2019年04月04日

きいても内容がわからないお経に なんの意味があるのか

朝日新聞に「どう思いますか」というコーナーがある。
なんらかの問題をなげかけている投稿について、
みなさんはどうおもいますか?と 読者から意見をつのる。
今回は、「お経の翻訳装置の開発・設置を」という投稿をめぐり、
4つの感想が紹介されていた。

きっかけとなった投稿の要旨は、
お経をきいても意味がわからないので、
お寺はお経を現代語へ翻訳する装置を開発してほしい、
というものだ。
4つの意見のうち3つは、意味のわからないお経と、
そんな状況をほったらかしにしている
お坊さんへの不満がのべられている。
もう1つは、「意味がわからない」からいい、という意見だ。
新聞なので、いっぽうの意見がただしい、ときめつけはせず、
反対の意見もいれてバランスをとっている。
とはいえ、4つの意見のうち3つが
お経(そしてお坊さん)に不満をもっているのはよろこばしい。
わたしとしても、こちらに一票をいれたい。
わたしもまた、意味のわからないお経を
ずっとほったらかしてきた日本の仏教に
不信感をもつ「仏教徒」だ。
4つの投稿を要約してみる。

・「自分の葬儀にお坊さんは不要」
(親の葬儀のとき)お坊さんは訳の分からないお経を長々と読んだだけでしたが、葬儀費用は計500万円を超えました。私はこの体験から今後、葬儀にはお坊さんを呼ばないと決めました。(中略)「私の葬儀に坊主を呼んだら化けて出る」と妻に言ってあります。

:「お経の『翻訳』すべきは僧侶」(ご自身が僧侶である方)
お経の「翻訳」をすべきは機械でもAIでもなく、我々僧侶です。そこから目をそらし、お経の文字を読むだけなら僧侶ではありません。新時代を目前に、自分自身への戒めとして心新たにさせていただきました。

・「『分からないのがお経』に違和感」
「お経の翻訳装置の開発・設置を」を拝読し、思わずひざを打ちました。どうして今まで、誰も翻訳装置について思い至らなかったのでしょう。(中略)本当は含蓄のある言葉であるはずが、「訣の分からないのがお経」というのが世間の通説になっており、もどかしさを感じています。

・「分からないからありがたい」
お経は独特の節回し、リズムあってこそ30分ほどの時間の間が持つのである。時や場所柄、過剰に丁寧な敬語、地域に合わない標準語などは、お別れには似合わない。批判を恐れずに言えば、分からないから、お経はありがたい。

読者からの投稿とはべつに、高台寺の後藤氏が
僧侶側からの意見をよせている。
 普段全く信仰されていない方が、葬儀にだけ坊さんを呼ぶと、お経がわからなかったり、葬儀屋から一方的に高額を指定され、戸惑ったりしかねません。ぜひ縁のあるお寺を時々訪ねて坊さんと対話し、仏像を見てください。お経の言葉の理解より、形からの方が入りやすいこともあります。

いくらお寺を頻繁におとずれても、
お経がわかるようには ならないだろう。
「お経の言葉の理解より、形からの方が入りやすい」
というかんがえ方にしても、
「お経の翻訳装置の開発・設置を」
にたいするこたえになっていない。
そんなことをいっているから、
「(意味が)分からないからありがたい」
などという意見がまかりとおってしまう。

posted by カルピス at 22:03 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする