2019年06月23日

『たちあがる女』鉄の意志をもつハットラの実力行使に どれだけ共感できるか

『たちあがる女』(ベネディクト=エルリングソン:監督・2018年・アイスランド)

アイスランドを舞台に、環境保護活動のため、
工場への送電線をきるという過激な方法で、
妨害工作をする女性、ハットラが主人公だ。
わたしは、彼女が弓矢をかまえる場面を予告編でみていた。
弓でなにをしているかとおもったら、
弓矢にひもをつけ、そのさきに鉄線がむすんであった。
送電線と送電線のあいだに鉄線をわたし、
ショートさせていたのだ。
彼女のこうした妨害工作により、
国が支援する工場が深刻な被害をうけ、
おおきな社会問題とまでなっている。

上映まえに、作品についてかんたんな説明があった。
アイスランドは北海道と四国をあわせたほどの面積に、
35万人がすむというから、かなりちいさな規模の国だ。
えっ、たった35万人?ほんとうだろうか。
ネットをみると、たしかに35万人となっている。
しんじられないほど、すくない人口だ。
わたしがすむ島根県の人口の半分なのに、
独立国をなのって国際社会にのりだすのは たいへんだろう。
自然をいかした観光がおもな資源だけど、
アルミニウムの生産にもちからをいれており、
自然を破壊して(開発、というみかたもある)、
工場の建設がすすんでいる。
政府をたて、警察があり、ライフラインもととのっている。
テレビ局に、新聞・ラジオもあるけど、
35万という人口で、いったいこれらを
どうやってなりたたせているのか。
映画をみているあいだじゅう、ずっと人口のすくなさが 気になった。

ハットラはなぜつよい決心のもとに、
工場や開発への妨害工作をはじめたのだろう。
自然をまもりたいとおもうようになった きっかけはなにか。
ハットラへの共感がわかない理由のひとつは、
「たちあがる女」になった背景が
作品のなかで えがかれていないからだ。
また、命をかけた妨害工作をあつかうため、
しかたがない面もあるとはいえ、
作品にわらいがすくなく、みていてつらくなってくる。
ずっとシリアスなまま はなしがすすんでいく。
作品が、彼女の視点でえがかれているので、みているわたしは、
彼女をテロリストときめつけたりはしないけど、
かといって、彼女自身が確信しているほど、
全面的にただしい行動とも おもえない。

4回目の妨害工作からハットラが家にもどると、
ウクライナにすむ4歳の女の子を
養子にむかえるはなしがすすんでいた。
4年まえに申請したきり、彼女はこの件をわすれており、
しばらくなやんだすえに、女の子をひきとろうときめる。
ハットラには、双子の姉がいた。
姉はヨガをおしえ、インドへいって修行をつもうと計画している。
姉に養子の申請の保証人になってもらい、
ハットラは、ウクライナへ女の子をひきとりにいこうとする。

ハットラの妨害工作は、爆弾をぬすみ、
爆発で 鉄塔をたおすまでにエスカレートする。
国は、捜査に本腰をいれ、総動員体制で彼女をさがしまわる。
人口35万の国にも 訓練のいきとどいた捜査員がいて、
ドローンやヘリコプターで彼女をおいつめる。
赤外線カメラをつんだドローンは、
夜になっても彼女のいばしょを正確につかむ。
鉄塔をたおしたときに、彼女は手のひらにケガをおい、
その血液から警察はDNA検査までとりいれて
一連の妨害工作は彼女の犯行とわりだした。
女の子をひきとりに ウクライナへ旅だとうとしたとき、
とうとうハットラは警察に逮捕される。

(以下、ネタバレあり)
留置場にとらわれているハットラに、
彼女の姉が面会におとずれる。
彼女たちの協力者が停電をおこしたわずかな時間に、
姉はハットラに 服を交換して、いれかわるよう うながす。
姉のはでな帽子と服を、ハットラが身につけると、
もともとそっくりな顔だちだったため、だれも気づかない。
ハットラは、姉がのってきた車にのり、
そのままウクライナへいくため空港へとむかう。

ふつうなら、いくら双子だからといって、
いれかわりを おたがいに 了承するわけがない。
しかし、それまでにえがかれていたハットラのつよい精神力と、
ヨガにより さとりをひらきたいという 姉のねがいは、
このありえない いれかわりを可能にした。
あの姉なら、刑務所ですごす2年間を
(何件もの妨害工作をおこしながら、2年の実刑ですむらしい)
瞑想にひたる貴重な時間として、満足しながらすごすだろう。
ハットラにしても、自分は完全にただしいという自負があるので、
姉の提案を、ためらいなくうけいれられる。

ウクライナについたハットラは、養子となる女の子にあい、
おたがいに なにかひかれるものをかんじた。
この子といっしょに生きていこうと彼女はきめる。
女の子も、ハットラを自然にうけいれる。
町を洪水がおそい、かえりのバスがとちゅうでたち往生するが、
その程度の困難は、ハットラにとってなんでもない。
女の子をだきしめて、水びたしの道路におり、
ヒザまで水につかりながら、ハットラはしずかにあるきだした。

posted by カルピス at 21:24 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする