
『クロストーク』もさいごまでよめた事実をまずよろこぶ。

相手がなにをかんがえているのかわかったら・・・、
とおもったことのあるひとはおおいだろう。
ことばをつかわなくても、相手の頭のなかをのぞけたら、
いま自分にたいしてどんな感情をもっているのかがわかる。
脳への簡単な手術で、そんなコミュニケーションを
かんたんにとれるようになるのが『クロストーク』の世界だ。
しゃべらなくても、あいてのかんがえが かってに頭にはいってくる。

でも、じっさいは、いいことばかりではなく、
ややこしい問題がたくさんでてくる。
特定の相手だけでなく、まわりにいるひとたち全部の「声」が、
ワッと波となって暴力的におしよせてきたらどうなるか。
自分への悪意であったり、まわりのひとについての悪態であったりと、
ひとの頭のなかは けしてきれいにまとめられてはいない。
しらないほうがいいことがおおいのに、
むりやりその波がおそいかかったくるのだから、
精神につよいダメージをうけてしまう。
ひとがたくさんあつまる場所、たとえば
コンサートや野球場などへいったらたいへんだ。

この技術を携帯電話のアプリにつかおうとするひとたちがいて、
携帯電話の開発をめぐり はなしがこじれていく。
もしいつもつかっているスマホの機能で、
相手のかんがえがダイレクトにわかるようになれば、
画期的なコミュニケーションとして
おおくのひとがもとめるだろう。
そして、あんがいちかい将来にそんな技術が開発され、
スマホについているあたりまえの機能になるような気がしてきた。
コミュニケーションの未来は、ことばなしで
相手のこころがわかる世界かもしれない。

たしかにながい小説だけど、
章のおわりに かならずとんでもないことがおこるので、
ついついさきへすすみたくなる。
大森さんの訳もこなれていて、とてもよみやすい。
ながさだけでなく、じゅうぶんたのしめる小説としておすすめだ。

posted by カルピス at 12:01 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月12日

ことばはどれだけ情報をつたえられるのか

「娘よ、好きに生きろ。仲間を大切にしろ。楽しんで暮らせ」
これは、本の雑誌の杉江さんが、
娘さんの卒業式でつぶやいたことばだ。
http://www.webdoku.jp/column/sugie/2019/03/16/141028.html
はなむけとして娘さんに直接はなしたのではなく、
ふしめをむかえる娘さんへ、胸のなかでかたりかけながら、
自分にいいきかせているかんじがする。
「好きに生きろ。仲間を大切にしろ。楽しんで暮らせ」
人生において、この3つくらい 大切なこころがまえはない。
すばらしいおくることばだ。

本の雑誌の方針は
「無理をしない。頭を下げない、威張らない」で
これもまたいい味をだしている。
会社として、こんなことなかなかいえない。

ソチオリンピックのときにみかけた
「HOT,COOL,YOURS」もよかった。
「熱く、冷静に、おまえのレースだ!」という意味らしい。

胸にひびくことばは数々あるけど、
でも、ことばって、ごくかぎられた情報しか
つたえられないとおもう。

「彼の家が火事でやけた」

文章としては、さらっとよめるし、
耳できいたときにもかんたんに理解できる。
でも、ほんとうに家をやかれた本人にとっては、
ものすごくたいへんな状況だろうに、
よんだりきいているぶんには 他人ごとでしかなく、
ほとんど胸にせまらない。
彼のつらさ、たいへんさは、
「彼の家が火事でやけた」
なんてことばでは とてもあらわせない。

「深海魚が、海底からいっきに海上にひきあげられ、
ショックをうけよわっている」

はどうだろうか。
よんでるほうはなんともないけど、
「いっきにひきあげられた」深海魚にしたら、
たいへんな事態だ。
ことばって、かんたんには 状況をつたえられない。
ことばの有限性を意識したほうがいいし、
ことばにたよりすぎて仕事をしたらダメだな、ともおもう。

わたしはむすこが高校を卒業するときに、
おくることばを なにもはなしていない。
胸のなかでつぶやきもしなかった。
3月の下旬に、語学留学でフィリピンへ出発するむすこにも、
「いってらっしゃい。げんきで」
しかいわなかった。
こまごましたアドバイスをかたってもしかたないし、
ことばでつたえられことは そうおおくない。
杉江さんのように、自分にいいきかせるぐらいしかできない。

posted by カルピス at 21:14 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月11日

女子サッカー親善試合、日本対ドイツ 相手キーパーにたすけられて2−2のドロー

ひさしぶりに女子サッカーの日本代表戦をみる。
W杯フランス大会を2ヶ月後にひかえての強化試合だ。
相手は世界ランキング2位のドイツ。
これまでの対戦成績は、1勝1分11敗というから、
かなりやりにくい相手であり、日本のちからがためされる。

ピッチにたつ選手をみると、8年前のW杯優勝、
あるいは、4年前に準優勝したときの主力メンバーは、
鮫島と熊谷しかいない(わたしがしらないだけかも)。
試合開始からドイツにおしこまれ、
ほとんどボールをもてない時間がつづく。
でも、前半35分に、相手ゴールキーパーのミスをつき、
はじめてはなったシュートで日本が先制する。
キーパーが不用意にけったボールを、
長谷川がループぎみにダイレクトでけると、
ボールはそのままゴールにすいこまれた。
長谷川は、こういうおもいきったプレーをじょうずにきめる。

後半にはいると、ドイツはますます攻勢にでてきた。
たかい位置からプレッシャーをかけてきて、
かんたんにボールをうばってしまう。
日本はなかなか相手陣内へせめこめない。
サイドに起点をつくられ、
クロスからヘディングをきめられて同点。
ただ、この試合で日本のゴールキーパーの平尾は、
なんどもファインセーブをみせてチームをすくっている。
もし平尾のはたらきがなければ、
5点以上はいっていたのではないか。
日本は、ほんのときたま、おもいだしたように
ボールがつながるときがあるけれど、
さいごまではせめきれない。
やりたい攻撃の形をみせてくれるのに、
ミスから相手にボールをわたしてしまう。

日本の2点目は、またしても
相手ゴールキーパーのミスをついたものだ。
キーパーが、味方にけったボールを、
日本がすばやくうばって得点にむすびつけた。
これだけザルのキーパーは、そうおめにかかれない。
日本は、彼女の貢献がなければ、
無失点におさえられていたかもしれない。
そのあとも、あわや3点目になりかねないキャッチミスがある。
強化試合とはいえ、これだけすくいようのないミスをしてしまうと、
大会本番では、まず彼女のたすけを期待できないだろう。

ドイツは迫力のある攻撃をみせたものの、
最後のところをきめきれない つたなさもめだった。
日本は、あれだけミスからボールをうばわれなければ、
かてた試合だったともいえる。
日本選手では、前述したキーパーの平尾のほかに、
あとからはいった横山と小林がいいうごきをみせていた。
それにしても、ピッチに阪口や宮間、
川澄の姿がみられないのはさみしい。
W杯では、どういう選手がえらばれるだろうか。
6月からはじまるW杯の本番がたのしみになってきた。

posted by カルピス at 22:05 | Comment(0) | 女子サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする