「祖先の道たどる 海図なき実験」として、
日本列島人の起源について記事をよせている。
「日本という国ができる前の話だから、日本人ではなく
日本列島人」なのだそうだ。
ホモ=サピエンスは、海をわたって日本列島にやってきた。
では、どこから、どうやって?
池澤さんは、国立科学博物館の海部陽介さんによる
船をつかった実験に興味をひかれた。
海部さんは、台湾から与那国島へ古代航法でわたり、
そのルートでの日本列島への移動が、
不可能ではなかったことをしめそうとしている。
わたしは、7万年にアフリカをでたホモ=サピエンスが、
ユーラシア大陸ぜんたいにひろがって、
ついには南米のさきっぽまでたどりつき、
やがて大陸だけでなく、世界じゅうの島へわたっていった
フロンティア精神に いつもおどろかされる。
ネコについているノミが、べつのネコにひっこすのとわけがちがう。
いまの場所にとどまっていれば、それなりのくらしができるのに、
この海のさきに、なにがあるのか、
はっきりした情報はなにもないのに、
おおくのホモ=サピエンスが海へとこぎだしていった。
どれだけの距離をすすめば、島につくのかはわからない。
それでもなお、彼らは海をこえずにはおれなかった。
移動しつづけることは、彼らにとってそれほど大胆な判断ではなく、
自然なふるまいだったのかもしれない。
そうやってホモ=サピエンスがユーラシア大陸全土に
ひろがっていったわけで、
そのながれとして、海をわたるのにも、
さほどの抵抗がなかったともかんがえられる。
おなじ土地にとどまるうちに、食料がとぼしくなれば、
あたらしい場所へうつりすむのはあたりまえともいえる。
池澤さんが紹介している海部さんの実験は、
台湾から船をこぎだして、45時間後に与那国島へたどりついた。
それはそれでたいへんな成功だとおもうけど、
しかし、島についたからといって、
そこにじゅうぶんな水があるかどうか、
また、食料となる動物がすんでいるかはまだわからない。
3万年まえに海をわたったホモ=サピエンスは、
どんな状況にでも対応できるだけの、
そうとうすすんだ技術と能力を身につけていたにちがいない。
あたらしい土地で、ゼロからくらしをつくりあげる自信があるから、
リスクをおかして海へこぎだせる。
たくましい生活力を身につけた彼らが、
日本列島にたどりついたとき、
とうぜんながら、そこはひとがまだだれもすんでいない。
目のまえにひろがる広大なフロンティアは、
彼らにとって、おおくの獲物にめぐまれた、
楽園のような土地にみえたのだろう。
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