2019年08月09日

配偶者の実家へ草かりに

配偶者の実家へ草かりに。
義理の父が、「サービス付き高齢者向け住宅」でくらすようになり、
配偶者が家の管理すべてをになっている。
家まわりだけでなく、畑やお墓もあるので、
草がのびる時期には毎週のように草かりにでかけている。
わたしは、年にいちど、お盆まえに草かりを手つだって
アリバイづくりというか、お茶をにごすというか、
すこしはかかわった実績をのこそうとしている。

いまは女性むけに電動式の草かり機があり、
配偶者をおもにそれをつかって家まわりをきれいにたもっている。
わたしはつかったことがないけど、
刃はチップソーで、ガソリン式の草かり機といっしょだ。
やわらかい草なら、電動式でもじゅうぶん役にたつ。

わたしは、ガソリン式の草かり機をつかう。
刃がふるかったので、あたらしものにとりかえた。
新品の刃は、バリカンで髪の毛をかっていくみたいに草がよくきれる。
夏のあつい日に、草をかるといえば、
村上春樹さんの「午後の最後の芝生」にとどめをさす。
わたしはこの作品を頭におもいうかべながら草をかった。
「僕」は、ざっと機械で芝をかってから、
あとはハサミでこまかなしあげにはいる。
家まわりの草かりは、まさかハサミでしあげをするほど
ていねいな仕事はしない。
草刈機だけで、できるだけ効率よく草をとりのぞくだけだ。
そういえば、「午後の最後の芝生」は、
めちゃくちゃあつい夏のいちにちという設定だけど、
よくよむと、7月14日のできごとなのがわかる。
梅雨がまだあけない7月14日なのに、
太陽はじりじりと肌を焼いた。僕の背中の皮はきれいに三回むけ、もう真黒になっていた。

7月14日までに、皮が3回むけるって、ほんとうなのか。
なかなか油断できない小説だ。

午前と午後にかけ、3時間ほどで草かりをおえる。
ふだんひとがすまない家でも、
こうやって草かりだけはつづけないと、
草はすぐにのびて家や畑をのみこんでいく。
田舎に家があるというと、
牧歌的で ゆったりしたくらしをイメージするけど、
草かりだけをとっても やらなければならない仕事がたっぷりある。
高齢化がすすみ、わかいひとがすくない地方では、
家をおなじ状態にたもつだけでも そうかんたんではない。
配偶者は、このさきどうやって、家をたもっていくつもりだろう。
そしてわたしは、いつまで草かりを手つだっていくだろう。
いまはまだからだがうごいても、
われわれはじきに老夫婦となり、草かりができなくなる。
とりあえずきょうの草かりはおえたけど、
ちかい将来をすこしかんがえるだけでも、
わりと気のおもくなる夏のいちにちだった。

posted by カルピス at 18:18 | Comment(0) | 配偶者 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする