2019年06月19日

ひさしぶりにみた旧シリーズの『ルパン三世』

せんじつ亡くなったモンキー=パンチ氏をしのぶ企画として、
テレビ版『ルパン三世』の旧シリーズが
シネフィルwowowで放映された。
なつかしさから、すきだったいくつかの話を 録画してみる。
48年もまえの作品なので、絵はさすがに雑で、
うごきもギクシャクしており、いまとなっては
ふるさをつよくかんじてしまう。
もちろん、ところどころにこまかなうごきもひかっており、
たとえば、「7番目の橋が落ちる時」のラストで、
ルパンがワルサーP38をうつときにはしびれた。
ワルサーを口でくわえてうしろへスライドさせ
弾倉からタマを薬室におくりこむ。
ひきがねをひくと、銃弾が発射されるとともに、
カラの薬莢がよこにはじきだされている。
子どもあいてに、そんなこまかなところまでえがいてくれたから、
のちに絶大な人気をあつめるようになったのだろう。
わたしが「ルパン三世」をみたのは 小学校4年生のときで、
しばらくは、主題歌でうたわれている「ワルサーP38」が
なんのことだかわからなかった。

「ルパン三世」のなにが、小学生だったわたしをとらえたのか。
いまとなっては想像するしかないけど、
ルパンとその仲間たちが、
たのしんで生きているようすそのもの だったのではないか。
もちろんドロボーはわるいことだけど、
ルパンたちがたくみに警察をあざむいて、宝石や名画をぬすむとき、
あそびごころをみたされる爽快感がある。
地道にコツコツ努力しなさい、なんていいたがる
親や先生の価値観とは、まったくちがう生き方をしているルパンたち。
かっこよさとはなにかを、おしえてくれたような気がする。
もっとも、10歳のとき ルパンにであったからといって、
わたしがすすむ道を大胆にかえたわけではなく、
そのあともさえない自分をひきずったまま、
きわめて平凡なおとなになってしまった。

旧シリーズ『ルパン三世』の8年後につくられた
『ルパン三世 カリオストロの城』は、
40年まえの作品とはいえ、
すでに絵やうごきが完成されている。
いまつくられている作品とくらべても、
まったくふるさをかんじないのは、
それだけたかいレベルにたっしていたからだろう。
この8年間は、アニメーションの世界における、
ターニングポイントだったのではないか。

ルパンがのっていたフィアット500のあたらしいモデルが
2007年から発売されている。
ふるいフィアット500の雰囲気をたもっており、
町でみかけると、つい目をうばわれる。
ユーザーのどれだけが、ルパンの車として
フィアット500をえらんでいるのだろう。
クラリスがのっていた、シトロエン2CVも
あたらしいモデルがでたらうれしいけど、
ガソリンエンジンが みとめられなくなる いまのご時世では、
ああしたデザインの復活は もうのぞめそうにない。
もうすぐ電気自動車ばかりの時代となり、
げんきにはしる むかしの車は、
ふるい映画のなかでしかみられなくなりそうだ。
タグ:ルパン三世

posted by カルピス at 22:15 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする