2019年04月10日

どうかいてもだいたいオッケーな「令」という字

あたらしい元号となった「令和」。
「令」という字をあらためてよくみると、
そういえば、いままでどうやって
「令」をかいていたのかわからなくなってきた。
活字と手がきでは、ずいぶんちがう形なのに、
手がきでは、たとえば、ラとマをあわせたような
大胆なくずし方でもまかりとおっている。
わたしもこれまでテキトーに、なんとなく、
それっぽい形をかいて ごまかしてきた。
そして、それがまちがいでなかったことを 新聞の記事でしる。

先日の朝日新聞に、「手書き文字の字形の例」として、
いくつかの「令」があげてあった。
手がきによる、いくとおりの「ゆれ」を
どれもみとめる、という内容だ。

手書き文字と印刷文字の表し方には、習慣の違いがあり、一方だけが正しいのではない
字の細分に違いがあっても、その漢字の骨組みが同じであれば、誤っているとはみなされない
(文化審議会国語分科会が2016年にまとめた指針より)

いずれの「令」も「正しい」のだそうだ。
やねの下は、かなりいいかげんにかきなぐっても、
「令」とよんでもらえるらしい。

以前このブログの記事に
「とめてもはねてもどちらも正解」
をかいた。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/434791874.html
ただしいかき順や、とめ・はねを大事にするひとがいる。
そうやってこだわりたいひとは、どうぞご自由に。
現実的には、だいたいそれらしい形をしていたら、
それでかまいません、という方針が 文化審議会からしめされた。
「保」は「ホ」なのか「木」なのか。
「女」の「ノ」は「一」からすこしでているのかどうか。
「吉」のうえの部分は「土」なのか「士」なのか。
「天」の「二」の部分は、上がみじかいのかどうか。
それらをぜんぶ「あやまりではない」とみとめてくれた。

こうやって、漢字からどんどん骨がぬかれ、
いいかげんになっていくのがわたしはたのしい。
もともと元号をつかいたくないわたしは、
「令」が ひたすらいいかげんにかかれ、
もとの形から おもいっきりはなれていくよう のぞんでいる。

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2019年04月09日

『ギリギリ』(原田ひ香) 原田さんの「盛る」ちから全開

『ギリギリ』(原田ひ香・角川文庫)

解説の仁木英之さんが、著者の原田ひ香さんは
シナリオをかいてきた経験があるので、
「盛る」ちからがすごい、と紹介している。
よむものをひきつけるため
エピソードをもり、キャラクターをもり、感情をもる。
テレビドラマなどは、すこしでもつまらなければ
チャンネルをかえられてしまうので、
視聴者をのがさないために
そうした「盛る」ちからが必要という。

そういわれると、たしかに原田さんの本は、
読者をはなさないよう ストーリーやセリフが
意外性をもつようにひねられている。
登場人物が、あらかじめきっちり配置されており、
それでたりないようなら べつの人物をもってきて
ものがたりに起伏をつける。いかにもシナリオ的だ。
ふつうなら不自然におもえるほど「盛」られているのに、
原田さんはギリギリのところで「盛」りすぎをさけるので、
わたしはスルスルとよみすすめる。

『ギリギリ』は、シナリオ作家をめざす男性と、
そのパートナーである女性との関係を中心に、
ややこしくものがたりがからまっている。
ふたりは、それなりに うまくやっていたのに、
女性のほうが、もっとちゃんとした関係でなければと、
家をでていってしまう。

わたしなんかだと、そんなにマジにならなくても、
ハッピーにやれていたら、それでいいじゃないかとおもう。
いっぱんに、ひとはおおくをもとめすぎなのだ。
完璧であろうとせずに、たんたんと、
おだやかな幸福感にひたれたら それでいいのに。
『ギリギリ』にでてくる女性は、
いまのままでもよさそうなのに、
さらにちゃんとした関係をもとめるなんて、
なんとよくばりなのだろう。
こうした真剣さは、女性におおくみられる心理かもしれない。
わたしは、映画の『愛と悲しみの果て』をおもいだす。
あれほど自由に生きてきたカレンでさえ、
デニスのすべてを手にしたいと、彼を束縛したくなる。

とかいていて、すぐに例外をおもいついた。
わたしの配偶者だ。
彼女がわたしを束縛したり、
「ちゃんとした関係」をもとめたりしないのはなんでだ?
とにかく、女性でも、わたしの配偶者のように
サバサバと生きているひとがいるのだから、
まじめにかんがえすぎのひとは、
すこし彼女をみならったらいいかもしれない。
ものがたりとしては原田さんの小説みたいに
「盛」ってあるほうがおもしろいけど、
じっさいの生活では、「ちゃんとした関係」でなくても
あんがいぬくぬくとやっていける。

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2019年04月08日

ココが1歳の誕生日をむかえる

4月8日はココの誕生日。1歳になった。
ココの誕生日だけど、まえにいっしょにくらしていた
ピピの命日でもある。
なかよしだったピピが亡くなり、かなしさから、
しばらくネコはかえないな、とおもっていたのに、
わずか6週間で ココをあたらしい家族として むかえることとなる。

きょねんの5月下旬がココとのであいだ。
通勤とちゅうにあるいていたら、
子ネコのなきごえがきこえてきた。
1週間ようすをみても、もらい手がみつからないようで、
まだおなじ場所でないている。
これも縁だと、子ネコを家につれてかえった。
850グラムの体重から、推定で生後6週間とみつもる。
ピピといれかわるようにわがやの家族となったので、
ピピの命日をココの誕生日とした。

ココは黄白のトラネコで、ピピとはちがうネコなのだから、
性格がちがってあたりまえなのに、
はじめのころは、ピピへのおもいから、
ピピとおなじようなふるまいをココにもとめていた。
しばらくしてから、それではココにもうしわけないと気づく。
ココはココとして、べつのネコとしてうけいれなければ 失礼だ。

さいわいココはわがやになじみ、
子ネコらしくいたずらのかぎりをつくす
げんきなネコにそだっている。
おりこーだね、だいすき!
といっているうちに、
どんどんすてきなネコになった。
とくに最近は、あまえた声をだして あそびにさそってくれる。
わたしのベッドにきて、いっしょにねてくれるようにもなった。
さんざんあばれまわったあと、
ココはねぐらでふかくねむりにつき、
あとにはココのおもちゃがポツンとのこされている。
かたつけられず、さみしそうにのこされたおもちゃが、
ココはまだまだ赤ちゃんなのだとおしえてくれ、
すごくいとおしいくなる。
誕生日プレゼントとして ココにチュールをごちそうする。
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posted by カルピス at 21:55 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月07日

フロンターレが波にのれない J1リーグ 第6節までの概況

J1リーグ序盤戦のうごき(第6節までの概況)

J1リーグは第6節までおこなわれた。
概況を整理しておきたい。

・川崎が1勝1敗4分と、のびなやむ。
・広島と東京が、まけなしで1位と2位につける。
・名古屋が4勝と、いいスタートをきる(現在3位)。
・J2からあがってきた大分が4勝2敗と健闘している。
 藤本が6得点とうりだしちゅう。
・2年目をむかえた横浜の超攻撃型サッカーが、
 3勝1敗2分と結果をだしている。

わたしがひいきにしてるフロンターレは、
前評判はだんとつでたかかったのに、
まだホームでかちがない。
全体でも1勝1敗4分と、かちにめぐまれずにくるしんでいる。
2連覇もすると、相手チームからきびしくマークされるのだろう。
まけはまだ1どだけだけど、かちきれないのがもどかしい。
この2試合は知念が得点をあげてチームをささえている。
内容がわるいわけではないのだから、
自分たちのサッカーを まよわずにつづけてほしい。

昇格してきた松本と大分は、
J1でも もちあじをだしている。
とくに大分は、4勝2敗と結果をのこせている。
藤本が6得点とうりだしちゅうだ。
松本も、第6節は イニエスタとビジャのいる神戸を、
ホームで2−0とくだした。
労をいとわずはしりまわるスタイルは魅力がある。

下位の清水・鳥栖・仙台は、
なかなか結果がだせず くるしいところだ。
なかでも清水はまだかちがない。
鳥栖も、トーレスがベンチいりもできない状況だ。
このほかにも、ガンバと札幌が2勝4敗、
磐田も5節でようやく1勝と、かち点をのばせない。
ガンバと札幌は、優勝あらそいに顔をだすだろうと
前評判がたかかっただけに、いまの順位は不本意だろう。

まんなかへんの順位に、
神戸・湘南・浦和・川崎・セレッソと、
ほんらいもっと上にいるはずのチームが名をつらねる。
J1リーグが、いかにちからの差がないリーグかを あらわしている。
川崎は、当然これから首位をあらそうとして、
ほかにどのチームがぬけだしていくだろう。
なかなかかてないチームはたいへんだけど、
客観的にみると、団子状態のJリーグは
すごくおもしろいリーグなのではないか。

posted by カルピス at 20:29 | Comment(0) | サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月06日

ランスマにでていた 茂木健一郎さんのランが たのしそうだった

「ランスマ」のゲストに脳科学者の茂木健一郎さんがでていた。
茂木さんは 毎日のように10キロほどはしっているそうで、
番組でも、撮影現場から準備運動もせずに、
いきなりキロ5分半のペースではしりだす。
ゆっくりはしりはじめるのが準備運動、といいながら
じゅうぶんはやいペースだ。
うでを自由にまわして、テキトーだけどたのしそうなはしり。
いつもはしっているコースは瞑想ランに、
おでかけさきなどではしる「旅ラン」はときめきランに、と
ランのつかいわけについてはなされる。
どういうことかというと・・・

瞑想ランは頭をからっぽにしてはしる。
そのためはしるのは、
なれたコースや周回コースがてきしている。
なにもかんがえなではしっていると、
なにかしらアイデアが 自然とわきでてくる。
一方のときめきランは、移動さきや出張さきでのランニングだ。
目にはいってくるめずらしい風景をたのしみながら、
おもいつきでコースをえらんではしる。
だいじなのは、「ときめき」をかんじることで、
いつもとはちがう環境に身をまかせ、
めずらしい情報をインプットするランとなる。

ランニングは頭とからだに適度な刺激をあたえるので、
健康にいいともてはやされているけど、
そうした恩恵がなくても、はしることはただそれだけでたのしい。
はしることで 脳からドーパミンなど
いろんな物質がでるのだそうで、
はしったあとの爽快感は たしかになにごとにもかえがたい。
ただ、いつもそうした境地にはいれるわけではなく、
はしりたくないけど練習だからはしる、
みたいにマイナス思考のランがおおい。
なんでもたのしもうとする茂木さんのランを参考にしたい。

ランスマのスタジオでは、
茂木さんのたのしそうなランに影響をうけ、
金さんも亮さんも、はやくはしりだしたいようすだ。
まえむきなひとの行動は、
みているだけでその気にさせてくれる。
茂木さんのなにごともたのしもうとする姿勢と、
自由なはしりをみてたら、
わたしも はしりだしたくなってきた。
ささいななやみごとなどは どうでもよくて、
もっとおおきななにかにかかわって生きたくなる。
いくらお金があったら安心か、なんてつまらぬことだ。
自分のすきなことを、すきなようにやって生きたい。
ランニングで、ここまでおもわせてくれるのだから、
はしるまでもなく、ドーパミンがでているのかも。
こんどのやすみには、ひさしぶりにながい距離をはしろう。

posted by カルピス at 09:24 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月05日

保存のしやすさが エバーノートのつよみ

すこしまえの記事で、佐々木正悟さんが
エバーノートの特徴についてふれている。
https://cyblog.jp/36304
佐々木さんはエバーノートの
「『単なるメモ』がどうもうまく使えない」
という弱点をみとめつつ、
「けっきょくEvernoteにあった」といえる
保存のしやすさがエバーノートのつよみだという。

(Evernoteは)ある種のメモがインボックスの滞留しがちになるのです。これを記事では「着想メモ」と呼んでいます。
着想メモこそ大事だ!という人は知的生産界に多くいるでしょうし、それはそうでしょう。
一方で、着想メモって何なの?という人もけっこういるはずで、そういう人はEvernoteを地道に使うとよいと思うのですが、そういう人はそもそもこの種のことに興味がなかったりもします。

「着想メモって何なの?という人もけっこういるはず」
「そういう人はそもそもこの種のことに興味がなかったりもします」
がなんどよんでもおかしい。

といって、ひとをわらえるほど、
わたしが着想メモを効果的にいかしているわけではない。
メモは、着想をいかしたいからつけているので、
おもいついたとき、できるだけこまめにのこしている。
でも、そのメモをどうつかっているかというと、
ときどきブログのネタにするぐらいで、
おおきなアイデアへそだてるわけではない。
それでいて、いつまでも「着想メモこそ大事だ!」
とはおもっているのだから、学習しないというか、こりない。
いいかげん、Scrapboxをいかしていけばいいのに、
あいかわらず、エバーノートにためこんだままだ。
そして、ときどき検索にかけ、
うもれた記事をうかびあがらせる。
やってることは「着想メモって何なの?」
のひととおなじだけど、
「この種のことに興味がな」いわけではない。
メモをふくめ、なんでもためこむのが、
エバーノートのただしい いかし方だとひらきなおる。

posted by カルピス at 21:05 | Comment(0) | 仕事術 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月04日

