『スモールハウス』(高村友也・ちくま文庫)
高村友也さんは、3坪ほどの家を自分でたてた
(『自作の小屋で暮らそう』)。
これは、そのつづきみたいな本だ。
ちいさな家をたて、みちたりた気もちでくらしているのは、
高村さんだけでなく、世界じゅうに
おなじようなうごきがみられるそうで、
『スモールハウス』では、
それらの家をひとつひとつ紹介している。
この本をよんでいると、そういえば、
なんで家はあるていどひろくなければ、
まともなくらしでないと、
おもいこんでいたのか ふしぎにおもえてくる。
ちいさな家でも みちたりたくらしは実現できる。
お金のことをかんがえると、
たくさんの頭金をつみ、30年ものローンをくむのは、
かなりのリスクをせおうわけだし、
会社に自分の時間を提供すれば、
あとにのこる自由な時間は とうぜんとぼしくなる。
でも、ふつうのおとなだったら、
そうやって、おおきな、というか
ふつうの家を手にいれるのが、
あたりまえだとおもいこんでいた。
おもいこまされたのかもしれない。
わたしはいま、4.5畳と3畳の部屋を
くっつけてつかっており、
3畳のほうにベッドをおいている。
「寝室」なんてよぶのがおこがましいほど、
せまく ささやかで、ひとことでいえば貧乏な部屋だ。
まともなおとながねる部屋とはおもえない。
やっぱりおれは一人前のおとなではないのだろうと、
コンプレックスをかんじていた。
でも、『スモールハウス』をよむと、
家はせまくてあたりまえで、せまいほうが
環境への負担もちいさいのだから
だんぜんおすすめなくらしとなる。
映画のなかでは、登場人物が
おおきな部屋で、さまざまな家具にかこまれてねむっているけど、
それがふつうのくらしだと おもわなくてもいい。
ひとはひと。自分は自分。
ひろい家は、いわばぜいたくなくらしであり、
そのために自分の生活のおおくをささげれば、
かわりに手ばなさなければならないものがでてくる。
夜ねるときに、お酒をもってベッドにあがり、
よみかけの本をひらきながら ねるまでの時間をたのしむ。
部屋がせまいので、フセンやえんぴつは、手のとどく場所にあり、
メモをとるのにストレスがない。
『スモールハウス』をよむと、
自分のくらしも これはこれでわるくないとおもえる。