主人公の「僕」が、7.2キロを31分30秒ではしっている。
なんのことかというと、
家にあそびにきた青年が
「時々納屋を焼くんです」と、脈絡なくきりだした。
33歳の「僕」は、つぎにどの納屋をやくのか、
もうきめているかとたずねる。
青年は、きめてあり、この家の近所だとこたえる。
そこで「僕」は、どの納屋がやけるのかをチェックしようと、
近所にある5つの納屋を 毎日みまわりはじめる、
という不思議なはなしだ。
僕は毎朝どうせ六キロは足っていたから、一キロ距離を増やすのはそれほどの苦痛ではない。
「納屋を焼く」短編集『象の消滅』(2005年)から
そのコースが7.2キロであり、それを31分30秒ではしるという。
7.2キロを31分30秒といえば、1キロが4分22秒で、
ランニングとしては かなりはやいペースだ。
フルマラソンのトップランナーたちは、
1キロ3分ペースで 42キロをはしるのだから、
それにくらべればおそいとはいえ、
市民ランナーとしては かなりのレベルといえる。
もしこのペースでフルマラソンをはしると、3時間をすこしきる。
いわゆるサブスリーで、ここまではしれるのは、
ランナーの3〜5%にすぎない。
もちろん、ランニング愛好家のなかには、
もっとはやくはしるひともいるだろうけど、
ちょっとジョギングに、という
気分転換や健康づくりをこえたスピードの設定だ。
もし町をキロ4分22秒のペースでランニングするひとがいたら、
ひとさわがせなスピードに まわりが迷惑するだろう。
村上さんは、ご自身もランナーとして
毎日はしっているし、レースにも参加されている。
キロ4分22秒がどれだけのペースなのか、
かんがえずにかいているはずがない。
村上さんのフルマラソンのベストタイムは
3時間半ほどなので、キロ5分のペースとなる。
納屋のみまわりは、1周7.2キロとはいえ、
自分よりもはるかにはやく「僕」にはしらせて、
村上さんはなにをつたえようとしたのか。
新潮文庫におさめられている「納屋を焼く」(1987年)をみてみると、
僕は毎日朝と夕方に六キロずつのコースを走っているから、一キロずつ距離を増やすのはそれほどの苦痛ではない。
となっていた。
2005年に出版された「納屋を焼く」は朝だけだったみまわりが、
さらに夕方もはしっているので、
ますます市民愛好家レベルのランナーではなさそうだ。
一ヶ月間、そんな風に僕は毎朝同じコースを走りつづけた。しかし、納屋は焼けなかった。
おなじ新潮文庫版なのに、すこしあとでは
「朝と夕方」が「毎朝」にかわっているし、
ものがたりのおわりにも
僕はまだ毎朝、五つの納屋の前を走っている。
とある。
朝と夕方はしっていた習慣が、
いつなくなったのかは ふれられていない。
ここらへんのばらつきは、なにかわけがあるのだろうか。
週に4日ほど、キロ7分のペースで7.5キロはしっているわたしは、
「納屋を焼く」の「僕」が、
なぜこんなにはやくはしれるのか、納得できない。
わたしには縁のないスピードで、
のろまなランナーは ひがむしかない。