きいても内容がわからないお経に なんの意味があるのか

朝日新聞に「どう思いますか」というコーナーがある。
なんらかの問題をなげかけている投稿について、
みなさんはどうおもいますか?と 読者から意見をつのる。
今回は、「お経の翻訳装置の開発・設置を」という投稿をめぐり、
4つの感想が紹介されていた。

きっかけとなった投稿の要旨は、
お経をきいても意味がわからないので、
お寺はお経を現代語へ翻訳する装置を開発してほしい、
というものだ。
4つの意見のうち3つは、意味のわからないお経と、
そんな状況をほったらかしにしている
お坊さんへの不満がのべられている。
もう1つは、「意味がわからない」からいい、という意見だ。
新聞なので、いっぽうの意見がただしい、ときめつけはせず、
反対の意見もいれてバランスをとっている。
とはいえ、4つの意見のうち3つが
お経(そしてお坊さん)に不満をもっているのはよろこばしい。
わたしとしても、こちらに一票をいれたい。
わたしもまた、意味のわからないお経を
ずっとほったらかしてきた日本の仏教に
不信感をもつ「仏教徒」だ。
4つの投稿を要約してみる。

・「自分の葬儀にお坊さんは不要」
(親の葬儀のとき)お坊さんは訳の分からないお経を長々と読んだだけでしたが、葬儀費用は計500万円を超えました。私はこの体験から今後、葬儀にはお坊さんを呼ばないと決めました。(中略)「私の葬儀に坊主を呼んだら化けて出る」と妻に言ってあります。

:「お経の『翻訳』すべきは僧侶」(ご自身が僧侶である方)
お経の「翻訳」をすべきは機械でもAIでもなく、我々僧侶です。そこから目をそらし、お経の文字を読むだけなら僧侶ではありません。新時代を目前に、自分自身への戒めとして心新たにさせていただきました。

・「『分からないのがお経』に違和感」
「お経の翻訳装置の開発・設置を」を拝読し、思わずひざを打ちました。どうして今まで、誰も翻訳装置について思い至らなかったのでしょう。(中略)本当は含蓄のある言葉であるはずが、「訣の分からないのがお経」というのが世間の通説になっており、もどかしさを感じています。

・「分からないからありがたい」
お経は独特の節回し、リズムあってこそ30分ほどの時間の間が持つのである。時や場所柄、過剰に丁寧な敬語、地域に合わない標準語などは、お別れには似合わない。批判を恐れずに言えば、分からないから、お経はありがたい。

読者からの投稿とはべつに、高台寺の後藤氏が
僧侶側からの意見をよせている。
 普段全く信仰されていない方が、葬儀にだけ坊さんを呼ぶと、お経がわからなかったり、葬儀屋から一方的に高額を指定され、戸惑ったりしかねません。ぜひ縁のあるお寺を時々訪ねて坊さんと対話し、仏像を見てください。お経の言葉の理解より、形からの方が入りやすいこともあります。

いくらお寺を頻繁におとずれても、
お経がわかるようには ならないだろう。
「お経の言葉の理解より、形からの方が入りやすい」
というかんがえ方にしても、
「お経の翻訳装置の開発・設置を」
にたいするこたえになっていない。
そんなことをいっているから、
「(意味が)分からないからありがたい」
などという意見がまかりとおってしまう。

posted by カルピス at 22:03 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月03日

たいした用事がなくても 有給休暇をとるとすごくらく

午後から有給休暇をとる。
とってなにをしたかというと、ジャガイモの種イモをうえた。
有給なんかとらなくても、
やすみの日にやればよさそうなものだけど、
やすみの日はやすみの日で、用事がいろいろある。
どうしたものかとかんがえているうちに、
半日単位で有給をとるのをおもいついた。

きょうは午前だけの仕事とし、
12時すぎに職場をぬけさせてもらう。
あるいて10分の家にもどり、昼ごはんをたべてから、
1時間半ほどひるね。
3時に家をでて、畑へむかう。
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なんちゃって自然農法による畑なので、
うねをたがやしたりしない。
はえている草をおおざっぱにとりのぞき、
移植ゴテで穴をあけてから、種イモをうめる。
1時間でおわった。
畑からのかえりにスーパーへより、夕ごはんの材料をかう。

有給をつかって 平日に畑仕事をしたら、
半日は仕事をしたにもかかわらず、
あそんでるみたいな いちにちとなった。
めちゃくちゃ楽だ。
半日は はたらいたせいか、完全にやすみの日よりも、
時間を効果的につかえるような気がする。
半日やすんだだけなのに、すごいお得感がある。
それでも畑の仕事は予定どおりかたづいた。
こんな日をときどきまじえてはたらけたら、
はたらいている、という意識が かなりうすい生活になるのでは。
用事があるから有給をつかうのはあたりまえだけど、
たいした用事がなくても 有給でやすむと、
みえる景色がちがってくる。
いつもよりもはやめに家事がすすみ、夜の時間がふえた。
休日は、すでにほかの予定でいっぱいなのだから、
なにか用事ができたときは、有給をつかったほうがいい。
おもいがけない休日をすごしたような、
くつろいだ いちにちとなった。

posted by カルピス at 21:31 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月02日

もうひとひねりほしかった『週休4日でお願いします』

『週休4日でお願いします』

新聞の番組欄で紹介されていた。
「働くことへの固定観念をほぐしていく作品」だという。
創作テレビドラマ大賞の受賞作ともある。
わたしもまた、週休4日でおねがいしたいほうなので、
なにかいいこころがまえがみつかればと期待した。
以下、ネタバレあり。

お弁当づくりの会社が舞台だ。
なんとか一人前に仕事がこなせるよう、
がんばろうとする店長代理の直人と、
タイトルどおり、週休4日を希望してきたパートの華。
ふたりとも26歳で、わかものを中心にすえたお仕事作品ともいえる。
直人は、目のまえの仕事をこなすのが精一杯で、
仕事によろこびやたのしさをかんじる余裕がない。
華のほうは、すでに自分のスタイルをうちたてている。
彼女のほんわかした雰囲気にひかれながら、
直人はあわただしい毎日につかれはてている。

週に4日しかはたらかないでくらそうとする、
華の人生観にもっと焦点があたるのかとおもっていた。
仕事でえる収入よりも、自分の時間を大切にする華は、
いったいどんな生活をおくっているのか。
こけしがすき、乾燥野菜をつくりはじめた、では、
わたしの好奇心がみたされない。
だいそれた覚悟がなくても、
週休4日でいこうとするひとはいるだろう。
なんとなくはたらきたくないから、でもいい。
それでも、結果としておおくの自由時間を手にするわけだから、
いったいそれが どんな生活となるのかをえがいてほしかった。

相手への気もちを、ことばであらわせなければ、
たとえば手をたたいて表現したら、
という華の提案も、わたしからするとものたりない。
すきならすきと、はっきりいえばいいのに。
それさえしないで、はずかしそうに手のひらをあわせる直人は、
あまりにも安直ではないか。
いきづまった直人に、「だめならわたしの家にきたら」
「弱者は群れたほうがいい」と華がいうのは、
唐突すぎる発言で、リアリティにかける。

いかにもシナリオのコンテストで入賞したような作品で、
いやみのない ほのぼの系として、
わるくはないけれど、ふくらみにかけている。
素材がいいだけに もったいない印象をうけた。

posted by カルピス at 21:28 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月01日

ウソにはついひきこまれる説得力がある

エイプリルフールといえば、
まえにデイリーポータルZでみかけた
「ウソの泣ける話」がおかしかった。
これはとくにエイプリルフールのためにもうけられた企画ではなく、
(SNSのひろまりにより)『ウソでしかも盛った話』じゃないと私たちは泣けなくなりました

の現状認識から、ウソでもいいから泣けるはなしを応募したのだ。
うそだと ことわったうえで、うそをつく。
「これはウソですが」と、あらかじめ うちあけられているのに、
よんでいるとついついひきこまれるからおかしい。
「全部ウソなんですが、奇跡の話を聞いてください」
というかきだしでも、
ウソだとかいてありながら、スルスルっと納得してしまう。
わたしたちは、うそでもいいから
ものがたりをほしがっているようだ。
いちばんおかしかったのが、
「機長の英断が一人の受験生を救うウソの話」
東京で生まれ育ち、大学受験したことがないのですが聞いて下さい。
地方に住んでいた私は子供の頃に両親を事故で亡くし、アルバイトをしながら東京の大学に進学するために猛勉強をしていました。
受験のために生まれて初めて乗った飛行機が離陸してから、乗り間違えたことに気づきました。 行き先は東京ではなく、鳥取とアナウンスで聞きパニックに陥りました。事情を理解した乗務員さんが機長室へ走りました。
 その直後に、なんと飛行機が急旋回をしたんです。
「管制塔から許可がおりました。ただいまから、この飛行機は行き先を変えて羽田に向かいます。」
それ以来、乗り物に乗る前には必ず行き先を確認する習慣がつきました。
機内から拍手が起こりました。
by pris

ウソなのになける(ウソです。なかない)。

posted by カルピス at 20:45 | Comment(0) | デイリーポータルZ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする