なんにちかまえに、ココが家からにげだした。
母が洗濯物をとりこむときに、
スキをねらっていたココが庭にでてしまった。
外にでるのはよくあることで、
たいていは1時間ほどたつと、自分からもどってくる。
でも、このときは、夜になってもかえらなかった。
家のなかが 気もちのわるい しずけさにつつまれ、
あちこちにちらばったココのおもちゃが
よけいにさみしさをかんじさせる。
ココのかえりをまつうちに、
わたしの心配はだんだんエスカレートして、
車にはねられ、頭を地面につけてよこたわっている
ココのすがたを想像してしまう。
あるいは、なにかの音におどろいて、無意識にはしりまわり、
家へのかえり道がわからなくなったのではないか。
不注意だった母にきついことばをなげつけ、
世界をのろい、自己憐憫のかたまりになる。
日ごろはまわりのことを気にとめないで、
ずぶとく生きているつもりだったのに、
ココが数時間いなくなっただけで、
こんなにもあやうい精神状態になるのかと おもいしる。
けっきょくココは、夜の1時にかえってきた。
かなりタフな時間をすごしたようで、
自分からだっこをもとめて わたしのひざにのってくる。
つぎの日も、ぐったりと いちにちじゅう ねてすごした。
あの体験のあと、あまり本気で
外へでるチャンスを ねらわなくなった。
わたしはこのところ、平凡な日々に安心しきっていた。
朝おきると、テキトーにルーチンをこなしていれば、
あっという間に夕方となる。
ブログをかいたあと、寝酒をたのしんで、いちにちがおわる。
そのくりかえしを、当然のながれとして うけとめていた。
それでわたしはじゅうぶんしあわせであり、
生きてるだけで丸もうけ、とは、
わたしの心境そのままだとおもっていた。
でも、それらはすべて、ココがいてくれてこその日常だった。
ココが10時間もどらなかっただけで、
わたしのこころはおおきくゆれて、ろくなことをかんがえない。
自分のよわさにヘトヘトになった。