「レフェリーになって街を綺麗にする」(地主恵亮)が、
意味不明でものすごくわかりにくいけど 妙にこころをとらえる。
https://dailyportalz.jp/kiji/man_who_clean_the_city
このひとでないとかけない記事、という意味において、
まちがいなく 地主さんの存在は、
デイリーポータルZにかがやく いくつかの星のひとつである。
記事の概要を紹介するのは かんたんではない。
なぜレフェリーになり、街でたおれているものにたいし
カウントをとろうとするのか、理屈では説明できないからだ。
(たおれているものをみると)心の「レフェリー」が騒ぐ。ここで言うレフェリーはプロレスのレフェリーだ。誰の心にもレフェリーは住み着き、我々にカウントを促す。
(カラーコーンをたてなおし) 試合が終われば、彼は起き上がる。そういうものなのだ。ダウンこそしていたけれど、レフェリーの温かい手により彼は起き上がり、いい試合だったことをオーディエンスに伝え、次のいい試合に期待するのだ。
レフェリーは歩いた。夏となり、晴れ渡る空の下を歩いた。まだセミの鳴き声は聞こえない。ただ梅雨入りしている。夏はそこまでやってきている。梅雨明けするためには、オーディエンスの熱狂をもっと集めなければならないのだ。(ここらへん、論理が破綻しており、めちゃくちゃくるしい)。
飲み干されたペットボトルが落ちていた。彼も頑張って戦ったのだろう。しかし、戦い虚しく、彼の美味しさが仇になり、飲み干されダウンしてしまっている。カウントを取らなければ、私がカウントを取らなければ。
彼はもうヘトヘトなのだろう。本来の場所に戻る力がない。なにより空っぽだ。レフェリーである私はおもむろに彼を抱きかかえ、次の居場所へと誘った。街中レフェリーは街中美化を応援しています。
といいながら、ペットボトルを自販機のよこにある ゴミ箱へいれる。
ここにきて、ようやく記事のタイトルである
レフェリーと「街を綺麗にする」がむすびつく。
よく この企画が編集部にみとめられ、
ぶじにアップまでこぎつけたものだ。
デイリーポータルZは、おおきなリスクをおかしてながら
デイリーポータルZの精神を、どうどうと世間にしめした。
こうした冒険のつみかさねが、デイリーポータルZを
デイリーポータルZたらしめている。
ひとからの評価をほとんど意識せず、
自分の世界をかききりたいという貪欲な意志。
それがまた 読者には魅力となるのだから、
地主さんは本質的に すぐれた芸術家だ。
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