2019年06月06日

「納屋を焼く」の「僕」は、キロ4分22秒のペースではしる

村上春樹の短編「納屋を焼く」をよんでいたら、
主人公の「僕」が、7.2キロを31分30秒ではしっている。
なんのことかというと、
家にあそびにきた青年が
「時々納屋を焼くんです」と、脈絡なくきりだした。
33歳の「僕」は、つぎにどの納屋をやくのか、
もうきめているかとたずねる。
青年は、きめてあり、この家の近所だとこたえる。
そこで「僕」は、どの納屋がやけるのかをチェックしようと、
近所にある5つの納屋を 毎日みまわりはじめる、
という不思議なはなしだ。
僕は毎朝どうせ六キロは足っていたから、一キロ距離を増やすのはそれほどの苦痛ではない。
「納屋を焼く」短編集『象の消滅』(2005年)から

そのコースが7.2キロであり、それを31分30秒ではしるという。

7.2キロを31分30秒といえば、1キロが4分22秒で、
ランニングとしては かなりはやいペースだ。
フルマラソンのトップランナーたちは、
1キロ3分ペースで 42キロをはしるのだから、
それにくらべればおそいとはいえ、
市民ランナーとしては かなりのレベルといえる。
もしこのペースでフルマラソンをはしると、3時間をすこしきる。
いわゆるサブスリーで、ここまではしれるのは、
ランナーの3〜5%にすぎない。
もちろん、ランニング愛好家のなかには、
もっとはやくはしるひともいるだろうけど、
ちょっとジョギングに、という
気分転換や健康づくりをこえたスピードの設定だ。
もし町をキロ4分22秒のペースでランニングするひとがいたら、
ひとさわがせなスピードに まわりが迷惑するだろう。

村上さんは、ご自身もランナーとして
毎日はしっているし、レースにも参加されている。
キロ4分22秒がどれだけのペースなのか、
かんがえずにかいているはずがない。
村上さんのフルマラソンのベストタイムは
3時間半ほどなので、キロ5分のペースとなる。
納屋のみまわりは、1周7.2キロとはいえ、
自分よりもはるかにはやく「僕」にはしらせて、
村上さんはなにをつたえようとしたのか。

新潮文庫におさめられている「納屋を焼く」(1987年)をみてみると、
僕は毎日朝と夕方に六キロずつのコースを走っているから、一キロずつ距離を増やすのはそれほどの苦痛ではない。

となっていた。
2005年に出版された「納屋を焼く」は朝だけだったみまわりが、
さらに夕方もはしっているので、
ますます市民愛好家レベルのランナーではなさそうだ。
一ヶ月間、そんな風に僕は毎朝同じコースを走りつづけた。しかし、納屋は焼けなかった。

おなじ新潮文庫版なのに、すこしあとでは
「朝と夕方」が「毎朝」にかわっているし、
ものがたりのおわりにも
僕はまだ毎朝、五つの納屋の前を走っている。

とある。
朝と夕方はしっていた習慣が、
いつなくなったのかは ふれられていない。
ここらへんのばらつきは、なにかわけがあるのだろうか。

週に4日ほど、キロ7分のペースで7.5キロはしっているわたしは、
「納屋を焼く」の「僕」が、
なぜこんなにはやくはしれるのか、納得できない。
わたしには縁のないスピードで、
のろまなランナーは ひがむしかない。

posted by カルピス at 23:07 | Comment(0) | 村上春樹 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする