2019年07月31日

桂吉弥さんがおもいだした桂一門のこころがまえ「稽古は仕事で高座は集金」

けさの朝日新聞に、桂吉弥さんが
「見えないところで精進」という記事をよせている。
安来市の足立美術館をおとずれたとき、
入館料をはらわなくてもとおれる場所が、
よく手いれされているのに感心したという。
美術館からはみえないのに、ひとの手がはいっている。
「ここまでやるのかと気持ち良くなった」そうだ。
そして、「稽古が落語家の仕事」という
桂一門のこころがけを 吉弥さんはおもいだしている。
で、高座での本番はなにかというと、「集金」なのだそうだ。

仕事なんだから、稽古をつんであたりまえ。
えらくもなんともなく、ただやるべきことをやっているだけだ。
サラリーマンだったら、勉強するのが仕事、といえるかもしれない。
仕事に関係する分野について、関心をもち、情報をあつめるのは
仕事なんだからあたりまえだ。
このごろのわたしは、やるべきことをせずに、
集金ばかりやってないかと、ドキッとした。

ただ、「見えないところで精進」というのは、
いかにも日本人らしい発想におもえる。
日本人には、ひとのみていないところで、
ひそかに努力するのをよしとする美意識がある。
みられていなければ 手をぬくのでは よくないけど、
そうでなければ、ひとがみていようが みていまいが、
精進をつめば問題ないはずなのに。

糸井重里さんが「ほぼ日」のコラムで
努力と言わずに、「善き習慣」と名付けたら

と提案している。
そして、だいじなのは、それにつづく
これは、たのしくだってできそうですよね。

という点にある。
地味で目だたず、だれからも評価されなくても、
たのしくすれば「善き習慣」をつづけられる。
習慣なんだから、つらさとか、苦労とは関係ない。
「精進」は「努力」よりもさらに精神的な りきみがよみとれる。
あんまりつかわないほうがいいかもしれない。

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2019年07月30日

「みんなで筋肉体操」の第3弾に期待する

からだの露出がおおくなる夏にはいったせいか、
ヤフーのトップページをひらくと、

・痩せ体質になるには
・ほっそりウエストを目指す
・正しいウエイトの選び方
・汗をかけば体重が減るの?

など、エクササイズやダイエットの記事がやたらと目につく。
ほんとうは、ヤフーのせいではなく、夏だからでもなく、
わたしがそうした記事をこのむ傾向があるのを
ヤフーが認識した結果にすぎないのだろう。
どれもたいして中身のないスカスカな記事ばかりで
ページをひらくたびにがっかりする。
わたしにとっていいしらせだったのは、
「みんなで筋肉体操」の第3弾が放送中、という記事だ。
7月29日から連続4日、いつものように、
うでたてふせ・腹筋・スクワット・背筋の順で放映するらしい。
わたしはしばらくまえから
この番組のうでたてふせとスクワットにとりくんでおり、
2種類のメニューだけでは マンネリをかんじはしめていた。
第3弾がいいメニューなら、新鮮な気もちをとりもどせるだろう。

「みんなで筋肉体操」のおもしろさは、
わずか5分で、筋肉を限界までおいこめるところにある。
とくにうでたてふせは、5分の番組で、
じっさいにトレーニングするのは2分しかないのに、
毎回ヘトヘトになるほど筋肉に刺激をあたえられる。
自分の体重だけでは刺激がすくない気がするけど、
スピードも もとめられるので、レベルにおうじて負荷をかけられる。

指導者の谷口さんが、なにかの記事ではなしていたのは、
中高年者にも筋肉体操がひろまればうれしい、
といった内容だった。
さきほどもかいたように、
「みんなで筋肉体操」はまともにやれば
かなりきびしいトレーニングとなる。
初心者にはきつすぎる内容かもしれないけど、
そこがまたこの体操をするだいごみだ。
筋肉を限界までおいこむところに、この体操のよさがあり、
それは快感ですらある。
ただ、おもしろみをかんじるには、
かなりまじめにとりくむ必要がある。
ジムでマシンをつかっての筋トレよりもずいぶん地味で、
ストイックといっていいトレーニング法だ。

まだ筋トレになれていないひとでもとりくめるように、
番組では、たとえばうでたてふせのとき、
・テーブルをつかう
・5秒やすんでから、ふたたびつづける
・ひざをついておこなう
など、負荷をかるくするやり方をおしえてくれる。
地味だけど、まじめにやればおもしろいので、
レベルにおうじて負荷を調節し、
ぜひつづけてみるようおすすめしたい。

posted by カルピス at 22:43 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月29日

「ローマ字 何のため?」漢字かなまじりをすてられなかった日本

きょうの朝日新聞に、「ローマ字 何のため?」という記事がのった。
ローマ字が、日本にはいってきた歴史的な経緯や、
ヘボン式と訓令式のローマ字があると説明している。
ローマ字運動についてもふれており、そのなかに、
民族学者の梅棹忠夫は漢字より伝達能率が高いとして「日本語のローマ字化」が持論だった。

と梅棹さんの名前があがっている。

漢字かなまじりの日本語はタイプライターにのらなかったけど、
ワープロとパソコンの出現により、
日本語が機械であつかえるようになったと、
一般的にはうけとめられている。
しかし梅棹さんは、新聞の記事にもあるとおり、
情報をあつかうときの能率を問題にかんがえていた。
ワープロにより、日本語が機械であつかえるようになったというけど、
問題をさきおくりしただけ、というのが梅棹さんのとらえ方だ。
ヨーロッパやアメリカにおけるローマ字がきの諸言語にくらべると、効率性において比較にならないほどおとっている。(中略)いままでのところは、この漢字かなまじりという不合理きわまるシステムでなんとかつじつまをあわせてきたが、21世紀の文明をかんがえると、これで情報の質と量において競争に勝つのはむつかしいであろう。(「情報時代と日本語のローマ字化」1995.1.4 朝日新聞に掲載)

