子どもたちを富士山にのぼらせたいと、
クラウドファウンディングによるプロジェクトをたちあげた。
せんじつ、目標額に到達したというしらせがはいる。
無理を承知で計画をたちあげ、なんとか実行にうつそうと、
あらゆる手段にうったえて実現をめざす。
すこしの寄付をしたものとして、
しりあいのとりくみを、とてもすがすがしくかんじた。
こうした計画は、できない理由をさがせば
いくらでもみつかるものだ。
そんな議論にうつつをぬかさず、
とにかく子どもたちをつれていきたい、
という一点をたいせつにして
しりあいは、全力をかたむけていた。
富士山登山の意義だとか、子どもたちへの教育的な視点とかは、
あとからいくらでもくっつけられる。
だいじなのは、子どもたちを富士山へ、という熱意であり、
それさえおさえてあれば、成功はまちがいない。
成功するまでつづければいいのだから。
せんじつの朝日新聞beで、
介護現場の若手リーダーをそだてている
秋山可愛さんが紹介されていた。
秋本さんは
自分が選択に迷った時、大事にしている言葉があります。「できるかできないかではなく、やりたいかやりたくないか」です。
とはなしている。
まったくそのとおりだと、ふかく共感する。
なにかの会をひらいて、
ある事業を やるかやらないかきめる、
というのでは、ぜんぜんだめだ。
やるかやらないかは、そのまえにきめておき、
あとは、それをよりよく実現するために、
みんなの知恵をだしあっていく。
やるかやらないかをきめるときは、
秋本さんがいうように、
「やりたいかやりたくないか」がだいじになってくる。
できない理由はいくらでもあげられるだろうけど、
社会的な責任とか、とにかくやりたいという熱意で、
まわりをときふせる。
これをやれば経営的に有利だから、なんて議論に、
わたしはぜんぜん興味がない。
どうしてもこの事業をすすめたい、というあついおもいを
若手の職員がどうどうと主張できる職場でありたい。