というみかたをしている。

ワープロがつかわれるようになって40年がすぎ、
パソコンで日本語をかくのも
いまではだれもがあたりまえの環境としている。
しかし、梅棹さんが問題視していた効率性については、
これから日本のおくれがあきらかになるのではないか。
NHKの「クールジャパン」をみていたら、
スタジオにきていたシステムエンジニアの男性(ロシア人)が、
日本は情報化におくれており、
あと10年で ほかの国と そうとう差がつくのでは、とはなしていた。
情報の最前線にたつひとたちは、
漢字かなまじり文をすてずにきた日本文明を
どうとらえているのだろう。

けさの記事にはなしをもどすと、
デーブ=スペクターさんが「文字を選べるぜいたく」として、
コメントをよせている。
日本の文字がローマ字だけにならなくてよかったですよ。だって、味気ないでしょう。日本では漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字と四つもあって、選べる。

よく耳にするとらえ方であり、おおくの賛成をあつめそうだ。
スペクターさんがいみじくも「ぜいたく」といっているように、
4つの表記をまじえるのは、優雅で繊細な文化かもしれない。
しかし、そのぜいたくに こだわっているうちに、
情報化の競争からおいてきぼりされてもいいのか、
というのが梅棹さんの問題意識だ。
あと10年で、日本と諸外国は、どれだけの差がついているだろうか。
タグ:梅棹忠夫

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2019年07月28日

「世界が平和になるような気がして」ネコの毛をとっておく犬童さんご夫婦

きのうの朝日新聞にのった「ペットとともに」は、
ほぼ一面がネコについてのページだった。
そのなかで、映画監督の犬童一心さんが、
ネコのぬけ毛のあつかい方を「告白」している。
いまはぬけ毛の時期なので、ブラシをするとたくさんの毛がぬける。
犬童さんの奥さんは、ブラシについた毛を
すぐにはすてないで、ポリ袋にためているのだそうだ。
なんでかというと、「世界が平和になるような気がして」。
犬童さんはそれをきいたとき、
おもわずたちあがりそうになるほど おどろきながら、
もう一度その言葉を噛みしめると、私も自然に「そうだよな」と思えた。あの、袋に毛をしまう時の静かで穏やかな気持ちはどこか「祈り」に似ているのだ。

含蓄のあるはなしだ。
わたしもうちのココによくブラシをするけど、
そしてたしかにいまはごっそり毛がぬけるけど、
とれた毛をそのままゴミとして すてている。
ブラシをあてるときが「祈り」に にているのならわかるけど、
袋に毛をしまうときに「祈り」をかんじるというのが
わたしの感覚とずいぶんちがう。

ココを外にださないように気をつけていたけど、
このごろは網戸のあけ方をおぼえ、
ほぼ自由に外へでかけるようになった。
ほかのネコからノミをもらってしまい、
しきりにからだのあちこちをかいている。
そのノミをとるのが、わたしの日課になった。
どちらかというと、ノミをとるときの精神統一が、
「祈り」に にているかもしれない。
ノミが毛のなかにふかくもぐると、
そうかんたんにはみつけられないし、
かなりはやくうごくので、はじめの攻撃でしとめられないと、
たかい確率でノミをにがしてしまう。
息をひそめ、ココの機嫌をとりながら、
ノミとりに集中するのは、あんがいたのしい時間で、
ブログをかこうとしてるときも、ついココの毛をまさぐって
ノミとりをはじめてしまう。
でもそれで「世界が平和になる」のなら、
もっと大切にあつかったほうがいい時間かもしれない。
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2019年07月27日

『ブルース・ブラザース』ふたたび

「午前10時の映画祭」で『ブルース・ブラザース』をみる。
DVDをもってるのに、おおきなスクリーンでみたくなった。
残念ながらすこしみぢかくした販で、
ダッジを秘密の車庫にしまう場面と、
エルウッドが仕事をやめると上司につたえる場面がない。
日本語訳も、DVD版のほうがこなれている。

「午前10時の映画館」の企画は、今年度でおわるそうだ。
つぎの作品は『ローマの休日』で、
そのあとも みたい作品がずらりとならぶ。
ただ、午前10時に映画をみると、おわるのがお昼ごろとなり、
まだ日中だということに からだがなじまない。
映画の余韻にひたるには、くらくなってから映画館をでたい。

『ブルース・ブラザース』は、こまかなところが印象にのこる作品だ。
エルウッドが刑務所にジェイクをむかえにいき、
中古でかったパトカーの性能を自慢したのにたいし、
「シガレットをなおせ」と、ジェイクが関係ない返事をするところ。

シスターの部屋へあいさつにいき、
はなれた場所にあるイスにすわったふたりが、
もっとちかくにくるようにいわれ、
イスをガタガタいわせて(イスとテーブルが一体型だ)
シスターのつくえに にじりよる場面。
あんなにダンスがうまいのに、イスの移動はぶきっちょだ。

自分の部屋にもどったエルウッドが、
ていねいに食パンをコンロでやく場面。
レイの店では、トースターをみつけると、
ふところから食パンをとりだして機械をためしていた。
あのひとは、なんで食パンをやくのにこだわるのだろう。

この作品は、大物ミュージシャンとのからみと、
警察(のちには軍も)とのカーチェイスと、
おおざっぱいにいえば、ふたつの部分にわけられる。
それにくわえて主役のジョン=べルーシー(ジェイク)が
ドラッグであてにならないのだから、
監督は撮影をすすめるのが たいへんだったのではないか。
大物ミュージシャンたちは、ミュージシャンなのだから、
演技がうまいとはおもわないけど、独特な存在感があり、
ただセリフをくちにするだけで じゅうぶん絵になる。
カーチェイスは、パトカーが100台ぐらいつぶれていくので有名だ。
まるでじぶんからこわれたがっている車みたいに、
どんどんぶつかって、残骸の山ができる。
ラストのシカゴ市役所まえで、警察と州兵が、
「極悪」な2人をおいかけてビルに殺到する場面は、
なんどみてもおかしい。
作品の底にながれる壮大なあそびが、
ラストのどたばたでみごとに完結する。
ふたりに手錠がかけられ、
おおぜいの警官に銃をつきつけられる場面のすぐあとで、
刑務所での「監獄ロック」がはじまるのも気がきいている。
逮捕されるわけのないバンドの仲間たちもいっしょになって
ブルース=ブラザース=バンドの再結成で めでたしめでたし。

posted by カルピス at 21:28 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月26日

女子サッカー、ラピノー選手に拍手をおくりたい

サッカー女子代表のキャプテンとして、
アメリカを優勝にみちびいたラピノー選手が、
「(W杯で)優勝しても、ホワイトハウスにはいかない」、
と発言して話題になった。
これを受けてドナルド・トランプ大統領は「まず優勝すべきだ」とSNSで反応、「ラピノーvs大統領」の舌戦となった。そして見事に優勝した後にも、やはりラピノーは「ホワイトハウスには行かない」と宣言した。

「”大統領にも屈しない”米女子代表ラピノー」(西部謙司)
https://news.nicovideo.jp/watch/nw5637774
西部さんは、ラピノー選手がニューヨークでおこなった
街宣スピーチも紹介している。
「チームにはピンクの髪の人がいる、紫もいる。タトゥー、ドレッドロック、白人、黒人、ストレートもゲイも!」
「もっと愛しましょう、憎むことは少なく。私たちはより良い世界を作る義務がある」

W杯で得点をあげたとき、ラピノー選手は優雅にポーズをとり、
それがまた とてもきまっていた。
彼女はキャプテンとして アメリカの優勝に貢献したうえに、
みずからも得点王と最優秀選手にかがやいている。
トランプ大統領に、正面から異議もうしたてをするのも、
ラピノー選手のいき方が、トランプ大統領的な発想と
まったく あいいれないからだ。

朝日新聞は、「もの言うアスリート 日本では」として、
彼女の発言をとりあげていた。
政治とスポーツは、きりはなせる はずがないのに、
日本のスポーツ選手は、政治的な発言をひかえるひとがほとんどだ。
日本社会は、選手が政治的なメッセージを口にするのをこのまない。
モスクワオリンピックを、日本政府が参加しないときめたとき、
ないてうったえるしか、選手たちは意思表示ができなかった。
W杯に優勝するまえからホワイトハウスへいかないといい、
優勝しても やっぱりいかない。
凱旋パレードのスピーチで、
「私たちはより良い世界を作る義務がある」とはなす。
日本からラピノーのような選手がでてくるのは、
どれくらいさきのはなしだろう。

posted by カルピス at 21:21 | Comment(0) | 女子サッカー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月25日

セブ島での語学留学をおえたむすこにたずねる

むすこが4ヶ月弱の語学留学をおえ、
いったん広島のアパートによってから、
実家であるわたしたちの家に 今夜かえってきた。
フィリピンのセブ島にある語学学校へでかけたのがことしの4月。
出発するまえに 留学についてたずねても、
こまかいことは本人もわからないようで、
わたしはどんな滞在になるのか、イメージがつかめなかった。
こんやは、謎だった部分について、なんだかんだと質問した。
たずねると、うっせーなー、とかいわず、
いやがらないで はなしてくれる。

・1クラス5人(韓国人2・台湾人2・むすこ)
・授業は基本的にマンツーマンで、
 1日にひとコマくらいはクラスでのはなしあい
・学校が経営する寮でくらす。4人部屋をえらんだという。
・3回の食事と授業料、それに寮へのしはらいは、1ヶ月に13万円。
・(チョコレートマウンテンで有名な)ボホール島へいった?
 いってないそうだ。はじめのころ
 なんどかセブ島のビーチにいったぐらいで、
 セブ島からでなかったという。
・じゃ、なにをいちばんしてたの?
 あんがいまじめに勉強してたみたい。
・留学のあとでほかの国へ旅行にいけばよかったのに、
 とわたしがいうと、
 ぜんぜんそんなことはかんがえなかったそうだ。
・63キロの体重が、59キロになっていた。
 体調をくずしたこともあったし、
 フィリピン料理はあまりあわなかったという。      

どれくらい英語のちからがついたかは おしえてくれない。
先生とマンツーマンでの授業をうけたら、
かなり英語になれるのではないか。
こんど英検をうけてみるそうだ。  

21年まえにむすこがうまれ、
男の子の親になったのだから、
・いっしょに自転車ではしる
・キャッチボールをする
が、わたしのささやかなねがいとなった。
そしてこのふたつは、ぶじに実現している。
留学からもどり、子どものたしかな成長をかんじるのも、
とくにねがっていたわけではないけど、
親としてなかなかわるくない気もちだ。
わたしがはじめて外国へでたのは25歳のときだ。
むすこはいま21歳。
いい体験をしたのだろう。
すこしやせたぶん、表情がひきしまってきた。 

4ヶ月ぶりにむすことあうココは、
それでもわすれてなかったようで、
いつものようにリラックスしてテーブルにあがり、
そのままねそべった。   
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2019年07月24日

「子どもは静かに溺れる」子どもをしずませてはならない

すこしまえの朝日新聞に、
「子どもは静かに溺れる」という記事がのった。
記者は、水辺での事故防止にむけた安全セミナーに参加し、
プールで子どもがおぼれる映像をみたという。
フィンランドのプールで溺れた子どもが、誰にも気づいてもらえず、沈んだまま水中をさまよう映像である。子どもはいったん何とか壁に到達したが、手すりがないために浮上できず、徐々に動けなくなる。(中略)大声で助けを求め、バシャバシャと暴れるのは架空の話で、実際には、状況を理解できないか、呼吸に精いっぱいで、声を出す余裕もないという。

ふざけておぼれたまねをするとき、
水面をおおげさにたたいてアップアップしてみせるけど、
じっさいは「子どもは静かに溺れる」らしい。
プールでおぼれたふりなどをすると、
監視員から注意されるけど、
ほんとうに監視委員が気をつけるべきは
はでにふざけている子どもではなく、
しずかにしずんでいる子だった。

わたしは赤十字の講習会に参加し、
プールでなんにちか訓練をうけたことがある。
おぼれたひとをみかけたら、自分でたすけようと とびこむのではなく、
まず浮き輪など、つかまれるものをさがしてなげる、とおそわった。
浮き輪が大原則であり、それがない場合に救助法をつかう。

救助法では、おぼれているひとにつかまれないよう、
うしろがわからちかづいていって、
アゴを固定してひっぱる、とか、
いったんもぐって、おぼれているひとのひざをつかみ
クルッと反転させてから水面にうかび、
あとはおなじように、アゴを固定してひっぱる、
とかの技をしこまれた。
おそわりながらも、こんなやり方では、
半狂乱になっているひとを
こんなにうまくはあつかえないだろうな、とおもった。
だきつかれて、いっしょにおぼれる自分が目にうかぶようだった。
おぼれているひとに、素手でむかうのはいかにもあぶなっかしい。
大原則である浮き輪やライフジャケットがなければ、
みちづれになりかねない。

記事では、
「子どもを沈ませないことが最大の予防になる」としている。
そのためにはライフジャケットなどの救命具が有効だ。
「子どもは静かに溺れる」。
おそろしい事態は、はでなうごきではなく、
気づかないうちに、ひっそりとすすんでいる、
というのがおそろしい。

posted by カルピス at 22:13 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月23日

ココの通院。熱射病かも、といわれる

ココのげんきがない、ときのうの記事にかいた。
一夜あけたら すっかりげんきになってくれる、
とねがったけど、そううまくはいかず、
あいかわらずしずかにしている。
ごはんをすこしたべたし 水ものんだ。
おしっこもでたし、そのすぐあとに、
じょうとうなフンもしている。
顔つきだっていつもとおなじなのに、
ただげんきだけがない。
それに、声をださないココは、いつものココではない。

職場にでかけたものの、胸がざわつくので、
仕事をぬけて動物病院へココをつれていく。
症状をはなすと、口のなかをみられ、体温をはかられた。
熱が40℃ある。
ネコの平熱は38℃くらいだそうで、
熱があるのに よくごはんをたべましたね、といわれる。
よくわからないけど、熱射病かもしれません、ということだ。
きのうはきゅうにあつくなった日で、
人間もくるしかったのだから、ココが体調をくずすのもありえる。
感染症かもしれないので、しばらくようすをみるようにいわれ、
ビタミンと抗生剤のはいった注射をうたれた。

家にもどると、ココはすこしごはんをたべた。
エアコンをつけ、わたしは職場にもどる。
夜になっても、まだいまひとつげんきがない。
おおさわぎしてはしりまわらないし、
食事のときにおかずをねらったりしない
(テーブルのうえにはあがってくれた)。
いっしょにくらしている動物が病気になると、
あたりまえな日常がいかにありがたいかがわかる。
症状をうったえられないココの異常は、
自分の病気よりもずっとこたえる。
しずかにまるまっているココをみていると、
心配がふくらんでくる。
ココがげんきでいてくれたら、
ほかになにをのぞむことがあるだろう。
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2019年07月22日

『犬と猫 どっちも飼ってると毎日たのしい』にみる犬とネコの心理

「ほぼ日」で松本ひで吉さんの
『犬と猫 どっちも飼ってると毎日たのしい』
をしり、サイトにあげられているマンガだけでは
ものたりなくなった。
コミックの1巻をアマゾンでかい、おもしろかったので、
2巻と3巻も注文する。

犬とネコの対比がおもしろいのだけど、
そこには松本さんのこまかな観察力がある。
わたしはただネコっかわいがりするだけで、
なにかの変化に気づかず、病気の発見がおくれたりする。
気づくのはたいてい配偶者のほうで、
きょうも彼女が
「ココに元気がない」といわれ、
ようやくいつもとココのようすがちがうのに気づいた。
はしりまわったり、たたかいをいどんだりせず、
しずかにうずくまっている。
ごはんをたべるし、フンにも異常がないので、
きゅうにあつくなった天候の変化についていけず、
ぐったりしているだけだとおもいたい。

松本さんはこまかな観察により、
犬とネコの心理をふかくよみとっている。

・犬はトイレを失敗したのを自主的に反省する。
・ネコは失敗したことより
 あまりにたくさんでたことにショックをうける。

ふつうだったら、たくさんウンコがでて
まさかネコがショックをうけるなんてよみとれない。

 からだのうえにあやまってのっかったとき、
・犬はぜんぜんおこらないけど、
・ネコはいたくなくても気分を害する。
 そしてゆるしてくれない。

 そとでよその犬やネコのにおいをつけてかえってくると、
・犬はにおいをかぎまくり、外の情報をたのしむ。
・ネコは、決しておかえりは言わないが、
 頭をぐりぐりすりつけてきて、
 よそのにおいに、自分のにおいでうわがきしていく。

頭ごっちんが、においのうわがき保存だなんて、
わたしだったらぜったいに気づかない。

めずらしくはしゃいでいたのに、
お母さんがかえってきたとたんネコが姿勢をただした。
お母さんのことを、
スキをみせられぬライバルと思ってるっぽい

著者の松本さんがよっぱらって家にもどり、
おみやげをとりだしながら
「ほしければ踊るがいい 狂乱せよ!!」
と、めんどくさいよっぱらいのテンションでせまると、
犬は「うひゃああ おめぐみくだしゃーい」
とノリがいい。
ネコは、しばらくその光景をながめたあと、
下らん茶番はそのへんにして、
 早くよこすのだ

と圧力をかけてくる。
ネコはきっと、ほんとうにそういってるのだろう。
2巻と3巻がまちどおしい。

posted by カルピス at 22:14 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月21日

ヤフー知恵袋の質問と、選挙にぐったりする

わたしがアルバイトをしているハーブショップでは、
ときどき「お客さまから声」というファイルをわたされる。
スタッフぜんたいで、状況を共有しておきたいと、
店長がまとめているものだ。
なにか問題があったメール、というわけではなく、
苗がぶじとどきました、だったり、
元気な苗でよろこんでいます、とか、
ハーブについての基本的な質問だったりする。
こまかな内容をここでかくわけにはいかないけれど、
そのハーブをえらんだ理由をていねいに説明されていたりすると、
お客さまの存在を身ぢかにかんじるようになる。
でも、なかにはこたえるのがすごくたいへんな質問、
たとえば、10種類ちかくのハーブをあげて、
そだて方のポイントをおしえてください、
なんてメールがくると、
たしかにお客さまからの質問かもしれないけど、
あまりにもおんぶにだっこちゃんなので
わたしだったら、よう返事をかかないな、とおもう。
そこらへんは、ヤフーの知恵袋とおなじだ。

それにしてもヤフー知恵袋はすごい。
それぐらい自分でしらべろよ、とおもうような質問を
平気でなげかかけている。
このごろのわかいものは、なんてぜったいにいわないぞ、
とふだんからいましめているのに、
自分でかんがえたり、しらべたりを放棄した質問をみると、
これからの人類はいったいどうなるのだとぐったりしてしまう。

きょうは参議院選挙の日で、
ほとんどいくつもりはなかったのに、
母親から投票所につれていってくれ、とたのまれてしまい、
わたしも投票することになった。
県知事選・市議会選など、このごろつづけてさぼったので、
ひさしぶりの投票となった。
投票しないのはもったいない、というけど、
あまりにも不毛な立候補者だったりすると、
投票しないのも意思表示だろうという気になる。
参議院は、とくにしくみがややこしいうえに、
参議院じたいが、ほんとうに存在意義があるのか
きわめてうたがわしい。

ヤフー知恵袋と選挙はまるでちがうものなのに、
わたしは おなじ いかがわしさをかんじている。
ヤフー知恵袋のぐったりくる質問は、
日本の選挙制度がつくりあげたにちがいない。

posted by カルピス at 21:50 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月20日

ランスマは、これからどこへむかってはしるのか

水曜日に放映された「ランスマ 」は、ランナーとお風呂について。
番組がはじまると、スタジオには金さんと鈴木奈々さん、
それに、NHKアナウンサーの阿部さんの3人が、
バランスボールにすわっている。
なんだかさみしいスタートだ。
阿部さんがこんかいの司会進行をつとめるという。
田村亮さんについては、ひとこともふれられない。

こんかいの番組では、まずタレントの古原靖久さんが
10キロのレースに挑戦し、そのあとのお風呂をたのしむ。
古原さんは自己ベストが50分なので、その更新をめざすという。
10キロ50分はめちゃくちゃはやい。
1キロを5分のペースだから、わたしにはとてもむりだ。
古原さんのはしりをみると、リカバリーのとき足をよこにふり、
いかにもはりりなれないひとのフォームだ。
コースは後半がのぼり坂だというし、
さすがにこれはきついのでは、とおもってみていたら、
なんと48分46秒ではしりおえた。
ゴールしたときはめちゃくちゃくるしそうだったけど、
さいごの1キロを3分46秒ではしっているのだから
ありえないほどのラストスパートだ。
わかければ、なんでもできるという
おっさんランナーにはうらやましいというか、
まるで参考にならない古原さんのはしりだった。

このあと番組では、金さんがつかれをとる入浴法をはなしたり、
銭湯をめぐるランニングなど、お風呂とランニングを
いろいろむすびつけていた。
印象としては、50分をもてあましているかんじだ。
田村亮さんの存在が絶対的なものとはおもわないけど、
亮さんがいないことで、ちぐはぐな雰囲気になっているのもたしかだ。
3月までは、6時から6時25分までが「チャリダー」、
25分から50分までが「ランスマ」と、
それぞれ25分の時間枠をいっぱいにつかい、充実した内容だった。
ランスマは、これからどう番組をくみたてていくのだろう。
タイトルどおり、はしるたのしさをつたえてくれたら
わたしのレベルにあっているので、たのしくみられる。
わかいひとが、がんばったらすごいタイムがでました、では、
さえないランナーのわたしは不満がたまりそうだ。
タグ:ランスマ

posted by カルピス at 10:43 | Comment(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月19日

『燃えるアッシュ・ロード』3人の少年がひきおこした オーストラリアでの山火事

『燃えるアッシュ・ロード』
(サウスオール・小野章:訳・偕成社文庫)

オーストラリアの都会でくらす、3人の少年たちが、
田舎まちへキャンプにやってきた。
親たちのさしずをうけず、
仲間だけで1週間をすごせる自由な日々に、
少年たちは胸をふくらませる。
しかし、アルコールランプでコーヒーをいれようとした少年たちは、
ほんのちょっとしたあやまちから、火事をおこしてしまう。

アメリカやオーストラリアでの山火事が
ときどきニュースとしてつたえられるけど、
日本では、なんで山火事がそれほどの災害になるのか
いまひとつピンとこなかった。
土地のひろさ、つよい北風、乾燥しきった乾季など、
オーストラリアの山火事は、日本とまるで規模がちがう。
北風が吹き荒れ、煙のにおいがかすかにただよい、気温ははねあがって、日かげでも45度をこえた。火が山をこえ、まるで千台の機関車を横にならべて、いっせいにばく進してくるような音をたててせまったときには、気温はのぼりにのぼった。その熱さに、飛んでいた鳥でさえ、焼けこげになっておちてきた。草は自然に発火し、しめきった家を爆発し、クリークは煮えたぎった。

都会からやってきた少年たちは、
その土地で火事がどれだけおそれられているかをしらない。
あさい穴をほり、小枝をあつめて火をつけ、
料理をしようとしていたら、とおりがかりの車がとまり、
「その火を消しなさい!」と
つよい口調で注意をうける。
こんなちいさな火ぐらいで、うるさくいわれた少年たちは、
不満をかんじながらも、湯わかしのお湯を穴にかけて火をけした。
少年たちは、北風が火をあおり、煙が四方にちぎれとぶのをみる。
「こんどは足で火を踏み消すのよ」とその女の人はいった。「よく消すのよ。おきがなくなるまで、踏み消すんですよ。」

火の消し方にも注意しないと、火事をひきおこしてしまう、
乾燥しきった土地だ。
どの家も戸外でごみをけっして燃やさず、マッチも、火が消え冷たい燃えかすになるまでは捨てず、タバコの吸いがらはかならず土のなかにおしこんだ。割れたガラスやびんは、万が一にもレンズの役目をして太陽の光を集め、燃えやすいものに火をつけるといけないというので、投げ捨てるものはいない。

しかし、山火事を まだあまくみていた少年たちは、
夜中にコーヒーをいれようとして、
まわりの草に火をうつしてしまった。
火はあっというまにひろがり、かわききった森をのみこむ。
少年たちは、消火どころではなく、
自分たちの身をまもるのがせいいっぱいだ。
火事はすぐにおおきくなり、
地域全体をやきはらう災害へとすがたをかえる。
ここまで火事がそだつと、消火は不可能となる。
火はすべてをやきつくしながら どんどんいきおいをまし、
少年たちが火事をおこした場所から、
数キロはなれたアッシュ=ロードまでせまってくる。

まるで映画をみているような小説だ。
主人公である少年たちを登場させ、
火事をおこすまでのながれをしめし、
アッシュ=ロードにすむ主要な登場人物たちを紹介し、
あとは火事がものすごい いきおいでおおきくなり、
災害とよぶレベルにたっするようすをえがく。
山火事をひきおこした少年たちのうごきと心理、
ふるくからその土地にすむ老人が、
火事をどうとらえ、対応するか。
登場人物の配置をおえ、ものがたりがスタートすると、
あとは一気にラストまでつきすすむ。
日本とは規模のちがう山火事の迫力におどろき、
避難するひとたちのあせりとつかれをリアルにかんじる。
よんでいるわたしまで、火事からにげまどっている気がしてきた。
すばらしい作品だ。

posted by カルピス at 22:44 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月18日

「なんもしない人」におどろく宮田珠己さん

『本の雑誌』の7月号と8月号で、
宮田珠己さんが「なんもしない人」をとりあげている。
「レンタルなんもしない人」は、なにもしないけど、
そばにいるだけはできます、というかわったサービスだ。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/465502789.html
『レンタルなんもしない人』というサービスを始めます。1人で入りにくい店、ゲームの人数あわせ、花見の場所とりなど、ただ1人分の人間の存在だけが必要なシーンでご利用ください。 国分寺駅からの交通費と飲食代だけ(かかれば)もらいます。ごく簡単なうけこたえ以外なんもできかねます。

「レンタルなんもしない人」が、なにもしないで生きていることに
宮田さんはおどろきながら、うやらましくもおもっている。
本もとりよせて、奥付をみると、発売5日で増刷しているからだ。
ひとは、はたらかなくてもよかったのかと、
宮田さんは「肩の荷が降りた」という。
「なんもしない人」は、はたらかないから、
お金がはいらないかとおもえば、
本の出版というかたちでお金をえている。
でもそれは、たまたま本がうれた結果であり、
はじめから本をうってお金をかせごうと
なんもしないサービスをはじめたわけではない。

ひとは、なんもしないで、生きていくことが可能だろうか。
そして、ただひとのそばについていることが、
そんなにも もとめられる「サービス」なのだろうか。
それをいま「なんもしない人」は実験している。
お金に背をむけ、目にみえる損得ではうごかない。
ふつうだったら、生活をなりたたせる最低限の収入を、
どうやってえるのか、いろいろ工夫するところだけど、
「なんもしない人」はそういったかんがえ方はしない。
それでどうやってくらしていけるのか、ほんとうに不思議だけど、
「なんもしない人」にとって、そんなことはどうでもいいのだろう。
まったくあたらしいタイプの人間で、
問題意識がふつうにひととかけはなれている。
なにかあたらしいうごきは、
こういうひとからはじまるのかもしれない。

生きるためには なにかをして
はたらかなければならないと、
わたしたちはおもいこまされているけど、
そうではなかったとしたら すばらしいはなしだ。
「なんもしない人」のように
経済のしくみからかんぜんにはなれたところにたつと、
ちがった景色がみえてくるのだろうか。
いまはまだ実験のさいちゅうで、こたえをだす段階ではないそうだ。
「なんもしない人」が、どんな結論にたどりつくかをしりたい。

posted by カルピス at 22:24 | Comment(0) | 本の雑誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月17日

梅ぼしづくりのコツは、かんがえずにとにかく梅をかうこと

ことしは梅ぼしを3キロつけた。
まいとし3〜5キロつけてるから、
いいかげんやり方をおぼえてもよさそうなのに、
いつも本をひっぱりだして つけ方をたしかめる。
塩を梅のおもさの2割、おもしは2倍。
これをまもれば、梅ぼしづくりはたいてい成功する。
いちどだけ、ながくむしあつい梅雨がつづいた年に
容器にカビがうかんだことがあった。
部屋のたたみにもカビがはえるようなひどい梅雨だった。
そのときだって、梅酢からカビをとりのぞいたら、
梅じたいは無事で、いつものようにたべられた。
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梅ぼしをつけてから、1ヶ月たったころ、
梅をザルにあけ、3日間、日光にあてる。
梅をつけるのは、たいてい梅雨の時期なので、
3日間の日光浴があんがいむつかしい。
いつも雨がかからないかとヒヤヒヤしながら、
くもり空の日にも、ベランダにだし、3日間ほしたことにする。
ことしは、いましかない、というタイミングで
梅雨のはれまが運よくおとずれて、3日間そとにほせた。
こうやって、日にあてると、
梅のにくがやわらかくなるのだという。
梅だけでなく、シソもいっしょにつける。
赤いシソをかってきて梅酢につけても、
きれいな赤にならないことがおおいのに、
ことしはすごくあざやかな赤にシソがそまった。
なんだかんだと、ことしは梅ぼしづくりがうまくいった。
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梅ぼしづくりは、なにもむつかしいことはないのだけど、
材料をかったり、容器を消毒したりがめんどくさくおもえ、
なかなかうごきをきりだしにくい。
ほかの仕事といっしょで、
かんがえずにからだをうごかすのがコツかもしれない。
あれをして、これをして、
それには何日に梅をかわないといけないから・・・、
なんて頭でいじくりだすと 腰がどんどんおもたくなる。
スーパーで、梅が目についたときに、
さっとかってしまえば、あとはもうやるしかない。
そして 梅ぼしづくりは、かなりの達成感をもたらしてくれる。
いかにもていねいにくらしているようで気分がいい。

posted by カルピス at 21:22 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月16日

「思うてるのの倍」調味料をいれる大悟さんに好感をもつ

新聞に、「テレビ千鳥」の
「DAIGO’Sキッチン」がとりあげられていた。
大悟さんの料理は
調味料は「思うてるのの倍」がモットー

というから気もちいい。
からだにいい料理がもてはやされ、塩分やあぶらを
なるべくとらないように工夫するひとがいるけど、
大悟さんは そのまったく逆だ。
塩分をひかえるために、酢をつかったり、ダシをきかせたりは、
健康にはいいかもしれないけど、正論すぎておもしろくない。
「思うてるのの倍」調味料をいれるのは、
大悟さんも、あいかたのノブさんも、
こいめの味つけがすきだからで、
あいてによろこんでもらう、が料理のツボだとすれば、
大悟さんはとてもただしい。
ヘルシーだとか、さっぱりしてるとか、
しつこくないとか、意外とまろやかとか、
もっともらしい評価をまるで気にせずに、
「思うてるのの倍」調味料をいれる大悟さんに好感をもった。

わたしはこのごろ「もやチやき」をよくつくっている。
もやしとチーズ、それに片栗粉をまぜてやくだけという
ものすごくシンプルな料理だ。
はじめは豚バラをのせたり、タマゴをといたりしたけど、
そんなことをしておこのみやきに にせなくても、
シンプルなままでじゅうぶんおいしい。
まずくなるわけがない材料だし、もやしはいつもやすいし、
テーブルがさみしいときに たすけてくれる一品だ。
のこればそのまま おべんとうのおかずにもなる。

もうすこし料理らしいものとしては、ラタトゥイユがおすすめだ。
夏やさいがでまわっているので、材料にこまらないし、やすい。
ナス・ピーマン・ズッキーニ・ネギ・しいたけを、
「思うてるのの倍」くらいオリーブオイルをいれていためる。
ナスはあぶらをよくすうので、
たりなくなったら さらにオリーブオイルをたす。
あぶらがまわってきたら、トマトをすりおろし
ふたをして につめていく。
栗原はるみさんの『ごちそうさまが、ききたくて。』では、
味つけにブイヨンと醤油をつかっている。
あつくてもおいしいし、冷蔵庫にいれて
つめたくなったままでもたべられる。
「思うてるのの倍」は、あんがい料理づくりにおける
ひとつの真理かもしれない。

posted by カルピス at 21:57 | Comment(0) | 料理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月15日

『キャスト・アウェイ』をみて、海へこぎだしていったホモ=サピエンスをおもう

シネフィルWOWOWをつけたら
『キャスト・アウェイ』をやっていた。
無人島にながされたところから、
イカダをつくって脱出するまでをみる。
なにもないところで、のみ水やたべものをえて、
すむ場所をととのえる。
わたしだったら、すぐにこころがおれそうだけど、
主演のトム=ハンクスは、コツコツと工夫をかさねて
無人島での生活をなりたたせてゆく。
なにもない、とかいたけど、
彼にはフェデックスの荷物が役にたってくれた。
スケートの刃でオノをつくり、
ドレスから魚をおうアミをつくる。

2万年まえに、大陸から海へのりだしていったホモ=サピエンスたちは、
ついたさきの島で、どうやって生きていったのだろう。
船には、最小限の道具や食料があったかもしれないけど、
彼らのもとにフェデックスの小包はながれてこなかった。
しらない土地で、ゼロからくらしをつくりあげるのは
ちょっとかんがえただけでもたいへんそうだ。
火をつくったり、環境におうじて水やたべものをえるのが、
彼らはとてもたくみだったのだろう。
そうした能力によって、ホモ=サピエンスは
すむ場所をどんどんひろげ、そしてついには
海のにのりださずにおれなかった。
まだみぬ未知の世界への、
やむにやまれぬ欲求とエネルギーを不思議におもう。

『キャスト・アウェイ』をみたから、
それに海の日だから、というわけではないけど、
なんとなくその気になって海へでかけた。
おもいたったらすぐに海でおよげるのが島根のいいところだ。
自宅から車できっかり30分。
渋滞のない道を快適にはしり、あまりひとけのない海水浴場つく。
砂浜も岩場もあり、わたしはシュノーケリングをたのしむ。
水温がまだひくく、すぐにさむくなったので、
岩にあがって太陽をあびる。
都会ではまず手にはいらない いたりつくせりの状況に、
自分でしんじられないほどいい気分になる。
『キャスト・アウェイ』のトム=ハンクスとちがい、
海は絶望の象徴でなく、自由を味わえる快適なおでかけさきだ。
ホモ=サピエンスにとっても、
海は 自分たちの のぞみをかなえる
ゆたかな可能性にみちた場所だったのだろうか。

posted by カルピス at 17:57 | Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月14日

もうすぐ誕生日。 バースデーチャリティーをどこにしようか

ラジオ番組で、バースデーチャリティーについてはなしていた。
誕生日を、ただ自分のためにおいわいするのではなく、
おいわいしたつもりになって、
なにがしかのお金をだれかのためにやくだててもらう。
寄付文化のない日本では、寄付が根づきにくいけど、
誕生日はだれにでもくるのだから、1年にいちど、
だれでもチャリティーができる。すばらしいアイデアだ。
もうすぐわたしの誕生日なので、
わたしもバースデーチャリティーをしようかという気になった。
そんなときにフェイスブックをひらくと、
吉田淳さんもうすぐ誕生日です。
関心のある慈善活動をサポートする募金キャンペーンを作成しよう。

とのっていた。
自分でうごきだすまえに、
フェイスブックにうながされるとは。
むかしのCMじゃないけど、
いまやろうとおもったのに、さきどりされると、
なんだか気もちがなえてしまう。
でもまあ、なんらかの形で寄付してみよう。

歯みがきをしてるとき、カガミをみると、
ほほに蚊がとまっている。
たたいても、蚊をしとめられない。
老眼のため、ぼんやりとしかみえなかったので、
シミを蚊とかんちがいしていた。
老化としてのシミと老眼。
両方をいやおうなく つきつけられて、がっくりくる。
ほかにもなにかと老化をかんじる機会がふえた。
まだ60にもならないのに、老化って、こんなにすごいとは。
糸井重里さんが、65から、老化はどっとくる、
といっていたけど、そのまえからすでに
しっかり味わっている。
まだまだ、こんなものではないといわれると、
これからやってくるほんものの老化に、
そうだろうなーとおもいつつ、まったく見当がつかない。
老化はだれにとってもはじめての体験なので、
ひとの老化が参考にならない。
自分にやってくるさまざまな症状に、
これが老化なのだと、神妙につきあっていくしかない。

配偶者が誕生日プレゼントとしてシャツとTシャツをくれた。
まいとしかならずシャツとTシャツを1枚ずつくれる。
愛というより儀式としてのプレゼントで、
夫婦であることを再確認できるたいせつな行事だ。
ことしもなんとかもらえてホッとする。
配偶者としては、ファッションにうとい夫が
ろくでもないシャツをきてうんざりするよりも、
自分がえらんだものを身につけるほうが、
まだすくわれるのかもしれない。
もうすぐ誕生日。
もう年はとりたくない、なんておもわない。
1年をなんとかぶじにおえられて、ありがたくおもう。

posted by カルピス at 22:44 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月13日

『道草』(宍戸大裕:監督)障害者が地域でくらすために どうささえているか

『道草』(宍戸大裕:監督・2018年・日本)

チラシに「知的障害者の暮らしとは?」とあった。
わたしは20年以上、障害者介護の仕事についていながら
障害者のくらしについて、日中の部分だけしかしらない。
事業所からかえったあと、家でどうすごしているのか。
やすみの日をふくめ、どんな日常をおくっているのか。

じっさいに映画をみてみると、
自閉症と重度の知的障害をもつ
4人の方のくらしがうつしだされる。
なかには強度行動障害で、まわりのひとや、自分を傷つけ、
日常生活におおきな影響をおよぼすひともいる。
作品では、彼らが1対1による支援をうけながら、
どうくらしているのかがえがかれる。
わたしが予想していた内容とはまったくちがったけど、
ひじょうに刺激的な映像だった。
自閉症の障害特性として、まわりへの気くばりなしで大声をだしたり、
こだわりから、マンホールをふまないとあるけないひとがいる。
道ばたにはえている花に気をとられて うごけなかったり、
かいものでは、サイフからお金をとりだすときに、
「時間がかかります」と宣言し、じっさい ひどく時間がかかっていた。
よくありがちな支援では、問題行動として、
おさえこまれそうな彼らのおでかけを、
そうした支援を専門にする事業所から介護者がでむき、
1対1でつきそうつきいながら ささえている。

散歩や食事の支援をみていると、
ことばだけで要求のやりとりをしており、
けしてじょうずなやり方だとはおもえない。
食事の場面では、なんだかんだいいながら、
けっきょく要求をききいれて 誤学習をまねいていた。
でも、1対1での対応で 彼らはおちつきをとりもどし、
介護者との信頼関係に満足しているようにみえる。
保護者のひとりは、むすこさんの表情がよくなったのは、
自分がいっていることを、しっかりきいてくれるひとがいて、
気もちのやりとりをする体験が こころのおちつきに
よい影響をもたらしているのでは、とはなしていた。

ひとりの障害者は、わたしだったら
とてもそとにつれてでないだろうとおもえるほど、
自分の気もちをおさえにくくて、ひとやものにむかったりする。
映画のなかでは、おもっていることをつたえられないイライラから、
コンビニのガラスをわった場面がでてきた。
いきなり町のなかをあるいたり、電車にのったりせずに
ひとのすくない場所でのさんぽからとりくめば、
とわたしならかんがえそうだけど、
介護者は、あえてたかいハードルにいどんでいる。
彼らと、ともにくらそうという つよい気もちがなければ、
とてもあれだけの支援はできない。
作品では、彼らをささえているふたつの事業所、
自立生活センターグッドライフと、自立生活企画が
障害者の自立にむけた支援をおこなっている。
わかいころから彼らによりそってきた職員の方々の
ねばりづよい仕事がすばらしかった。

障害者の自立というと、親もとをはなれ
グループホームでのくらしをおもいえがくけど、
この作品にでてきた障害者は、集団での生活には
なじみにくいようにおもえる。
数年後は可能としても、いまは一軒の家で、
介護者につきそわれながらくらすほうが、
おちついてすごせるだろう。
1対1でよりそう介護者たちが、彼らにはどうしても必要だ。
ひるがえって、わたしがいまやっている仕事は、
障害をもったひとたちを どれだけ笑顔にできているだろう。
障害者介護にたずさわるものとして、
映像がうったえる圧倒的な迫力にうちのめされた。

posted by カルピス at 21:30 | Comment(0) | 介護 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月12日

『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』にでてくる犬も猫もすてき

ほぼ日で、
『犬と猫どっちも飼ってると毎日たのしい』という
コミックエッセイがとりあげられていた。
糸井さんが、本の作者である松本ひで吉さんに
インタビューをしている。
https://www.1101.com/hidekichi_itoi/2019-07-12.html

どこかでよんだはなしだなー、とおもっていたら、
1年まえの「今日のダーリン」にのっていたのだった。
作者の家の犬くんは、お菓子の袋をあけるたびに、
「くれるの?くれるの?」とすっ飛んでくるんですね。
今まで一度ももらえたことがないんだから、
いいかげんあきらめろ、と作者は思うのですが、
唐突に、「はっ!」と気づくんです。
こいつは…「今までもらえなかったからあきらめる」
じゃなくて
「今日は はじめてもらえる日かもしれない」
そう思って生きているんだ。

すごくいいはなしにおもえるけど、
オチとして、そばにまるまっていたネコが
「脳ミソ お花畑か 小僧
 ヤツらが 寝しずまったあとで 盗み食うんだよ」
と、西原さんのマンガにでてくるおばさんみたいに
するどい視線をとばしている。
本のタイトルどおり、犬と猫の両方ともでてくるのが、
このマンガのおもしろさのようだ。
犬はひたすらバカでかわいい存在として、
猫はすべてをしってるクールな存在として。

おもしろかったのは、犬でも猫でも、
まるまっている まんなかへんに顔をつっこむのがすき、
というはなし。
犬のからだからは、はやい鼓動がつたわってきて、
犬の命の時計ははやくすすむ、とちょっとしんみるする。
そのあとでネコのからだに顔をいれると、
「ゴゴゴゴゴー」とすごいモーター音がきこえてきた。
「お お前機械だったのかー!」とのけぞる作者。
もちろんモーター音ではなく、
ただゴロゴロいわせてるだけなのだけど、
それぐらいおおきな音をだして
ネコがふかく満足してるときって、たしかにある。
わたしの家には、ココという1歳のオスネコがいるだけだけど、
まだ子どもなせいか、ほとんど子犬かとおもうくらい
ネコのかしこさをすこしもみせずにはしりまわる。
ネコとイヌの両方とくらしている気がして しあわせだ。
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posted by カルピス at 21:30 | Comment(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする